EP 8
『鉄血の天使長急襲と、中洲裏路地の天極流』
夜の博多埠頭に、バリバリと空気を切り裂くような高密度の神聖雷の音が鳴り響いていた。
「ルチアナ様。私どもの『セレスティア慰安旅行積立金』……一体何に使われましたか? 答えによっては、その小豆色のジャージごと、分子レベルで消し炭にいたします」
大宇宙管理局カスタマーハラスメント部部長にして、天使族の頂点に立つヴァルキュリアが、冷徹な声と共に聖槍『グラニ』の穂先をルチアナの喉元へ突きつけた。
レンズの奥で光る彼女の瞳には、一切の慈悲がない。横領された側なのだから当然の怒りだが、その殺気は博多湾の潮風を一瞬で凍りつかせるほどだった。
「ひぃぃぃっ! ごめんなさいごめんなさい! 違うの、これは先行投資なの! 月人君が宇宙一のアイドルになれば、GodTubeの再生数も跳ね上がって、慰安旅行どころかセレスティア全土に温泉施設が建つくらいのリターンが見込めるから――」
「言い訳は不要です。横領は重罪。時空監査部に引き渡し、マグローザ漁船での懲役二百年の刑に処します」
ヴァルキュリアの槍が紫電を帯び、ルチアナが「あわわわ」と白目を剥いて泡を吹きかけた、その時だった。
「――まあ待て、ヴァルキュリア部長。槍を収めろ。ここは下界、それも異界(地球)の公共の場だ。目立つ真似は控えた方がいい」
俺はルチアナの前にスッと立ち塞がり、タローマンジャージのポケットに手を入れたまま、冷静な声で告げた。
「公爵……リアン・クライン。あなたまでこの違法渡航に加担していたとは」
ヴァルキュリアは眼鏡をクイッと押し上げ、俺を鋭く睨みつける。
「加担というか、巻き込まれた側なんだがな。だが、彼女のやったことは俺から見ても庇いきれない横領だ。あんたの怒りはもっともだ」
「ならば、そこを退きなさい」
「そうはいかない。彼女は一応、俺のクラン『ホープ・クローバー』の身内だからな。それに、神界のいざこざでこの博多の街を破壊されたら、俺の故郷が汚れる。……腹を割って話そう。あんたも、追跡調査でろくに食事もとっていないんじゃないか?」
俺がそう問いかけると、ヴァルキュリアの端正な顔がわずかにピクリと動いた。
「……神格公務員たるもの、私情や空腹で職務を滞らせることはありません」
「嘘をつけ。さっきからあんたの胃袋、微かにだが鳴ってるぞ。キャルルには丸聞こえだ」
「うん、毎分三回くらい、キュルッて鳴ってるね!」
背後にいたキャルルが無邪気にトドメを刺すと、鉄血の天使長の白い頬が、ほんのりと朱に染まった。
「……っ。そ、それは……長距離の時空跳躍でマナを消費したため、一時的な生体反応が……」
「いいから。取り調べや処刑は、飯を食ってからでも遅くないだろう? 俺が『美味い席』を用意する。慰安旅行の件も、俺の公爵家の資産で全額補填してやるから、とりあえず槍をしまえ」
俺の提案(と買収工作)に、ヴァルキュリアは数秒沈黙した後、チッ、と小さく舌打ちをして聖槍を虚空へ消し去った。
「……そこまで仰るなら、話だけは聞きましょう。ただし、料理が不味ければ容赦はしませんよ」
「助かったぁぁぁーっ! さすがリアン! 一生ついていくわぁ!」
「お前は後で説教だ、ルチアナ」
俺はへたり込む女神の首根っこを掴んで立たせ、タクシーを拾うために大通りへと向かって歩き出した。
ライブの熱気冷めやらぬマリンメッセ周辺から少し離れ、中洲の裏路地を抜けていくルートを選ぶ。大通りはまだライブ帰りの客で混雑しているからだ。
しかし、この選択が少しだけ裏目に出た。
「おいおい、なんだこのすげぇ美少女の群れ? どっかのアイドルのイベント帰りか?」
「マジで顔面偏差値エグいんだけど。しかもコスプレ? ウサ耳とか天使の羽とか、気合い入ってんじゃん」
薄暗い裏路地の交差点で、派手なスウェットや柄シャツを着た、見るからに柄の悪い男たちが六人ほど、俺たちの行く手を塞ぐようにして立ち塞がった。
いわゆる、繁華街の裏に巣食う半グレや、悪質なスカウトの類だろう。
「ねえ君たち、これから俺らと飲み行かない? VIPルーム取ってるからさ。そこの男は帰っていいよ、君らだけでおいでよ」
先頭の金髪の男が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらキャルルとラスティアに手を伸ばそうとする。
「……触るな」
魔王ラスティアの真紅の瞳が、絶対零度の殺気を放った。
「薄汚い下等生物が、私に気安く触れようとするなど万死に値するわ。その腕、根元から空間ごと捻り切ってやる」
「アハハハハ! お前たちみたいなゴミ、私の五円玉スナイプで眉間を撃ち抜いてやりますわー!」
リーザも鼻の穴に五円玉を仕込もうとしている。
「待て! お前ら手を出すな!」
俺は慌てて嫁たちを制止した。
ここで魔王や人魚姫が暴れれば、日本の中洲が文字通りの血の海、あるいはクレーターと化してしまう。日本の警察組織と大宇宙管理局の両方を敵に回す最悪のシナリオだ。
「なんだテメェ、俺らの誘いが断れると思ってん――」
男が懐からバタフライナイフを取り出そうとした瞬間、俺はすでに動いていた。
天極流の教え――『初手で転ばせ、間合いを潰す』。
俺はタローマンジャージのポケットに手を入れたまま、足元のコンクリートに向けて微弱な【自然魔法】を放った。
ボワッ!
「うわあっ!?」
「な、なんだこれ! 滑る!?」
男たちの足元のアスファルトの隙間から、一瞬にして極めて粘液性の高い『苔』と、ぬるぬるの『ワカメのような魔導海草』が爆発的に発生した。
革靴やスニーカーのグリップ力を完全に奪われた男たちは、漫画のように全員が足を滑らせ、ド派手にすっ転んで後頭部や背中を地面に強打した。
「いっテー!! なんだこのヌルヌルの草は!?」
「隙あり」
男たちがパニックに陥り、体勢を崩したその刹那。
俺は一歩の踏み込みでトップスピードへ到達し、男たちの懐へ潜り込んだ。
『居合術・閃光(峰打ちモード)』
チャキッ――。
魔法ポーチから一瞬だけ実体化させた打刀『白雪』の鞘引き。
音速を超える抜刀術だが、刃は返してある。俺は抜刀の遠心力を利用し、転倒している男たちの延髄や首の動脈付近を、刀の峰と柄尻で正確無比に打突して回った。
ドスッ! ゴッ! ドスッ!
「あぐっ……」
「ぐぇ……」
わずか0.5秒。
六人の男たちは、痛めつけられる暇すら与えられず、一瞬で意識を刈り取られて路地裏の地面に折り重なるようにして昏倒した。
もちろん、命に別状はない。数時間後に目を覚ました時には、酷い首の痛みと「謎のヌルヌルした海草で転んだ」という間抜けな記憶しか残っていないだろう。
「……ふぅ。日本の治安とコンプライアンスを守るのも一苦労だ」
俺は『白雪』を再び魔法ポーチへ収納し、乱れたジャージの襟を正した。
「すごーい! リアン君、かっこいい!」
キャルルが拍手をして喜んでいる。
「リアン様の手にかかれば、あんなならず者たちも赤子同然ですわね♡」
ルナがおっとりと微笑む。
だが、その背後で、一部始終を見ていたヴァルキュリアが、眼鏡の奥で鋭い光を放っていた。
「……今のは、見事ですね。無用な殺生を避け、環境を利用して敵の体勢を崩し、最小の動きで急所を突く。単なる力任せの暴力ではなく、極めて洗練された『制圧』の技術……あなた、只の公爵ではありませんね?」
「ただの元料理人だよ。厨房を仕切るには、これくらいの手回しと悪知恵が必要なだけさ」
俺は肩をすくめ、路地裏の出口――煌びやかなネオンが輝く大通りを指差した。
「さあ、案内する。腹が減っては取り調べもできないだろう? 神界のトップに相応しい、極上の席を用意してある」
「……期待させていただきますよ、リアン・クライン」
俺たちは気絶した男たちを放置し、予約してある料亭へと向かった。
向かう先は、博多が誇るもう一つの食の頂点――『水炊き』の名店。
そこで俺は、前世の三ツ星副料理長としての全技術を解放し、この鉄血の天使長の胃袋を完全に買収するつもりだった。
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