EP 3
国家レベルの包囲網、加速するリアン囲い込み作戦
シャッ……シャッ……シャッ……。
ポポロ・コーポの一階厨房。
静寂に包まれた空間で、俺は薄刃包丁を滑らせ、大根の桂剥き(かつらむき)をひたすら続けていた。
光が透けるほど薄く、そして均一な厚さで帯状に剥き出されていく大根。前世の板前修業で何万本と剥き続けたこの単純作業は、俺の荒ぶる心を沈め、極限の集中力をもたらしてくれる。
帝都での『公爵叙爵事件』から、早くも三日が経過していた。
あのタヌキ皇帝マルクスの罠を、俺は「未熟ゆえの研鑽」という完璧な大義名分で躱し、実務と領地経営を無限先送りにすることに成功した。
俺は今、帝国の最高位たる『公爵』でありながら、やっていることはいつもと変わらないアパートの寮母長兼、しがない料理人である。
「……完璧だ」
俺は、一メートル以上途切れることなく剥き終えた大根の帯を満足げに見つめた。
権力も、それに伴うブラックな義務もない。俺の平穏なスローライフは守られたのだ。
バンッ!!!
「リアンの旦那ァ!! のんきに大根剥いとる場合ちゃうで!!」
厨房のドアが蹴り開けられ、ゴルドスマイル銀行支店長のニャングルが、黄金の算盤をガチャガチャと鳴らしながら血相を変えて飛び込んできた。
「なんだよ騒々しい。借金取りならルチアナとリーザの部屋へ行け」
「ちゃうわ! 帝都から、とんでもない『勅令』が届いたんや!」
ニャングルは、額の汗を拭うこともせず、一枚の羊皮紙をバンッ!と調理台に叩きつけた。
そこには、皇帝マルクスの署名と、帝国の国璽がデカデカと押されている。
「……『ポポロ村一帯をリアン公爵の直轄領(特区)とし、向こう十年間、一切の国税・関税・商業税を完全免除とする。さらに、公爵の護衛および村のインフラ整備費用として、帝国国庫より毎年金貨十万枚の特別予算を無条件で交付する』……?」
俺は羊皮紙の文字を目で追い、ピタリと動きを止めた。
税金完全免除。おまけに、国から毎年約十億円の無条件の交付金。
普通なら「やったぜ!」と飛び上がって喜ぶところだろう。
だが、前世で経営の裏側を嫌というほど見てきた俺の脳内アラートは、最大音量で警鐘を鳴らしていた。
「……あのクソタヌキ皇帝。労働(鎖)で縛れないと分かった途端、今度は砂糖漬け(カネ)で俺を絡め捕りに来やがったな」
「その通りや!」
ニャングルがキセルを噛み砕かんばかりの勢いで頷いた。
「これだけの特権を与えられたら、ポポロ村は事実上の『超法規的・独立経済特区』や! 帝国は『これだけ手厚く保護してやったんだから、お前はもう帝国の犬(貴族)として生きるしかないよな?』って、外堀を完全にコンクリートで埋めに来たんやで!」
タダより高いものはない。
この特権を享受した瞬間、俺は「帝国の庇護下にある公爵」という立場を絶対に覆せなくなる。将来的に帝国が戦争を始めたり、魔獣の群れに襲われたりした時、「助けてくれませんよね? 交付金払ってますよね?」と笑顔で最前線に立たされるロジックが完成してしまうのだ。
「……チッ。あの老害、見かけによらずエグい稟議を通しやがる。だが、金貨十万枚の受け取りを拒否して、村の税金も今まで通り払えば……」
ズズズズズズズズッ……!!
俺が対策を練ろうとした、まさにその時。
ポポロ村の地面が、局地的な地震でも起きたかのように激しく揺れ始めた。
「な、なんだ!? 今度は魔獣の襲撃か!?」
「リアン! 大変だ!!」
今度は、白銀の大盾を背負った騎士クラウスが、顔面を蒼白にして厨房に転がり込んできた。
「村の正門に、軍隊だ! レオンハート獣人王国の『王族近衛・重装甲騎兵団』、およそ五百騎が布陣している!!」
「……はぁっ!?」
俺とニャングルは顔を見合わせた。
レオンハート獣人王国。それは、このポポロ村の村長であり、獣人国の姫でもあるキャルルの祖国だ。
俺たちが慌ててポポロ・コーポの窓から外を覗き込むと、のどかな農村風景だったはずの広場が、異様な光景に様変わりしていた。
筋骨隆々のライオンの獣人や、巨大な狼に跨った重武装の騎士たちが、村の入り口をズラリと封鎖している。その先頭で、王国の軍旗が風にはためいていた。
「な、なんで獣人国の正規軍が、こんな国境スレスレのド田舎に……」
「キャ、キャルル村長の護衛……という名目らしい! 『我が国の誇る姫君と、新たに誕生した偉大なるリアン公爵の安全を守るため、軍事同盟および通商条約の締結に参った』と!」
クラウスの報告に、俺は頭を抱えた。
「軍事同盟だと……? バカか、ただの農村に五百人の重装甲騎兵なんて送り込んできたら、帝国から見れば立派な『侵略行為』じゃねぇか!」
「それが、あいつら『これはあくまでキャルル姫の個人的な引っ越し祝いだ』って強弁しとるんや! 帝国がリアンの旦那を公爵にして完全に囲い込む前に、獣人国は『軍事力』という名の既成事実を作りに来たんやで!」
ニャングルが悲鳴のような声を上げる。
「ああっ! リアン君、大変よぉぉっ!!」
さらにそこへ、芋ジャージ姿のルチアナと、お賽銭箱を背負ったリーザが駆け込んできた。
「リアン様! シーラン国から、私の父(国王)の使いが来ましたわ! 『リアン公爵就任の祝い』として、国宝級の真珠百箱と、海軍の特殊部隊三百人を『友好の証』としてポポロ村に駐留させると言っておりますの!」
リーザが、興奮で鼻息を荒くしながら報告する。
「おまけに、エルフの森からも『ルナ様の様子を見るための視察団』っていう名目で、高位魔法使い(ハイエルフ)が五十人も村の上空を飛んでるわよ! なにこれ、戦争でも始まるの!?」
ルチアナが、窓の外の上空を指差した。
窓の外を見れば、獣人国の重装甲騎兵団、シーラン国の水棲特殊部隊、そして上空を旋回するハイエルフの魔導部隊が、ポポロ村の広場を埋め尽くし、互いにバチバチと火花を散らして睨み合っていた。
「……あいつら、うちの村を何だと思ってんだ」
俺は、桂剥きにした大根の帯を包丁でトントンと細切りにしながら、極めて冷めた目でその光景を眺めた。
要するに、こういうことだ。
『十六歳の規格外の英雄(魔王討伐者)』が『帝国の公爵』という超特大の政治的フリー素材になったことで、大陸中の国家がパニックを起こしたのだ。
帝国は特権と金で俺を縛り付けようとし、他国は「帝国に独占されてたまるか」と、自国の王女をダシにして、軍隊や使節団を強引に送り込んできたのである。
ポポロ村は、ただの辺境の農村から、一夜にして『大陸のパワーバランスを左右する、世界で最も危険な軍事・経済の最前線』へと変貌してしまったのだ。
「り、リアンの旦那……これ、どうすんねん。各国の軍隊が睨み合って、いつ暴発してもおかしくないで! 早く公爵として、一言挨拶に出て場を収めてくれ!」
ニャングルが、泣きそうな顔で俺の袖を引っ張る。
クラウスも「リアン、君の言葉なら彼らも耳を貸すはずだ!」と必死に訴えかけてくる。
だが。
「……断る」
俺は、細切りにした大根を氷水にサッとさらしながら、冷酷に言い放った。
「えっ」
「あんな地雷原のど真ん中に、俺がノコノコ出て行ってみろ。誰の味方をしても角が立つし、下手な挨拶一つで国際問題(戦争)に発展するだろ。あんなもん、リスク高すぎて費用対効果が最悪だ」
「そ、そうは言っても、村が占拠されとるんやで!?」
俺は、包丁を布巾で丁寧に拭き上げると、調理台の下から『ある看板』を取り出した。
「クラウス。玄関の鍵を全部閉めて、ドアの前にこの看板ぶら下げてこい」
クラウスが受け取った木製の看板には、達筆な字でこう書かれていた。
『仕込み中につき、面会謝絶。 外交・軍事・公爵業務に関するお問い合わせは、一切受け付けておりません。 ポポロ・コーポ寮母長』
「……り、リアン、正気か!? 外には各国の要人と軍隊が……」
「知るか。俺の仕事(本分)は、このアパートの馬鹿どもに美味い飯を作ることだ。公爵の業務なんて、最初から『保留』にしてるんだから、対応する義務はねぇ」
俺は、窓のブラインドをシャットダウンし、外部の喧騒を物理的に遮断した。
「ほら、お前らも突っ立ってないで手伝え。今夜は大根のツマをたっぷり添えた、アジのナメロウと刺身定食だ。外でエルフや獣人が何人睨み合ってようが、飯の時間は待ってくれねぇんだからな」
「……あかん。この男、メンタルが鋼(ブラック企業仕込み)や……」
ニャングルが、呆れを通り越して畏敬の念を込めた目で呟く。
村の広場では、各国の使節団が「リアン公爵に謁見させろ!」「我ら獣人国が先だ!」「シーラン国の貢物を受け取れ!」と怒号を飛び交わせている。
だが、そんな国際的な包囲網など、俺の『夕飯の仕込み』の前では、道端の小石と同程度の優先度でしかなかった。
俺は、鼻歌交じりに新鮮なアジを三枚におろしながら、この地獄のような「囲い込み作戦」が、翌日にはさらなる『個人的な狂気(求婚)』へと発展することを、まだ知る由もなかった。
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