EP 13
有休消化の駄女神と、極道に目覚めた神界の厄介者
どこまでも広がる青々とした田園と、のどかな鳥のさえずり。
ルナミス帝国、ガルーダ獣人王国、魔王領の三つがせめぎ合う国境の緩衝地帯――ここポポロ村の昼下がりは、今日も今日とて穏やかな空気に包まれていた。
「……ふぅ、平和だ。これぞまさに、前世で過労死した俺が夢見てやまなかったスローライフだな」
村長公邸の縁側で、俺――リアン・クライン(旧姓シンフォニア)は、急須で淹れた温かい緑茶を啜りながら深々と息を吐き出していた。
思えば、前世で三ツ星フレンチの副料理長として過労死し、赤ん坊としてこの異世界アナステシアに生後ゼロ日で転生してからというもの、休まる暇など微塵もなかった。
豪腕剣士の親父と元賢者の母親によるスパルタ英才教育を生き延び、胡桃割り人形センチネルを操って裏工作に励み、学園を首席で卒業したかと思えば帝国公爵の位を押し付けられ、気づけばこの要塞農村の領主としてどっしり腰を据える羽目になっていた。
だが、簿記一級の計算力を活かした完璧な内政と、ゴルド商会の凄腕猫耳商人ニャングルの奮闘によって、村の財政は今や完全に黒字安定。俺は今、働かずに縁側で茶をしばくという、最高峰の不労所得タイムを満喫しているのである。
――カサカサ、カシャーン。
そんな至福の静寂をぶち破り、庭の生垣をくぐって何者かがずかずかと入ってきた。
首元がヨレにヨレた青い芋ジャージに、泥のついた便所サンダル。手には大手コンビニ『タローソン』の青白いビニール袋を二つ、パンパンに膨らませてぶら下げている。
この世界を創造した最高神の一角にして、自堕落の化身――駄女神ルチアナその人であった。
「ふぅ……重かったわぁ。タローソンの店員、缶ビール六缶パック二つも入れたら袋破けそうになるの分かんないのかしらねぇ」
ボヤきながら縁側にドサリと腰を下ろしたルチアナのレジ袋からは、大量のポテトチップス(のり塩、コンソメ、うすしおのビッグサイズ)と、黄金色に輝く缶ビールのパックが顔を覗かせていた。
俺は眉をひそめ、湯呑みを縁側に置いた。
「どうしたんだ? ルチアナ。昼間から飲む気かよ」
いくら昼夜逆転の駄女神とはいえ、真っ昼間から一人宴会を始めるのは領主として見過ごせない。
するとルチアナは、心外だとばかりに唇を尖らせて両手をひらひらと振った。
「違うわよ。私が飲むんじゃないの。私のアホ兄貴と言うかバカ弟と言うか、デュアダロスに刑務所見舞いに行く羽目になったの。フレアがヒエンと家族旅行に行くからって私に有給申請を取ったから!」
「……は?」
あまりに情報量の多すぎる怒涛の供述に、俺の脳内の簿記電卓が一瞬でフリーズした。
「待て待て、ルチアナ。ツッコミどころが過密都市並みに密集してるんだが。まず、フレアとヒエンって……あの天界の重鎮の?」
「そうよ! あの神界きっての絶世の美女神にして、不死鳥のフレアよ! あいつが息子のヒエンを連れてさ、『息子と南の島に親子水入らずで家族旅行に行くので、ルチアナさん有休使って代わりに行ってきてくださ〜い♡』って、私のデスクに有給申請書を叩きつけてトンズラこいたのよ! 信じられる!? 私の貴重な平日オフが消し飛んだのよ!」
ルチアナはギリギリと歯ぎしりをしながら、タローソンの袋をバンバンと叩いた。
「フレアが息子のヒエンと旅行に行くのは微笑ましい家族サービスだから百歩譲っていいとしてだ。なんでその代打が、タローソンのビールとポテチを提げて刑務所見舞いなんだよ?」
「あいつ――デュアダロスが『シャバのジャンクフード持ってこんかいワレ!』って面会室で吠えるからに決まってんでしょ!」
「……ん? 今、なんて言った?」
俺は思わず耳を疑った。神族の口から出るには、あまりにも不穏すぎるイントネーションだった。
「だから! 『持ってこんかいワレ』よ!」
「なんでそんな任侠映画のチンピラみたいな口調なんだよ。お前らの身内だろ?」
「うっ……それは、その……」
ルチアナが急に気まずそうに目を泳がせ、人差し指同士をツンツンと合わせ始めた。
「実はね……あいつ、昔はただの真面目で堅物な厄介神だったんだけどさ。刑務所にブチ込まれて退屈そうにしてたから、前にお見舞いに行った時、暇つぶしになるかと思って日本のヤクザ映画のDVDを何本か差し入れしたのよ。『仁義』とか『極道』とか書いてあるやつ」
「……おい」
「そしたらあいつ、狂ったようにドハマリしちゃってさぁ……! 今じゃすっかり『広島弁を喋るインテリヤクザ』にジョブチェンジしちゃったのよ! 看守のことを『サツのイヌ』って呼ぶし、面会に来た神には『おうルチアナ、シノギの調子はどうなんじゃあ?』とか凄んでくるし、頭脳派だから刑務所内の囚人をまとめて裏組織の若頭みたいになってるの! 全部私のせいなんだけど!」
「お前のせいじゃねぇか完全に!!」
俺は縁側から身を乗り出して盛大にツッコミを入れた。
退屈な神に地球の極道エンタメを与えて洗脳するとは、さすが天界一のトラブルメーカーである。
「事情は痛いほどよく分かった。自業自得だ。じゃ、気をつけて行ってこいよ。のし紙なら居間の引き出しにあるから勝手に使え。俺は昼寝に戻る」
「ちょっと待ちなさいよリアン君ンンンッ!!」
ルチアナが猛虎の如き勢いで俺の両肩を掴み、ガクガクと前後に揺さぶってきた。
「冷たい! 冷たすぎるわよ! 私を一人であんな極道神の巣窟に放り込む気!? 絶対『手土産がポテチ三袋たぁ、ワシを舐めとるんかオンドレ』ってドス利かせて絡まれるに決まってるじゃない!」
「知るか! 俺は元三ツ星フレンチの副料理長で、現・ポポロ村の領主だ。神界の刑務所なんざ管轄外もいいところだろ。見ず知らずのヤクザ神の相手なんてお断りだ!」
「うぐぐ……! やっぱりそう来るわよね。でもね、リアン君……ふふふ」
ルチアナは急に揺さぶるのをやめると、すっと目を細めて、悪魔のような薄笑いを浮かべた。
この表情をした時の駄女神は、決まって俺の弱点を正確に撃ち抜いてくる。
「アンタ、神界大監獄『タルタロス』に何が眠ってるか、知ってる?」
「知らん。反逆神と怨念の塊だろ」
「甘いわね。あそこは天地創造の時代、初代創造神が建造した最古の施設でもあるのよ。そして……その最深部には、初代創造神の遺産――『神界免税特権パス』が封印されていると言われているわ」
「……なに?」
ピクリ、と俺の右眉が跳ね上がった。
「免税特権……だと?」
「そうよ。それさえあれば、アンタがいつも血の涙を流してる『ネット通販の神界利用税』や『天界プラットフォーム手数料(95%)』とか、あらゆる理不尽な天引きが――永久に【完全免除】になるのよ」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
完全免除……ゼロ……!
脳裏をよぎるのは、これまで血汗流して稼ぎ出した金貨の山が、天界のえげつない中抜きシステムによって吸い上げられ、手元に『銀貨4枚と銅貨5枚』しか残らなかった数々の悪夢だ。
あの理不尽な搾取が、消え去る……!?
「さらに言えばねぇ」
ルチアナはトドメとばかりに、甘い毒を耳元に注ぎ込んできた。
「その宝物庫には、神代の幻の調味料……ひと振りするだけでどんな食材も神のフルコースに化けさせる『天界スパイス』と『創世の神塩』が眠っているらしいわよ? 元三ツ星シェフのリアン君なら、喉から手が出るほど欲しいんじゃないかしらぁ?」
「ぐっ……!」
簿記一級の守銭奴魂と、料理人の探究心。
俺の二大急所をピンポイントで抉り抜く、完璧なプレゼンだった。
俺が激しい葛藤に身悶えしていると――ガラリ、と居間の障子戸が勢いよく開け放たれた。
「お見舞い!? リアン君、神界の刑務所に行くの!?」
胸ポケットに特製の人参柄刺繍ハンカチを差し、銀白色のショートボブを揺らした美少女――ポポロ村第四十三代村長のキャルル・ムーンハートが、ピコピコと兎耳を動かしながら飛び出してきた。足元には相変わらず、タローマン特注のミスリル鉄板入り安全靴を履いている。
「キャルル、聞いてたのか?」
「うん! リアン君の心音が急に『トクントクンッ!』って跳ね上がったから、大変な事件かと思って!」
(相変わらずの超感覚心音盗聴、怖すぎるだろ……)
冷や汗を流す俺の背後から、さらに二つの影がぬらりと現れた。
「あらあら、神界の刑務所ですの? ウフフ、なんだか楽しそうですわね★」
世界樹の繊維で織られた豪奢なフリルドレスを揺らし、おっとりと微笑むのはハイエルフのルナだ。その足元では、庭の雑草たちが「ルナ様可愛い!」と勝手に花を咲かせてチヤホヤ合唱している。
「ちょっと待ちなさいですわぁーッ!!」
そして、ヨレヨレのピンク芋ジャージに健康サンダルを引っ掛けた人魚姫、リーザが滑り込んできた。その手には、近所の土手で引っこ抜いてきたタンポポの雑草サラダが握られている。
「神界の刑務所ですって!? 刑務所ということは、公費で賄われる『囚人用の給食』があるはずですわ! 余ったパンの耳や、昨日の残りのスープがタダで飲み放題なんじゃありませんの!?」
「お前の発想はどこまでもド底辺だな、リーザ……」
「うるさいですわ! 極貧地下アイドルたるもの、食える時に食っておくのが鉄則! リアン君、私も行きますわ! 神界のタダ飯を根こそぎ吸引して差し上げます!」
「あ、私も行くよ!」
キャルルがトントンと安全靴を鳴らし、小さな拳を握りしめた。
「神界の刑務所なんて危ない場所に、リアン君を一人で行かせるわけにはいかないもん。通常時百二十馬力、いざとなったら一万馬力オーバーのこの私が、リアン君の専属ボディーガードとして完璧にお守りします!」
「あら、それなら私も行かないと」
ルナが天然全開の笑顔で首を傾げた。
「悪い囚人さんたちがいたら、世界樹のツタでグルグル巻きにして、お庭の栄養満点な肥料に変えてあげますわね♡」
「ルナ、笑顔でサラッと極刑を執行しようとするな」
一瞬でいつもの混沌たるメンバーが揃ってしまった。
俺は深くため息をつき、頭を抱えた。
だが……『免税特権パス』と『神界スパイス』の誘惑にはどうしても抗えない。それに、広島弁のインテリヤクザ神とやらがどれほどのものか、料理人と領主の意地にかけて見届けてやるのも悪くないかもしれない。
「……はぁ。分かったよ、ルチアナ」
「本当!? やったぁ! さすがリアン君、頼りになるぅ〜☆」
「勘違いするな。俺の目的はあくまで免税パスの回収だ。その極道神にポテチとビールを叩きつけたら、即座にトンボ帰りするからな」
「オッケーオッケー! じゃ、サクッと行っちゃいましょう!」
ルチアナが虚空に向けて指をパチンと鳴らすと、空間がグニャリと歪み、眩い光を放つ神聖な転送ゲートが出現した。
「さぁ、神界大監獄『タルタロス』へ出発進行〜!」
ルチアナを先頭に、タダ飯に目を輝かせるリーザ、護衛態勢のキャルル、鼻歌交じりのルナが次々と光の中へと飛び込んでいく。
俺は腰のアイテムポーチ(ネット通販受信用)の位置を確認し、重い足取りでゲートへと足を踏み入れた。
――視界が激しく明滅し、転送の浮遊感が収まった瞬間。
肌を刺すような、重苦しく冷たい風が吹き抜けた。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
目の前に広がっていたのは、赤黒い雷雲が渦巻く終末のような紫色の空。
そしてその中央にそびえ立っていたのは――見上げるのも首が痛くなるほど巨大な、漆黒の鉱石で組み上げられた禍々しい巨塔だった。
塔の周囲には無数の青白い怨念の炎が揺らめき、幾重にも張り巡らされた巨大な神聖結界の鎖が、ギリギリと軋むような音を立てている。
門の前には、身の丈三メートルはある黒鉄の重装甲を着込んだ獄卒たちが、巨大な戦斧を携えて整列していた。
どこからどう見ても、一歩足を踏み入れれば生きては出られない『神界最凶の絶対要塞』である。
「……おい、ルチアナ」
「な、なぁに? リアン君」
ルチアナの声が、心なしか引き攣っている。
俺はタローソンのレジ袋を提げた駄女神を、絶対零度のジト目で見つめた。
「これ、本当にポテチ渡して『はい面会終了〜』で帰れる場所なのか?」
「も、もちろんよ! ……多分ね☆」
「てへぺろすんな!!」
ズズン……と地響きを立てて、大監獄の巨大な鉄扉が開き始める。
俺の胃の中で、久方ぶりの強烈な胃痛警報が最大音量で鳴り響いていた。
読んでいただきありがとうございます。
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