EP 19
大義の完全喪失と、数万の農作業(まかない付き)
ポポロ・コーポの食堂で、魔皇国のルーベンス、天界の天使長ヴァルキュリア、そして世界を滅ぼすはずだったネフィリムのキッドが肩を並べて餃子を包むという、歴史的かつシュールな協定(作業)が完了した。
「よし、これでちょうど一千個だ」
リアンが、ズラリと並んだ美しく包まれた餃子の山を見て頷く。
三ツ星仕込みの指導の下、ルーベンスの包む餃子は魔族らしい堅牢な多層ヒダを形成し、ヴァルキュリアのそれは天使の羽を思わせる美しいフォルムに仕上がっていた。
「見事な出来栄えですね、ルーベンス殿。さすがは魔皇国のエリート、指先が器用だ」
「ふっ、ヴァルキュリア殿こそ。不器用だと聞いていたが、なかなかどうして美しい仕上がりではないか」
「えへへ、寮母長様の教え方がお上手ですから……」
もはや敵対心など欠片もない。共に一つの大きなプロジェクト(餃子作り)を成し遂げた戦友のような爽やかな空気が、二人の間に流れていた。
「お前ら、すっかり馴染んでるところ悪いんだがな」
リアンがエプロンで手を拭きながら、窓の外を親指で指し示した。
「外で待たせてるお前らの『連れ(数万の軍隊)』、どうにかしてこいよ。うちの庭でこれだけ大量の餃子を焼くんだ、匂いがテロレベルで国境まで届いちまう。腹を空かせた軍隊が暴動を起こす前に、さっさと撤退命令を出してこい」
「「……ハッ!!」」
すっかり生活感に染まっていた二人は、リアンの言葉で我に返った。
そうだ、自分たちは数万の合同討伐軍を率いる最高指揮官なのだ。
「し、失礼するリアン殿! 直ちに軍を解散させ、国境から撤退させてくる!」
「ご、餃子が焼き上がるまでには必ず戻りますからね! ハニーかぼちゃのタルト、私の分は大きめでお願いします!」
ルーベンスとヴァルキュリアは、慌ててポポロ・コーポを飛び出し、隠密魔法で軍を待たせている国境線へと急行した。
◆
ポポロ村の国境線は、凄惨な地獄絵図と化していた。
「ひぃぃぃっ! お、お助けをぉぉっ!!」
「だから! なぜ土日祝日が休めないのだと聞いている! そんなブラックな職場で、私と産まれてくる子供を養っていけると思っているのかぁぁっ!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!
「ぐあぁぁぁぁっ!?」
戻ってきたルーベンスたちが見たのは、分銅鎖【メビウス】でぐるぐる巻きにされたエリート魔族将校や高位聖騎士たちが、婚活こじらせケンタウロス・マンミアの『チャージタックル』によって、次々と天高く打ち上げられている光景だった。
「……ま、まだやっていたのか、あの女」
ルーベンスが胃を押さえて呻く。
「年収一千万以上! 持ち家あり! 浮気しない! 私を背中に乗せて重いと言わない! 妥協してもこれだけは譲れんと言っているだろうがぁぁっ!!」
「む、無茶苦茶だ……っ! そんな優良物件、天界にも魔皇国にも存在しませぬぅぅっ!」
討伐軍の士気は、すでに底を打って地下深くまで陥没していた。
圧倒的な暴力と、痛々しいまでの婚活の執念。さらに、天使兵たちは今朝の青汁とレンガパンのせいで立っているのもやっとの状態である。
「総員、構え!……じゃなかった、総員、武器を収めよ!!」
ルーベンスが拡声魔法を使い、戦場に響き渡る声で怒鳴った。
「ルーベンス様! ヴァルキュリア様! ご無事で!」
「ネフィリムは! イレギュラーの首は取れたのですか!?」
ボロボロになった副官たちが、泣きそうになりながらすがりついてくる。
ルーベンスとヴァルキュリアは、気まずそうに顔を見合わせた。
「……皆の者、よく聞け。作戦は中止だ。ポポロ村に対する一切の武力行使を禁ずる。直ちに国境線を後退し、撤収の準備にかかれ」
「ちゅ、中止!? なぜですか! 世界を滅ぼす『聖魔竜王剣』を放置すれば、世界は――」
「無いのだ」
ルーベンスが、すべての感情を殺した虚無の表情で言い放った。
「聖魔竜王剣は、ポポロ村には無い。ネフィリムの少年は丸腰だ。……あの剣は、女神ルチアナ様の『推し活遠征費用』として、質屋に売却された」
「「「…………え?」」」
数万の兵士たちの動きが、ピタリと停止した。
風が吹き抜ける音だけが、虚しく響く。
「わ、我々が恐れていた神魔兵装は……女神様の、オタ活の資金に……?」
「福岡ドームのVIP席と、ホテル代になったそうです。……ですから、我々が大義として掲げるものは、もう何一つ残っていないのです」
ヴァルキュリアが、涙を堪えきれずにポロポロと泣きながら補足した。
その言葉が決定打となった。魔族も、天使族も、手から次々と武器を取り落としていく。
チャリン、ガシャン、と金属音が虚しく響く。
「俺たちは……一体何のために……」
「今朝もクソ不味い青汁を飲んで、ケンタウロス女に年収を詰問されながら殴られて……すべては推し活のためだったのか……」
兵士たちの心が、完全にポキリと折れた。
もはや誰も、武器を取って戦おうとする者はいなかった。
その時である。
――ジィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!
ポポロ村の奥地から、風に乗って『ある匂い』が漂ってきた。
極上の豚肉が焼ける脂の匂い。醤油草の焦げる香ばしい香り。そして、食欲を暴力的に刺激する強烈な『ガーリック(ガーリッ君)』の風味。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「腹が……腹が減る……っ! 胃袋が、キュゥゥッって……!」
限界まで疲弊し、腹を空かせていた合同軍の兵士たちの鼻腔を、リアンが焼き始めた『一千個の特製餃子』の匂いが情赦なく直撃したのだ。
「ああっ、ダメだ! 青汁しか飲んでない胃袋に、この匂いは劇毒だ!」
「肉だ……肉が焼ける匂いがする……っ!」
暴動寸前。
いや、ある意味では世界崩壊の危機よりも恐ろしい『集団飢餓パニック』が起きかけたその時、国境線の最前線に、エプロン姿のリアン・クラインが歩み出てきた。
その隣には、彼のアシスタントとして泥だらけのジャージを着たキッドが付き従っている。
「おい、お前ら」
リアンが、数万の軍勢を見渡して、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。
「腹、減ってんだろ?」
コクコクコクコクッ!!
数万の兵士たちが、首が折れんばかりの勢いで縦に頷いた。
「俺たちの村に勝手に押し入って、柵は壊すわ畑は荒らすわ、随分と好き勝手やってくれたよな。……だが、俺は寛大だ。今うちの庭の巨大鉄板で、極上の『特製ニンニク豚餃子』が焼き上がりかけてる」
「ぎょ、ぎょうざ……!」
天使兵たちの口から、滝のようにヨダレがこぼれる。
「タダで食わせてやるほど甘くはねぇが……。武器を置いて、クワを持て。お前らが荒らした村の柵を修理し、畑の『ガーリッ君』の収穫を手伝うなら、労働の対価として『まかない(餃子一人五個)』を恵んでやる。どうだ?」
悪魔の契約。
いや、リアン・クラインという名の絶対的な『寮母長』による、数万規模のタダ働きの斡旋であった。
「「「やりますぅぅぅっ!!!」」」
魔族の精鋭も、天界の聖騎士も、プライドなど完全に投げ捨てて一斉に叫んだ。
かくして、前代未聞の光景がポポロ村で展開されることになった。
数万の合同軍が、剣や槍をクワやトンカチに持ち替え、村の復旧作業と農作業に駆り出されたのだ。
「よぉし! そこの魔族の兄ちゃん、魔力を使って柵の支柱を真っ直ぐ立てろ! 天使の兄ちゃんたちは、上空からガーリッ君の畑に均等に水を撒け!」
ジャージ姿のネフィリム・キッドが、現場監督さながらに指示を飛ばす。
「はいっ! キッド監督!」
「ガーリッ君の口臭がキツいですが、餃子のためなら耐えられますっ!」
かつて自分を迫害し、殺そうとした者たちが、今は自分の指示に従って泥だらけになって農作業をしている。
キッドはその光景を見て、ふふっ、と可笑しそうに笑った。
「あんなに怖かったのに……みんな、ただお腹を空かせてただけなんだね」
憎しみや大義など、美味い飯の前では何の役にも立たない。
それを教えてくれたリアンの後姿を、キッドは尊敬の眼差しで見つめていた。
◆
夕暮れ時。
労働を終えた数万の兵士たちは、リアンから配給された『アツアツの特製餃子』を頬張り、国境線で涙を流しながら歓喜の声を上げていた。
「う、うめぇぇぇっ! なんだこの肉汁は!」
「青汁じゃない……! 生きててよかった……!」
兵士たちが満足げに帰路に就く中、ポポロ・コーポの庭では、ホープ・クローバーの面々と、すっかり馴染んでしまったルーベンス、ヴァルキュリアたちによる大宴会が幕を開けようとしていた。
「さて、と。国境の掃除も終わったし、ここからは本番だ」
リアンが、エプロンを脱ぎ捨てて親指で自分の背後――村の中心を指差した。
「餃子の前菜は終わった。この後はルナキン(24時間ファミレス)の貸し切りフロアで、盛大な合同打ち上げだ。ドリンクバーとポテトは頼み放題にしておいたからな」
「「「うおおおおぉぉぉっ!!!」」」
ルーベンスがイモッカの瓶を掲げ、ヴァルキュリアが「特大苺パフェ!」と叫びながらガッツポーズを取る。リーザは「ドリンクバーの元を取りますわよ!」と鼻息を荒くしている。
こうして、世界を滅ぼすはずだった最大の危機は、リアン・クラインの『胃袋掌握術(悪知恵)』と『圧倒的な日常』の前に完全敗北を喫し、ファミレスでの大宴会へと姿を変えていったのである。
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