EP 25
モフモフ聖獣(中身オッサン)と、保健所のフライパン
「キュ〜ゥゥゥゥッ!!」
エミリアの胸元に抱えられていた、毛玉のようなモフモフの妖狐の聖獣『コン太』が、空中に飛び上がって俺に牙を剥いた。
「ガァァァァァッ!!」
愛するエミリア(宿主)に「自立しろ」と発破をかけた俺を敵と認識したのか、コン太の口から、周囲の大理石の道を焼き尽くすほどの『極大の火柱』が放たれた。
「リアン君! 危ない!」
キャルルが悲鳴を上げる。
「コン太! やめて!」
エミリアが制止の声を上げるが、時すでに遅し。
人間を消し炭にするには十分すぎる熱量の炎が、俺の全身を包み込もうと殺到する。
「……フッ。愚かな平民め。エミリアお嬢様を唆した報いです。コン太の聖なる炎に焼かれて、その身の程を知るが——」
人狼族の執事リバロンが、鼻で笑いながら哀れみの目を向けた、その直後だった。
——バキィィィィィンッ!!!!
極大の火柱が、真っ二つに裂けた。
まるでモーゼの海割りのように、炎の奔流が左右に弾き飛ばされ、周囲の空の彼方へと霧散していく。
「……なっ!?」
リバロンの顔が、驚愕に引きつった。
「火力が足りねぇな。三ツ星レストランの厨房の、ディナータイムのピーク時の熱気に比べれば、こんなもんそよ風みたいなもんだ」
俺は、天極流の闘気を極限までコーティングした『ドンガン地下帝国製・極厚魔導フライパン』を片手に、無傷で炎の中から歩み出た。
闘気の防壁と、ドワーフの冶金技術が合わさった俺のフライパンは、聖獣の炎ごときではスス一つ付かない。
「ガウッ……!?」
自分の最強の炎がただの調理器具で弾き飛ばされたことに、コン太が空中で目ん玉を飛び出させて驚いている。
「おい、そこのモフモフ」
俺は、フライパンを肩に担ぎ、もう片方の手に鋼鉄の特大お玉を構え、地を這うような低い声で凄んだ。
「人間様……それも、これからあんたの飼い主に『交易』を持ちかけようとしているビジネスパートナー(取引先)に向かって、いきなり火を吹いて噛みつこうとするなんて、どういう躾を受けてんだ?」
「キュ、キュルル……ッ!」
コン太が、威嚇するように喉を鳴らす。
「ペットの不始末は飼い主の責任だ。人間様に噛みつく狂犬(狐だが)は、狂犬病予防法違反で一発で保健所行きだぞ。……いや、そもそもお前」
俺は、目を細めてコン太の全身をジッと観察した。
フワフワの毛並みに、愛らしいつぶらな瞳。一見すると、乙女ゲーのヒロインを癒やすための『完璧な愛玩動物』に見える。
だが、俺の三ツ星シェフとしての観察眼(と、前世で培った偏見)は、こいつの行動の端々に潜む『強烈な違和感』を絶対に見逃さなかった。
「お前……さっきからエミリアの胸の谷間にばっかり顔をうずめてたよな? しかも、リバロンが近づいた時には牙を剥かなかったのに、俺(男)がエミリアに話しかけた途端にキレた」
「……え?」
エミリアが、ポカンとした顔でコン太を見る。
「その過剰なマーキング行為と、同性に対する異常な敵対心。そして何より、エミリアに甘える時のその『下心丸出しの目つき』。……あれだ、キャバクラで一番のお気に入りの嬢を独占しようとしてる、痛客のおっさんと同じ目だ」
俺がビシッと指摘すると、空中に浮いていたコン太の身体が、物理的にビクンッ!! と激しく痙攣した。
「おい、エミリア。そいつの中身、絶対に『中年親父』だぞ」
「ちゅ、中年親父……!?」
エミリアが顔面蒼白になり、自分の胸元(さっきまでコン太が顔をうずめていた場所)を両手で隠して後ずさりした。
「ギ、ギガウッ! ギャウガウガウッ!!(違う! ワシは誇り高き妖狐の聖獣じゃ!)」
図星を突かれて焦ったのか、コン太が必死に取り繕うように吠え、空中で鋭い爪を振りかざして俺に飛びかかってきた。
「無駄だ。正体がバレて焦ってる時点でお察しだ。……おらっ!」
俺は、飛びかかってきたコン太の下にフライパンを潜り込ませ、中華鍋でチャーハンを煽る要領で、フワリと空中へトスした。
「ギャンッ!?」
空中で体勢を崩したコン太の脳天に、左手に持った特大のお玉を、ゴルフのフルスイングの軌道で振り下ろした。
——ガァァァァァンッ!!!!
「ふぎゃンッ!!」
闘気を込めたお玉の痛撃を脳天に食らったコン太は、綺麗に放物線を描いて大理石の地面に叩きつけられ、バウンドしてピクピクと痙攣した。
「わーお! ナイスショット! リアン君のフライパントスからの、お玉スマッシュ! 見事な連携技だよぉ!」
キュララがドローンを回しながら、実況中継を盛り上げる。
「痛ぇだろ。だが、これで少しは頭が冷えたはずだ」
俺は、お玉を肩にトントンと当てながら、地面に倒れたコン太の前に立った。
「いいか。ここはファンタジー世界だろうが、ビジネスの場だ。取引先に火を吹くような害獣は、俺の厨房なら一発で出禁だ。……分かったら、そこに直れ」
俺が冷酷に言い放つと。
「……キュゥゥ」
コン太は、フラフラと立ち上がり……そのまま大理石の地面に、ペタンと座り込んだ。
いや、ただ座ったのではない。
後ろ足を綺麗に折りたたみ、背中を丸め、前足を膝(?)のあたりにちょこんと乗せるという、動物の骨格を完全に無視した異様な座り方——。
それは紛れもなく、日本の居酒屋で上司から「お前、今月の営業成績どうなってんだ?」と詰められている時の、哀愁漂う『サラリーマンの正座』であった。
「「「…………」」」
広場に、気まずすぎる沈黙が流れた。
「……ルナ。植物たちはなんと言っている?」
リーザが、ドン引きした顔でルナに尋ねた。
「ええっと……『あのキツネさんから、昨日の夜に飲んだ安い発泡酒と、加齢臭の混ざった匂いがする』と、花壇のバラさんが泣いていますわ」
ルナが、天然の笑顔で、コン太の尊厳を決定的にトドメを刺す証言をした。
「嘘……でしょ……」
エミリアが、ガクリとその場に膝をついた。
「私……ずっと、加齢臭のするおじさんの魂が入ったキツネに、毎晩一緒のベッドで寝て、胸の谷間でスリスリさせてたの……?」
「キュ、キュルルン……♡(ち、違うんじゃエミリアた〜ん! ワシは可愛いモフモフじゃ〜!)」
正座したまま、必死に上目遣いで愛嬌を振りまこうとするコン太。しかし、その背中の丸まり具合は、どう見ても『定年間近の課長』にしか見えない。
「ひぃぃぃぃっ!! 気持ち悪いぃぃぃっ!! 寄らないでぇぇっ!!」
エミリアは悲鳴を上げて後ずさりし、ついに乙女ゲーの「溺愛モフモフテンプレ」は、俺のロジカルな追及と物理的しつけによって、完全に木端微塵に粉砕されたのである。
「お、おのれ……! よくもエミリアお嬢様の聖獣を……ッ!」
リバロンがワナワナと震え、再び名刺を構えようとした、その時だった。
「おーほっほっほっほ!!」
広場の静寂を切り裂いて、これまた絵に描いたような『高飛車な笑い声』が響き渡った。
振り返ると、派手な扇子で口元を隠し、これでもかとフリルと宝石を散りばめた豪華なドレスを着た、数人の令嬢たちが取り巻きを連れて歩み寄ってきていた。
「何事かと思えば。婚約破棄された偽聖女エミリアが、どこぞの薄汚い平民たちを連れて騒ぎを起こしているのね。……本当に、身の程知らずでみっともないこと」
先頭に立つ、縦巻きロールのいかにも『悪役令嬢』といった風貌の女が、俺の着ているタローマン製のジャージを見て、軽蔑の視線を向けてきた。
「それにしても、そちらの殿方。そのような泥にまみれるような粗末な服で、この美しきムーンキャピタルの大通りを歩くなど、景観に対するテロ行為ですわよ? おーほっほっほ!」
「……粗末な服、だと?」
俺は、自分の着ているタローマン製ジャージを見下ろした。
「お前ら、このジャージの凄さが分かってねぇな。吸水速乾、伸縮性抜群、おまけに防火・防刃の魔法繊維が練り込まれてて、動きやすさは世界一だ。無駄なフリルやコルセットで内臓を締め付けてるそのドレスこそ、機能性ゼロの産廃だろうが」
「なっ……さ、さんぱい……ッ!?」
令嬢の顔が、怒りで真っ赤に染まった。
「よ、よくもこのわたくしに向かって……! ええ、良いでしょう。口の減らない平民どもめ……。本日の午後、わたくしの屋敷で『お茶会』を開きますわ。そこで、貴方たちがいかに底辺で無作法な存在か、たっぷりと教えて差し上げますわ!」
扇子をビシッと突きつけてくる令嬢。
なるほど、次は『悪役令嬢によるお茶会でのマウント・いじめイベント』というわけか。
「……リアン君、どうするの?」
キャルルが心配そうに俺の袖を引く。
「受けて立ってやるよ」
俺は、フライパンを肩に担ぎ直し、不敵に笑った。
「マウントを取りたいなら勝手にすればいい。……だが、俺の連れている『バケモノ(Sクラス)ども』を、ただのお行儀の良いお茶会で制御できると思ったら大間違いだぜ」
俺の背後で。
ルナが「まぁ! お茶会ですか! 美味しいお茶菓子をたくさん生成しなければいけませんわね!」と天然の笑顔を浮かべ、リーザが「タダでお茶とお菓子がいただけるなら、タッパーを持参しますわ!」とお賽銭箱をガタガタ鳴らしている。
ムーンキャピタルの悪役令嬢たちよ。
お前らは、自分たちが『決して招いてはいけない最悪の災害』をお茶会に招いてしまったことに、まだ気づいていない。




