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EP 36

 八百長プロレスと、暴かれた癒着の裏帳簿

パチンッ。

アバロン魔王城のバルコニーから、気だるげな指鳴らしの音が一つ響いた。

たったそれだけの動作。しかし、それは絶望を現出させるための完全なトリガーだった。

ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!

「「「ぐっべぇぇぇぇぇぇっ!?」」」

突如として、魔王城前の荒野の重力が通常の数十倍に跳ね上がった。

一億円の夢を見て猛ダッシュしていた三千人のブレイブ会員たちは、まるで見えない巨大なハエ叩きで上から叩き潰されたかのように、一斉に顔面から地面にめり込んだ。

『グラビティ・フォール(広域制圧用・手加減版)』。

対象を殺さないギリギリのラインで、骨と心を完全にへし折る魔王ラスティアの絶妙なコントロールである。

「あべっ……!? 身体が、重い……っ!」

「わ、私の『伝説の聖剣』がぁぁっ!?」

地面に這いつくばったルチアナが悲鳴を上げる。

彼女が握りしめていた銀色に輝く聖剣は、数十倍の重力に耐えきれず、メキメキと音を立てて『ただの厚紙』へと還元され、無惨にぺしゃんこに潰れていた。

鮫島が偽装したステータス鑑定書の文字も、重力による魔力干渉でバグり、『攻撃力+99999』が『紙くず』へと書き換わっている。

「ち、チーズイン……ハンバーグ……あと少し、あと少しで手が届いたのにぃぃっ……」

リーザも地面の泥を舐めながら、必死に城門へ向かって手を伸ばしていた。

三千人の大群は、誰一人として魔王城の扉に触れることすらできず、ものの数秒で完全な『沈黙(全滅)』を迎えたのである。

「あー、終わった終わった。やっぱり素人の集団なんてこんなもんよね。……さてと、部屋に戻って月人君のライブDVDの続きでも見よーっと」

バルコニーのラスティアは、欠伸を一つ噛み殺すと、ポテトチップスの袋を抱えてさっさと城の奥へと引っ込んでしまった。

まさに秒殺。圧倒的な魔王の暴力。

……に見えるが、これは最初から仕組まれた『台本通りの茶番(プロレス)』である。

「……ッ! おおっとぉぉっ! 皆さん見ましたか今の!? 魔王ラスティアの恐るべき重力魔法! 参加費十万円の養分軍団、見事に全員地面とキスをしておりまーす!」

はるか上空の安全圏でホバリングしながら、キュララがドローンカメラに向かって実況を続ける。

コメント欄は『知ってた』『草』『厚紙の剣が段ボールに戻ったwww』『ワンパンすら届かなくて大草原』と、驚異的な速度で滝のように流れていた。

その凄惨な(そして滑稽な)全滅の光景の端っこで、ただ一人、全く無傷でピクニックを続けている少女がいた。

「あらあら。皆様、急に地面に伏せてどうされたのかしら? ……あ、もしかして流行りのピラティスですの?」

ルナ・シンフォニアである。

彼女の周囲には世界樹の加護による絶対的な自然結界が張られており、ラスティアの手加減した重力魔法程度では、彼女が広げたレジャーシートの上のティーカップの紅茶すら揺らすことはできなかった。

「お疲れのようですから、フルーツサンドでもいかがですか?」と、地面にめり込む冒険者たちに天然の微笑みを向けている。

その絶望のどん底(ルナの周辺を除く)に、拡声器を通した男の声が響き渡った。

『ああっ! 惜しい! なんて惜しいんだ!!』

最後尾の安全地帯に設けられた特設ステージ。

そこから、純白のスーツに身を包んだADPの代表、円城寺明が涙声で叫んでいた。

『皆さん! 今の魔王の攻撃、見ましたか!? 奴は皆さんの圧倒的な「シナジー」と「コミットメント」に恐怖し、たまらず最強の魔法を使って逃げたのです!』

円城寺の言葉に、地面に這いつくばった会員たちがピクッと反応する。

『皆さんの剣は確かに魔王の心に届いていました! あと一歩……そう、あとほんの「1%の覚悟」が足りなかっただけなのです! 失敗ではありません、これは成功のための壮大なテストだったのです!』

再び、円城寺の全身から【熱狂空間(セミナー・マインド)】の魔力が放たれ、荒野を包み込んだ。

絶望と敗北感に打ちひしがれていたブレイブ会員たちの脳内に、麻薬のような甘い錯覚が染み込んでいく。

「そ、そうか……俺たちは、負けたわけじゃない……!」

「魔王は俺たちの数にビビッて逃げたんだ……!」

『ええ、その通りです!』

円城寺は、マイクを握りしめ、顔を紅潮させて叫んだ。

『そこで、我々ADPは急遽【第2期・プレミアム討伐隊】を編成することを決定しました! 次の参加費は、皆さんの努力を讃えて特別価格の「金貨五枚(5万円)」! 次こそ、次こそ確実に一億円を掴めるチャンスです! さぁ、今すぐ立ち上がり、追加エントリーの列に並ぶのです!!』

完全にイカれた理論である。

しかし、セミナーの熱狂と、一度払ってしまった十万円を取り返したいという『サンクコスト効果』に脳を焼かれた会員たちにとっては、それが蜘蛛の糸に見えてしまった。

「は、払いますわ! 金貨五枚くらい、まだ私の……エンジェルすまーとふぉんで、リボ払いすれば……!」

ルチアナが、泥だらけの手でスマホを操作しようとする。

「私も、ポポロ村で拾ったどんぐりを売ればきっと……! 次こそトリプル・チーズイン・ハンバーグを……っ!」

リーザも這いずりながら円城寺のテントへと向かおうとする。

「はい! クレジットカード決済、魔法ローン、なんでも受け付けておりますよ! さぁ、夢へのパスポートを――」

円城寺が、ニチャァッ、と最高に下劣な笑みを浮かべて申込書を掲げた、まさにその時だった。

『――ふざけた御託を並べてんじゃねぇぞ、三流の詐欺師(ペテン)野郎』

ゴォォォォォォォォォッ!!

突如、空から一条の白銀の流星が飛来した。

いや、流星ではない。それは、強烈な魔力推進によって空を滑空してきた、巨大な『大盾』だった。

「なんだ!?」

円城寺が空を見上げる。

ズドォォォォォォンッ!!

円城寺の立つ特設ステージのど真ん中に、クラウスの白銀の大盾【アイギス・タワー】が隕石のように突き刺さった。ステージの床板が粉々に砕け散り、円城寺が悲鳴を上げて尻餅をつく。

その大盾の上に、サーフボードのように乗っていた黒髪の少年が、ゆっくりと飛び降りた。

「……リ、リアン様!?」

「リアン君!? なんでここに!」

ルチアナとリーザが驚きの声を上げる。

いつもの防刃ジャージ姿に身を包んだポポロ村の寮母長、リアン・クライン。そしてその後ろから、重力魔法を物ともせずにクラウスが静かに着地した。

「チッ、またお前か……ポポロ村の食堂のガキが、何の用だ!」

円城寺が立ち上がり、忌々しそうにスーツの埃を払う。

リアンがポポロ村で自分の詐欺ビジネスを論破してきたことは記憶に新しい。円城寺は、この厄介な少年を黙らせるため、即座に自身の最強スキル【熱狂空間】の出力を最大まで引き上げた。

「私の神聖なステージを邪魔する気ですか! 皆さん、この夢を持てない貧しい少年を――」

「うるせぇよ」

リアンは、円城寺の放つ金色の洗脳オーラ(熱狂空間)を、まるで見えない壁があるかのように完全に無視して歩み寄った。

「なっ……!? なぜ私の『セミナー・マインド』が効かない!?」

円城寺が驚愕に目を見開く。

当然だ。円城寺のスキルは「感情」や「射幸心」を煽ることで論理的思考を麻痺させるもの。しかし、リアンの脳内を支配しているのは、前世から染み付いた冷徹な『原価計算』と『財務諸表のロジック』である。

「夢」や「シナジー」といったフワフワした横文字など、1円の価値も持たない数字の羅列の前では、一切の効力を発揮しない。

「お前らが裏でこそこそやってる三文芝居(八百長プロレス)、もう見飽きたんだよ」

リアンは、懐から『分厚い紙の束』を取り出した。

それは、昨夜ニャングルから受け取った、ゴルドスマイル銀行の極秘情報ネットワークを駆使して取り寄せた『裏帳簿(口座データ)』のコピーであった。

「……なんだ、それは」

円城寺の顔から、血の気がスッと引いた。

「いいか、目を覚ませドアホ共!」

リアンは、魔導メガホンを円城寺からひったくり、地面に這いつくばる三千人のカモたち……そして、上空で撮影を続けるキュララのドローンに向かって、その書類をバサッと広げた。

「今から、この『ADP(アバロン・ドリーム・プロジェクト)』の真実(カネの流れ)を教えてやる!」

『……ッ!?』

配信ドローンのカメラが一斉にズームアップし、リアンの手元の書類を鮮明に映し出す。

「まず、お前らが払った参加費、金貨三万枚(約三億円)の行方だ! 剣や教本の原価が0.1%以下なのはすでに論破した通りだが……残りの金、全部がこの白スーツの野郎の懐に入ってるわけじゃねぇ」

リアンは、帳簿の特定の行を指差した。

「見ろ。円城寺のダミー会社から、アバロン魔皇国の中央銀行にある『ある個人口座』に向かって、参加費のキッチリ【30%(金貨九千枚)】が、毎月定期的に自動送金されている」

「なっ……や、やめろぉぉぉっ!!」

円城寺が顔面蒼白になり、リアンに飛びかかろうとするが、クラウスの大盾の裏拳であっさりと弾き飛ばされた。

「その送金先の口座名義は……『永遠の17歳_R(ラスティア)』。そして送金の備考欄には、ご丁寧にもこう書かれている」

リアンは、冷酷な笑みを浮かべ、メガホン越しにその文章を読み上げた。

「――『アイドル・朝倉月人、冬の五大ドームツアーVIP席チケット購入費および、グッズ無限回収用資金として。今月のカモ(肉壁)の処理もよろしく』……だそうだ」

「「「…………え?」」」

荒野を、完全な静寂が包み込んだ。

地面にめり込んでいたブレイブ会員たちの動きが止まる。

上空のキュララも、口をポカーンと開けて固まっている。

配信のコメント欄のスクロールが、一瞬だけピタリと停止した。

「つまりだ」

リアンは、ダメ押しとばかりに、真実(ロジック)の刃を突き立てた。

「お前らが『魔王を倒す』と息巻いて払った十万円は、魔王本人の『オタ活(推し活)の資金』として直接プレゼントされてたってことだ。そして魔王は、もらったカネの対価(仕事)として、お前らを殺さない程度に重力魔法で吹き飛ばして、絶望感を演出して家に帰してあげていた。……完全なる『八百長プロレス興行』。これが、お前らが夢を見た一億円プロジェクトの正体だよ」

パラパラパラッ……。

リアンが空に投げ放った裏帳簿のコピーが、雪のように荒野に舞い散る。

それを手に取った冒険者たちが、文字の読める者から順に、絶望と、そして――爆発的な『怒り』へと顔を歪ませていった。

『…………草ァァァァァァァァッ!!』

『魔王何やってんのwwwwwww』

『カモから巻き上げた金で推し活www最低すぎるwww』

『これは歴史に残る大炎上wwwww』

『プロレス興行確定!! ADP終了のお知らせ!!』

キュララの配信画面が、かつてない勢いで文字の洪水に飲み込まれた。

同時接続者数は、すでに百万の大台を突破している。

「あ、あ、あああ……」

円城寺は、崩れ落ちたステージの上で、自分の築き上げた詐欺帝国が一瞬にして灰に帰す音を聞いていた。

そして。

真実を知った三千人のカモたちの中で、誰よりも早く、誰よりも激しい怒りのオーラを立ち昇らせた女が二人いた。

「ラ……ス……ティ……ア……」

「私の……もやし生活の……元凶……」

ドス黒い瘴気のようなオーラを纏い、厚紙の剣(ゴミ)を握りつぶして立ち上がったルチアナとリーザ。

その目は、もはや神でも人魚でもなく、地獄から這い上がってきた復讐鬼のそれであった。

「よくも……よくも私たちを騙したわねぇぇぇっ!!」

ターゲットは白スーツの詐欺師ではない。

城の奥でポテトチップスをかじっているであろう、全ての元凶――魔王ラスティアへと完全にロックオンされた。

いよいよ、血で血を洗う(物理プロレスの)逆襲劇が、幕を開けようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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