EP 2
公爵拝命(保留)と、ブラック貴族の損益分岐点
ルナミス皇宮、大理石が敷き詰められた荘厳な玉座の間。
皇帝マルクスが発した『公爵位の授与』という言葉に、数百人の帝国貴族たちが羨望と称賛の眼差しを向けてくる中、俺ことリアン・クラインは片膝をついたまま、必死に脳内スーパーコンピューターをフル稼働させていた。
(落ち着け。ここで『嫌です、面倒くさいんで帰ります』なんて言えば、即座に不敬罪で首が飛ぶか、ポポロ村に討伐軍が差し向けられる。だが、このままハンコを押して公爵(ブラック企業の役員)に就任すれば、俺の人生は完全に終わる……っ!)
俺の前世は、過酷な労働環境で使い潰された社畜(ブラック飲食店の料理長)である。
その時の経験則と、財務諸表を読み解くロジックが、公爵位に潜む恐るべき『損益分岐点』を瞬時に弾き出していた。
公爵。それは帝国において、皇族に次ぐ権力を持つトップ・オブ・トップの貴族だ。
聞こえはいい。だが、その実態は『皇帝(絶対的ワンマン社長)直属の、24時間365日拘束の最高責任者』に他ならない。
広大な領地を与えられれば、そのインフラ整備、治水工事、魔物討伐、領民の不満対応まで全てを自己責任で管理しなければならない。そのための初期投資と維持費は莫大だ。
さらに、中央(帝都)の派閥争いという名の泥沼の社内政治。毎晩のように開かれる夜会での、中身ゼロの接待交際費。皇帝から「ちょっと隣国まで戦争に行ってこい」と命令されれば、断る権利など一切ない。
(冗談じゃねぇ。手取りの給料(年金)に対して、拘束時間と責任が天文学的に釣り合ってない。完全な名ばかり管理職の極みだ。それに……)
俺は、玉座から満面の笑みで見下ろしてくるマルクス皇帝の目を盗み見た。
このタヌキ親父は、純粋な善意や恩賞で爵位を与えようとしているわけではない。獣人国の姫やエルフの巫女、さらには魔王すらも手懐けている俺を、他国に取られる前に『帝国の貴族』という首輪をつけて飼い殺しにする腹積もりなのだ。
(真っ向から断れば反逆。受け入れれば過労死。なら、狙うべき落とし所は一つ……『契約の無限先送り』だ!)
俺は深く息を吸い込み、頭を床につけんばかりに下げて、前世の営業スマイル(慇懃無礼の極み)を顔に張り付けた。
「……マルクス皇帝陛下。このリアン・クライン、身に余る光栄に、言葉もございません。魔王討伐の功績をご評価いただき、心より感謝申し上げます」
「うむ、うむ! その若さで驕らぬ態度、誠に見事である。さぁ、顔を上げ、公爵の証であるこの剣を受け取るがよい!」
「ですが、陛下!」
俺は悲痛な声を上げ、さらに深く頭を下げた。
「私のような若輩者が、いきなり公爵という重責を担うことには、大きな懸念がございます」
「ほう? 懸念とは?」
マルクスの眉がピクリと動く。周囲の貴族たちも、何事かとざわめき始めた。
「私は本日、十六歳を迎えルナミス学園を卒業したばかりの未熟者。料理の腕や、少しばかりの剣の心得はあれど……『民を導き、国を背負う』ための経験が、圧倒的に不足しております!」
俺は、腹の底から声を絞り出し、さも「国の未来を憂う忠臣」であるかのように熱弁を振るった。
「公爵として広大な領地を拝領し、貴族の義務(夜会への参加や宮廷での業務)を果たそうとすれば、私の未熟さゆえに、かえって陛下の御名に泥を塗ることになりかねません。……それでは、本末転倒でございます!」
「ふむ……」
「ゆえに! 私は、まずは辺境のポポロ村において、民草の暮らしを肌で感じ、経済の動きを学び、真に帝国に貢献できる『器』となるための研鑽を積みたいと考えております。貴族としての真の義務(ブラック労働)を果たすのは、その学びが終わってからにしてはいただけないでしょうか!」
要約すれば、「公爵にはなるけど、領地経営も宮廷業務も面倒くさいから全部後回しにして、俺は今まで通りポポロ村で料理作ってスローライフを満喫します」という、ただの職務放棄宣言である。
だが、言葉のオブラートに何重にも包み込み、大義名分(帝国の未来のため)を振りかざしたこのロジックは、見事に彼らの『勘違い』を誘発した。
「おお……」
「なんという謙虚さだ……!」
「十六歳にして、権力に溺れることなく、自らの不足を悟り民草の暮らしを学ぼうというのか!」
玉座の間にいた貴族たちが、ポロポロと涙を流しながら感嘆の声を上げ始めた。
(よっしゃ、チョロい! 異世界の連中は『謙譲の美徳』に弱すぎるぜ!)
マルクス皇帝もまた、大きく頷きながら玉座の手すりを叩いた。
「見事だ……! 力に驕らず、さらなる高みを目指すその志。まさに帝国貴族の鑑である! リアンよ、其方の深謀遠慮、余は確かに受け取った!」
「ははっ、ありがたき幸せ……!(よし、これで実務は全キャンセルだ!)」
俺は心の中でガッツポーズをキメた。
これで、領地経営のコストも夜会の交際費も全て回避しつつ、名誉だけを手に入れてポポロ村に帰ることができる。完璧な損益分岐点のコントロールだ。
しかし。
俺は、このタヌキ親父の執念を少し甘く見ていた。
「よかろう! 其方が納得するまで、ポポロ村での研鑽を積むことを許可する! 領地の正式な下賜と、宮廷での職務は、其方が『学びを終えた』と宣言するその日まで猶予を与えよう!」
「ありがとうございます、陛下!」
「だが――!」
マルクスは、ニヤリと老獪な笑みを浮かべ、玉座の間全体に響き渡る声で宣言した。
「爵位そのものは、今この瞬間に授与する! 実務は伴わずとも、帝国の最高位たる『公爵』の肩書は、其方の功績に対する絶対の証である! 皆の者、新たな公爵の誕生を祝え!!」
「「「リアン公爵閣下、万歳!!」」」
「「「帝国に栄光あれ!!」」」
割れんばかりの歓声と拍手が、再び玉座の間を包み込んだ。
俺は、引きつった笑みを浮かべながら、皇帝から直々に『公爵の証のメダル』を首にかけられていた。
(……やられた。実務は回避できたが、『帝国の公爵』っていう肩書は確定で押し付けられやがった)
領地を持たず、公務もしない。ただポポロ村で寮母長をしているだけの『名ばかり公爵』の誕生である。
まぁいい。実害(労働)がないなら、肩書なんてただの飾りだ。俺は今まで通り、ポポロ村で大根の桂剥きをしていればいいんだからな。
そう高を括り、足取りも軽く皇宮を後にした俺。
だが、この時の俺は、異世界における『十六歳の独身公爵』という肩書が、どれほどの『劇物』であるかを全く理解していなかった。
他国から見れば、帝国の公爵位を持った俺を自国に取り込めば、帝国への強烈な内政干渉が可能になる。
貴族たちから見れば、実務を持たない自由な公爵は、自分の娘を嫁がせて権力を握るための最高の『優良物件』である。
「……ん? なんだか急に、背筋が寒くなってきたな……?」
帝都からポポロ村へ帰る馬車の中で、俺はブルッと身震いした。
翌日。ポポロ・コーポの郵便受けを物理的に破壊するほどの勢いで届く『トラック三台分の釣書(見合い写真)』と、同居するヒロインたちによる血で血を洗う『地獄の求婚大戦』が幕を開けるとも知らずに。
読んでいただきありがとうございます。
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