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EP 3

禁断症状と魅惑のハッピー・ドリーム

 ルナ式・極限健康ライフ(地獄のダイエット生活)が始まってから、わずか三日。

 ルナミス学園のSクラス専用特別教室、通称『タコ部屋』は、さながらゾンビパニック映画の終盤のような惨状を呈していた。

「……あぁ……お肉ぅ……。揚げたての、ポテトフライ……塩がたっぷりかかった、ジャンクな味が恋しいですわ……」

 極貧地下アイドルのリーザが、机に突っ伏したまま虚ろな目で宙を掻いている。

 彼女の主食は普段からパンの耳や雑草サラダだったが、最近はリアンの作る三ツ星料理の味を覚えてしまっていた。一度知ってしまった極上の脂質と塩分を突然絶たれた反動は、彼女の貧乏耐性をいとも容易く破壊していた。

「だめぇ……もう限界……。今すぐルナキン(24時間ファミレス)に行って、チーズたっぷりのハンバーグ定食が食べたいよぉ……。肉汁……肉汁を私にちょうだい……」

 ポポロ村の村長であり、月兎族の姫でもあるキャルルが、自慢の特注安全靴を脱ぎ捨てて床をのたうち回っている。

 ウサギは草食動物のはずだが、彼女の脳内は完全に肉(タンパク質)に支配されていた。

「コーラ……シュワシュワで、お砂糖がいっぱい入った冷たいコーラが飲みたい……。糖分が足りなくて、配信のテンションが維持できないよぉ……」

 ゴッドチューバーのキュララに至っては、完全にカフェインと糖分の離脱症状(禁断症状)を起こし、机の角をガリガリと齧り始めていた。

 エルフの次期女王ルナが定めた『無農薬野菜スムージーのみ』という狂気の食生活と、夜九時就寝、さらには毎日の過酷なランニング。

 13歳の成長期である彼女たちにとって、カロリーゼロの生活は精神(SAN値)を削り取る拷問に等しかった。

「……ふむ。やはり人間(と獣人と天使)の三大欲求を力でねじ伏せるのは無理があったか」

 俺は教室の後ろで腕を組み、冷徹な目でゾンビ化した少女たちを観察していた。

 俺自身は前世の社会人経験(社畜耐性)があるため、不味い青汁や空腹にも耐えられているが、モラトリアム真っ只中の中学生にこの禁欲生活は酷すぎた。

「だらしないぞ、お前たち! 騎士たる者、いかなる飢えや渇きにも耐え忍ぶ強靭な精神力を持たねばならん!」

 唯一、真っ当に背筋を伸ばして座っていたのはクラウスだった。

 だが、彼の顔は青白く、よく見ると小刻みに震えている。

「……肉汁など、幻に過ぎない! 私は、私はアルヴィン侯爵家の次期当主……ッ! スムージーだけで、あと、あと一週間は……戦え……る……!」

 強がってはいるが、彼の腹からはさっきから『きゅるるるるぅぅ……』という、悲痛な雷鳴のような音が鳴り響いていた。

「あーあ。皆さん、そんなに食べたいんですか?」

 教室の教壇で、本日の特製野菜ジュース(泥のような色をしている)をすり鉢で調合していたルナが、ふんわりとした笑顔で振り返った。

「ル、ルナちゃん……お願い、今日だけでいいから……お肉を食べさせて……!」

 キャルルが涙目でルナの足首にすがりつく。

「んもう、仕方ありませんわねぇ。そんなに食べたい飲みたいなら、わたくしが『特別』に体験させてあげますわ♡」

「えっ!? ほ、本当ですの!?」

 リーザが弾かれたように顔を上げる。

「ええ、本当ですわ。ただし、実際に食べてしまってはダイエットの意味がありませんから……『脳内』だけで、たっぷりと味わっていただきますね」

 ルナが世界樹の杖を軽く振ると、彼女の足元の床板がメキメキと音を立てて割れ、一つの奇妙な鉢植え植物がせり出してきた。

 それは、巨大な食虫植物のような見た目をしていたが、花の部分から『ダラァァァ……』と大量のヨダレ(粘液)を垂らし、周囲に甘ったるい香りを漂わせている。

「これこそ、エルフの森に自生する幻覚催眠植物『ハッピー・ドリーム』さんですわ!」

 ルナはヨダレを垂らす植物の頭を、ペットのように撫でた。

「この子の触手をプスッと刺して幻覚成分を注入すれば、どんな夢でも疑似体験できますの! 以前、ポポロ村に税金を取り立てに来た悪いお役人さんたちも、これで女と酒と金を疑似体験させて、満足して帰っていただきましたから。安全性はバッチリですわ!」

「お、おいルナ。それ完全にコンプラ違反(麻薬的な何か)のアウトな植物じゃねぇか」

 俺がツッコミを入れる暇もなかった。

「お肉! お肉の夢が見れるんですのね! さぁ、早くわたくしにその触手を刺してくださいな!」

「私にはチーズハンバーグ! ダブルでお願い!」

「コーラ! キュララには特大ジョッキのコーラを!」

 飢餓状態の三人は、恐ろしい触手植物に向かって自ら首を差し出したのだ。

「うふふ、はい、どーぞ♡」

 シュバッ! シュバッ! シュバッ!

 ルナの合図と共に、ハッピー・ドリームの三本の触手が伸び、リーザ、キャルル、キュララの首筋に容赦なく突き刺さった。

「あンッ♡」

 謎の嬌声を上げ、三人の少女はビクンと体を震わせると、そのまま恍惚の表情を浮かべて机に突っ伏した。

「……あぁ……っ、お肉……。この、A5ランクの霜降り肉……お口の中でとろけますわ……。シェフ、おかわり……あと三キロ焼いてくださいな……ふふっ、美味しい……」

 リーザが、何もない宙をモグモグと咀嚼しながら、だらしない笑みを浮かべてヨダレを垂らしている。

「んんっ……肉汁が、肉汁が溢れてくるよぉ……。ご飯、大盛りで……あははっ、ハンバーグ最高ぉ……」

 キャルルは自分の特注安全靴をハンバーグと錯覚しているのか、靴底に顔を擦り付けながらナイフとフォークを使う真似をしている。

「ぷはぁぁぁっ! 炭酸キッツぅぅっ! 喉が焼けるぅぅ! あはははは! コーラ! コーラ美味しいよぉぉ!」

 キュララに至っては、空気をジョッキに見立ててあおり、完全にガンギマリの瞳で虚空を見つめていた。

「…………」

 地獄絵図である。

 タコ部屋は完全に、ヤバい薬に手を出した若者たちの溜まりドラッグハウスと化していた。

「な、なんだこれは……! 己の欲望を制御できず、あまつさえ植物の幻覚に逃げ込むなど……! 騎士の風上にも置けん!」

 唯一シラフで残っていたクラウスが、戦慄の声を上げた。

「皆、目を覚ませ! 騙されるな! それは幻覚だ! 貴様らが食っているのはただの空気だぞ!! 誇りを取り戻せェェッ!!」

 クラウスは必死に三人の肩を揺するが、完全にキメている彼女たちは「うるさいですわ、お肉の邪魔をしないで……」と虚ろな目で払いのけるだけだった。

「うふふ、クラウス君も無理しないでくださいな」

 背後から、ルナの悪魔のような囁きが聞こえた。

「クラウス君の胃袋も、さっきからずっと悲鳴を上げていますわ。本当は何か、甘〜いものが食べたいんじゃないですか?」

「ば、馬鹿を言え! 私はアルヴィン侯爵家の――」

「ほら、ハッピー・ドリームさん。クラウス君にも、極上の『癒やし』をあげて♡」

 シュバァッ!!

 ルナが杖を振ると、ハッピー・ドリームの極太の触手が、クラウスの首筋に深々と突き刺さった。

「ぐはぁッ!? き、貴様、私に何を――」

 クラウスが腰の大剣を抜こうとしたが、遅かった。

 彼の屈強な体がビクンと跳ね、瞳からスッと理性の光が消え失せた。

「あ……ああ……」

 クラウスの口から、だらしない声が漏れる。

「……おはよう、クラウス君。今日も良い天気ね」

 彼の脳内に直接響き渡ったのは、極上の甘い声。

 クラウスの幻覚の視界に現れたのは、ポポロ村の農場で栽培されている魔性の野菜――『完熟メロロン』であった。

 豊かな果肉(果実)をぽよんぽよんと揺らしながら、メロロンはクラウスに甘く囁きかける。

『いつもお水、ありがとうね。お疲れ様、今日も剣の素振り、頑張ってるわね♡ えらいえらい♡』

「あ……ああ……メロロン殿……」

『あなたは悪くないわ。いつも騎士として、気を張ってばかりで疲れてるのよね。今日は全部忘れて、私に甘えていいのよ?』

「うっ……うぅっ……! 私は、私は……立派な騎士にならねばと……ずっと、ずっと気を張って……!」

 普段は生真面目で堅物なクラウスのストレスの隙間に、不倫キャバクラ野菜・メロロンの甘い誘惑が恐ろしいスピードで浸透していく。

『頑張った貴方には、ご褒美が必要よ。ねぇ、今日は少し長くいてくれる? 私、貴方が来るのを待ってたの……他の人には、内緒よ?』

「メロロン殿……! おお、メロロン殿! 君だけだ、私を認めてくれるのは……!」

 クラウスは完全に陥落した。

 彼は幻覚の中で、ぽよんぽよんのメロロンを抱きしめながら、鼻の下を限界まで伸ばしてだらしない笑いを浮かべた。

「おい、ボーイ……」

 クラウスが、虚空に向かって気取った手つきで指を鳴らす。

「メロロン……今日はボトルキープで、最高のメロロンジュースを貰おうか……。あぁ、金ならある。私の小遣いを……全部使ってくれ……。デヘヘヘヘ……」

「…………」

 俺は、教室の一番後ろの席で、ただ静かに天を仰いだ。

 右を見れば、空気を咀嚼して「お肉ですわぁ」とヨダレを垂らすアイドルと、靴を舐める村長。

 左を見れば、幻覚のメロンを抱きしめてキャバクラごっこをしている侯爵家の次期当主。

 そして教壇では、エルフの次期女王が「みんな幸せそうで何よりですわ♡」と天然の笑顔で拍手をしている。

(……駄目だ。コイツら、完全に終わってる)

 俺は深く、深くため息をついた。

 カロリーを抑圧した結果がこれだ。人間の三大欲求を無理やり塞げば、精神がより安易で危険な快楽(幻覚)へと逃避してしまう。

 このままでは、ダイエットが成功する前に、Sクラス全員がハッピー・ドリームの依存症になって廃人化してしまう。

(やり方を変えるしかねぇ。カロリーを絞るんじゃなく……欲望を燃料にして、物理的に脂肪を燃やし尽くす『本物の地獄』を見せてやる)

 俺は前世の知識から、ある最悪のダイエットブートキャンプを思い描きながら、幻覚に溺れる仲間たちを冷徹な目で見下ろしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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