EP 7
『マリンメッセ福岡の決戦! 神と魔王の推し活コール』
博多湾から吹き付ける夜風が、火照った顔を撫でていく。
もつ鍋屋のあった天神からタクシーを飛ばし、俺たちが辿り着いたのは、海沿いにそびえ立つ巨大なイベント会場――『マリンメッセ福岡』だった。
「うおおおおっ!! 月人くぅぅぅん!! 今日も顔が良いわよおおおお!!」
「ルチアナ、ペンライトの同期設定は済んでる!? 1曲目は赤、サビで青よ! 絶対に間違えないで!」
「分かってるわよラスティア! 今日のために天界の執務室で一ヶ月前から素振りしてきたんだから!」
会場前の広場は、すでに見渡す限りの女性ファンで埋め尽くされていた。
その群衆のど真ん中で、漆黒の特注法被を着込んだ魔王と女神が、両手にペンライトを片側四本ずつ、計八本も挟み込んで素振りをしている。完全に歴戦の猛者の佇まいだ。
「なぁ、リアン君。この人たち、さっきから何をしてるの? 魔法の儀式?」
兎耳をペタンと寝かせ、ドン引きした顔のキャルルが俺の背中に隠れるようにして聞いてきた。
「……あれは『推し活』という名の、現代地球の宗教行事だ。触れるな、噛まれるぞ」
俺は痛む胃を抑えながら、ルチアナから強奪したチケットの半券を確認した。
「アリーナ席、Aブロック最前列……。おいルチアナ、こんなプラチナチケット、どうやって手に入れた?」
ルチアナはペンライトの素振りを止めず、満面の笑みで振り返った。
「ん? リアンのクレジットカードのブラック枠を限界まで回して、チケット転売サイトとファンクラブの闇網をハッキング……じゃなくて、神格権能でちょっとだけ『ご縁』を結んだのよ♡」
「俺のカードで犯罪まがいのマネロンをするな! 帰ったら全額、天界の予算から請求するからな!」
「あははっ! 今月のPVで返すから大丈夫よ!」
そうこうしているうちに開場時刻となり、数万の群衆がうねるようにアリーナの中へと吸い込まれていく。
俺たちもその波に乗り、会場の最深部――ステージまでわずか数メートルという、信じられない特等席へと陣取った。
「はわわ……! なんて巨大なハコ(会場)なんでしょう……! 私がいつも立っているタローマートのみかん箱とは、文字通り次元が違いますわ……!」
地下アイドルの人魚姫リーザが、巨大なステージセットと無数の照明機材を見上げてガタガタと震えている。
「ふ〜ん、なるほどね。照明の角度とカメラの配置……完全に配信の画面映りを計算し尽くしてる。地球の裏方、マジで有能じゃん」
キュララはプロのメガゴッドチューバーとしての視点で、天井のトラス(骨組み)を鋭く分析していた。
ルナだけは「人が多すぎて酸欠になりそうですわ……」と目を回しかけていたので、俺の隣で大人しく座らせておく。
やがて、会場のBGMがフェードアウトし、フッと全ての照明が落ちた。
『キャアアアアアアアアッ!!!』
鼓膜が破れるかと思うほどの、数万人の悲鳴にも似た歓声が爆発する。
暗闇の中、観客の持つペンライトが一斉に点灯し、アリーナ全体が青と銀の光の海へと変貌した。
ズァンッ!!
強烈な爆発音(特効の花火)と共に、ステージ中央のポップアップリフトから、一人の青年が勢いよく飛び出してきた。
地球のトップアイドル、朝倉月人(20歳)だ。
「みんなー!! 福岡、待たせたなああ!! 今日は最高の夜にしようぜ!!」
『ギャアアアアアアアアアッ!!!』
「月人くぅぅぅぅぅぅん!! こっち向いてぇえええ!!」
「あああっ! 尊い! 尊すぎて魔力回路が焼き切れるわぁぁああっ!!」
俺の目の前で、魔王ラスティアと女神ルチアナが、完全に理性を溶かして絶叫していた。
正直、男の俺から見ても、ステージ上の朝倉月人は圧倒的な華があった。一糸乱れぬキレのあるダンス、数万の視線を一身に浴びながらも全くブレない体幹。何より、その中性的で端正な顔立ちから放たれる笑顔は、計算され尽くした「プロ」のそれだった。
だが――。
ライブが中盤に差し掛かり、彼がアップテンポな曲から一転、バラード曲『月は迷わない』を歌い出した時。
俺は、天極流の使い手としての「気」の感知能力と、魔法使いとしての魔力探知が、かつてない異常な反応を示していることに気づいた。
(……なんだ、これは?)
俺は目を細め、ステージ上の朝倉月人を凝視した。
彼の口から放たれる歌声。それはただの音波ではない。
彼が息を吸い、声を響かせるたびに、マリンメッセ福岡の空間に漂う微量な「マナ(大気中の魔力)」が、彼の声帯を中心にして螺旋状に収束し、波動となって客席へと放たれているのだ。
「月は迷わない……暗闇の中で、天高く昇り輝く……♪」
彼の歌声が響くたび、会場のファンたちの感情が、一つの巨大な「うねり」となって共鳴していくのが見えた。
(こいつ……無意識のうちに、歌声で大気中のマナを操っているのか!?)
アナステシア世界のエルフの呪術や、セイレーン(魔物)の魅了魔法に近い。だが、それよりもっと純粋で、強大だ。
彼は魔法の存在しない地球にいながらにして、自らの魂と歌声だけで「因果律」に干渉する波長を生み出している。
だからか。
だから、惑星創造神たるルチアナや、絶対的な破壊権能を持つ魔王ラスティアの魂すら、この青年の歌声に撃ち抜かれたのだ。彼の歌は、神や魔王の持つ膨大なマナの波長と、完全にリンクする「神聖な共鳴現象」を引き起こしている。
「うっ……うっ……月人君……最高よ……っ! 私、明日からまた星区リーダーのオリンに怒られても、残業頑張るからねぇぇっ!」
ルチアナが、化粧をボロボロに崩しながら大号泣している。
「私も……私、魔皇国の予算削ってでも、絶対にお前のドームツアー完走させるからなあああっ!!」
ラスティアも、魔王の威厳など一欠片も残さず、ペンライトを振りながら天を仰いで泣き咽んでいた。
(……このオタク共のせいで俺の口座と世界の均衡がピンチなんだが、まあ、今日くらいは許してやるか)
俺は大きく息を吐き出し、タローマンジャージのポケットに手を突っ込んだまま、圧倒的なステージを見上げた。
隣では、リーザが「これが……本物のアイドルの輝き……! 私の五円玉集めが、いかに浅はかな行為だったか……!」とメモ帳を片手に猛烈な勢いでステージ構成を書き留めている。
キュララも「くっそー、あのカメラワークと照明のタイミング、私の配信にも絶対パクろ!」とプロの顔で分析を続けていた。
約三時間後。
アンコールを含めた全セットリストが終了し、熱狂の嵐が去ったマリンメッセ福岡から、数万人の群衆が吐き出されていく。
「燃え尽きた……私の魂は、今、福岡の空に昇華したわ……」
「何も思い残すことはない……このまま博多湾に沈んでもいい……」
ライブの余韻で完全に放心状態となったルチアナとラスティアを、俺とキャルルで両脇から抱えながら、夜風の吹く海沿いの遊歩道を歩いていた。
時刻はすでに午後九時を回っている。
「お前ら、博多湾に沈むな。明日、合羽橋(厨房機器店)と業務用スーパーを買い占めたら、ポポロ村に帰るんだからな。神界の監査部にバレる前に撤収するぞ」
俺が釘を刺すと、二人は「へーい」と覇気のない声で返事をした。
夜の海面に、遠くの街明かりがキラキラと反射している。
波の音が心地よく、ライブの爆音で痺れていた耳を優しく癒してくれた。
「ねえ、リアン君」
不意に、俺のジャージの袖がクイクイと引っ張られた。
振り返ると、キャルルが兎耳を少しだけ下げて、上目遣いで俺を見つめていた。
他の面々――ルナやリーザたちは少し前を歩いており、俺とキャルルの周りだけ、ぽつんと静寂が落ちている。
「どうした? 歩き疲れたか? 満月じゃないから、さっきの熱狂で少し魔力酔いでもしたか?」
俺が顔を覗き込むと、彼女はふるふると首を横に振った。
「ううん、違うの。……ただ、なんだか不思議だなって思って」
キャルルは、海風に吹かれる銀髪をかき上げながら、ポツリと呟いた。
「私、お城(レオンハート王国)の籠から逃げ出して、ポポロ村でリアン君と出会って……毎日がすごく楽しくて。でも、今日こうしてリアン君の故郷に来て、見たこともない景色をいっぱい見て……」
彼女はそこで言葉を切ると、俺の腕にギュッと、確かめるように強くしがみついてきた。
「私、リアン君のこと、まだまだ知らないことばっかりなんだなって。……それが、少しだけ悔しいの」
キャルルのルビーの瞳が、街灯の光を受けて揺らめいていた。
それは、昼間に見せたヤンデレ特有の重たい感情ではない。純粋に、俺という人間(元地球人)のルーツに触れたことに対する、かすかな不安と、もっと深く繋がりたいという切実な願いだった。
俺は苦笑し、空いている方の手で、キャルルの頭――ふわふわの兎耳の根元を、ポンポンと軽く撫でた。
「焦るな。俺の過去なんて、帳簿と包丁と、過労死の記憶くらいしかない。……だが、俺がこれから作る未来の料理には、必ずお前たちが必要だ」
「……リアン君」
キャルルの顔がパァッと明るくなり、兎耳がピンと直立する。
「ポポロ村に帰ったら、今日食ったもつ鍋も、豚骨ラーメンも、全部俺の腕で再現してやる。だから、村の農場の管理と、ニャングルの算盤を宥めるのは、村長であるお前に任せるぞ」
「うんっ! 任せて! 私、リアン君のためなら、国境の駐屯地を三つくらい更地にしてでも最高の食材を集めてくるからね!」
「だから更地にするなと言ってるだろ」
俺が呆れてツッコミを入れた、その時だった。
『――ピッ! 警告。局所的な時空歪曲および、高位の神格波動の接近を検知』
俺の魔法ポーチの奥底に封印していたはずの『AI賢者君』の音声が、突如として脳内にアラートを響かせた。
同時に、俺たちの頭上の空間が、まるで薄氷が割れるようにピキピキと音を立てて亀裂を生じさせた。
「な、何!?」
前を歩いていたルチアナが、放心状態から一転、顔面を蒼白にして振り返る。
空間の亀裂から、圧倒的な『浄化の雷』の気配が漏れ出してきた。
亀裂をこじ開けるようにして姿を現したのは、純白の甲冑を纏い、身の丈を超える長大な聖槍『グラニ』を構えた、眼鏡の冷徹な天使。
「見つけましたよ、ルチアナ様」
大宇宙管理局カスタマーハラスメント部部長にして、セレスティア天使族の頂点に立つ鉄血の規律執行者――ヴァルキュリアが、夜の博多埠頭に降臨した。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!? ヴァ、ヴァルキュリア!? な、なんで場所が!?」
ルチアナが腰を抜かし、防波堤の車止めに縋り付く。
「キュララが昼間にパルコで投稿した変身動画のIPアドレス、および、先ほどのマリンメッセ福岡周辺で観測された異常な魔力パルスから座標を特定しました」
ヴァルキュリアは眼鏡をクイッと押し上げ、聖槍の穂先をルチアナの喉元へピタリと向けた。
「ルチアナ様。私どもの『セレスティア慰安旅行積立金』……一体何に使われましたか? 答えによっては、その小豆色のジャージごと、分子レベルで消し炭にいたします」
博多の夜風が、一瞬にして氷点下まで凍りついた。
神界の追手がついに牙を剥いた。俺たちの福岡グルメ遠征は、最大の修羅場を迎えようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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