↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
459/471

EP 6

『悪魔の臓物料理! ハイエルフ令嬢、もつ鍋で理性を溶かす』

天神の裏路地にひっそりと佇む、創業数十年の老舗もつ鍋店。

赤提灯と使い込まれた暖簾をくぐると、店内には強烈なニンニクと醤油、そして肉の脂が焦けるような魅惑的な匂いが充満していた。

「いらっしゃい! 予約の青田さんね、奥の座敷へどうぞー!」

俺の前世の名前で予約しておいた広い座敷席に、一行はギュウギュウに腰を下ろした。

壁には色褪せたビールのポスターや、地元テレビ局のアナウンサーのサイン色紙が所狭しと貼られている。ルナミス帝国の小綺麗なレストランにはない、大衆食堂特有の活気と熱気がそこにあった。

「リアン君、ここもなんだか凄くいい匂いがするね! ラーメンとはまた違う……もっとパンチがある匂い!」

キャルルが兎耳をピクピクと動かし、鼻をヒクつかせている。

「ああ。今夜のメインディッシュは『もつ鍋』だ。牛の小腸や大腸……つまり内臓(モツ)を、たっぷりの野菜とニンニクで煮込む鍋料理だよ」

俺がそう説明した瞬間、テーブルの端でビクッと肩を震わせた者がいた。

世界樹の森の次期女王筆頭候補、ハイエルフのルナ・シンフォニアだ。

彼女はエメラルドグリーンの長髪を揺らしながら、口元を両手で覆い、翡翠の瞳を泳がせている。

「う、牛の内臓、ですの……? ひぃっ……なんて野蛮な……」

無理もない。アナステシア世界において、エルフ族――特に高位のハイエルフは完全な菜食主義(ヴィーガン)だ。大気中のマナと世界樹の恩恵たる果実や野菜だけを摂取し、獣の肉を口にすることは「魂が穢れる」として忌み嫌われている。

昼間のうどん屋でも、彼女は肉を避けてネギばかりを貪っていた。

「ルナ、無理して食わなくていいぞ。お前には野菜だけの鍋を別で頼んでやるから」

俺が気遣って言うと、ルナはふるふると首を横に振った。

「い、いえ……リアン様が地球の暴力的な旨味と仰るからには、私もこの世界の文化を学ばねばなりませんわ。それに……」

ルナの鼻腔を、先ほどから店内に充満するニンニクと醤油の香りが容赦無く蹂躙していた。菜食主義の彼女の防衛本能を、ジャンクフードの暴力的な誘惑が徐々に侵食し始めている。

「お待たせしましたー! もつ鍋、四人前と三人前です!」

カセットコンロの上に、浅く広いステンレスの鍋が二つドンと置かれた。

そのビジュアルに、嫁たちは一斉に息を呑んだ。

「お、おおお……!」

リーザが感嘆の声を漏らす。

鍋の縁には雪のように白い牛モツ(シマチョウ)が敷き詰められ、その上にはざく切りのキャベツが山のように盛られている。さらにその頂上を覆い尽くすのは、エメラルドグリーンの『ニラ』の絨毯だ。

そしてダメ押しとばかりに、スライスされた大量のニンニクと、鮮やかな赤い鷹の爪が散らされている。

「すっごいニラの山! これ、草食動物のルナちゃん歓喜じゃない?」

キュララがスマホのカメラ(オフラインモード)で鍋の接写を始めた。

「待ってろ、火が通るまで触るなよ。キャベツがしんなりして、スープのカサが減ってきたら食べ頃だ」

コンロに火をつけると、数分で鍋の底からグツグツと沸騰する音が聞こえ始めた。

醤油ベースの甘辛いスープが沸き立ち、キャベツの水分が溶け出し、ニラの鮮烈な香りが立ち上る。そして何より――純白の牛モツから、黄金色の脂がスープへ溶け出し、鍋全体がキラキラと輝き始めた。

「……よし、食っていいぞ」

俺の合図と共に、全員が一斉に小鉢へ鍋の中身を取り分けた。

俺もレンゲでスープを掬い、一口飲む。

(……完璧だ)

牛モツから溶け出した圧倒的な動物性の旨味と脂。それを、キャベツの自然な甘みが優しく包み込んでいる。だが、そこで終わらない。ニンニクの強烈なパンチと、鷹の爪のピリッとした辛味、ニラの青臭さが、脂のくどさを完全に中和し、次のひと口を強制的に要求してくるのだ。

「んん〜〜っ!! なにこれ、お肉が口の中で溶けちゃう! プルップルだよ!」

キャルルがモツを咀嚼し、幸せそうに頬を抑えている。

「ふはぁぁーッ! ビール! 早くビールちょうだいリアン! この脂、麦酒で流し込まないとバチが当たるわ!!」

ルチアナがジョッキを片手にテーブルをバンバンと叩く。

「す、素晴らしいですわ! 昼間のうどんも神の食べ物でしたけど、このスープの濃厚さは別次元です! これにご飯を入れて雑炊にしたら……ああっ、想像しただけで失神しそうですの!」

リーザがモツとキャベツを交互に胃袋へ放り込んでいる。

そんな中、ルナだけが小鉢の前で硬直していた。

彼女の小鉢の中には、プリプリに煮え上がった牛モツと、脂を吸ってクタクタになったキャベツとニラが入っている。

「……ルナ? やっぱり無理か?」

俺が声をかけると、ルナは震える手で箸を持ち、小さな牛モツの欠片を一つ摘み上げた。

「え、エルフの……ハイエルフの誇りにかけて……獣の臓物など……」

ルナは目をぎゅっと瞑り、覚悟を決めたようにモツを口の中へ放り込んだ。

コチッ、と小さく咀嚼する音が響く。

「…………あっ」

ルナの翡翠の瞳が、限界まで見開かれた。

彼女の脳内で、世界樹の清らかな教えが、暴力的な牛の脂とニンニクの旨味によってガラガラと音を立てて崩れ去っていくのが、手に取るように分かった。

「な……なんという……なんという恐ろしい食べ物でしょう……!」

ルナは両手で頬を覆い、ガタガタと震え出した。

「お肉なのに、嫌な臭みが一切ありませんわ! 噛めば噛むほど、甘くて濃厚な脂がじゅわっと……! そして、このキャベツとニラ! 私たちエルフが愛するお野菜たちが、獣の脂という『禁忌』を吸い込んで、今まで味わったことのない背徳的な旨味に昇華されておりますわ……!!」

「お、おいルナ? 大丈夫か?」

「リアン様……!!」

ルナはガバッと顔を上げ、トロンと潤んだ瞳で俺を見つめた。完全に理性が溶けている顔だ。

「私、今までの二百年間、世界樹の果実とマナ水だけで生きてきたのは、人生の半分を損していましたわ! この牛の内臓……背徳の極みですわ♡ もっと! もっと私をこの脂で穢してくださいませ!!」

「言い方がアウトだバカエルフ!!」

ルナのタガが完全に外れた。

彼女は菜食主義の矜持を天神の空へ投げ捨て、鍋に直接箸を突っ込み始めた。

「ああん、おモツがプルプルですわ! キャベツのおかわりをお願いしますわ! リアン様、この鷹の爪という赤いお野菜、刺激的でたまりませんの!」

「ルナちゃんずるい! 私のモツ取らないでよ!」

「うるさいですわ手羽先天使! 弱肉強食ですわー!」

普段はおっとりとした天然お嬢様のルナが、キュララとモツの奪い合いを展開している。地球のジャンクフードが、エルフの隠された野性を呼び覚ましてしまったらしい。

「すいません! こっちの鍋、キャベツとモツ追加で!」

俺は苦笑しながら店員に追加注文を頼んだ。

それから一時間後。

テーブルの上の追加具材もすべて平らげ、鍋の中には黄金色に輝く濃厚なスープだけが残っていた。

「ぷはぁーっ……食った食った。でもリアン君、もうお鍋の中身なくなっちゃったよ?」

キャルルが満足そうにお腹をさすりながら言う。

「もつ鍋の本当の戦いはこれからだ」

俺は店員を呼び、締めのメニューを注文した。

「チャンポン麺、四玉お願いします」

運ばれてきたのは、極太の黄色い中華麺――チャンポン麺だ。

これを、旨味が限界まで凝縮されたもつ鍋の残りスープへ投入する。

「うどんでもなく、昨日の極細麺でもない……また新しい麺ですのね!」

リーザが再び目を輝かせる。

スープを吸って煮込まれたチャンポン麺を器に取り分ける。

極太の麺に、牛モツの脂とニンニクの風味がネットリと絡みついている。

「ズズッ……!」

一口啜ったルナが、ふぉおお、と奇妙な声を上げた。

「お野菜とお肉の命をすべて吸い尽くした、小麦の暴力……! これでおしまいだなんて、悲しすぎますわ……!」

ルナは自分の器の麺を食べ終わると、なんとカセットコンロの上のステンレス鍋を両手で持ち上げ、残ったスープごと直接ズズズッと飲み干し始めた。

「おいルナ! 行儀が悪いぞ!」

「ぷはぁっ♡ 美味しゅうございましたわ……リアン様、私、ポポロ村に帰ったら世界樹の根元で牛を飼いますわ」

「世界樹が怒りで枯れるから絶対にやめろ」

嫁たちは皆、限界まで膨らんだお腹を抱え、幸福感に包まれて座敷に転がっていた。

俺も極上のもつ鍋とチャンポン麺に大満足し、熱いお茶をすすりながら息をつく。

(……これで、豚骨ラーメンと並ぶ博多の二大巨頭を制覇したな。ポポロ村のロックバイソンのモツを使ってこの鍋を再現すれば、ニャングルの金算盤が火を噴くような新名物になるはずだ)

大衆食の視察という本来の目的は十二分に果たされた。

あとは明日の朝、合羽橋の出張所や業務用スーパーで調味料と機材を買い占め、監査部に追いつかれる前にポポロ村へ帰還するだけだ。

「よし、お前ら。そろそろホテルにチェックインして休むぞ」

俺が財布を取り出して立ち上がろうとした、その時だった。

「……ふふっ。リアン、何を勘違いしているのかしら?」

部屋の隅で、もつ鍋を優雅に平らげていた魔王ラスティアが、ゆらりと立ち上がった。

その隣で、ジョッキを空にした女神ルチアナも、真剣な――いや、尋常ではない熱を帯びた瞳で俺を見つめている。

二人はいつの間にか、小豆色の芋ジャージや私服を脱ぎ捨てていた。

その下に着込んでいたのは、見慣れない漆黒の生地に、デカデカと銀色の文字で『月は迷わない』とプリントされた、ライブ特注の法被(はっぴ)だった。

そして彼女たちの両手には、無数のペンライトと、朝倉月人の顔写真がプリントされた巨大なうちわが握られている。

「え……?」

俺は嫌な予感がして、後ずさった。

「もつ鍋はあくまで『腹ごしらえ(プレパレーション)』よ。これからが、この福岡遠征の真の目的……私たちの『聖戦(ライブ)』なんだから!」

ラスティアの真紅の瞳に、ガチのオタク特有の狂気の光が宿る。

ルチアナもペンライトをカチカチと点滅させながら、鼻息を荒くして頷いた。

「さあ……決戦の場所へ行くわよ。マリンメッセ福岡が、私たちの推しを待っているわ!!」

……そうだった。

このポンコツ女神と魔王がわざわざ時空の扉を開けた最大の理由は、メシではなく、地球のトップアイドル・朝倉月人のライブツアー・福岡公演に参戦するためだったのだ。

「待て! お前ら、その法被とペンライト、いつの間に準備したんだ!?」

「昨日、天神のホテルに荷物を置いた時に、Amazonの置き配で届くように時間指定しておいたのよ! 完璧なロジスティクスでしょ!」

「ふざけんな! 俺のカード枠を勝手に使うな!!」

俺の悲鳴は、燃え上がるオタクたちの熱気にかき消された。

もつ鍋のニンニク臭を漂わせた魔王と女神を先頭に、俺たちは夜の博多湾に面する巨大アリーナ、マリンメッセ福岡へと向けて出撃を余儀なくされたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。