EP 7
誰を選んでも戦争勃発!? 泥沼の国際パワーバランス
氷の浮かんだ冷たい緑茶が、湯呑みの中でカランと涼しげな音を立てた。
昨夜の帝都での大惨事(お見合い大舞踏会崩壊事件)から一夜明けた、ポポロ・コーポの一階厨房。俺はパイプ椅子に深く腰掛け、眉間をゴリゴリと揉みほぐしながら、冷たい茶を胃の腑に流し込んでいた。
「……あいつら、せめてキャビアとローストポークだけは回収してから暴れりゃよかったのに。もったいねぇ」
俺の脳裏に浮かぶのは、シャンデリアの落下と共に大理石の床にぶちまけられた、推定総額・金貨数千枚分に相当する極上のケータリング料理の数々である。令嬢たちが泣き叫んで逃げ惑う姿よりも、踏みにじられたオードブルの無惨な光景の方が、元・料理人である俺の心に深いトラウマを刻み込んでいた。
だが、現実問題として、事態は『食べ物を粗末にした』程度で済むレベルを遥かに超えていた。
「リアン! のんきに茶をすすっている場合ではないぞ!!」
「リアンの旦那ァ! えらいこっちゃ、ほんまにえらいこっちゃで!!」
厨房の扉をバンッ!と開け放ち、騎士クラウスとゴルドスマイル銀行支店長のニャングルが、顔面を蒼白にして飛び込んできた。二人の目の下にはくっきりとクマが刻まれており、一睡もしていないことが丸わかりだった。
「なんだよ朝っぱらから。大声出さなくても聞こえてる」
俺がため息をつくと、ニャングルは黄金の算盤をガタガタと震わせながら、調理台の上に何枚もの分厚い羊皮紙(速達の公文書)を叩きつけた。
「笑い事やないで! 昨日、うちの村の厄介者ども(ヒロインズ)が、帝国の貴族令嬢たちを物理的・経済的に完膚なきまでに叩きのめしたやろ! その結果、今朝から帝国中の大貴族たちが『我が家の顔に泥を塗られた!』『あのような野蛮な女たちを公爵夫人に据えるなど、帝国の恥である!』と、マルクス皇帝に猛抗議を始めとるんや!」
「だろうな。あんな乱入テロをやらかせば、当然のクレーム(株主総会での突き上げ)だ。皇帝のタヌキ親父も、これで少しは懲りただろ」
俺が冷静に分析すると、クラウスがギリッと歯を食いしばって首を横に振った。
「違う、リアン! 事態はもっと深刻だ! 令嬢たちが蹴散らされたことで、公爵夫人という空席を巡る争いが、帝国という枠組みを超えて『国家間の直接的なパワーゲーム』に移行してしまったのだ!」
「は?」
クラウスは、地図を広げ、ポポロ村の位置を指差した。
「よく考えろ。君は今、帝国北部の要衝を任された(保留中だが)『帝国の公爵』だ。そこに、昨日から各国の正規軍や使節団が駐留している。……もし君が、あの六人の中から誰か一人を『正妻』として選んだ場合、どうなると思う?」
俺の脳内の原価計算ロジックが、瞬時に『政治的損益分岐点(地政学リスク)』へと切り替わった。
「……例えば、キャルル(獣人国の姫)を選んだ場合だ」
ニャングルが、冷や汗を拭いながら重々しい声で告げる。
「獣人王国の直系王族が、帝国の公爵夫人になる。これは事実上の『軍事同盟』どころか、帝国領内に獣人国の強固な橋頭堡(軍事拠点)ができることを意味する。帝国貴族からすれば、喉元に獣人の牙を突き立てられたも同然や。間違いなく、帝国内部で反発が起き、最悪の場合は内乱、あるいは獣人国との全面戦争に発展するで」
「……なるほど。じゃあ、リーザ(シーラン国の王女)ならどうだ?」
「経済が死ぬ」
ニャングルが即答した。
「シーラン国は大陸最大の海洋国家や。その王女が、税金完全免除の『ポポロ経済特区』の女主人になれば、大陸中の海上貿易と関税のシステムが完全にシーラン国に独占(独占禁止法違反)される。他の経済大国が黙っとるわけがない。間違いなく、ポポロ村に対する世界規模の経済制裁(海上封鎖)が始まるで」
「……じゃ、じゃあルナ(エルフの巫女)は?」
俺は冷や汗を流しながら尋ねる。
「宗教戦争勃発だ」
今度はクラウスが答えた。
「世界樹の巫女である彼女と君が結ばれれば、エルフたちはこのポポロ村一帯を『新たな聖域(不可侵領域)』として宣言するだろう。帝国教会や他宗教の過激派が、それを『神への冒涜』として聖戦(十字軍)を仕掛けてくるのは火を見るよりも明らかだ」
「…………」
俺は、持っていた湯呑みをコトリと調理台に置いた。
キュララを選べば、世界中の情報ネットワーク(メディア)を独占したことによる情報戦争が起きる。
ルチアナ(女神)やラスティア(魔王)に至っては、そもそも人間界のバランスを根本から破壊する歩く戦略兵器だ。
もちろん、誰の波風も立てまいと「帝国の貴族令嬢」を選べば、昨夜の舞踏会のように、嫉妬に狂ったポポロ村のヒロインたちが帝国そのものを物理的に滅ぼしにかかるだろう。
「……つまりだ」
俺は、両手で顔を覆い、指の隙間から天井を仰ぎ見た。
「俺が『一人の女を選ぶ(一夫一妻制を守る)』という行為そのものが、大陸のパワーバランスを完全に崩壊させる『最終兵器のスイッチ』になっちまったってことか……?」
「その通りや」
ニャングルが、絶望的な声でキセルを咥えた。
「リアンの旦那、あんたは今、大陸中の国家が喉から手が出るほど欲しい『超特大の歩く利権(巨大企業)』なんや。一社と独占契約(結婚)を結んだ瞬間、ハブられた他の全国家が一斉に牙を剥いてくる。……もう、詰みやで」
完全なる政治的デッドロック。
前世で言えば、業界トップの巨大企業が、ライバル企業すべての買収提案を同時に受け、どこか一つを選べば他社から一斉に敵対的TOB(株式公開買付)と訴訟を叩きつけられるような、絶体絶命の盤面である。
しかも、その買収を仕掛けてきているのは、手錠を持って迫りくるヤンデレ、一生養えと迫る寄生虫、三日で石に戻る偽金を作る天然テロリストなど、まともなビジネスパートナーとは程遠いイカれた連中ばかりだ。
窓の外からは、「今日のリアン君の朝ごはんは私が『あーん』するんです!」「いいえ私ですわ!」「私が純金のお箸で食べさせてさしあげますの!」という、脳の血管がブチ切れそうになる不毛な口論が聞こえてくる。
あいつらは、自分たちの存在が大陸を巻き込む戦争の火種になっていることなど、一ミリも理解していないのだ。
「……めんどくせぇ」
俺の口から、深い、深い絶望のため息が漏れた。
「本当に、死ぬほどめんどくせぇ……。なんでただの食堂の寮母長が、結婚する・しないの次元で、第三次世界大戦の危機を背負わなきゃなんねぇんだよ……っ」
俺は、再び冷たい緑茶を飲み干し、氷をガリガリと噛み砕いた。
ロジックで解決できない問題などない、と信じて生きてきた。原価計算と損益分岐点で、すべての詐欺師も魔王も論破してきた。
だが、この『恋愛と国家権力が絡み合った感情の泥沼』だけは、数字や理屈で割り切れるものではない。
「リアン、どうするのだ。このままでは、今日にでも各国の軍隊が『我が姫を正妻にしろ!』と武力衝突を始めかねないぞ」
クラウスが、切迫した表情で俺の肩を揺さぶる。
「……トップ同士を呼べ」
「えっ?」
俺は、パイプ椅子からゆっくりと立ち上がり、厨房の隅にあったホワイトボードを引きずり出した。
「現場の兵隊(使節団)が喚こうが、暴走娘どもが愛を叫ぼうが、埒が明かねぇ。帝国のタヌキ皇帝マルクス、獣人王国の重臣、シーラン国の使節トップ、アバロンのルーベンス……各国の決定権を持つ首脳陣を、全員このポポロ村の公会堂に集めろ」
「しゅ、首脳会談を開く気か!? 正気かリアンの旦那! そんなもん、火薬庫の中で火遊びするようなもんやで!」
ニャングルが慌てて止める。
「火薬庫の導火線に火がついてるなら、爆発する前に爆弾ごと解体すしかねぇだろ。……俺の自由と資産(平穏なスローライフ)を天秤にかけて、勝手に覇権争いをしてる連中に、ビジネスの基本(落とし所)ってやつを叩き込んでやる」
俺の目には、もはや一切の感情は存在しなかった。
あるのは、この理不尽なブラック労働環境(包囲網)を完膚なきまでに叩き潰すための、冷徹な経営者の眼差しだけである。
かくして。
一人の少年の『貞操(結婚相手)』を巡り、大陸の主要国家のトップが一堂に会するという、歴史上最もくだらなく、そして最も胃の痛くなる『第1回・リアン争奪極秘サミット』が、辺境の農村で幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




