EP 14
恐怖のネフィリム(農作業中)と、精神破壊の結界
婚活に血道を上げる25歳ケンタウロスの狂乱によって、数万の合同討伐軍が足止めを食らっている最中。
魔皇国のルーベンスと天界のヴァルキュリアは、少数の精鋭護衛だけを引き連れ、ポポロ村の農業区画へと隠密魔法で潜入することに成功していた。
「……背後から、我が国の重装歩兵が天高く吹き飛ばされる悲鳴が聞こえますが。本当に軍本体を置いてきて良かったのでしょうか」
「振り返るな、ヴァルキュリア殿。あれはもはや天災だ。我々の真の目的は、あくまで世界を滅ぼすネフィリムの討伐。あの少年の首さえ取れば、大義は果たされるのだから」
ルーベンスは、胃薬をボリボリと噛み砕きながら前へ進む。
目指すは、村の中心部にあるという不法建築アパート『ポポロ・コーポ』。
だが、農業区画の広大な畑を横切ろうとしたその時、最前衛の斥候が鋭く右手を挙げ、部隊の動きを完全に制止させた。
「ルーベンス様! 前方五十メートルの畑に……目標です!」
「なにっ!?」
ルーベンスとヴァルキュリアは、息を殺して木箱の陰から前方を覗き込んだ。
そこには、紛れもなく『世界を滅ぼす禁忌の存在』がいた。
右背に漆黒の悪魔の翼、左背に純白の天使の翼を生やした、オッドアイの少年。キッド・ジーニアスだ。
神界と魔界の上層部が恐れ、わざわざ天魔窟の最下層に封印した、勇者と魔王の力を併せ持つ究極のイレギュラー。
「……ついに見つけました。あの日、処刑を免れた禁忌の末裔……」
ヴァルキュリアが、ゴクリと唾を飲み込み、聖槍グラニの柄をきつく握りしめる。
ルーベンスもまた、影魔法をいつでも発動できるよう、足元の影に魔力を練り込んだ。
いかに彼らが歴戦の猛者といえど、相手は『聖魔竜王剣』を振るうバケモノである。一瞬の油断が部隊の全滅を招く。
彼らは極限の緊張状態の中、少年の動きを観察した。
――だが。
「……おい。奴は、何をしているのだ?」
「え……? あれは……」
ルーベンスとヴァルキュリアは、双眼鏡越しに少年の姿を見て、信じられないものを見るように目を瞬かせた。
キッド・ジーニアスは、タローマン製の安い芋ジャージ(上下セット銀貨二枚)を身に纏い、手には伝説の神魔兵装……ではなく、使い古された『農作業用のクワ』を握りしめていた。
しかも、その顔はボロボロと大粒の涙を流し、何かに激しく怯え、苦悶の表情を浮かべているではないか。
「よぉ大将! 今日も景気どうよ!? 朝っぱらから精が出るねぇ!」
「う、うぅぅ……っ」
どこからともなく、野太い中年男性のようなダミ声が聞こえてくる。
キッドが震える手で土を掘り返すと、そこから姿を現したのは――人間の頭ほどもある、巨大で奇妙な顔のついた『ニンニク』だった。
ポポロ村特産の魔性植物、『ガーリッ君』である。
「なぁ聞いてる!? 俺を刻んで豚神屋のラーメンに入れたら最高だぜ? なぁ大将、無視すんなって! おい、おいってば!」
「お願いだから、喋りかけないで……! 息を、息を吐かないでぇぇっ……!」
ガーリッ君がダミ声で捲し立てるたびに、致死量の口臭(凄まじいニンニク臭と腐敗臭のハイブリッド)がゼロ距離でキッドの顔面を直撃していた。
「あーっ! 今俺のこと臭いって思ったろ! 傷つくわー! 俺のこのコクが分かんねぇとは、大将まだまだお子ちゃまだねぇ!」
「うわあああん! リアンの悪魔! なんでこんな仕事、僕に押し付けるんだよぉぉっ!」
キッドは、光の神聖魔法でガーリッ君の目を眩ませ、闇の空間魔法で自分自身の鼻の周りに『悪臭遮断用のミニブラックホール』を展開するという、神々が見たら卒倒するような高度な神魔複合魔法を無駄遣いしながら、必死に畑仕事を行っていた。
これを昼までに終わらせなければ、リアン特製の『豚の角煮定食』が食べられないのだ。
封印の牢獄での孤独よりも、空腹のままリアンの料理の匂いだけを嗅がされることの方が、今の彼にとっては遥かに恐ろしい絶望だった。
「ひぐっ、うぅっ……! 早く、早く終わらせないと、角煮が……っ」
「おっ? 泣いてんのか大将! 青春だねぇ! 涙の数だけ強くなれるよ! 知らんけど!」
「黙ってよこの害悪植物ゥゥゥッ!!」
キッドは涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、ヤケクソ気味にクワを振り下ろし、ガーリッ君を次々と収穫(という名の物理的粉砕)していく。
一方、その惨状を五十メートル離れた風下から観察していた討伐軍の精鋭たちは――完全に、致命的な『勘違い(アンジャッシュ)』を引き起こしていた。
「な、なんという……なんという恐ろしい……!!」
風に乗って漂ってきたガーリッ君の殺人的な異臭を嗅いだ瞬間、ヴァルキュリアの両目からボロボロと涙が溢れ出した。
「ヴァルキュリア殿!? どうした、大丈夫か!」
「ル、ルーベンス殿……お気をつけ、ください……! ケホッ、奴の周囲に、恐るべき『精神破壊の結界』が張られています……!」
「なんだと!?」
ヴァルキュリアの言葉に、ルーベンスもハッと鼻を覆った。
確かに、空気が異常だ。目が焼けつくように痛み、吸い込んだだけで胃液が逆流しそうになる猛烈な瘴気(ニンニク臭)が周囲を支配している。
「バカな……これほど強烈な瘴気を、息をするように垂れ流しているというのか……!」
ルーベンスが双眼鏡で再びキッドを見ると、少年は涙を流しながらクワを振り回していた。
「見ろ、ルーベンス殿……! 奴自身も、血の涙を流しながら苦悶の表情を浮かべています! 自らの内から溢れ出る『あまりにも強大すぎる神魔の力』に、肉体が耐えきれずに悲鳴を上げているのです!」
「なんという出力だ……! それに、あの大地から引き抜いている異形の植物はなんだ!?」
ルーベンスが指差した先には、ギャーギャーと騒ぐガーリッ君の姿があった。
「あれは……おそらく、ネフィリムの絶望から生まれた『高位の悪魔使い魔』でしょう!」
部下の一人が、震える声で報告する。
「使い魔だと!? 植物にしか見えんが、確かに知性を持って喋っている……! しかも、あんな禍々しい波動(口臭)を放つ使い魔を、畑一面に大量召喚しているというのか!」
「お、恐ろしい……! これが、世界を滅ぼすイレギュラーの力……!」
完全に誤解である。
キッドはただ、今日のご飯のためにリアンから押し付けられた『特産品の収穫ノルマ』をこなしているだけの、可哀想な下働き(農業ボーイ)でしかなかった。
だが、極度の緊張状態にある討伐軍の目には、キッドの姿が『自らの放つ致死の瘴気(結界)の中で、無数の高位悪魔(ガーリッ君)を使役し、悲痛な涙を流しながら世界を滅ぼす準備を進める絶望の魔王』にしか見えていなかったのだ。
「……ルーベンス殿。いかがしますか。ここで一気に奇襲をかけますか?」
ヴァルキュリアが、涙目で聖槍を構えながら尋ねる。
「……いや、待て」
ルーベンスは、冷や汗を拭いながら首を横に振った。
「あの瘴気(ガーリッ君の口臭)の濃度は異常だ。うかつに接近戦を挑めば、我が軍の精鋭たちとて数秒で精神を破壊され、戦闘不能に陥るだろう。……あれを野戦で相手にするのは、自殺行為だ」
「で、ではどうすると!?」
「奴の首輪を握っているのは、あのポポロ・コーポの寮母長、リアン・クラインだ。キッドが単独で行動しているということは、まだ完全には暴走していない証拠」
ルーベンスは、痛む胃をさすりながら決断を下した。
「直接、ポポロ・コーポの拠点へ向かう。ネフィリム本人とやり合う前に、リアン・クラインと交渉し、奴の身柄を平和裏に引き渡させるのだ。……我々はこれ以上の無用な犠牲(マンミア被害含む)を避ける必要がある」
「……承知いたしました。それが最善の『正道』ですね」
ヴァルキュリアも深く頷き、彼らはキッド(とガーリッ君)のいる畑から、逃げるようにそそくさとその場を後にした。
「うぅぅ……リアン……リアンのバカぁぁ……! 角煮……角煮のバカぁぁ……!」
畑の真ん中で、使い魔(ガーリッ君)の猛攻に耐えながら、世界を滅ぼすネフィリムの少年は、ただひたすらに今日の昼飯のことだけを思い浮かべて泣きじゃくっていた。
ポポロ村の恐るべき特産品が、知らず知らずのうちに三大勢力の討伐軍を撃退(?)した瞬間であった。
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