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EP 14

 神話級監獄「デュアダロス組事務所」と、極上カツ丼の契り

 ルナミス帝国の最北端、永久凍土の荒野の底深くに穿たれた禁忌の地。

 かつて大戦の折に世界を半壊させ、神々の手によって封印された神話級大監獄――『アビス・タルタロス』。

 神々の張った結界をルチアナの公務員パス(空間跳躍キー)で強引にすり抜け、最深部の封印区画へと降り立った俺とルチアナは、巨大な鋼鉄の二重扉の前に立っていた。

「……ねえ、リアン君。本当に大丈夫かしら?」

 タローソンのレジ袋を抱えたルチアナが、小豆色の芋ジャージの襟元を掴んでカタカタと震えている。

「フレアちゃんからの定期連絡が途絶えてからもう四日よ? あのアホ兄貴、絶対禁断症状で理性を失って、目につくもの全てをミンチにするバーサーカー状態になってるわよ! 扉を開けた瞬間、熱線で消し炭にされたらどうすんの!?」

「騒ぐな。お前が騒ぐと重箱の盛り付けが崩れるだろ」

 俺は両手に抱えた漆塗りの二段重を水平に保ったまま、冷徹な目で鉄扉を一瞥した。

 確かに扉の向こうからは、常人なら失禁して卒倒するレベルの濃密な神気――それも、どす黒く渦巻く凶暴な闘気が漏れ出している。

 だが、同時に漂ってくる匂いがあった。

 ……線香の煙と、安物のタバコ、そしてなぜか白檀(びゃくだん)の混ざった、妙に饐(す)えた埃っぽい空気。

「行くぞ。冷めないうちに胃袋を制圧する」

 ギィィィィィィィィィ……ッ。

 重厚な鉄扉を押し開けると、そこは監獄などという生易しい空間ではなかった。

 ダンジョンの荒々しい岩肌はどこにもない。

 床には青々とした(しかしあちこちにタバコの焦げ跡がある)全面畳敷き。壁には白木が打ち付けられ、床の間には金文字で『誠魂』と豪快に書かれた巨大な掛け軸。

 部屋の隅には虎の剥製が威圧感を放ち、漆塗りの巨大な一本松の役員デスクの上には、黒電話と灰皿が鎮座していた。

 そこは完全に、前世の任侠映画で何百回と見た『暴力団組事務所』そのものだった。

「…………本当に組事務所開いてやがる」

「言ったでしょ!? あいつ、昔地上から回収された映画のビデオテープを見てから、脳みそが完全に極道に侵食されてるのよ!」

 ルチアナが悲鳴混じりの耳打ちをしてきた、その瞬間。

 ガタァッ! とデスクの革張り社長椅子が激しく軋み、奥の闇から巨躯が立ち上がった。

「誰じゃワレェェェッ!!」

 響き渡る怒号だけで、周囲の空間がビリビリとひび割れる。

 そこに立っていたのは、漆黒のアルマーニ風のダブルスーツを完璧に着こなした、筋骨隆々の偉丈夫だった。

 頭部には禍々しい真紅の竜角が天を突き、サングラスの奥から覗く黄金の瞳は、飢餓と怒りで完全に血走っている。

 そしてその右手には――なぜか空間を歪ませながら握りしめられた、銀色に光る『ソ連製トカレフ拳銃(空間穿孔カスタム)』。

 世界調停機構・三巨頭の一角、終焉邪龍デュアダロス(永遠の17才枠)。

「ルチアナぁぁぁッ! 遅かったのうコラァ! フレアの小娘はどうしたんなら! ワシのシノギの飯と、今週のルナミス新聞の競馬欄はどうなっとるんじゃぁぁぁッ!!」

 ガチャンッ! とトカレフのスライドが引かれ、銃口が正確に俺の眉間へと向けられた。

 漏れ出す神気でダンジョンの岩盤が悲鳴を上げている。

「ヒィィィッ! ごめんなさい兄貴! フレアちゃんは家族旅行で有休消化中で、私はタローソンのポテチとビールしか持ってきてないのぉぉぉッ!」

 ルチアナは情けなく俺の防刃ジャージの背中に隠れ、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 デュアダロスのこめかみに青筋が浮き上がる。

「タローソンの乾き物じゃと……? ワシを誰じゃと思うとるんなら! 四神のクソどもが不倫旅行でシマを空け、飯炊きのフレアまでサボりくさりおって……ワシを餓死させる気かワレェ! この弾丸一発で、ダンジョンごと娑婆の空気を吸いに行ったるわぁぁぁッ!!」

 邪龍が引き金に指をかけた。

 放たれればダンジョンはおろか、地上のポポロ村周辺のインフラまでまとめて蒸発する。

 だが――俺は一歩も引かなかった。

「おいおい、トカゲの旦那。客人にいきなりチャカを向けるたぁ、任侠の看板が泣くぜ」

 俺は冷静に、前世の厨房で培った低く通る声で言い放ち、漆塗りの重箱をどんと一本松デスクの真ん中に叩きつけた。

「あぁん? なんじゃそのガキは。カタギのガキがワシに指図する気か――」

「銃口を下げろ。……せっかくの出汁が冷めちまうだろ」

 パカッ。

 重箱の漆黒の蓋を、無駄のない所作で開け放った。

 ――ボワッ!

 重箱の中から、暴力的なまでの湯気と芳香が爆発した。

 昆布と鰹節から極限まで旨味を引き出した黄金の出汁。

 そこに醤油とみりんを絶妙な黄金比で合わせた甘辛いタレの香り。

 今朝ネギオから巻き上げたばかりの『ポポロ・プレミアム・ネギ』が飴色に煮込まれた深い甘み。

 そして何より、180度の油で揚げたてを閉じ込めた、三元オークの極厚ロースカツの香ばしい豚脂の匂いが、畳敷きの組事務所を一瞬で制圧した。

「…………な、なんじゃあ、こりゃあ……!?」

 デュアダロスの鼻腔が、ピクピクと痙攣した。

 トカレフを構えていた右手が、プルプルと情けなく震え始める。

 重箱の中に整然と鎮座しているのは、ツヤツヤと輝く白米の上に敷き詰められた、黄金の芸術品。

 厚さ三センチはあろうかという三元オークのロース肉は、サクサクの生パン粉をまとい、絶妙な半熟加減の溶き卵でふんわりと抱き枕のように包み込まれている。

 タレを吸って飴色に輝く衣と、隙間から顔を覗かせる極上ネギの鮮やかな緑。

 俺はさらに、魔法ポーチからキンキンに冷やした魔法水筒を取り出し、氷入りのグラスへと琥珀色の液体を注ぎ入れた。

 シュワァァァァッ! と涼やかな炭酸の音が事務所に響き渡る。

「『極厚三元豚の特製カツ丼弁当』、そして冷えたウイスキーで作った強炭酸ハイボールだ。……任侠を気取るなら、御託を並べる前に、まずその空っぽの胃袋に本物の極道飯を叩き込んでみろ」

「……ぐ、ぐぬぅ……!」

 邪龍デュアダロスは、本能の唾液を喉の奥でゴクリと鳴らした。

 もはやトカレフなどどうでもいいと言わんばかりにデスクへ放り出すと、震える太い指で、添えられていた割り箸をパチンと割った。

「わ、ワシを愚弄したらタダじゃ置かんぞ……! こんなもん一口食うて、不味かったら即座にミンチじゃ!」

 そう捨て台詞を吐きながらも、デュアダロスの箸は吸い寄せられるように、一番分厚い中央のカツへと伸びていた。

 箸先が衣に触れた瞬間、サクッ、と小さく小気味よい音が立つ。煮込まれているにもかかわらず、衣のクリスピーさが死んでいない証拠だ。

 そのまま、大口を開けてカツを米ごと放り込む。

 ガツリッ。

 咀嚼した瞬間。

「――――――――ッッッ!?」

 デュアダロスの動きが、完全にフリーズした。

 グラサンの奥の瞳孔が限界まで見開き、全身の筋肉が鋼のように硬直する。

(……ふっ。落ちたな)

 俺は心の中で小さく笑った。

 三元オークのロース肉は、包丁の背で筋を徹底的に断ち切り、低温と高温の二度揚げで肉汁を一切逃さずに閉じ込めてある。

 噛み締めた瞬間、前歯を押し返すような官能的な弾力と共に、閉じ込められていた熱々の肉汁の奔流が口内へと溢れ出すのだ。

 そこに絡みつく、鰹と昆布の濃厚な出汁と、プレミアム・ネギのフルーティーな甘み。

 甘辛いタレを余すことなく吸い込んだ白米が、半熟卵のまろやかさと一体になって、味覚の快楽中枢を容赦なく蹂躙する。

「な、なんじゃ……なんじゃこの肉はぁぁぁッ!!」

 デュアダロスは叫びながら、二口、三口と猛烈な勢いでカツ丼をかき込み始めた。

「衣が……衣が出汁を吸うとるのに、まだサクサクしとる! 肉は歯が要らんほど柔らかいのに、噛めば噛むほど濃厚な豚の旨味が溢れて止まらん! そしてこのネギ……! なんじゃこの甘みと香気は! タレと卵の暴力的な味を、完璧に一本の極上の一杯にまとめ上げとる……!!」

 猛獣のように重箱をかっ喰らい、米粒一つ残さず胃袋へ流し込んだデュアダロスは、猛然とハイボールのグラスを掴んだ。

 グビッ、グビッ、グビッ……ッ!

 ぷはぁぁぁぁぁぁッ!!

「ひ、冷え冷えのシュワシュワが……! 濃厚な豚の脂と甘辛いタレを、喉の奥へ爽快に洗い流していくぅぅぅッ!!」

 ドサリ、とデュアダロスが膝から畳へと崩れ落ちた。

 漆塗りの重箱は、すでに舐め回したかのようにピカピカに空っぽになっていた。

 そして――。

 ボロボロ、ボロボロと。

 サングラスの隙間から、神気を含んだ琥珀色の大粒の涙が、畳を濡らし始めた。

「……お、親父ぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

「お、親父!?」

 ルチアナが目を丸くして叫ぶ。

「思い出す……思い出すんじゃぁぁぁ! あの雪の降る夜、路地裏で飢えて震えとったワシの前に現れ、『食え』とカツ丼を差し出してくれた……あの任侠映画の組長の顔がぁぁぁぁっ!!」

「幻覚じゃねぇか! お前太古の昔からずっとここに封印されてるだろ!」

 俺の的確なツッコミも、もはや邪龍の耳には届いていなかった。

 デュアダロスは鼻水をすすり、涙で顔をグシャグシャにしながら、深々と畳に頭を擦り付けた。

「参った……! ワシの完全な敗北じゃ! こんな魂を揺さぶる任侠飯、神話の神々の宴でも食うたことがない! 小僧……いや、お前さん、名を何という!?」

「……リアン・クラインだ。ルナミス帝国の公爵で、ポポロ村の料理長をやってる」

「リアンのオジキ……ッ! いや、若頭(わかがしら)と呼ばせてくれぇぇぇッ!!」

 ガバッと跳ね起きたデュアダロスは、事務所の奥から埃をかぶった神話級の酒器を取り出し、デスクに叩きつけた。

「今すぐ盃を交わそう! ワシが舎弟で、アンタが若頭じゃ! ワシの魂と神気、すべてアンタに預けるけぇ!!」

「誰がトカゲのヤクザと盃交わすか。俺はただ平穏に黒字経営したいだけの料理人だ」

 俺は冷たくあしらいつつ、空になった重箱を片付けた。

 だが、これで最悪のシナリオ――邪龍の暴動によるポポロ村の経済圏破壊という特大赤字は、完全に回避された。

 満腹になったデュアダロスは、机に突っ伏して幸せそうに腹をさすっていたが、ふと、思い出したように深いため息を吐き出した。

「……あーあ。腹は膨れたが、飯を食ったら余計に虚しゅうなってきたわ」

「どうしたんだ?」

「退屈なんじゃよ、若頭」

 デュアダロスは天井を見上げ、恨めしそうに愚痴をこぼした。

「四神のボケどもは職場放棄で誰も来んし、フレアの小娘もしばらく戻らん。この薄暗い監獄で、ワシはずーっと壁を睨んで過ごさにゃならんのじゃ。たまの映画と競馬欄だけが生きがいじゃが、それも尽きた。……娑婆の空気が吸いてぇなぁ。もっと賑やかで、美味いもんがあって、酒が飲める場所にワシのシマを持ちてぇもんじゃ……」

「…………」

 その言葉を聞いた瞬間。

 俺の頭の中の『簿記1級回路』が、カチリと音を立てて噛み合った。

 ――四神がボイコットして、天界の監視網は形骸化している。

 ――ここには、神話級の絶対的な武力を持つ終焉邪龍デュアダロスがいる。

 ――そして、退屈しきったヤクザ神と、莫大な未開拓空間が広がる神話級ダンジョン。

(……待てよ? こいつを外に出すのはリスクだが、ここに『外の連中』を呼び込む分には、監視の目を誤魔化せるんじゃないか……?)

 俺の口角が、前世の悪徳プロデューサーのようにスッと吊り上がった。

「おい、デュアダロス」

「なんじゃ、若頭?」

「退屈を金と娯楽に変える……最高のシノギ(ビジネス)があるんだが、乗るか?」

 神話級監獄を舞台にした、前代未聞の地下経済特区計画が、今まさに胎動を始めようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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