EP 11
新婚初夜の労働基準法と、深夜残業三六協定
ポポロ村の夜は更け、大合同結婚式という名の狂乱の宴はようやく幕を閉じた。
各国の首脳陣は胃薬と酒をチャンポンしてゲストハウスで泥のように眠りにつき、村人たちもタダ飯を腹いっぱい詰め込んで幸せな寝息を立てている。
だが。
ポポロ・コーポの二階、俺の寝室の前だけは、大陸のどの戦場よりも血生臭い、致死量の殺気に包まれていた。
「どきなさい泥棒猫ども! 獣人の掟において、初夜に番の匂いをつけるのは絶対の義務! 今日、リアン君の部屋に入ってこの『愛のペア手錠(チタン合金製)』をかけるのは私です!」
特注の安全靴をギチギチと鳴らしながら、レオンハート獣人王国の姫・キャルルが扉の前に陣取った。その目は完全に暗闇で光る肉食獣のそれである。
「寝言はパンの耳をかじってから言いなさいませ! 初夜権という名の『不労所得の第一歩』は、この私が頂きますの! さぁ、どかないとこのお賽銭箱型掃除機で、あんたたちのドレスごと吸い込みますわよ!」
シーラン国の王女・リーザが、ウェディングドレスの裾をたくし上げ、掃除機のノズルをキャルルに向けて威嚇する。
「うぃ〜……あんたたちぃ、うるさいわねぇ〜。新婚初夜なんて、酒飲んでそのまま同じベッドで寝ちまえば既成事実なんだからぁ、さっさと扉ぶち破ってリアンを酒のツマミに……」
「ちょっとルチアナ、酒臭い息を吐かないでよ! 私だって公爵のブラックカードを握るために、月人君の抱き枕を持ち込んで疑似三P(推し活)を……!」
「大地の精霊さん、リアン様の寝室のドアを純金に変えて、鍵ごと溶かしてしまいましょう!」
「はいはーいっ! 初夜のベッドルーム突撃生配信、同接二千万人いくわよーっ☆」
ドンッ! ガンッ! ブォォォォンッ!
手錠、掃除機、重力魔法、錬金テロ、そしてドローン。
六人の厄介な妻(共同経営者)たちが、俺の寝室の扉の前で「誰が最初の夜をリアンと過ごすか」という、第一回初夜争奪キャットファイトを繰り広げていた。
扉がミシミシと悲鳴を上げ、蝶番がひしゃげ始めている。このまま放置すれば、ポポロ・コーポの二階が物理的に更地になるのは時間の問題だった。
「…………」
ガチャリ。
限界寸前だった扉が、内側から勢いよく開け放たれた。
「「「あっ! リアン(君/様)!!」」」
ヒロインたちが一斉に目を輝かせ、俺の胸に飛び込もうとする。
だが、次の瞬間、彼女たちはピタリと動きを止めた。
そこに立っていた俺の姿が、あまりにも『初夜』というロマンチックな言葉からかけ離れていたからだ。
純白のタキシードはとうに脱ぎ捨てている。俺は、刃物を通さない『魔牛の革製・防刃エプロン』を着込み、頭にはミスリル製のフライパンをヘルメット代わりに被り、片手には分厚い木製のホワイトボードを盾のように構えていた。
完全なる『対暴動鎮圧スタイル』である。
「な、なんですかその格好は……っ! 私と一緒にベッドへ入る準備は……」
キャルルがウサギ耳を垂らして戸惑う。
「ベッドに入るだと? ふざけるな」
俺は、ホワイトボードをドンッ!と床に叩きつけ、チョークでデカデカと文字を書き殴った。
「いいかお前ら! 昼間サインした『ポポロ・コーポ超法規的就業規則』をもう忘れたのか! 結婚生活とは共同経営であり、お前らは今日から俺の妻であると同時に『住み込みの従業員』だ! つまり、このアパート内における全ての行動には『労働基準法』が適用される!」
「ろ、ろうどうきじゅんほう……?」
リーザが目をパチクリとさせる。
「そうだ! お前らが今やろうとしている『初夜(夜伽)』や『過度なスキンシップ』は、ポポロ・コーポの定款において立派な【業務】である! そして現在時刻は深夜零時! つまりお前らの要求は、法定労働時間を超えた『深夜の時間外労働(深夜残業)』に該当する!!」
俺の放った法的な煙幕(屁理屈)に、六人の顔に「?」マークが浮かんだ。
「ちょっと待ちなさいよ。なんで夫婦の営みが深夜残業になるのよ!」
ルチアナが酔った頭で抗議してくる。
「当たり前だ! 俺という経営者(夫)の睡眠時間を削り、プライベートな空間で俺の体力を消耗させる行為は、完全なるブラック労働だ! 俺の前世の経験則から言わせてもらえば、週四十時間を超える労働や、深夜十時以降の業務は、労働者の心身を破壊する最悪の負債なんだよ!」
俺は、ホワイトボードをバンバンと叩きながら、さらに畳み掛けた。
「どうしても俺の部屋で時間外労働(夜伽)をしたいなら、労働基準法第三十六条に基づく『時間外・休日労働に関する協定届』――いわゆる【三六協定】を、労働組合(お前ら)と使用者(俺)の間で締結しなければならない!」
「さ、さぶろくきょうてい!?」
「さらにだ!」
俺は、エプロンのポケットから『業務計画書』と書かれた白紙のプリントを取り出し、六人の顔に突きつけた。
「俺の部屋での夜勤シフトに入りたいなら、毎月二十日までに翌月の『夜勤業務計画書(シフト表)』を提出しろ! 誰が、何曜日の何時から何時まで、どのような業務を行うのか、明確な工数と目的を記載して稟議を通すのが社会人の常識だろうが!」
「し、シフト表……!?」
「稟議って、夫婦の初夜に稟議書がいるんですの!?」
「月人君のライブチケットの抽選よりハードル高いじゃないのよぉっ!」
アナステシア世界において、三六協定だの夜勤シフトだのという概念など存在しない。
突如として持ち出された『現代日本の労務管理ロジック』という名の未知の言語の前に、各国の姫や神族たる彼女たちの脳は完全にフリーズ(処理落ち)した。
「翻って、今日の状況を確認するぞ。お前らの中から、事前に初夜の『業務計画書』を提出した者はいるか? 三六協定の届出は済ませているか? ……誰一人提出していないな。よって、本日の俺への夜這いは【完全な違法労働】と認定する!!」
「そ、そんなぁっ!」
「俺は、ポポロ・コーポの総支配人であると同時に、労働基準監督署(俺)でもある! 従業員への違法な深夜労働の強要は、俺のロジックが断固として許さん! サービス残業撲滅! お前ら、さっさと自分の部屋に戻って寝ろ! 明日の朝六時から太陽芋の収穫シフトが入ってるんだぞ!!」
「い、嫌ですぅっ! シフトとかどうでもいいから、リアン君の匂いを嗅がせてぇぇっ!!」
我に返ったキャルルが、手錠を振り回して突進してくる。
だが、俺の動きの方が一瞬早かった。
「本日の営業(受付)は終了しました。おやすみなさい」
バタンッ!! ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャンッ!!
俺は、瞬時に扉を閉めると、事前に取り付けておいた五つの物理ロック、三つの魔導施錠、さらにはつっかえ棒までをカンカンカンッ!と完璧な速度でセットした。
扉の向こうから「開けなさいよぉ!」「初夜詐欺ですわーっ!」という怨嗟の声と、扉を叩く鈍い音が響いてくるが、ミスリル補強を施したこの特注ドアはそう簡単には破られない。
「……ふぅ。あっぶねぇ。危うく初日から、俺の体力と平穏な睡眠時間(資産)を搾取されるところだったぜ」
俺は、フライパンのヘルメットを脱ぎ、ベッドにドサリと腰を下ろした。
結婚という名の敵対的買収は、昼間の『超法規的就業規則』で防いだが、彼女たちの根源的な欲望(重愛や寄生)までは消えていない。
これから毎晩、あいつらは俺の鉄壁の童貞防衛線(労働基準法)を突破しようと、あの手この手で襲撃を仕掛けてくるだろう。
「……まぁいい。どんな理不尽な要求が来ようが、原価計算と労務管理で全部論破してやる」
窓の外では、ポポロ村の静かな夜風が吹いている。
公爵にして六人の妻を持つ男の、あまりにも色気のない、そして胃の痛くなる『新婚生活(ブラック企業運営)』の第一夜は、こうして厳格なコンプライアンス遵守のもとに幕を開けたのであった。
読んでいただきありがとうございます。
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