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第十七章 16歳の勇者

16歳の卒業証書と、皇帝マルクスの公爵トラップ

アナステシア世界において、十六歳という年齢は大きな意味を持つ。

それは『成人』であり、同時に『結婚適齢期』の始まりであり、一人前の大人として社会の荒波(あるいは理不尽)に放り出される節目の年だ。

春のうららかな陽光が降り注ぐ中、俺ことリアン・クラインは、ルナミス帝国が誇る最高学府・ルナミス学園の卒業証書を片手に、ポポロ・コーポの厨房に立っていた。

無事に十六歳の誕生日を迎え、学業という名のモラトリアムを終えた俺を待っていたのは、当然ながら『感動の涙』などではなく、『腹を空かせたポンコツたちの終わらない大宴会』であった。

「はい、お待たせ。卒業祝い特製・魔牛の極厚ローストビーフだ。赤ワインと醤油草を煮詰めたシャリアピンソースをたっぷりかけてあるから、野菜と一緒に食えよ」

ドンッ!と食堂のテーブルに置かれたのは、表面は香ばしく焼き上げられ、中は美しいロゼ色に仕上がった巨大な肉の塊(の切り分け)である。前世のフレンチの技法である低温調理を魔導コンロで完璧に再現し、肉の旨味を極限まで閉じ込めた一品だ。

「うおおおおぉぉぉっ! お肉! お肉ですわーっ!」

「さっすがリアン君! 学園卒業おめでとう! さぁ、主役が食べないうちに私たちが全部平らげるわよ!」

「ふふっ、リアン様が大人になったということは、つまり私と法的に……いえ、なんでもありませんわ♡」

ボロボロの芋ジャージから一丁前に一張羅(どこかのダンジョンで拾ってきた謎のパーティードレス)に着替えたルチアナ、相変わらず健康サンダルを履いたリーザ、そしてなぜか特注の安全靴をピカピカに磨き上げて目を爛々と輝かせている獣人国のキャルルが、ローストビーフめがけて一斉に群がる。

「お前らなぁ……俺の卒業祝いなんだから、少しは主役を敬え。あとルナ、その『お祝いの純金(3日で石に戻る)』を俺のポケットにねじ込むのをやめろ。後で村の経済が混乱するだろ」

「あらあら、リアン様が立派な大人になられたのが嬉しくて、つい大地の精霊さんが張り切ってしまいましたわ」

食堂の端では、いつの間にかポポロ・コーポの住人のように居座っている魔王ラスティアが、「私も17歳(自称)だから同世代ね!」と訳の分からないことを言いながら、ローストビーフをタッパーに詰め込もうとしているのを、クラウスが真顔で阻止していた。

騒がしくも、平和な日常。

詐欺師の暗躍も片付き、これでしばらくは面倒事から解放されて、料理とアパートの経営(寮母長)に専念できる。

そう、俺は十六歳の春からの『穏やかなスローライフ』を確信し、冷えた麦茶を喉に流し込もうとした。

その時だった。

「――リアン・クライン殿! おられるか!」

バタンッ!と勢いよくポポロ亭の扉が開かれ、息を切らせたルナミス帝国の近衛騎士が飛び込んできた。

その手には、皇帝直々の印が押された、仰々しい黄金の封筒が握られている。

「……あ? なんだよ、今からケーキを切るところなんだけど」

「け、ケーキなどと言っている場合ではない! 皇帝マルクス陛下より、緊急の召喚命令だ! 大至急、ルナミス皇宮の玉座の間へ向かわれよ! 馬車はすでに外に待機させてある!」

「はぁ?」

俺の口から、間の抜けた声が漏れる。

嫌な予感しかしない。前世のブラック企業時代、社長から「ちょっと社長室まで」と休日に呼び出された時と全く同じ、胃の底が冷たくなるような感覚だ。

「おいおい、俺は今日学園を卒業したばっかりの、ただの寮母長だぞ。皇帝陛下が俺に何の用だっていうんだよ」

「質問は許可されていない! 良いから早く乗るのだ!」

近衛騎士に半ば引きずられるようにして、俺はローストビーフの最後の一切れを口に放り込む間もなく、ポポロ村から帝都へとドナドナされていった。

◆

ルナミス皇宮、玉座の間。

そこは、ポポロ・コーポの食堂とは天地ほども違う、大理石と黄金で設えられた荘厳な空間だった。

しかし、俺の足を踏み入れた瞬間の空気は、荘厳というよりは『異様な熱気』に包まれていた。

ずらりと並んだ数百人の帝国貴族たちが、俺の姿を見るなり一斉に「おお……!」「彼が……!」と感嘆の声を漏らし、道を空ける。

その奥、一段高い玉座に腰掛けていた初老の男――ルナミス帝国皇帝マルクスが、俺を見るなり満面の笑みで立ち上がった。

「よくぞ参った、リアン・クラインよ! いや、もはや我が帝国の誇り、大陸を救いし最大の英雄と呼ぶべきか!」

「……は?」

マルクス皇帝の朗々たる声が、玉座の間に響き渡る。

「先日、アバロン魔皇国において、貴殿があの最恐の魔王ラスティアを『完全討伐』したという報告は、我が耳にも届いておる! 魔王を力で屈服させ、その全財産を没収し、涙を流して命乞いをさせたというではないか!」

(……いや、魔王にテキサスクローバーホールドを極めたのはルチアナだし、財産を吸い取ったのはリーザの掃除機なんですけど。俺、横で突っ立ってただけなんですけど)

喉まで出かかったツッコミを、俺は必死に飲み込んだ。

キュララの生配信を通じて「魔王がボコボコにされた」という事実だけが一人歩きし、なぜか現場にいた俺(ポポロ村の責任者)の功績として帝国に伝わってしまっているらしい。

「次元を切り裂く魔王剣すら抜かせず、圧倒的な力で悪を討ち果たしたその武勇! そして、十六歳という若さ! まさに帝国の宝である!」

マルクス皇帝は、興奮気味に両手を広げた。

「よって、余は決断した! リアン・クラインよ、其方の多大なる功績に報いるため、これより最高爵位である『公爵』の地位を授与する!」

「…………えっ」

玉座の間が、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

貴族たちが「万歳!」「リアン公爵万歳!」と熱狂している。

だが、俺の脳内は、歓喜どころか極低温の吹雪に包まれていた。

俺の頭の中にインストールされている『前世の財務・経営データベース』が、凄まじい速度でアラートを鳴らし始めたのだ。

(公爵……? バカ言ってんじゃねぇぞ。貴族のトップ・オブ・トップじゃねぇか)

俺は、笑顔で拍手する貴族たちを眺めながら、瞬時に『公爵』という役職の損益分岐点(コスト)を弾き出した。

まず、広大な領地の管理。インフラ整備、治安維持、治水工事……これらにかかる莫大な初期投資とランニングコスト。

次に、貴族としての義務。毎晩のように開催されるくだらない夜会への参加、派閥争いの根回し、他国の要人への接待交際費。

そして何より、皇帝直属の軍事・内政における『24時間365日の無限責任(ブラック労働)』。

(……ふざけんな。領地経営なんて、ポポロ・コーポの家賃回収だけでもクソ面倒なのに、それが国規模になるってことだろ? しかも、貴族の付き合いなんて、前世のマルチ商法の接待よりタチが悪い。プライベートゼロ、責任は無限大。手取りとQOL(生活の質)で言えば、絶対にポポロ村の寮母長の方がマシだ!)

これは恩賞ではない。

皇帝マルクスは、他国(獣人国やエルフ)に太いパイプを持つ俺というイレギュラーな戦力を、帝国のシステムの中に完全に縛り付けて飼い殺すための『首輪』として、公爵位を押し付けてきたのだ。

「さぁ、リアン公爵よ! 前へ出よ! 其方に、帝国北部の広大な領地を――」

「お、お待ちください、陛下!!」

俺は、たまらずその場に片膝をつき、完璧な謙譲の美徳を装いながら、皇帝の言葉を遮った。

額からは、ローストビーフのコンロの前よりも大量の冷や汗が吹き出している。

このまま「はい、ありがとうございます」とハンコを押せば、俺の平穏なスローライフは完全に終了し、過労死確定のブラック貴族ライフが始まってしまう。

俺の経営ロジックを総動員して、なんとしてもこの『公爵トラップ』を回避(あるいは無限に先送り)しなければならない。

俺と帝国(ブラック企業)との、目に見えない熾烈な労働交渉が、いま幕を開けようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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