第十八章 17歳の勇者
『退屈な公爵と、福岡への違法ゲート』
抜けるような青空の下、マンルシア大陸中央部に位置する緩衝地帯「ポポロ村」には、今日も長閑な風が吹いていた。
遠くの畑では、手足の生えた球根魔導植物『ガーリッ君』が農家のおじさんにウザ絡みをしては鍬の柄で殴られて気絶する音が長閑に響き、村の入り口では自警団長であるケンタウロスのマンミアが、最新鋭の魔導誘導バズーカの砲身をピカピカに磨き上げている。一見すれば牧歌的、その実態は大陸一危険な超重武装農村の村長公邸の縁側で、俺——リアン・クラインは、分厚い革張りの帳簿をパタンと閉じた。
「は〜、暇だな〜」
無意識に口から漏れたその呟きは、青空に吸い込まれる前に、真横から飛びついてきた柔らかい質量によって掻き消された。
「リアン君、暇ぁ? 私が居るのに?」
甘ったるい声と共に俺の右腕に絡みついてきたのは、艶やかな銀白色のショートボブに、透き通るようなルビーの瞳を持つ絶世の美少女だった。頭頂部に生えた純白の長い兎耳が、俺の顔の横で嬉しそうにピコピコと動いている。
レオンハート獣人王国の元第三姫君にして、このポポロ村の第43代村長、そして俺の正妻である月兎族のキャルル・ムーンハートだ。
「お、おう……」
俺は引きつった笑みを浮かべながら、視線を明後日の方向へ逸らした。
キャルルのスポーティなパーカー越しに、暴力的なまでに豊かな胸の感触が俺の右腕にむにゅりと押し付けられている。いかんいかん、昼間からこれは心臓に悪い。俺はルナミス帝国の筆頭公爵にして、この村を実効支配するクラン『ホープ・クローバー』のリーダーだ。威厳というものがある。ビシッと、そう、ビシッとしないといけない。
「リアン君、心拍数がさっきから毎分十五回も上がってるよ? どうしたの? 私の顔、そんなに見つめて……えへへ、可愛い?」
月兎族特有の異常聴覚で俺の心音を正確に読み取りながら、キャルルが上目遣いで距離を詰めてくる。俺の顔面からわずか数センチの距離で、彼女のルビーの瞳が妖しくとろけていた。恋愛感情のスイッチが入った彼女の、特有のヤンデレ気質が顔を出し始めている。
「ち、違う。帳簿の計算が終わって一息ついていただけだ。ドンガン地下帝国への隠田密輸ルートの減価償却費の計上が面倒でな……」
俺が誤魔化すように言い訳をしていると、縁側のすぐ下の庭から、ガサリと草むらを掻き分ける音がした。
「私はリアン様の美味しいご飯が食べられたら、それだけで大満足ですわ♡」
現れたのは、小豆色の芋ジャージに擦り減った健康サンダルを履いた、青銀色の長髪を持つ美少女だった。深海王国シーランの王女でありながら、極貧の地下アイドルとして日銭を稼ぐ人魚族のリーザだ。彼女の手には、スーパー『タローマート』の半額弁当を巡る戦利品らしき、ちぎれた割引シールが握られている。
「まぁ、俺はプロの三ツ星副料理長だったからな」
俺は前世の記憶を思い返しながら、少しだけ自嘲気味に笑った。
前世の名前は青田優也。商業高校で簿記一級を取り、料理学校を経て三ツ星フレンチの副料理長まで登り詰めたが、連日の激務と徹夜の果てに二十五歳で過労死した。このリアン・クラインという名で赤ちゃんから転生をやり直した俺は、過酷な軍部エリートコースをバックレて、適度に手を抜きつつ堅実に生きる道を選んだはずだった。
だが、結局は公爵位を押し付けられ、こうして規格外のポンコツ嫁軍団を束ねる羽目になっている。
「だが……お前たちに毎日『美味しい、美味しい』と全肯定されてばかりだと、料理人としての舌がぬるま湯に浸かっているんじゃないかと思うことがある」
俺の言葉に、空からパタパタと小さな純白の翼を羽ばたかせて降りてきたのは、ピンク色のツインテールを揺らす下級天使のキュララだった。彼女の頭上のネオンヘイローがピカピカと点滅している。
「というと〜? リアン君の料理、全宇宙で一番美味しいのに?」
登録者数一千五百万人を誇るメガゴッドチューバーは、魔導スマホの画面から顔を上げて小首を傾げた。
「たまには、他の奴の料理を食べるのも良い刺激になると思うんだ。料理人ってのは、常に新しい味覚に殴られてないと、すぐに腕が錆び付いちまう」
俺の言葉に、キャルルの兎耳がピンと直立した。
「つまり! 外食ね!」
「やったわ! 外食! 今日はリアンの奢りでタダ酒よ!」
キャルルの声に呼応するように、公邸の奥の部屋からズサァッと襖が開く音がした。
部屋の中央に鎮座するコタツの中から、小豆色の芋ジャージを着込んだ絶世の美女が這い出てくる。大宇宙管理局の第3種惑星創造神格公務員にして、この世界を創造した女神ルチアナだ。手にはすでに飲みかけの缶ビールが握られている。
俺は呆れ返りながら、腕を組んだ。
「お前らなぁ……俺の奢り前提なのは百歩譲るとしてだ。俺の腕に敵う料理人が、このアナステシア世界に居るかどうか……」
事実、この世界の料理は素材の味に頼り切ったものか、無駄に飾り立てた大味な宮廷料理ばかりだ。俺が求める、泥臭くて、繊細で、暴力的なまでに完成された「旨味の極致」を叩き出せる料理人は、少なくとも俺が知る限りこの大陸には存在しない。
「なら、福岡に行ってみる?」
不意に、背後から凛とした、それでいて悪戯っぽい冷酷な声が響いた。
振り返ると、縁側の柱に寄りかかりながら、地球のアイドル雑誌をパラパラと捲っている銀髪赤眼の美少女が立っていた。アバロン魔皇国の女帝にして、単体で惑星を崩壊させる力を持つ真魔王ラスティアだ。
俺は思考が停止した。
「……何? 福岡だと?」
「ええっ!? 皆で地球の福岡に行くの!? それは前例に無いわよ!?」
誰よりも早く反応したのは、コタツから這い出てきた女神ルチアナだった。彼女は缶ビールを取り落とし、顔面を蒼白にして頭を抱えた。
「だ、ダメよ! GOD本社に見つかったらどうすんの! ただでさえ今月の私のチャンネル、PVが落ち込んでてオリン星区リーダーからチクチク言われてるのに! 時空監査部にバレたら一発で懲戒免職、マグローザ漁船行きよ!」
「ふぅん……そう。でもいいの、ルチアナ?」
ラスティアは雑誌から顔を上げず、パタンとページを閉じた。その真紅の瞳が、獲物を狙う蛇のように細められる。
「セレスティアの天使族長ヴァルキュリアたちから預かっていた『慰安旅行積立金』……あなた、それに勝手に手をつけて、朝倉月人君の限定アクリルスタンド全種と、ドームツアーのSS席チケット代に突っ込んだわよね?」
「ヒッ……!」
ルチアナの喉から、カエルが潰されたような悲鳴が漏れた。
「もし私がこの事実を、あの鉄血のヴァルキュリアに告発したら……あなた、マグローザ漁船どころか、聖槍グラニで分子レベルまで消し炭にされるんじゃないかしら?」
「あ、悪魔! この悪魔ぁあああ!! わ、分かった! 分かったわよ! ゲートを開ければいいんでしょおおお!!」
涙と鼻水を流しながら、ルチアナがエンジェルすまーとふぉんを乱暴にフリックする。
世界神の絶対的な権能が発動し、縁側の先の空間に、ガラスが割れるようなバキバキという不気味な音と共に、七色に発光する巨大な因果律の裂け目が生じた。
次元の向こう側から、ポポロ村の澄み切った空気とは全く違う、ひどく懐かしい匂いが流れ込んでくる。
排気ガスの焦げた匂い。湿気を帯びたアスファルトの匂い。
そして何より――骨の髄まで煮詰めたような、濃厚で暴力的な豚骨スープの匂いだ。
「えっ、地球!? やばっ、配信のネタに最高じゃん!」
キュララが魔導スマホを構えて自撮りを始める。
「タダ飯の……タダ飯の予感がしますわぁぁっ!」
リーザが健康サンダルを鳴らしてゲートの前にへばりつく。
「リアン君の故郷……! どんな所か絶対に見極めなきゃ。もしリアン君を狙う悪い女がいたら、この安全靴で鐘打ちの刑だからね♡」
キャルルが瞳のハイライトを消しながら、足元のタローマン特注安全靴の踵をコンコンと鳴らした。
俺は立ち上がり、タローマン製の防刃ジャージのジッパーを首元まで引き上げた。
腰に差したドワーフ特注の打刀『白雪』の柄を確かめ、魔法ポーチの中に財布と各種ポーション、そして愛用の三ツ星包丁一式が入っていることを確認する。
「よし……」
鼻腔をくすぐる強烈な故郷の匂いに、前世の料理人としての血が、そして天極流の使い手としての闘気が、静かに、だが確実に沸き立つのを感じていた。
「久しぶりに、本場の福岡の味を叩き込みに行くか」
神界の予算を横領してこじ開けられた違法ゲートの向こう側、現代日本の福岡へ向け、俺たちホープ・クローバーの規格外グルメ遠征が幕を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
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