EP 8
命を育むということ(13歳の気づき)
ポポロ村での農業合宿(泥まみれのブートキャンプ)が始まってから、五日が経過していた。
「……あぁ、イテテテ……。腕が、腕が上がりませんわ……」
早朝。シェアハウスのリビングで、リーザがゾンビのような動きで這い出してきた。
「背中も、腰もバキバキだよぉ……。ベッドから起き上がるだけで、一時間かかっちゃった……」
キャルルも、ウサギの耳をぺたんと垂らし、生まれたての子鹿のように足を震わせている。
魔力・闘気封じの腕輪を嵌められ、己の素の肉体のみで荒れ地を開墾する日々。
13歳の彼女たちを襲ったのは、経験したことのないレベルの『極限の筋肉痛』だった。
普段なら回復魔法を一発かければ治るものだが、俺はそれすらも固く禁じていた。筋肉繊維が破壊され、修復される過程の痛みこそが、己の体を根本から作り変える(基礎代謝を上げる)儀式だからだ。
「ふん。だらしないぞ、貴様ら」
そこに、クラウスが大剣の代わりに農具のクワを肩に担いで現れた。
「この程度の痛み、民が日々流している汗に比べればそよ風のごときもの! 私はすでに裏山の畑の見回りを終えてきたところだ!」
クラウスは胸を張って言い放ったが、その足はプルプルと生まれたてのロックバイソンのように震えており、顔は疲労で真っ白だった。
「お前ら、文句を言う前に鏡を見てみろ」
俺はキッチンから、フライパンで目玉焼きを焼きながら声をかけた。
「……鏡?」
リーザたちが不思議そうに、リビングの姿見の前に立つ。
そして、彼女たちはハッと息を呑んだ。
「うそ……」
キュララが、自分の頬に両手を当てた。
サウナスーツ討伐と断食の反動でタプタプにリバウンドしていた彼女たちの体は、たった五日間の農業合宿で劇的な変化を遂げていた。
余分な脂肪は過酷な労働によって完全に燃焼され、ぽっちゃりとしていたアゴのラインは鋭く引き締まっている。
単に細くなっただけではない。大地を踏みしめ、重いクワを振るい続けたことで、体幹が鍛え上げられ、無駄のない機能的な美しさが宿っていた。
「わ、わたくしの……お腹周りが、スッキリしていますの! しかも、なんだか体がものすごく軽いですわ!」
リーザが芋ジャージの上からお腹をさすり、感動の声を上げる。
「魔法も闘気も使ってないのに……これが、労働の力……ッ!」
クラウスも己の引き締まった腹筋を確かめ、戦慄していた。
「筋肉は裏切らねぇ。カロリーを制限して無理やり削り取った体と、汗水流して細胞から作り変えた体じゃ、燃費も強度も全く違うんだよ」
俺は目玉焼きと、こんがり焼いた『米麦草』のトースト、そして新鮮なサラダをテーブルに並べた。
「さぁ、食え。今日もしっかり働いてもらうからな」
「「「いただきますッ!!」」」
彼女たちは、幻覚の肉を求めていた狂気や、カロリーへの強迫観念を完全に捨て去り、ただ純粋に「生きるためのエネルギー」として、健康的な朝食を美味そうに頬張った。
* * *
午前十時。
ポポロ村の裏山に広がる、ユートの農場。
荒れ地だった場所は今や見渡す限りの見事な畝に変わり、ふかふかの土が秋の太陽芋の植え付けを待つばかりとなっていた。
「よし、午前中の作業はここまでだ! みんな、休憩にしようぜ!」
泥だらけのオーバーオールを着たユートが、麦わら帽子を取って汗を拭いながら声をかけた。
「はぁ〜っ、疲れましたわ……!」
リーザたちが土手の上にどさりと腰を下ろす。
「みんな、お疲れ様。俺特製の『ポポロ・コーヒー』を淹れたから、飲んでくれ」
ユートが、焚き火で沸かしたお湯を使い、丁寧にドリップしたコーヒーを木製のカップに注いで回った。
芳醇で深い焙煎の香りが、青空の下の畑に広がっていく。
「ふぅ……。五臓六腑に染み渡りますわね」
リーザがカップを両手で包み込み、目を閉じて香りを堪能する。
「ほんとだね。……なんか、ルナキン(ファミレス)のドリンクバーのコーヒーより、ずっと美味しく感じるよ」
キャルルも泥だらけの頬を緩ませた。
「そりゃあ、自分たちで汗を流して耕した土の匂いを嗅ぎながら飲んでるからな。……最高のスパイスだろ?」
ユートは自分のカップを手に持ち、遠くの畑を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「俺さ。ルチアナのクソ女神に騙されて、借金まみれでマグローザ漁船に乗せられそうになった時……頭の中、『金』のことしか無かったんだ」
ユートの言葉に、Sクラスの面々が静かに耳を傾ける。
「一億稼いで借金返して、キャバクラに行って美味い酒が飲みたい。……そんな俗物みたいな夢ばっかり追いかけて、見栄張って、ペラペラの鉄鎧着てイキってた」
ユートは自嘲気味に笑い、足元の土をそっと撫でた。
「でも、天魔窟で死にそうになって、ルナちゃんを守ろうって無我夢中で剣を振って。……その後、このポポロ村で土を耕し始めた時、なんか……すごくホッとしたんだ」
ユートの瞳には、かつての焦りや、欲望にまみれた濁りは一切なかった。
そこにあるのは、大地に根を張り、自らの足で立つ人間の、静かで揺るぎない強さだった。
「春に種を撒いて、毎日水をやって、泥まみれになりながら草をむしる。そうやってると、ある日、土の中から小さな『芽』が出るんだよな。……それを見た時、なんかさ、『あぁ、俺、生きてるんだな』って、心の底から実感したんだ」
命を育むということ。
それは、ただお金を稼ぐことや、魔獣を倒して名声を得ることとは違う。
結果がすぐに出るわけではない。自然の気まぐれに振り回され、地道で、泥臭くて、割に合わないことの連続だ。
だが、その手で育てた命が実を結んだ時の喜びは、何物にも代えがたい「確かな手応え」として魂に刻み込まれる。
「……生きてる実感、ですか」
リーザが、カップを見つめながら呟いた。
「わたくしたちは今まで、魔獣を倒したドロップアイテムや、配信のスパチャで、ポンポンと大金を稼いできましたわ。でも……それは、本当に『自分の足で稼いだ』と言えるんでしょうか」
守銭奴である彼女の口から出たその言葉は、驚くほど真摯なものだった。
「そうだな。我々は圧倒的な力を与えられ、結果だけを享受してきた。だが、この大地の重み……種が芽吹き、実るまでの果てしない時間と労力。これを知らずして、上に立つ資格などない」
クラウスが深く頷き、ユートに向かって頭を下げた。
「ユート。私はお前をただの農民だと侮っていた時期があった。……許してくれ。お前は誰よりも、命の重みを知る真の騎士(ノブリス・オブリージュの体現者)だ」
「いやいや、大げさだっての! 俺はただの太陽芋農家だよ!」
ユートが照れくさそうに頭を掻く。
「……ねぇ、ユートお兄ちゃん」
その時、ずっと黙っていたルナが、ふんわりとした笑顔で立ち上がった。
彼女はゆっくりと畑の畝に近づき、そっとしゃがみ込んで、素手でふかふかの土に触れた。
「わたくし、ずっと勘違いしていましたわ」
エルフの次期女王であるルナ。
彼女は、世界樹の端末である『ポーン』を操り、植物を自在に成長させ、使役する絶対的な力を持っている。
魔法をかければ、種は一瞬で大樹になり、花は狂い咲く。それが彼女にとっての「自然」であり、当たり前の光景だった。
「わたくしの魔法は……植物さんたちを『無理やり従わせていた』だけだったんですね」
ルナの瞳から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「ダイエットの時も同じです。みんなが健康になればいいと思って、わたくしのルールを無理やり押し付けました。……でも、それは命を育むことじゃない。ただの、わたくしのワガママでしたの」
ルナは両手で土をすくい上げ、愛おしそうに頬擦りをした。
「ユートお兄ちゃんがやっているように。……植物さんが育ちやすいように、土を柔らかくして、水をあげて、あとはその子が自分の力で芽を出すのを、信じて待ってあげる。……『一緒に育つ』って、こういうことだったんですね」
「ルナちゃん……」
キャルルが、もらい泣きをして鼻をすする。
13歳という、子供と大人の境界線。
圧倒的な力を持つがゆえに、彼女たちは「過程」をすっ飛ばすことができた。
だが、この泥まみれの数日間を通じて、彼女たちは気づいたのだ。
大人の階段を登るということは、魔法で結果を捏造することではない。泥に塗れ、汗を流し、責任を持って命と向き合うこと(労働の尊さ)なのだと。
「……まぁ、そういうこった」
俺は少し離れた土手の上から、その光景を満足げに見下ろしていた。
ダイエット(カロリー消費)という名目で始めた農業合宿だったが、どうやら肉体だけでなく、精神の贅肉(子供の甘え)まで綺麗に削ぎ落とすことができたらしい。
「すばらしい……素晴らしいぞ、リアン……!」
俺の隣で、ダイヤ先生(20歳)が、ユートが差し入れてくれた特大の塩むすびをボロボロとこぼしながら号泣していた。
「ゲロオムレツの拷問から解放され……この塩むすびの、なんと温かく、美味いことか……! 命を育む農家は、本当に尊い……ウッ、ウグッ……!」
「先生はまずその極貧生活から抜け出すための資金繰り(確定申告)を覚えろよ」
俺は呆れながら、ダイヤ先生に水筒を差し出した。
夕暮れの風が、ポポロ村の畑を優しく撫でていく。
13歳の勇者たちが見つけた、命を育むことの意味。
彼女たちの顔には、タコ部屋でモラトリアムの終焉に怯えていた時の弱々しさはもうない。大地に根を張る準備を整えた、力強い『大人への予感』が満ちていた。
だが、この平穏な成長の裏で、大地の奥深く――地中の魔力溜まりから、恐るべき脅威がこの農場へと忍び寄っていることに、俺たちはまだ気づいていなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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