EP 25
悪魔のレシピと、完成せし致死量のアルコール爆弾麺
ポポロ亭の厨房を満たすのは、普段の香ばしい炒め物の匂いでも、じっくり煮込んだスープの甘い香りでもなかった。
それは、熱せられたアルコールのツンとした気配と、ニンニク豚骨の暴力的なジャンク臭が、絶妙なバランスで混ざり合った異様な空気だった。
「……三分間、カウント開始だ」
俺は、砂時計の砂がサラサラと落ちていくのを冷酷な眼差しで見つめていた。
耐水紙コップの中では今、恐るべき化学反応が起きている。
沸騰した直後の『芋酒イモッカ』――度数40%を誇る無色透明の劇薬スピリッツ。
それが熱湯の代わりに注ぎ込まれたことで、油揚げ麺は瞬時にそのアルコール交じりの水分を吸い上げ、柔らかく戻りつつあった。
さらに、粉末スープに含まれる豚骨エキスとラードが熱で溶け出し、コップの表面に極厚の『油膜』を形成している。
「り、リアン様……これ、本当に大丈夫なのですか……?」
リーザが、少し引きつった顔で俺の横顔を覗き込んできた。
「蓋の隙間から立ち昇る湯気をちょっと吸っただけで、なんだかクラクラしてきますわ……!」
「当たり前だ。吸ってるのは純度40%のアルコール蒸気だからな」
俺は事もなげに言った。
「普通、酒は加熱すればアルコールが揮発して抜ける。だが、この狭い紙コップの中で密閉され、表面を分厚い豚骨の油膜で覆われた状態では話が別だ。アルコールは蒸発する逃げ場を失い、そのまま麺とスープの中に凝縮・留まる。……つまり今、あのコップの中にあるのは『ラーメンの形をした液体アルコール爆弾』だ」
「……鬼。悪魔。ブラック企業経営者……っ!」
ラスティアが、戦慄したように俺を指差した。
「魔王である私ですら、こんな惨い拷問は思いつかないわよ! 相手の食べたいものを提供しながら、その実、胃袋に直接致死量の高濃度スピリッツを叩き込むなんて……!」
「人聞きが悪いことを言うな。俺は客(査察官)の注文通りのメニューを提供しているだけだ」
俺はフッ……と冷たい笑みを浮かべた。
「あのモヤシ野郎は『酒の締めにワンカップ・ラーメンを持て』と言った。俺は酒を飲んだあとの体に染み渡るように、最高に『温まる(物理)』特別な仕立てで提供してやるんだよ。プロの接客だろ?」
「リアン君の『おもてなし』、世界一怖いです……」
キャルルがブルブルとウサギ耳を震わせた。
サラサラ……と砂時計の最後の砂が落ち切る。
「よし、三分経過だ。……野郎ども、完璧な『被害者(一般市民)』の顔を作れよ。これからが本番だ」
俺はトレーの上に、密閉されたワンカップ・ラーメンと割り箸、そして冷えた水が入ったグラスを載せると、完璧な営業スマイルを顔に貼り付けて厨房のドアを押し開けた。
◆
フロアのVIP席では、査察官アーノルド(A氏)が、すっかり空になったワイン瓶をテーブルの上で転がしながら、イライラと貧乏ゆすりをしていた。
「おい! 遅いぞポポロ・コーポの! たかが紙コップに湯を注ぐだけの食べ物に、どれだけ時間をかけているのだ!」
「大変お待たせいたしました、偉大なる特許査察官様」
俺は恭しく頭を下げ、トレーからワンカップ・ラーメンをA氏の目の前に置いた。
「本日の締めとして、当店の総支配人である私めが、特別に『最高温度(極上仕立て)』で調理させていただきました。お口に合えば幸いです」
「ふんっ、相変わらず手際が悪い奴だ」
A氏は鼻で笑うと、テーブルの上に足を乗せたまま、密閉された紙蓋に手をかけた。
「まぁいい。どれ、勇者の末裔であるこの私が、もう一度味見をしてやろう。……本来なら、このような平民の粗末な食い物など二度と口にしないのだがなぁ!」
ペリッ……と、A氏が紙蓋を勢いよく剥がした。
その瞬間。
ズバァァァンッ!!
紙コップの中から、圧縮されていた猛烈な熱気と湯気が爆発的に吹き出した。
立ち昇る香りは、ポポロ亭特製の濃厚な豚骨スープ、炒めニンニクの強烈な風味、そして焦がし醤油の香ばしさ――。
イモッカが持つツンとしたアルコール臭は、高熱と強烈なジャンク調味料のスパイスによって完全にマスキングされ、鼻腔を突くのはただただ食欲を暴力的にそそる『極上の香り』のみであった。
「……ッ!!?」
A氏の動きが、ピタリと止まった。
昼間に食べたものよりも、明らかに香り立ちが違う。深みがあり、全身の細胞が「それを食え」と叫び出すような強烈な引力。
「な……なんだ、この香りは……? 昼間のものより、格段に旨味が凝縮されているように感じるが……!?」
「フフッ、それは特別な調理法(沸騰したイモッカ)を施しておりますからね。熱々で冷めにくいよう、特製の油でしっかり蓋をしてございます。どうぞ、熱いうちにお召し上がりください」
俺は揉み手をしながら、揉み手越しに隠した手元で、静かにストップウォッチのボタンを押した。
「ふ、ふんっ! くだらんハッタリを! どれ……」
A氏は気取った手つきで割り箸を割り、紙コップの底から麺を勢いよく引っ張り上げた。
熱気と共に、濃厚な豚骨スープをたっぷりと吸い上げた油揚げ麺が顔を出す。
そして――A氏は、それを一気に口の中へ放り込んだ。
ズズズズズッ!! ズルズルッ!!
「……っ!? む……ほ、ほふっ……ぐあっ……!!」
一口すすった瞬間、A氏の顔がカッと赤くなった。
喉を焼き切るような強烈な『熱さ』と、脳を突き刺すような『刺激』。
だが、アルコールの高濃度摂取によって麻痺し始めた舌は、その劇薬の正体を「究極のスパイスと強烈な熱気」であると完全に誤認した。
「ぐ……熱い! 熱いが……なんだこれはぁぁぁっ!?」
A氏は目を見開き、荒い息を吐きながら叫んだ。
「麺を噛んだ瞬間に、溢れ出す旨味と……全身の血が沸き立つような猛烈な熱気が駆け巡る! 喉から胃袋にかけて、まるでマグマが流れ落ちるかのような満足感だ! 昼間のものとは比べものにならんほど、味が濃く、力強い!!」
「お口に合いましたようで、何よりでございます(計画通り)」
「ハフッ! ズルズルッ! ズズズズッ!」
もはやA氏に、貴族としての矜持も、査察官としての威厳も残っていなかった。
彼は取り憑かれたように割り箸を動かし、度数40%のイモッカをたっぷり含んだ麺を、次から次へと胃袋へ流し込んでいく。
「美味い! 美味いぞ! 全身の細胞が歓喜している! おのれ、ポポロ・コーポ……こんな隠し玉を持っていたとはな! これだ、この力強さこそ、勇者の食すにふさわしい至高の逸品だぁぁっ!」
「どうぞ、スープも一滴残さずお飲みください。それが当店の仕立てでございます」
「言われるまでもないわぁっ!!」
A氏は両手で紙コップを掴むと、底に残った濃厚な豚骨スープ――すなわち、極厚の油膜によって冷めず、高濃度のアルコールが凝縮された『純度40%の熱々スピリッツ』を、直接口に当てて傾けた。
ゴクッ……ゴクッ……ゴクゴクゴクッ!!
「ぷはぁぁぁぁっ!!」
スープを飲み干したA氏は、空になった紙コップをテーブルにドンッ!と叩きつけた。
その額からは滝のような汗が噴き出し、全身の皮膚が茹で上がった海老のように真っ赤に染まっている。
「素晴らしい……! 素晴らしいぞ! 体の芯から熱いエネルギーが湧き上がってくるようだ! ぐははははっ! これなら、特許などと言わず、ポポロ・コーポごと私の全財産にしてやってもいいぞ!」
A氏は満足そうに胸を張り、大笑いした。
自分が今、短時間でどれほどの致死量のアルコールを胃袋に叩き込んだのか、全く気付いていない。
ニンニクと豚骨の強烈な旨味。
そして、イモッカの「水のように飲めてしまう」というマスキング効果。
それらが完璧に合わさった結果、A氏の脳は、自分が大量の劇薬(酒)を摂取したことすら認識できないまま、血中アルコール濃度だけが垂直立ち上がりで急上昇を開始していた。
「……ごちそうさまでした、特許査察官様」
俺は、冷ややかな瞳でストップウォッチの画面を見た。
針がコチコチと刻む。
完食から、およそ二分。
神であるルチアナすら三分で沈めた悪魔のスピリッツが、人間の胃袋から吸収され、脳に届くまで――カウントダウンは、すでに始まっていた。
「おい、厨房番……。なんだか、急に灯りが眩しく……いや、店内が揺れて……」
A氏の声が、わずかに震え始めた。
「さぁて……そろそろ『開演』の時間だな」
俺は、暗闇の中で静かに特製ハリセンを握り直し、ゆっくりと口元を歪めた。
読んでいただきありがとうございます。
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