EP 17
ポポロ特区兵糧攻めと、消えた塩と油
『――リアン! 聞こえるかリアン! 大変だ、村の物流が完全にストップした!!』
シーラン国のエメラルド・コーストで、極上のハマグリを使ったクラムチャウダーを完成させた直後のことだった。
俺のエプロンのポケットに入っていた『通信用の魔伝水晶』から、ポポロ村の留守を預かっている自警団長マンミアと、騎士クラウスの焦燥しきった声が響き渡った。
「落ち着け、クラウス。物流が止まったって、どういうことだ?」
『ドンガン・コングロマリットを名乗る連中の私設傭兵団が、ポポロ村へ続く主要な街道を物理的に封鎖したんだ! “特区の関税検査”などとふざけた名目で、村へ向かう商隊の荷車を全て追い返している! このままでは村の物資が干上がるぞ!』
俺は、クラムチャウダーをかき混ぜていたおたまの動きをピタリと止めた。
総裁ドン・ガメルが宣言した【経済封鎖(兵糧攻め)】。奴らは通信を切った直後に、圧倒的な資本力と暴力で、即座にそれを実行に移したというわけだ。
「……なるほど。行動が早いな、あのカエル親父」
「リアンの旦那、感心しとる場合ちゃうで! ワイのゴルド商会の情報網からも緊急の連絡が入った! ドンガンがその圧倒的な資金力で、大陸中の市場から特定の物資を完全に買い占めよったんや!」
横で通信を聞いていたニャングルが、顔面を蒼白にして叫んだ。
「特定の物資だと?」
「せや! 『塩』と『油』、そして『香辛料』や!! 現在、帝都の市場でもこれらの価格が通常の百倍以上に跳ね上がっとる! ドンガンは、ポポロ特区への兵糧攻めを完璧なものにするため、料理と保存に絶対不可欠な調味料を市場から消し去りよったんやで!!」
「なっ……!?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内の原価計算ロジックが、真っ赤な警告を鳴らした。
食料品そのものではなく、塩と油を買い占める。それは極めて合理的かつ悪魔的な兵糧攻めだ。
いくらポポロ村で太陽芋やガーリッ君が採れようが、魔獣の肉があろうが、塩と油がなければマトモな料理は作れない。保存食である干し肉や漬物すら作れなくなり、最終的には食卓が完全に崩壊する。
料理にとって、塩と油は命そのものだ。
それを人質に取る行為は、俺たち料理人の存在意義を根底から否定する、最悪の外道(コンプライアンス違反)である。
「ルナ! 今すぐポポロ村へ転移魔法のゲートを開け!! 社員研修は一時中断、緊急帰還(出社)だ!!」
「は、はいですわーっ! 大地の精霊さん、急いでお家への道を作ってくださいなーっ!!」
ルナが石ころを並べて光の陣を形成する。
俺たちは出来立てのクラムチャウダーの鍋ごと、光の渦に飛び込んだ。
◆
「こ、これはひどいですわ……」
転移魔法でポポロ村の広場へ帰還した俺たちを待っていたのは、普段の活気ある農村の姿とはかけ離れた、ゴーストタウンのような光景だった。
村の商店街の棚からは、小麦粉、砂糖、そして見事に塩と油の瓶だけが綺麗に消え去っていた。
ポポロ・コーポの一階食堂(ポポロ亭)に駆け込むと、厨房の備蓄庫の塩壺も、菜種油のタンクも、底が見えるほどスッカラカンになっていた。
「村の塩と油は、昨日の夜のうちに『高値で買い取る』という怪しい商人(ドンガンの手先)に全部買い漁られてしまったらしい。自警団で止めようとしたが、法的な取引の形を取られていて手が出せなかったんだ……」
出迎えたクラウスが、悔しそうに拳を握りしめている。
「塩がない……お肉を焼いても塩胡椒が振れないなんて……っ!」
キャルルが絶望的な顔でウサギ耳を垂らす。
「トリプル・チーズイン・ハンバーグを焼くための油がありませんの! このままでは、焦げ付いた肉の塊を食べる羽目になりますわーっ!!」
リーザが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「うぃ〜……酒はあるけど、塩気のあるツマミがないと酒が進まないじゃないのよぉ〜……ドンガンのバカヤロー!!」
ルチアナが空の塩壺をひっくり返して怒り狂っている。
「リアンの旦那、どうすんねん。このまま塩と油が手に入らへんかったら、ポポロ亭の営業ストップどころか、村人全員が数日で栄養失調(塩分不足)で倒れるで!」
ニャングルが悲鳴を上げる。
ドンガン・コングロマリットの圧倒的な資金力と流通網を駆使した、パーフェクトな兵糧攻め。
彼らは、ポポロ村を飢えさせ、「特区の権利を譲渡すれば塩を売ってやる」という絶対的に有利な条件で、敵対的買収(M&A)を成立させる腹積もりなのだ。
「……塩を止め、油を止め、俺の厨房の仕込みを物理的に破壊したわけだ」
俺は、空っぽになった塩壺を調理台にコトリと置いた。
そして、ゆっくりと首に巻いた手ぬぐいを外し、防刃エプロンの紐をギリッと限界までキツく結び直した。
その瞬間。
俺の全身から、魔王の瘴気すら凌駕するほどの、ドス黒く冷たい『殺気』が膨れ上がった。
「「「ヒィィッ!?」」」
クラウスやニャングル、そして六人の嫁たちが一斉にビクッと肩を震わせ、後ずさる。
「いいか、お前ら。経営における競争や買収の駆け引きは、資本主義のルール(ロジック)だ。俺もそれは否定しねぇ。……だがな」
俺は、氷点下の声で低く唸った。
「料理人の命(塩と油)を人質に取り、客から美味い飯を奪うような薄汚いマネをする外道は……市場に存在する価値は一ミリもねぇ」
俺は、厨房の奥に立てかけてあったホワイトボードを引きずり出し、黒の魔導マーカーを手に取った。
「リアン君……? まさか、あの巨大カルテルと正面から喧嘩する気ですか!?」
キャルルが震える声で尋ねる。
「喧嘩じゃねぇ。これは『一方的な市場からの強制退場(倒産)手続き』だ。あのカエル親父は、一つ致命的な勘違い(計算ミス)をしてやがる」
俺は、ホワイトボードの中央に『ドンガン・コングロマリット』と書き、その周囲をぐるりと囲むように六つの丸を描いた。
「奴らは、俺がただの『田舎の公爵』で、ポポロ村という小さな特区の主権さえ潰せば勝てると思ってる。だがな……」
俺はマーカーで、その六つの丸をドンガンに向かって矢印で結んだ。
「今の俺は、ただの公爵じゃねぇ。ルナミス帝国、レオンハート獣人王国、シーラン国、エルフの森、天界、魔界……この大陸の六大勢力のトップ(お前ら)を【共同経営者(妻)】として抱える、超・多国籍企業の社長なんだよ」
「あ……」
ニャングルの目が、驚愕に見開かれた。
「そうだ! いくらドンガンが裏社会の経済を牛耳っていようが、国家そのものの『公権力』と『軍事力』には敵うわけがねぇ! しかも、それが六ヶ国同時に襲いかかってきたら……!」
「そういうことだ」
俺は、不敵な笑みを浮かべて六人の嫁たちを振り返った。
「お前ら、毎晩俺の部屋に夜這いを仕掛けようとする元気はあるんだよな?」
「「「は、はいっ!」」」
「俺の作る極上の塩胡椒ステーキや、肉汁たっぷりの唐揚げ、チーズインハンバーグを、明日からも食いたいよな?」
「「「絶対に食いたいですわ(よ)ーっ!!」」」
「よし。なら、お前らの実家の力をフル稼働させろ。これはポポロ・コーポレーションの総力を挙げた『インサイダー取引(経済戦争)』だ」
俺は、ホワイトボードをドンッ!と叩いた。
「キャルル! 実家の獣人騎兵団を動かせ! 街道を封鎖しているドンガンの傭兵どもを『関税法違反および公爵領不法占拠』の名目で強制排除(物理)しろ!」
「了解です! お父様(ガルム将軍)に泣きついて、私設傭兵なんて一瞬でミンチにしてやります!」
キャルルが安全靴を打ち鳴らして敬礼する。
「リーザ! シーラン国の海軍ルートを使って、海路から別ルートで『岩塩』と『海塩』をポポロ村に大量空輸させろ! 相場なんて無視だ、王族特権で買い叩け!」
「任せてくださいませ! 私のパンの耳(塩味)生活を脅かすドンガンに、海の恐ろしさを教えてやりますわーっ!」
リーザがお賽銭箱を背負い直す。
「ニャングル! ゴルドスマイル銀行の全資金(現金)を流動資産に回せ! 奴らが仕掛けた相場操縦を、逆に利用して罠に嵌める。……先物取引で、カエル親父の全財産をスッカラカンにしてやるぞ」
「ひ、ひえぇっ……! 了解や旦那! 悪魔の錬金術の始まりやでぇ!」
ニャングルが黄金の算盤を狂ったように弾き始める。
圧倒的な資金力を誇る裏社会のカルテルに対し、国家権力と物理的暴力、そして前世の悪魔的金融知識をフル動員した『極悪非道な包囲網』が瞬く間に構築されていく。
「さぁ、ドン・ガメル。てめぇの引いた経済封鎖が、いかに底の浅い三流の経営戦略か……俺が骨の髄まで教えてやる。震えて待ってろよ」
厨房に響き渡る俺の冷酷な声。
ポポロ特区の生命線である塩と油を賭けた、資本主義と権力が入り乱れる【敵対的逆買収(M&A)大戦】の火蓋が、いよいよ切って落とされたのである。
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