恐怖、興味、驚異
盛大に勘違いをしているアシュヴァルの困った顔を見たリナリア。
こちらも色々と勘違いしていた。
リナリアは言い訳を口にしようとして…言葉を飲み込んだ。
『食べられると思ってました』なんて口には出せない。
だから言い訳をした。
そして困らせてしまった。
私のせいでアシュヴァル様にこんな顔をさせてしまっている。
今更ながらリナリアは良心の呵責に溺れそうになっていた。
まるで弱いものいじめをしている気分になってしまったのだ。
「…ごめんなさい」
とても小さな声だった。
その声を聞いて、アシュヴァルのうじうじと動いていた蜘蛛脚が止まる。
アシュヴァルの意識がこちらに向いていることに気づいたリナリアは慌てて言葉を続けた。
「怖いとか、嫌いとか、そんな、簡単な事じゃないんです!なんか、色々、あって!」
リナリアはかなり必死だった。
もう、自分が何を話しているのか、何を言ってるのか、言葉を吐き出した瞬間にポロポロと流れ落ちて忘れ去っていた。
「優しいし!ちゃんと気遣ってくれるし!でも、びっくりさせてくるし、窓から逆さまだし!番様って私のあだ名よくわかんないし!えっと、心臓止めるとか私無理だし!えっと、だからその、わからなくて…!でも、でも、嫌いじゃないんです!」
アシュヴァルは静かに目を見開いた。
半分以上意味がわからなかったが、最初と最後の言葉だけは都合よく耳に入っていた。
「……怖いのに、嫌いではない?優しいと、そう思ってくれているのか?」
「えと…はい…」
肩で息をしながら、リナリアは小さく頷く。
「むしろ…どちらかと言えば、多分、好き?です、優しいし」
その瞬間。
ガタンッ!!!
ドシャアアアアン!
バキバキバキッ!!!
ドサドサドサァッ!!
なんか、ものすごい音がした。
「ひゃあっ!?」
リナリアが飛び上がる。
小心者のリナリアは大きな音は苦手なのだ。
特に蜘蛛族の住処での異常音は怖い。
アシュヴァルは片手で顔を覆った。
何となく予想がついたのだ。
むしろそうでなくては困る。
「…お前達」
アシュヴァルがとても低い声でポツリと呟く。
窓の外、天井、壁、もう、至る所から大量の蜘蛛族が落下して蠢いていた。
リナリアの部屋にもかなりの数が裏返ってピクピクしていた。
そんな蜘蛛族は皆、アシュヴァルのその呟きを聞いて目をカッと開き、瞬きの合間に糸を使って体制を整えた。
リナリアは怯えている。
何処にこんなにも居たのかと。
昔父が言っていた、1匹見つけたら100匹いるのだと。
つまりはそういう事なんだろうか。
リナリアの脳内があらぬ方向へと向いている間。
蜘蛛族は皆、興奮しながら各々が好き勝手にしゃべりだしていた。
「す、好きと!!!!」
「言った!言った!俺は聞いた!」
「番様がアプローチしましたわ!恋する乙女応援団を結成致しましょう!」
「ついに春が夏になるのですね!常夏ベイビーですね!!」
「番様が領主様へバーンしましたね!」
もう、全員が震えていた。
アシュヴァルは怒りで。
リナリアは恐怖で。
蜘蛛族は感動で。
震えとは何と奥深い物なのだろうか。
「帰れ」
アシュヴァルの糸が四方八方へと飛ぶ。
物凄い勢いで飛んでゆく糸に、リナリアはパニックだ。
目の前を、顔の横を、足の間を、蜘蛛の糸が物凄い勢いで通り過ぎてゆくのだ。
きっと戦争中の兵士もこんな気分だったに違いない。
こんな糸の雨あられ…動くことができないのは当たり前の事である。
だが、まさかの蜘蛛族達は避けながら泣いていた。
怖いとか悲しいとかではない。
喜びで咽び泣いているのだ。
「あ、あ、あ、あ!長かったあああああ…!」
「ここまで本当に長かった!!」
「我々見守っていて良かったですねぇ!!」
「こんな日が来るなんて!お母さぁーん!」
もはやカオス。
「帰れと言っている!!!」
アシュヴァルの怒声が部屋に響く。
その横で。
リナリアだけが真っ青でぴるぴる状態だった。
アシュヴァルの怒声で、やっと思考が恐怖から戻ってきたリナリアは、違う事でパニックになっていた。
好きってそういう意味で受け取られたの!?違うよ!いや違わない?
混乱していた。
「えっ。…えっ!?ち、違っ……!」
リナリアはウブだった。
恋愛にかまける暇がなかったということもあったが、自分が恋愛対象になると本気で思っていなかったのである。
「い、今の好きってそういう意味じゃ…?」
だが、言っている最中に異変に気づき、途中で止まった。
目の前のアシュヴァルが固まっていたからだ。
蜘蛛脚も変な格好で止まっている。
周りの蜘蛛族も皆がリナリアへ顔を向けて止まっている。
「…………」
完全停止。
まるで時が止まったみたいだった。
もし、私が魔法使いであったなら、今この瞬間が逃げるチャンスだろう。
多分、私が部屋から出ても気づかないんじゃないかな?
いや、話してる最中だから逃げないけどさ。
リナリアがオロオロとしていると、アシュヴァルがボソッと呟いた。
「嫌われてはいないのだからそれで良い」
寂しげな余韻を残すその呟きに、リナリアは言葉に詰まる。
そんな風に言われると罪悪感でどうにかなりそうである。
「あ、あの…恋愛は、わからないと言うか…これから?と言うか…?そんな感じなので?」
顔を真っ赤にしてリナリアは小さく答える。
もう何を言っているかわからない。
でも、周りがそう言ってるんだからとりあえず勘違いではないとは思うけど、言い訳じゃ無いけど…と、未だ脳内のリナリアは饒舌である。
するとその言葉を聞いたアシュヴァルの蜘蛛脚がぶわっと広がった。
「ひぃっ」
脊椎反射でリナリアが怖がり、後退る。
それを見てアシュヴァルがハッとした。
「す、すまない!」
慌てて蜘蛛脚を引っ込める。
「違うんだ、今のは本能が…つい」
リナリアは震えた。
だが、アシュヴァルは苦しそうに続けた。
「嬉しかっただけなんだ」
リナリアはキョトンとした。
「嫌われていないと分かって、安心した。
そういう対象に見てもらえるかもしれないと言う期待に脚が膨らんでしまった。」
リナリアは目をぱちぱちさせた。
その反応は予想外だった。
しかも、期待に膨らませるのは胸では無いんだとも思った。
もっとこう、なんというか、獲物逃がさないぞ!ガオー!的な圧を想像していたのに。
よく思い出せば、なんだかさっきからしょんぼりしたり喜んだりしている?
ん?…あれ?リナリアは少しだけ混乱した。
アシュヴァル様は私を本当に食べる気ある?
いやでも糸は巻かれたし?独占って言ってたし…でも。
こんな必死に嫌われたくないって顔する…?
こんなカオスな状態になった事により、リナリアはとうとう正解に辿り着きそうであった。
その時…
「領主様ー!!!」
窓の外からかけられた元気な声が、リナリアの静かな部屋に響いた。
「番様への求婚成功しましたかーーーー?」
「…」
空気が止まる。
「…求婚?」
リナリアが唖然としてアシュヴァルへとゆっくり視線をうつす。
アシュヴァルの顔から血の気が引いていた。
「ま、待て、違う」
この世の絶望をこれでもかと詰め込んだような表情をしたアシュヴァルがそこにはいた。
そんなことは知らない蜘蛛族達は窓の外で大盛り上がりをしている声がする。
「好きって言われたならもう領主様はプロポーズをしたはずだ!」
「求愛をしている最中かもしれないぞ!!」
「うおー!!!領主様の求愛は俺、見てみたい!!」
「見に行く?行っちゃおうぜ?!!」
楽しそうな声がしているが、だが、リナリアはそれどころじゃなかった。
こんやく…こんやく…きゅうこん…求婚?
そして蜘蛛族に最近言われていた言葉。
巣作り、母性、子育て…?
今までの情報がリナリアの脳内で繋がり始める。
パズルのピースが後半になって突然勢いよくハマり出すような、マフラーを編んでいるときの最後の一列が一瞬で終わるような、そんな…まさか?
リナリアの背中に嫌な汗が流れる。
まさか、いやでも…?え?
目を見開き固まっているリナリアに対し、アシュヴァルは必死だった。
必死に体を少しかがめながら弁明をしていた。
背中の蜘蛛脚も両手を振ると同じ動作をしている。ブンブン。
「違うんだ、これは、違う、間違って、いや、間違てはいないが、その、違うんだ!」
「違う…んですか?」
アシュヴァルはリナリアのその言葉に沈黙した。
リナリアは何かを決意したような顔でアシュヴァルを見つめた。
「聞きたいことがあります」
その言葉を聞いたアシュヴァルは顔を覆った。
終わった。
そう思った。




