EP 4
『減らない麺の怪異! 人魚姫、牧のうどんに敗北す』
翌日。昨夜の中洲での狂乱から一夜明け、俺たちは貸し切ったジャンボタクシーに揺られて福岡市の郊外へと向かっていた。
「ふわぁ……リアン君、朝からどこ行くの? ラーメンならもうお店開いてるよ?」
助手席から身を乗り出し、キャルルが大きなあくびをしながら聞いてくる。兎耳が寝癖のように片方だけペタンと折れ曲がっていた。
「福岡の麺は、豚骨ラーメンだけじゃないんだ。むしろ、地元民のソウルフードと言えば『うどん』の方を推す声も多い」
「うどん? なんですのそれ。長いパンみたいなものですか?」
後部座席で、小豆色の芋ジャージを着たリーザが首を傾げた。
「小麦粉を練って細長く切った麺料理だよ。地球の……いや、日本のうどんは、一般的には『コシ』と呼ばれる強い弾力が評価されることが多い。だが、福岡のうどんは違う。極限まで柔らかく、スープの旨味を吸い込ませるために独自の進化を遂げた麺だ」
俺が前世の知識を披露していると、タクシーはだだっ広い駐車場を備えたロードサイドの店舗へ滑り込んだ。
看板には大きく『牧のうどん』と書かれている。
車を降りた瞬間、換気扇から暴力的なまでに濃厚な「出汁」の香りが漂ってきた。
昆布、鰹節、鯖節、そしてウルメ鰯。海産物が持つアミノ酸とイノシン酸の香りが、昨夜の豚骨とは全く違うベクトルで俺の料理人としての嗅覚をぶん殴ってくる。
「はわっ……! な、なんて良い匂いなんでしょう……! 海の香りがしますわ!」
深海王国シーランの人魚姫であるリーザが、同郷の気配を感じたのか健康サンダルをペタペタと鳴らして入り口へ突進した。
店内は、昼前だというのにすでに家族連れやガテン系の労働者たちで満席に近い熱気に包まれていた。
座敷席に案内された俺たちは、名物である『肉ごぼ天うどん』と『かしわご飯(鶏の炊き込みご飯)』を全員分注文した。麺の固さを選べるシステムに嫁たちは戸惑っていたが、俺の独断で全員「軟め」を指定した。
「お待たせしましたー! 肉ごぼ天の軟め、七丁!」
威勢の良い店員のおばちゃんが、大きなお盆に乗せた丼を次々と運んでくる。
湯気を立てる琥珀色のスープ。その上には、甘辛く煮込まれた牛肉と、衣のついた巨大な斜め切りのゴボウ天(ごぼうの天ぷら)がどっさりと乗っている。
そして、丼の横にはなぜか「小さな金属製のヤカン」が添えられていた。
「わぁ……美味しそう! でもリアン君、このちっちゃいヤカンはお茶? なんで一人一個ずつ付いてるの?」
キュララが不思議そうにヤカンを突っついている。
「それはお茶じゃない。追加の『スープ(出汁)』だ」
「え? スープなら最初から器にたっぷり入ってますわよ?」
リーザが不思議そうに首を傾げた。
「まあ、食べてみれば分かる」
俺が促すと、嫁たちは一斉に割り箸を割った。
まずは一口。
甘辛い牛肉の煮汁が、魚介の強烈な出汁と混ざり合い、とてつもない相乗効果を生み出している。
そして麺だ。箸で持ち上げると、自重で切れそうになるほどフワフワに茹で上げられた極太麺。口に運べば、噛む力をほとんど必要とせず、溶けるように胃の腑へと落ちていく。
麺自体が旨味のスープを限界まで吸い込んでおり、小麦の香りと出汁の暴力が口の中で爆発する。
「お、おいひぃぃぃっ!!」
キャルルが兎耳をピンと立て、目を丸くした。
「なにこれ、お肉があまーい! しかもこの木の根っこみたいな揚げ物(ゴボウ天)、シャキシャキしててすごく美味しい!」
「ズルズルズル……はぁっ♡」
天然ハイエルフのルナが、ふうふうと息を吹きかけながら幸せそうに麺を啜る。
「地球の植物は、こんなにも力強い大地の味がするのですね……。あら、テーブルの上に置いてあるこの青い草はなんでしょう?」
ルナが目をつけたのは、卓上にドンと置かれた「ネギの入った巨大なボウル」だった。福岡のうどんチェーンでは、刻みネギが入れ放題になっていることが多い。
「ネギだ。ポポロ村のネギオほどじゃないが、好きに入れていいぞ」
俺が言うと、ルナの翡翠の瞳が妖しく輝いた。
「まぁ! 『私を食べて』と、植物たちが歓喜の声を上げておりますわ! 世界樹の次期女王として、この子たちの願いを叶えて差し上げなければ……!」
ルナはおもむろにボウルを持ち上げると、自分のうどんの上にバサバサバサッ!と容器の中のネギを全弾投下した。
スープも麺も見えなくなり、丼の上に青々とした「小さな森」が完成する。
「やりすぎだバカエルフ! 他の客が引いてるだろうが!」
「むぐむぐ……美味しいですわ! 草食動物になった気分ですわー!」
俺のツッコミも虚しく、ルナはネギの森を無心で貪り始めた。
その時だった。
隣の席から、ガタガタと震える声が聞こえてきた。
「り、リアン様……」
小豆色の芋ジャージを着たリーザが、箸を持ったまま戦慄の表情で俺を見上げている。
「どうした、口に合わなかったか?」
「ち、違いますの……美味しいんです! とっても美味しいんですけど……!」
リーザは、信じられないものを見るような目で自分の丼を指差した。
「さっきからずっと食べてるのに……麺が、全然減りませんの!!」
見れば、リーザの丼の中は、最初に提供された時よりも明らかに麺の体積が膨張していた。スープの水位が下がり、代わりに丸々と太った麺が丼の縁までせり上がってきている。
俺はニヤリと笑った。
「それが、この店のうどんの最大の特徴だ」
「な、なんですって!?」
「ここの麺は、製造過程で一度も水で締めていない。茹で上がった麺をそのまま丼に入れているから、食っている間にもスープを強烈な勢いで吸い込み、無限に膨張し続けるんだ」
俺の解説に、リーザの瞳孔が限界まで開いた。
「む、無限に膨張……!? 食べても食べても、なくならない……!?」
リーザの脳裏に、悲惨な過去の記憶がフラッシュバックしているのが目に見えた。
故郷を離れ、親善大使としてルナミス帝都へやってきたものの、極貧生活でパンの耳とオオバコを齧り、公園の鳩とパンくずを取り合い、コンビニの裏で廃棄弁当を巡って野良犬と死闘を繰り広げた日々。
「ああっ……! 神様は、本当にいらっしゃったんですのね……!!」
リーザの目から、滝のような大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「すっごい……! これぞ究極のコストパフォーマンス! 一杯のお値段で、無限に炭水化物が湧き出してくるなんて! 貧乏人の夢! 理想郷! エルドラドですわぁあああ!!」
「落ち着け! 泣きながらうどんを食うな!」
「負けませんわ! 私は深海の捕食者! この無限増殖するうどんに、食欲で打ち勝ってみせますわ!」
リーザは涙を拭い、決死の形相で麺に食らいついた。
ズズズズズッ! と音を立てて柔らかな麺を胃袋へ流し込む。
しかし、食べても食べても、下から湧き上がるように麺が膨張してくる。
「スープが……スープが足りなくなってきましたわ!」
「そこで、さっきのヤカンの出番だ」
俺が指差すと、リーザはハッとして金属製のヤカンを手に取った。
トクトクトク……。
ヤカンから注がれた熱々の追加スープが丼を満たす。すると、スープを吸って限界まで膨らんでいた麺が、さらにプクゥッと一回り巨大化した。
「ひぃっ!? ま、また増殖しましたわ!?」
「いいから食え。食うのが遅いと、増殖速度に負けて丼から溢れるぞ」
「やってやりますわーーーッ!!」
そこからのリーザは、まさに狂戦士だった。
芋ジャージの袖をまくり上げ、麺を啜り、かしわご飯を口に放り込み、減ったスープをヤカンで足し、また麺を啜る。
「ンンンンッ! 負けない! 私はタローマートの半額戦争を生き抜いた女ですわ!」
十分後。
「…………ガクッ」
リーザは、大きく膨れ上がった芋ジャージのお腹を両手で抱え、白目を剥いて壁に寄りかかっていた。
「……ま、負けましたわ……もう一ミリも、入りませんの……」
口の端から一筋の出汁を垂らしながら、リーザは幸せそうな笑みを浮かべて完全沈黙した。あれだけ食欲の権化だった彼女が、ついに白旗を揚げたのだ。
「ふふっ、だらしないわねリーザ。うどんごときに負けるなんて。私はもう一杯いけるわよ」
魔王ラスティアが、涼しい顔で完食した丼をドンと置く。彼女の底知れない胃袋は、ブラックホールに直結しているらしい。
「ぷはぁっ! 昼から飲むうどん屋のビールも最高ねぇ!」
ルチアナに至っては、かしわご飯のたくあんをツマミにすでに瓶ビールを二本空けていた。
俺は空になった全員の丼を眺め、深く息を吐いた。
(……恐ろしい。これが地球の、大衆の胃袋を満たすための執念か。原価の安い小麦を、出汁と調理法の工夫一つで、ここまで人を熱狂させるエンタメに昇華させている。ポポロ村の食文化には、圧倒的にこの『満腹の幸福感』が足りていない)
俺は魔法ポーチから財布を取り出し、全員分の会計を済ませた。
外へ出ると、太陽が中天に差し掛かっていた。腹を満たした嫁たちは、それぞれ満足げに腹をさすっている。
「よし、リアン君! ご飯も食べたし、次は私のターンだよね!」
背中の純白の翼をバサバサと羽ばたかせ、キュララが魔導スマホの画面を突きつけてきた。
「次は天神! 地球の最新トレンド発信地でお買い物だよ! リアン君、軍資金の札束、まだ余ってるよね?♡」
月収二億円を稼ぐメガゴッドチューバーの、天使の仮面を被った拝金主義者の笑顔がそこにあった。
俺は胃の辺りがキリキリと痛むのを感じながら、ジャンボタクシーのドアを開けた。
「……分かった。だが、絶対に地球の通信網(SNS)に接続するなよ。時空監査部に追いつかれたら終わりだからな」
腹を満たした天災軍団を乗せ、タクシーは福岡最大の繁華街・天神へと向けて走り出した。
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