希望が見えた道すがら
「…………」
「…………」
リナリアは現在、蜘蛛族領主アシュヴァルの後ろを歩いている。
初め他の蜘蛛族達に案内をされる予定だったのだけれど、リナリアが不安そうにしている姿を見て考えを改めたらしい。
「ついてこい」といったアシュヴァルの後ろを静かについていくリナリア。
その後ろを少し離れついてくる蜘蛛族の人たち。
蜘蛛族領にある領主館へ続く白い糸に所々覆われた街道を無言で、ひたすら無言でアシュヴァルとリナリアは歩いてゆく。
先程まで大騒ぎだった蜘蛛族達は、今も後ろでざわざわしている。
「本当に巣へ……?」
「いや待て、早すぎるだろ」
「運命ってやつじゃないのか?」
「領主様、死んでない?生きてる?」
「誰か一人見てこいよ」
「無理無理無理、家に俺を待つ子供も家内もいるんだ」
何を言っているのかわからないけれど、ただ、全員が私たちのことを気にしている。
前を歩いているアシュヴァルの背中を見てみる。
…よく見れば耳が真っ赤だ。
そんなアシュヴァルの様子に、リナリアは不安になった。
もしかして失礼なことをしただろうか?
そういえば蜘蛛族は人間を嫌っていると聞く。
なのに自分みたいな地味な女が来たせいで、失望されているのかもしれない。
そう思った時だった。
「段差があるな」
「え?」
アシュヴァルが突然立ち止まり、低く呟いた。
リナリアが小さすぎて聞き取れなかったその言葉を聞き返そうとした次の瞬間、白い糸がするりと伸び、街道の崩れた石段の上に柔らかな足場を作った。
「!?」
リナリアが驚いて顔を上げアシュヴァルを見るが、彼は依然としてこちらを見ないまま、小さく言った。
「転ぶと危ないからな、人族はか弱いと聞いている」
「…あ、ありがとうございます」
「いや、気にするな」
耳はさらに赤くなった様な気がした。
優しい?いやでも蜘蛛族は怖い、でも優しい事しかされてない…なんだこの人。
そんな混乱を抱えたまま、リナリアは蜘蛛族領の奥へ進んでいく。
やがて森が開けた瞬間、リナリアは思わず息を呑んだ。
「…え?」
一言で言えば『巨大』だった。
白い糸と黒い石で作られた建物。
外壁は高く、所々に青白く光る鉱石が埋め込まれていて、リナリアにはこの建物が一つの作品の様に見えた。
糸で編まれた装飾は繊細で幻想的で、まるで夢の中の城みたいだとリナリアは思う。
人族の王城と全く違う様相にリナリアは息を呑んだ。
てっきり不気味な場所に辿り着くのだろうと思っていたリナリアはその予想を裏切られ、目の前に広がる光景に思わずと言った様に見入ってしまった。
息を呑むほどに美しい場所。
「ここが…巣?」
「あぁ?!」
意図せず口から飛び出した言葉は、先ほどから蜘蛛族達が巣と言っていたから出た言葉であり、リナリアにとってなんの意識もしていなかった一言だ。
その言葉にアシュヴァルが短く答える。
どうやら蜘蛛族は、人間でいう屋敷や家を巣と呼ぶらしい。
無意識に口から出た言葉だったけれど、間違った言葉じゃなかったことに今更ながらリナリアは安堵した。
もし、巣という言葉が適切じゃなかった場合、どんな結果になっていたかなんて考えるだけでも怖すぎる。
噂通りじゃ無さそうだと思いつつも、今まで聞いてきた蜘蛛族の噂を思い出し、リナリアは少し震えた。
そんなリナリアの背後では、蜘蛛族達がざわついていた。
「番様が巣って言った」
「俺の耳はちゃんと聞いてた」
「領主様動揺してた」
「これは完全に合意の合図」
「早すぎるだろ…」
「10年片想いしてる俺、1時間も経たずに番になる領主様」
「よせ、強さが違う」
一方アシュヴァルは、死にそうな顔をしていた。
「違う…動揺してなどいない…」
「何かいいました?」
「いや…何でもない」
低い声で突然話し出したアシュヴァル。
リナリアはその瞬間はっとし、思考の海から帰ってきた。
「」
「」
何故か会話が噛み合わない、続かない。
沈黙が二人の間から離れてくれない。
その時。
ぐうぅ…。
間の抜けた音が静まり返った空間に響いた。
「っ!」
リナリアの顔が一瞬で赤くなる。
きゅぅう…
また、お腹が鳴った。
緊張で忘れていたが、昨日からほとんど食べていなかった事を思い出す。
「」
「」
アシュヴァルが軽く目を見開いてリナリアを見つめる。
背後の蜘蛛族の誰かが息を呑む。
そんな緊張感の溢れる状況で、リナリアが恥ずかしさで俯いた瞬間…アシュヴァルの纏う空気が変わった。
「ひっ…」
蜘蛛族の誰かが小さく悲鳴を上げ、後ずさる音がした。
その声に気がつき顔を上げると、気づけばアシュヴァルの目つきが鋭いものへと変化していた。
「…何故だ」
「え?」
「何故、飢えている?」
今までで一番声が低い。
…とても怒っているように聞こえる。
アシュヴァルの瞳孔が開いている事に気が付いたリナリアは慌てて首を振る。
もしかしたら蜘蛛族の間ではお腹の音を鳴らす事が重罪なのかもしれない。
いや、朝食を抜く事がなにか宗教的な教えに引っ掛かるのかもしれない。
その考えに行き着いたリナリアの顔から血の気が引く。
「す、すみません!」
「なぜ謝る?」
リナリアが顔を真っ青にし、体を振るわせる姿を見たアシュヴァルは一転して顔を青ざめさせた。
互いに青ざめた顔で向き合う事数秒。
気付けばアシュヴァルの周囲から大量の糸が溢れ出していた。
「領主様落ち着いてください!」
「本能出てます!」
「餌集めモード入ってる!!」
周囲の部下達が慌てふためいている。
しかしアシュヴァルはそれどころではないらしい。
赤い瞳でリナリアを見つめたまま、低く呟く。
「すこし、待っていろ」
「え?」
次の瞬間、彼の姿が消えた。
「…へ?」
速い、本当に一瞬だった。
リナリアが瞬きをした瞬間に彼はどこかへ行ってしまったらしい。
唖然とするリナリアの周囲で、蜘蛛族達が頭を抱えている。
「この森が終わった」
「完全に本能に引っ張られてる…」
「領主様が本能に弄ばれている」
「番様をどうすればいいんだ?」
ただリナリア1人だけがこの状況を理解できないでいる。
周囲にいる蜘蛛族にこれからどうしたらいいか問いかけようとした時、1人の蜘蛛族の女性が近づいてきた。
「お嬢さん」
蜘蛛族の女性は、優しい目でリナリアを見ながら話しかけてきた。
「あなた、気をつけた方がいいわ」
「え?」
「領主様、多分もうかなり駄目だから」
「?」
「気をしっかり持つのよ」
蜘蛛族の女性は少し気の毒そうな顔をしつつも、リナリアへその言葉を残しどこかへいってしまった。
全くもって本当に意味がわからない。
しかし数分後、地鳴りのような音と共にアシュヴァルが戻ってきた。
両腕いっぱいにリナリアが見た事のない巨大な魔獣を抱えて。
しかもアシュヴァルの後ろには果物、花、宝石、布、そして何故か大量の家具が糸で作られたソリの様なものに乗せられて引っ張られていた。
とにかく大量の荷物と共にアシュヴァルが帰ってきたのだった。
「…」
「…」
リナリアが困惑し過ぎてぱちぱちと瞬きをしていると、アシュヴァルが真顔で大量の食料を指差した。
「これで足りるか?」
「あの…これは?」
「足りないか?」
「…いえ、十分すぎます」
「そうか、人族は飢えると死ぬと聞いている」
どこか安心したように、アシュヴァルは小さく息を吐いたのだけれど、どう考えてもリナリアにはこの食料の量は多すぎる。
…この人は私がこれぐらい食べられると思って持ってきたの?
私ってそんなに大食にみえるの?
…え?蜘蛛族は飢えても死なないの?!
そして困惑するリナリアの背後でも蜘蛛族が困惑していた。
「領主様が大盤振る舞いだ」
「あの魔獣って美味しいけどめちゃ強いやつじゃね?」
「番様愛されてて羨ましい」
「あの宝石って宝物庫にあったやつじゃ…?」
蜘蛛族達がひそひそと話している。
その声を聞きながら、リナリアは改めて目の前の光景を見た。
山のように積まれた食料、籠いっぱいの果物、色鮮やかな花束に陽光を受けてきらきらと輝く宝石。
そして何故か家具、本当に何故か家具、しかも高そうな家具。
「…」
リナリアはゆっくりとアシュヴァルを見る。
彼は腕を組んだまま無表情で立っていた。
相変わらず表情は硬く、怖そうな顔だ。
けれどやっぱり耳だけは真っ赤だった。
どうやら自分でもやりすぎた自覚はあるのだろう。
きっと恥ずかしくなって耳が真っ赤になっているのかもしれない。
そう考えると少しだけ可愛いと思えるから不思議である。
「ありがとうございます」
そして、お礼を言っていない事に気づいたリナリアは急いでお礼を言った。
するとアシュヴァルは一瞬だけ目を見開く。
「礼は不要だ」
そう言って視線を逸らす。
それと同時に耳はさらに赤くなった。
そんな2人の後ろからは蜘蛛族達の悲鳴のような歓声が続いていた。
「今の見たか!?」
「目をかっぽじって見てた」
「領主様が照れた」
「歴史的瞬間だ!!」
「だれか記録結晶で記録しろ!」
「子々孫々まで語り継ごう!」
何故か大騒ぎになっていた。
終始わからない事だらけだけれど、リナリアには少なくとも分かったことが一つだけあった。
攫われる、閉じ込められる、恐ろしい怪物だとそんな噂ばかり聞いて育ったけれど。
目の前にいる蜘蛛族の領主は、どう見ても恐ろしい怪物ではなかった。
むしろお腹が空いていると言っただけで森中の食べ物を集めてくる、とんでもなく不器用で優しい人だ。
…少し、変だけれど。
「蜘蛛族って…怖くない?」
リナリアがぽつりと呟くと、アシュヴァルがこちらを見る。
綺麗な赤い瞳と目が合った。
以前なら震えていただろう、けれど今は不思議と怖くなかった。
蜘蛛族で侍女をしろと義父に言われた時はどうなることかと思ったけれど、この人の侍女ならやっていけそうな気がする。
むしろ…人族よりも蜘蛛族のほうが
「…好きになれそうな気がする」
リナリアが無意識にその言葉を口にした瞬間、周囲の蜘蛛族達が一斉に天を仰いだ。
「終わった…」
「領主様に春が来た……」
「百年待った甲斐があった」
「まだ何も始まってねぇよ」
蜘蛛族達のそんな声が聞こえるが、考え事をしているリナリアの耳には入っていない。
人族との関わりが良くないものだったリナリアは、この短時間の間にアシュヴァルからの優しさを沢山貰った。
気を遣ってもらえた、ただそれだけの事。
けれどリナリアには縁遠かったもの。
残してきた義弟の事は気になるけれど、この感じであればもしかしたら本当に一年後には義弟と再会できるかもしれない。
そう考えたリナリアは微笑む。
希望が全くない状況から、少しだけでも希望が見えたのだ、そりゃあやる気も出る。
だから気付かなかった。
目の前の蜘蛛族の領主が、その言葉だけで今にも倒れそうになっていたことに。
そして蜘蛛族領全体が、未来の領主夫人誕生を確信し始めていたことにも。
さらにその噂が、現在進行形で、ほんと、とんでもない速度で領内中を駆け巡っていることにも。
「聞いたか!? 領主様が番様に食料を献上したらしい!」
「家具まで贈ったそうだぞ!」
「ええ?!もう家具!?」
「しかも『好きになれそう』と言われたとか!」
「もう結婚じゃねぇか!!」
「落ち着け!まだ侍女だ!」
一通り話し終えた蜘蛛族達は真顔で頷き合った。
一方その頃、当事者であるリナリアは何も知らず、館へ続く道を歩いている。
「侍女のお仕事、頑張らないと……」
小さく拳を握るリナリア。
その少し前をアシュヴァルが無言で歩いていた。
いつも通り、耳は真っ赤だった、そして背後では。
「今夜は祝宴だな」
「まだ早いだろ」
「いや領主様の様子を見ろ、めろめろだ」
「お子はまだか?」
「流石にはやい!先に式だろ!」
蜘蛛族達が深く頷く、誰一人として反論しない。
こうして蜘蛛族領は、百年ぶりの大騒ぎに包まれることになる。




