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EP 12

 天界の緊縮財政と、中間管理職の憂鬱(ならびにゴミの分別)

神聖なる白亜の宮殿が立ち並ぶ、天使族の国・天界セレスティア。

本来であれば、神聖な賛美歌が響き、清らかな光に満ちているはずのこの国は今、極めてどんよりとした空気に包まれていた。

「……信じられません。今月の軍事予算、またしても国庫からゴッソリと引き出されているではありませんか。それも、謎の『ソシャゲ課金』と『アクリルスタンド大量発注』という名目で……!」

天使長ヴァルキュリアは、執務室のデスクに積まれた決算報告書を握りしめ、ワナワナと肩を震わせていた。

永遠の17歳(と主張している)彼女の美しい顔は、慢性的な疲労と胃痛によってすっかりやつれている。

原因は明白だ。このセレスティアを管理する世界神、女神ルチアナである。

あろうことか、あの駄女神は地球のアイドル『朝倉月人』の推し活とスマホゲームのガチャのために、天界の国家予算を湯水のように横領しているのだ。先日はエンジェルすまーとふぉんで限度額いっぱいまでリボ払いした挙句、黒服の天使レスラーにドナドナされそうになっていた。

「ルチアナ様……次に顔を見せたら、絶対に聖槍グラニで五時間壁ドン説教して差し上げますからね……っ!」

ギリギリと奥歯を噛み締めるヴァルキュリアの元へ、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。

「入れ」

「はっ。ヴァルキュリア様、失礼いたします」

入室してきたのは、天使軍の副官だった。その顔には、隠しきれない疲労と不満が滲んでいる。

「副官、例の件はどうなりましたか?」

「はい。アバロン魔皇国のルーベンス殿より、正式に『合同討伐軍』の編成要請が届きました。目標はポポロ村に滞在中のネフィリム、キッド・ジーニアス。天界の保守派元老院も、この要請に即座に同意。直ちに出兵せよとの厳命です」

ヴァルキュリアは、こめかみを強く揉んだ。

(魔族と天使族が手を組むなど、本来であればあり得ないこと……。しかし、聖魔竜王剣を操るネフィリムの存在は、両陣営の保守派にとって何よりも恐ろしい『不確定要素』。放置はできない、か)

「分かりました。ただちに出撃準備を。第一、第二聖騎士団を動かします」

「そ、それが……ヴァルキュリア様。申し上げにくいのですが」

副官が口ごもる。

「何です? 隠さず言いなさい」

「兵士たちの士気が、限界に達しております」

「限界? まさか、ネフィリムを恐れているのですか?」

「いえ、そうではなく……」

副官は重々しい足取りでヴァルキュリアのデスクに近づき、ドンッ、と『それ』を置いた。

純白の簡素な紙箱。セレスティア軍戦闘糧食・EPA型である。

箱の横には、泥緑色をしたドロドロの液体が入ったパウチが添えられていた。

「兵士たちは、来る日も来る日もこの『ホーリー・ブリック(聖なるレンガ黒パン)』と『高濃度青汁』ばかり食べさせられ、胃腸と精神が崩壊寸前なのです! 『なぜ俺たちは野戦食で歯を折り、致死量の苦味で涙を流さねばならないのか』『ポポロ村のルナキン(ファミレス)でハンバーグが食べたい』と、ストライキ寸前でして……!」

副官の悲痛な叫びに、ヴァルキュリアはウッと息を詰まらせた。

ルチアナの散財のせいで予算がないのだ。原価を極限まで抑え、かつ天使の栄養素を(味覚を完全に無視して)計算し尽くしたこのEPA型は、ヴァルキュリア自身が苦肉の策で開発したものだった。

「……しかし、これには陽薬草の成分がたっぷり含まれており、神気の回復には最適のはずです!」

「ヴァルキュリア様! 兵士たちは機械ではありません! 美味い飯が食いたいのです! お隣のルナミス帝国軍がカレー缶を食べている横で、我々はレンガを青汁でふやかしてすする毎日……もう限界です!」

執務室の外からも、天使兵たちの「ハンバーグ! ハンバーグ!」という悲痛なシュプレヒコールが聞こえてくる。

ヴァルキュリアは天を仰ぎ、涙を堪えるように目を閉じた。

「……分かっています。私だって、たまには美味しいパフェとか食べたいです……。ですが、我々には世界を守る使命があるのです!」

ヴァルキュリアは立ち上がり、窓を開け放って天使兵たちに向かって叫んだ。

「皆の者! 苦しいのは今だけです! あの恐るべきネフィリムを討伐し、世界の均衡を守り抜くこと……それこそが、我々天使族の『ノブリス・オブリージュ』なのです! この青汁の苦味は、世界を救うための試練と思いなさい!」

美しい天使長が涙目で訴えかける姿に、天使兵たちは「うぅっ……ヴァルキュリア様がそこまで仰るなら……」「俺たち、青汁でネフィリムを倒します……!」と、無理やり士気を奮い立たせた。

こうして、極度の予算不足と空腹、そして絶望的な味覚への不満を抱えたまま、天使族の聖騎士団はポポロ村へと進軍を開始したのである。

◆

その頃、世界の危機として討伐軍の標的となっている少年――キッド・ジーニアスは、ポポロ・コーポの裏口でジャージ姿のまま震えていた。

「違う! そっちは『燃えないゴミ』だ! さっきから何遍言わせんだよ!」

「ひぃっ! ご、ごめんなさい寮母長! だ、だってこのプラスチックの容器、ルナミス帝国製と獣人王国製で分別ルールが違うんだもん……!」

エプロン姿のリアン・クラインが、手に持ったバインダーでキッドの頭を軽くスパーン!と叩く。

「言い訳すんな! ここは緩衝地帯のポポロ村だ。ゴミの分別ルールは村長のキャルルが決めた『ルナミス基準』に則る! ペットボトルのラベルとキャップは外して『資源ゴミ』! 弁当の容器は洗ってから『プラゴミ』! 常識だろうが!」

「うぅ……僕、封印されてたからそんな常識知らないよぉ……」

かつて「世界を滅ぼす」と豪語し、光と闇の聖魔竜王剣を振るった悲劇のネフィリムは今、タローマン製の安いジャージ(上下セットで銀貨2枚)を着せられ、ゴミ袋の前で涙目になっていた。

リアンの容赦ない日常指導(スパルタ)は、キッドの『悲劇の主人公補正』を粉々に打ち砕いていた。

「いいか坊主。お前は今日からこのポポロ・コーポの住み込み従業員だ。家賃と食費を相殺するために、徹底的に働いてもらうからな」

「う、うん……。僕、何をすればいいの?」

「まずは朝の冷え込む時間帯だ。お前のその『光の魔法』で、コーポの住人全員分の風呂釜の湯を沸かせ。適温の40度をキープだ。熱すぎても温すぎても減給だからな」

「お湯沸かし……僕の神聖魔法を、給湯器代わりに……?」

「それが終わったら、次は『闇の魔法』だ」

リアンは、大量の野菜くずや魚の骨が入った生ゴミの袋をキッドの前にドンッと置いた。

「これを闇の空間魔法で消滅させろ。村の焼却炉が最近調子悪くてな、生ゴミの処理に困ってたんだ。お前の魔気なら一瞬で塵一つ残さず消せるだろ」

「あ、暗黒魔法を……ゴミ処理機に……!?」

キッドは呆然と立ち尽くした。

勇者の光と魔王の闇。世界を二分する究極の力が、風呂の湯沸かしと生ゴミ処理に使われようとしている。

もし神界や魔界の保守派がこの光景を見たら、泡を吹いて卒倒すること間違いなしである。

「どうした、不満か? 労働をしない奴には、今日の昼飯の『豚の角煮定食』は食わせねぇぞ」

「やります! やらせてください! お湯沸かしてゴミ消します!!」

『豚の角煮定食』という単語を聞いた瞬間、キッドのオッドアイに猛烈なやる気の炎が灯った。

昨夜食べたリアンの魔導回転寿司の味が、まだ彼の舌に鮮烈に焼き付いているのだ。美味しいご飯の前では、絶望も復讐も、世界の終わりすらも霞んでしまう。

「よろしい。ならさっさと終わらせて、厨房の洗い物を手伝え。それが終わったら、朝の畑仕事だ」

「は、畑仕事……?」

「あぁ。ポポロ村の特産品、ガーリッ君の収穫だ。少しでも気を抜くと精神を持っていかれるから覚悟しとけよ」

リアンはニヤリと笑うと、背を向けて厨房へと戻っていった。

キッドは一人残され、光と闇の力を手のひらに込めながら、ポツリと呟いた。

「……僕、本当に世界を滅ぼそうとしてたんだっけ……?」

封印の牢獄で何年も抱き続けてきたドロドロとした暗い感情が、燃えるゴミと燃えないゴミの分別の前に、すっかり薄れてしまっていることに彼は気づいていた。

腹が減り、労働し、美味い飯を食って、暖かい布団で眠る。

そんな当たり前の『日常』が、絶望のネフィリムをただの『働き者の少年』へと急速に作り変えていく。

キッドがゴミ袋と格闘している頃。

彼を『世界の脅威』とみなし、全力で討伐に向かってきている魔族と天使の合同軍が、ポポロ村の国境に迫りつつあることを、彼はまだ知らない。

読んでいただきありがとうございます。

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