EP 30
交易成立! 帰還と、変わらないポポロ・コーポの日常
神々の醜いキャットファイトが俺の『オカンのフライパン』によって鎮圧され、ムーンキャピタルの中央政庁・執務室には、ようやくビジネスの場にふさわしい静粛が訪れた。
「では、ムーンキャピタルからの輸出品目として、『聖女の涙』の原価と卸値の見直しから始めましょう」
エミリアが、バインダーを片手にキリッとした表情で切り出した。
先ほどまで泣きじゃくっていたヒロインの面影は微塵もない。その姿は、数々の修羅場を潜り抜けてきたバリキャリのプロジェクトマネージャーそのものである。
「これまでは『一滴で金貨100枚』などという暴利で販売しておりましたが、先ほどのリアンさんのご指摘通り、利益率が異常でした。今後はポポロ村への特別卸値として、一瓶につき『銀貨5枚(約5千円)』で提供させていただきます」
「銀貨5枚! それなら村の予算でも十分に買い付けができるよ!」
村長のキャルルが、ウサギ耳をピンと立てて嬉しそうに頷く。
「お待ちになって! エミリア様!」
そこへ、タッパーを抱えた強欲アイドル・リーザがススッと身を乗り出した。
「わたくしの『人魚の涙』と競合してしまいますわ! ですが……このリーザ様、ムーンキャピタルのブランド力を評価いたしまして、共同で『奇跡の霊薬セット(人魚と聖女のダブルコラボ)』としてゴルド商会に卸すことを提案いたしますわ! 利益は折半でいかがですの!?」
「あ、いいですねそれ。マーケティングの相乗効果が見込めます。採用しましょう」
エミリアが即決し、リーザは「やりましたわァァッ!」とお賽銭箱を天に掲げた。
「ポポロ村からの輸出品は、予定通り最高級の『ポポロ・タバコ(シガー)』と、名物酒『イモッカ』ね。それと……」
キャルルが俺の方をチラリと見た。
俺は頷き、エミリアに向き直った。
「エミリア。あんた、地下の下水処理施設や魔力炉の労働環境を改善するって言ってたな」
「はい。まずは三交代制のシフトを導入し、完全週休二日制と有給休暇を義務付けます。でも、根本的なインフラの魔力不足(設備投資)をどう解決するかが課題で……」
エミリアが眉間に皺を寄せる。
「だったら、俺から『ドンガン地下帝国』のドワーフたちに話をつけてやるよ」
俺が提案すると、エミリアが目を丸くした。
「ドワーフの技術ですか?」
「あぁ。ポポロ村はドワーフと密約を結んでてな。あいつらの作る『自動魔導ポンプ』や『高効率焼却炉』を導入すれば、平民が手動で魔力を注ぎ続けるようなタコ部屋労働は必要なくなる。導入コストはかかるが、長期的なランニングコストと人件費を考えれば、絶対に黒字になるはずだ」
「……リアンさん」
エミリアは、パァァッと顔を輝かせた。
「ありがとうございます……! それなら、誰も過労死せずに、街の景観とインフラを両立させることができます! すぐに稟議書を作成しますね!」
彼女はペンを走らせ、みるみるうちに『ムーンキャピタル・インフラ再建計画書』を書き上げていく。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
そこへ、人狼族の執事リバロンが、湯気を立てる最高級のダージリンティーを運んできた。
かつてのようにエミリアの耳元3センチに顔を寄せることはなく、完璧な『ソーシャルディスタンス(約1.5メートル)』を保ち、優雅に一礼する。
「ありがとう、リバロン。……これからは、街の再建で忙しくなるわよ。ついてきてくれるわね?」
「御意に。このリバロン、エミリアお嬢様の創り上げる『ホワイトな新国家』の礎となるため、粉骨砕身の覚悟で業務に邁進いたします。……まずは、サボっている貴族たちを、私の名刺刃で現場作業に叩き込んできましょう」
リバロンが、かつての変態的な溺愛オーラを捨て去り、有能な実務担当者としての鋭い眼光を光らせる。
「キュゥゥ……」
その足元では、モフモフ聖獣のコン太が、大理石の床で哀愁漂う『サラリーマンのおっさん座り』をしながら、お茶請けのクッキーをチビチビとかじっていた。もうエミリアの胸元に飛び込もうとする気力(下心)は完全に折られているようだ。
「わーお! 『エミリア新領主、ホワイト国家宣言! リバロン執事の鮮やかな再出発!』ってタイトルで配信中だよぉ! リスナーの社会人たちから、応援のスパチャが止まらないね!」
キュララがドローンを飛ばし、カグヤのチャンネル(異世界お仕事奮闘記ジャンル)の収益をガンガン回している。
傍らでは、カグヤが「ああっ、私のヴィトンの新作が買えるわぁ!」と歓喜の涙を流していた。
「よし。これで交渉成立だな」
俺は、キャルルとエミリアが固い握手を交わし、交易の契約書にサインをするのを見届けた。
乙女ゲーテンプレのハリボテ国家は、こうして完全に崩壊し。
代わりに、現代の労働基準法とロジカルな経済観念を持つ『最強の自立都市』が、ここに誕生したのである。
「リアンさん。本当に……本当にありがとうございました」
エミリアが、俺に向かって深く頭を下げた。
「あなたが『説教メシ(うどん)』を作って、喝を入れてくれなかったら、私……ずっと目を逸らして、お飾りのヒロインのまま一生を終えるところでした。……自分の足で立って、誰かのために働くって、こんなに清々しい気分なんですね」
「……ふん。勘違いすんな」
俺は、フライパンを肩に担ぎ、鼻で笑った。
「俺は、非効率なボッタクリ商法と、インフラの欠陥を見てイラついただけだ。……あんたの人生は、あんた自身の『聖女』の力と、社畜時代のド根性で切り開いたもんだ」
エミリアは、パッと花が咲いたような、憑き物が落ちたような美しい笑顔を見せた。
「はいっ! またポポロ村に、お邪魔してもいいですか? 今度は私が、美味しいお茶とお菓子を持っていきますから!」
「おう。いつでも来い。タダ飯は食わせねぇが、村長の客なら歓迎してやる」
俺たちは、エミリアとリバロン、そしておっさん座りのコン太に見送られながら、ムーンキャピタルを後にした。
***
帰り道の魔導列車と馬車の中。
大立ち回りを演じたホープ・クローバー(Sクラス)の面々は、完全に疲れ切っていた。
「むにゃむにゃ……もう食べられませんわ……」
リーザが、大量の高級フルーツを抱え込んだタッパーを枕にして、涎を垂らしながら爆睡している。
「世界樹さん……今日も良いお天気ですわねぇ……」
ルナも、天然の微笑みを浮かべたまま船を漕いでいる。
「あー、今日の配信のアーカイブ、後で編集しなきゃ……Zzz」
キュララもドローンを抱きしめて寝落ちした。
「……リアン君、お疲れ様」
キャルルだけが、俺の隣で目を擦りながら微笑みかけてきた。
「リアン君が来てくれなかったら、私、イザベラ様たちに言い包められて、ボッタクリ価格で契約を結ばされてたかもしれない。……本当に、ありがとう」
「気にするな。村の財政が傾いたら、俺の給料(寮母長手当)も危うくなるからな。完全な自衛だよ」
俺が素っ気なく返すと、キャルルは「ふふっ、素直じゃないなぁ」と笑い、そのまま俺の肩にコツンと頭を預けて、静かな寝息を立て始めた。
「……やれやれ」
俺は小さくため息をつき、窓の外を流れる星空を眺めた。
向かいの席では、サボりの罰として「一週間のトイレ掃除」を宣告された駄女神ルチアナが、「うぅぅ……私の黄金の指先が便器の汚れで……っ」と膝を抱えて本気で泣いていたが、自業自得なので完全に無視した。
そして、深夜。
ようやくポポロ村に到着した俺たちは、重い足取りで『ポポロ・コーポ』の玄関の扉を開けた。
「……ふぅ、帰ったぞ」
俺が玄関の灯りをつけると。
1階の大食堂には、信じられない光景が広がっていた。
「おっ! 帰ってきたか、兄弟!」
黄金のリーゼントを光らせた第6の聖獣・リキ兄貴が、パイプ椅子にドカッと座り、便所サンダルをペタペタ鳴らして俺を出迎えた。
「遅かったではないか、リアン。我の腹の虫が、もう限界を迎えておるぞ」
竜王デュークが、腕を組みながら不満げに葉巻を吹かしている。
「腹減った……死ぬ……。おい、早く飯食わせろ……」
パチンコでまた負けてきたのか、狼王フェンリルが、テーブルに突っ伏して虚ろな目をしている。
さらに、B棟(女子寮)の階段からは、不死鳥フレアが息子のヒエンを連れて降りてきた。
「あら、リアン君、おかえりなさい! ごめんなさいね、夜分遅くに。でも、みんなリアン君のご飯じゃないとダメだって言うのよ」
次元超越のヤンキー聖獣に、尊大な竜王、パチンコカスの調停者に、過労の不死鳥。
アナステシア世界を簡単に滅ぼせる規格外のバケモノたちが、深夜だというのに、誰一人として自分の部屋で寝ておらず、俺の帰りを(パイプ椅子で大人しく)待っていたのだ。
「「「…………」」」
俺は、あまりのカオスな光景に、数秒間、完全に無言になった。
ムーンキャピタルでのスマートな交渉や、エミリアの自立劇の感動が、一瞬にして吹き飛んでいく。
「……あー、あのさ」
俺は、眉間を揉み解しながら、地獄の底から響くような声を出した。
「お前ら、神様だの聖獣だのって偉そうな肩書き持ってんなら、少しは自分で飯を作るなり、ルナキン(ファミレス)で出前を取るなりしろよ。……なんで俺が帰ってくるまで、ひもじい思いして待ってんだよ」
「アホか兄弟」
リキ兄貴が、ニカッと笑って親指を立てた。
「俺らが食いてぇのは、ルナキンのメシやねぇ。……お前が作る、とびっきりアツくて美味ぇ『特製賄い飯』や。それ以外のモンじゃ、腹の虫は収まらへんのや!」
「フッ。そういうことだ。さぁリアン、我には特大のチャーシューメンを頼むぞ」
「俺は鮭茶漬けがいい……」
「私は甘いフレンチトーストをお願い!」
バケモノどもが、次々とワガママなオーダーをぶつけてくる。
寝ぼけ眼だったキャルルやリーザたちも、その騒ぎで完全に目を覚まし、「わ、わたくしも夜食いただきますわ!」「私も!」と便乗し始めた。
「……」
俺は、大きく息を吸い込み。
タローマン製ジャージの袖を限界まで捲り上げ、腰の『特大お玉』と『極厚フライパン』を力強く握りしめた。
「……帰ってきた途端にこれかよ。どんだけ手がかかるんだ、お前らは!」
俺の『オカンの怒号』が、深夜のポポロ・コーポに響き渡る。
「文句ばっかり言ってねぇで、さっさと座って待ってろ! 全員の胃袋がはち切れるまで、最高の夜食を作ってやる!!」
「「「うおおおおおっ!!」」」
食堂が、神々とSクラスたちの歓声で揺れる。
乙女ゲーのテンプレ国家を粉砕し、インフラと経済を立て直すという大仕事を終えて帰ってきた場所は、相変わらず世界で最も危険で、最も騒がしい『神々のタコ部屋』だった。
だが。
コンロに火をつけ、中華鍋を煽り、出汁の香りが食堂に広がっていくこの瞬間。
腹を空かせた連中が、俺の料理を今か今かと待ちわびているこの光景こそが。
(……やっぱり、悪くねぇな)
俺にとっての、かけがえのない『日常への帰還』なのであった。




