第十四章 13歳の勇者
忍び寄るカロリーの魔物と、13歳の憂鬱
ルナミス学園、Sクラス専用特別教室――通称『タコ部屋』。
窓から差し込むうららかな午後の陽光が、チョークの粉が舞う教室を黄金色に染め上げていた。遠くのグラウンドからは、一般クラスの生徒たちが剣術の訓練に励む元気な声が聞こえてくる。
天魔窟での死闘や、マグローザ漁船行きを賭けた借金勇者のクーリングオフ騒動から、しばらくの時が流れていた。
平和だ。平和すぎる。
一歩間違えれば国家が吹き飛ぶようなトラブルばかり引き起こしていた俺たちSクラスにも、ようやく学生らしい平穏な日常が訪れていた。
「……早いものだな。俺たちも、ついに『13歳』になったか」
俺――リアン・シンフォニアは、窓辺の席で頬杖をつきながら、ぽつりと呟いた。
アナステシア世界では、16歳で成人として扱われる。つまり、親の庇護下や学園というモラトリアムで守られている期間は、あとたったの『3年』しか残されていないということだ。
「そうだな、リアン。我がアルヴィン侯爵家でも、13歳というのは元服に等しい重要な節目だ」
隣の席で、相棒のクラウスが腕を組み、いつになく真剣な面持ちで語り始めた。
「泣いても笑っても、あと3年。我々が16歳を迎えれば、このSクラスという特別な檻を出て、それぞれの道を歩むことになる。私は王国騎士団へ、お前はシンフォニア家の当主として領地経営へ、そして他の者たちも……。このタコ部屋で馬鹿騒ぎできるのも、永遠ではないのだ」
クラウスのノブリス・オブリージュ的センチメンタリズムが、教室の空気を少しだけしんみりさせた。
たしかに、こいつの言う通りだ。
ポポロ村の村長であるキャルルや、世界樹の次期女王であるルナ、地下アイドル(一応人魚姫)のリーザ、そしてゴッドチューバーのキュララ。
今はこうして一つの教室に集まっているが、大人になれば、それぞれの立場や国家の思惑が絡んでくる。いつまでも「12歳のガキ」のノリで世界を引っ掻き回すわけにはいかないのだ。
「そんなの……嫌ですわ」
ルナが、ふんわりとしたエルフの耳をしょんぼりと垂れ下げた。
「みんなと離れ離れになるなんて。私、ずっとこの教室で、みんなと一緒にいたいです……」
「ルナちゃん……。そうだよね、私たち、ずっと一緒だよね……!」
キャルルもウルウルと涙ぐみ、ルナの手をぎゅっと握りしめた。
夕暮れの教室。
モラトリアムの終わりに怯え、別れを惜しみ合う少年少女たち。
これぞ青春。これぞ学園ファンタジーの醍醐味である。俺も思わず、前世の擦れた大人の心を忘れ、ホロリと涙しそうになった――その時だった。
『ハフッ……ハフハフッ……! ん〜っ、外はカリカリ、中はトロットロ! この熱々のタコと濃厚なソースのハーモニー、最高ですの〜ッ!』
感動的な青春の1ページを、ソースと青のりの匂いが無慈悲にぶち壊した。
教室の一番後ろの席。
シーラン国の第一王女にして極貧地下アイドルのリーザが、俺が今日の昼飯用に作り置きしておいた『特製たこ焼き』を、舟形の皿から爪楊枝で猛然と口に放り込んでいたのだ。
「……おいリーザ。お前、人がせっかくいい雰囲気で将来の話をしてる時に、何ハフハフ食ってんだ」
俺は青筋を立てて睨みつけた。
「ハフハフッ、ンキュッ……ぷはぁっ! 何を言ってますのリアン様! 将来の不安より、目の前のカロリー! 先の事より、今はこのたこ焼きを胃袋に収める方が大事に決まってますわ! 冷めたら美味しくありませんの!」
リーザは口の周りにマヨネーズをべっとりとつけながら、全く悪びれる様子もなく堂々と言い放った。
「相変わらずだな、お前は……。少しは地下アイドルとしての体型管理とか気にしろよ。……ん?」
俺は、呆れ果ててため息をつこうとし――ふと、違和感を覚えた。
リーザの顔。
なんだか、以前よりも少し『丸く』なっていないか?
いや、顔だけじゃない。彼女が着ているピンク色の芋ジャージ、あんなにパツパツだったか? ジャージのジッパーが、はち切れんばかりに悲鳴を上げているように見える。
「……おい、リーザ。お前……少し、太ったんじゃないのか?」
俺の何気ない一言が、教室の空気を一瞬で凍りつかせた。
「な、何を言っておりますの〜!?」
リーザが素っ頓狂な悲鳴を上げ、舟形の皿をバンッと机に叩きつけた。
「失礼な! アイドルたる者、身体のケアは完璧ですの! 毎朝のラジオ体操と、スーパーの試食コーナーを巡る反復横跳びで、わたくしの代謝は常にトップギア! これは太ったのではなく、愛嬌という名の『アイドル・グロウ(成長)』ですわ!」
「いや、アイドル・グロウってなんだよ。ただのぜい肉だろ、それ」
俺は冷静にツッコミを入れながら、視線を他のメンバーへと移した。
「キャルル……お前もだ。その特注の安全靴に乗っかってる太もも、前はもっと引き締まった筋肉質だったよな? 今、なんかマシュマロみたいにぷにぷにしてないか?」
「ひゃんっ!?」
キャルルが顔を真っ赤にして、慌てて両手で太ももを隠した。
「ち、違うもん! これは筋肉が……その、冬に向けてエネルギーを蓄えてるだけだもん! ウサギは冬眠しないけど、防寒対策なの!」
「ルナ。お前もさっきから大人しいと思ったら、机の下でデパ地下の高級バウムクーヘン丸かじりしてるよな? お前、エルフのくせに最近アゴのラインが消えかかってるぞ」
「ふぇっ!? ほ、ほえひゃはひはいへふわ……!(こ、これは違いますわ……!)」
ルナがバウムクーヘンを口いっぱいに頬張ったまま、必死に首を横に振る。
「キュララに至っては、ゴッドチューブの配信で毎日リスナーから送られてくるルナ・イーツ(デリバリー)のピザやら寿司やら食いすぎだ。その聖騎士の鎧、ウエスト部分の留め金が一個外れてるぞ」
「あーっ!? 見ないでリアン君! 最近ちょっと鎧が縮んだのかなって思ってたのにぃ!」
次々と暴かれる、13歳女子たちの無惨な現実。
だが、問題は彼女たちだけではなかった。
「……クラウス。お前も人のこと言えないぞ」
俺が最後に視線を向けたのは、俺の相棒である誇り高き騎士だった。
「なっ……ば、馬鹿を言え! 私は毎日欠かさず素振りを千回行い、鍛錬を怠ったことなど一度もない! 私の肉体は常に研ぎ澄まされた鋼のごとき――」
「じゃあ、なんでお前のその甲冑、さっきから『ミチィッ……ミチィッ……』って嫌な音立ててんだよ。腹回りの装甲、絶対サイズ合ってねぇだろ」
「こ、これはっ! ドワーフの鍛冶師が寸法を間違えたのだ! もしくは、天魔窟で浴びた死蟲の酸の影響で、金属が収縮したに違いない! 決して、私が太ったわけではないッ!」
クラウスは顔を真っ赤にして、冷や汗をダラダラと流しながら必死に言い訳を並べ立てた。
――全員、クロだ。
見事なまでのリバウンド。あるいは、平和ボケによる肥満。
激戦続きだった天魔窟の探索が終わり、学園でのんびり過ごす日々が続いた結果、Sクラスの面々は確実に『ぽっちゃり』への道を歩み始めていたのだ。
「……しまった」
俺は、額に手を当てて天を仰いだ。
原因は、他でもない『俺』だった。
前世で三ツ星レストランの副料理長だった俺は、毎日のようにこいつらに最高峰の料理を振る舞っていた。
肉椎茸の巨大エビ天丼、シープピッグの分厚いカツレツ、ハニーかぼちゃの蜜をたっぷり絡めた大学芋。
思い返せば、フランス料理の基礎は『バターと油』だ。俺は「成長期のこいつらには美味いものを食わせてやりたい」という親心から、一切のカロリー計算を放棄し、旨味と脂質の暴力を連日連夜胃袋に叩き込み続けていたのだ。
「リアン様……? なぜそんな、世界の終焉を見たような顔をしておりますの……?」
リーザが、最後のたこ焼きを飲み込みながら不安そうに聞いてきた。
「……俺が超一流のシェフであることが、仇になった」
俺は重々しく口を開いた。
「いいか、お前ら。残酷な真実を教えてやる。……この世の『美味い物』っていうのはな、全部『カロリー』と『脂質』でできてるんだよ」
「つ、つまり……?」
キャルルがゴクリと息を飲んだ。
「お前らが今体に蓄えているそのぷにぷにのお肉は、全部俺が作った三ツ星の料理の結晶だ。このままじゃ、16歳の成人を迎える頃には、お前ら全員、ロックバイソンみたいに丸々と太った豚になるぞ」
「「「「えええええええええええっ!?」」」」
少女たちの絶叫が、タコ部屋に響き渡った。
クラウスに至っては「私が、ロックバイソンに……? ノブリス・オブリージュの精神が、脂肪に埋もれてしまうというのか……!」と膝から崩れ落ち、白目を剥いている。
「というわけで、決定だ」
俺はパンッ! と両手を打ち鳴らし、冷酷なRTA走者の顔(悪魔の笑み)を浮かべた。
「今日から、Sクラスは全員強制ダイエットだ! ジャンクフード禁止! 完食禁止! もちろん、俺の三ツ星料理も当分お預けだ! お前らのそのたるんだ体に、地獄の業火(カロリー消費)を叩き込んでやる!」
「そ、そんなぁぁぁぁっ! わたくしの、わたくしの唯一の楽しみがぁぁぁっ!!」
「リアン君の鬼! 悪魔! カロリーの独裁者ぁぁっ!」
13歳という、多感で食欲旺盛な青春の真っ只中。
世界を救うよりも過酷で理不尽な『カロリーとの聖戦』が、今、ルナミス学園のタコ部屋で幕を開けたのである。
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