EP 29
太陽芋農家の誕生(地に足のついた帰還)
ルナミス帝国の首都。
夕闇が迫り、魔導ガス灯が街並みを照らし始める頃。帝国の歓楽街には、きらびやかなネオンサインが瞬き、道ゆく人々の笑い声と甘い香水が漂い始めていた。
「……」
ユートは、冒険者ギルドから少し歩いた先にあるその歓楽街の入り口で、立ち止まっていた。
彼の手には、ズッシリと重い革袋が握られている。中には、天魔窟で死王蟻機を倒して得た討伐報酬――金貨三千枚、日本円にして約三千万円相当の莫大な富が詰まっていた。
「どうした、ユート。行かないのか?」
少し後ろを歩いていた俺――リアンが、声をかけた。
ユートの視線の先には、けばけばしいドレスを着た女性たちが客引きをしている高級クラブや、煌びやかなカジノの看板が並んでいる。
「ルチアナのクソ女神が組ませた100万の借金は、クーリングオフで消滅した。その金貨三千枚は、正真正銘お前が命を懸けて勝ち取った、お前だけの金だ」
俺は腕を組み、ニヤリと笑った。
「当初の目的だった『一獲千金でキャバクラ梯子酒をして、いい女を両脇に侍らせる』っていうビッグ・ドリームを叶える時だろ。ほら、行ってこいよ。今日はおごりでもいいぞ」
農家の貧しい三男坊が、突然手にした三千万円。
普通なら、欲望のままに歓楽街へと飛び込み、酒とギャンブルと女に溺れて、あっという間に身を持ち崩すのがお約束のパターンだ。
だが、ユートは歓楽街のネオンをしばらく見つめた後――ふっ、と静かに息を吐き、きびすを返した。
「……いや、いいや。なんか……そういうのは、もういいかなって」
「ほう?」
俺は少し驚いたふりをした。
「どういう風の吹き回しだ。散々『ルナミスで女を侍らせるんだ!』って息巻いてただろ」
「あー……うん。確かに言ってたし、今でもちょっと憧れはあるけどさ」
ユートは頭を掻きながら、照れくさそうに笑った。
「天魔窟でさ。魔法を封じられて、周りはバケモノだらけで……ルナちゃんが岩に挟まれて泣いてた時、俺、本当に死ぬほど怖かったんだ。マグローザ漁船で借金返すより、ここで虫の餌になる方がずっと怖いって」
ユートは手元の折れ曲がった鉄の剣――タローマン製の安物だが、ルナを守り抜いた誇り高き剣――の柄を、愛おしそうに撫でた。
「でも、怖かったけど……あの時、ルナちゃんを守ろうとして前に出た瞬間、なんか胸の奥がスゥッと晴れたんだよな。一億円とか、モテたいとか、そういうごちゃごちゃした計算が全部消えて……『ただ、この子を守りたい』って、それだけしか考えられなくなった」
それは、彼の中に眠っていた『打算なき勇気(真・ブレイブ)』が覚醒した瞬間の境地だった。
「俺、あの時わかったんだ。俺が今までデカい口叩いてたのは、借金の恐怖を誤魔化すための『虚勢』だったんだなって。……それにさ」
ユートは、ポツリと付け加えた。
「ダイヤ先生が、ダンジョンの冷たい床で、焚き火でマシュマロ焼いて美味そうに食ってたろ。……あんなに綺麗で強い人でも、あんな小さな幸せを大事に生きてるんだって思ったらさ。俺の夢、ちっぽけで恥ずかしくなっちまって」
ユートの脳裏には、紅蓮の戦乙女と称されるダイヤが、海老天丼を食べて涙を流して喜んでいた姿が焼き付いていた。
「俺、やっぱり土いじりが性に合ってるみたいだ。……リアン、俺、ポポロ村に行くよ」
「ポポロ村?」
「ああ。あそこなら土地も開拓中で安いし、ルナミスやアバロンの中間地点だから、物資の行き来もある。このお金を元手に、ポポロ村で『太陽芋農家』を始めようと思うんだ」
ユートの顔には、欲望にまみれた小市民の焦りはもうない。
そこにあるのは、地に足をつけ、自らの力で未来を切り拓こうとする『太郎型』勇者特有の、泥臭くも清々しい逞しさだった。
「……そうか」
俺は、小さく息を吐いた。
計算や効率ばかりを追い求める俺には、絶対に辿り着けない境地。だからこそ、コイツの泥臭い生き方は見ていて飽きない。
「いいんじゃないか。太陽芋は栽培から収穫までの期間が短くて、イモッカ(芋焼酎ウォッカ)の原料にもなるからな。手堅いビジネスだ。……よし、思い立ったが吉日だ。今すぐポポロ村の村長に土地の交渉をしに行くぞ」
「えっ!? い、今からか!?」
「善は急げだ。乗れ」
俺が指を鳴らすと、上空から輸送用ドラゴン型マグナギア『竜丸』が舞い降りてきた。
俺たちは竜丸の背に乗り、夜の空を越えて、ルナミスとアバロン、レオンハートの三国緩衝地帯である『ポポロ村』へと向かった。
* * *
ポポロ村。
人口約千人、広さ五百ヘクタールほどの長閑な村だが、ルナミス帝国資本の『タローマート』や『タローソン』、24時間ファミレス『ルナキン』が進出しており、生活インフラは異様に発達している。
夜の村長宅――つまり、俺たちSクラスの面々が入り浸っている4LDKのシェアハウスを訪ねると、村長であるキャルルがエプロン姿で出迎えてくれた。
「あ、リアン君、ユートお兄ちゃん! おかえりー! 今ね、ルナちゃんと一緒にクッキー焼いてたんだよ!」
キャルルは普段の『ヤンデレ気質』や『膝蹴りでモンスターを粉砕する武闘派』の顔を完全に隠し、絵に描いたような可愛らしい少女の顔で二人を迎え入れた。
「キャルル、夜分に悪いが、こいつがこの村の土地を買いたいそうだ」
「えっ、ホント!? やったー! 村の住人が増えるのは大歓迎だよ! ゲートボール大会で駆け落ちしちゃった前の村長さんの畑が、ちょうど空いてるから、そこを安く譲ってあげるね!」
キャルルは満面の笑みで、手際よく村長権限で土地の譲渡契約書を作成し始めた。
その横で、芋ジャージ姿のリーザがお賽銭箱型掃除機を磨きながら、ユートの金貨袋を虎視眈々と狙っている。
「ユートさん……その農場、ぜひわたくしに投資しませんこと? わたくしが歌で太陽芋の成長を早めて差し上げますわよ……ジュルリ」
「お、お断りします! 俺の金は絶対渡さないからな!」
ユートは金貨袋を抱きしめて後ずさった。
「ユートお兄ちゃん、農家さんになるの? えへへ、じゃあ私、世界樹の力で太陽芋をメロンみたいに甘くしてあげようか?」
ルナが小麦粉まみれの顔で、天然の恐ろしい提案をしてくる。
「いや、普通でいい! 普通の太陽芋を作りたいんだ!」
騒がしいシェアハウスの光景に、ユートは苦笑しながらも、どこかホッとしたような顔をしていた。
翌朝。
夜明けと共に、ユートは『タローマン(ホームセンター)』で買った真新しいクワを肩に担ぎ、キャルルから譲り受けた畑へと立っていた。
遠くでは、荷物運搬用のロックバイソンがのんびりと草を食み、トライバードの鳴き声が聞こえる。
「よし……ここからが、俺の新しいスタートだ!」
ユートはクワを大きく振りかぶり、柔らかな土へと打ち込んだ。
ザクッ、という心地よい音が朝の空気に響く。
剣を振るうのとは違う、命を育むための力強い音。
剣術A、体術Aの圧倒的な身体能力を持つ彼にとって、畑を耕す作業など容易いものだった。みるみるうちに、荒れた土地が綺麗に整地されていく。
俺は、少し離れた土手の上から、その姿を静かに見下ろしていた。
「……すっかり板についてるな」
借金に追われ、見栄を張って都会に出てきた農家の三男坊。
だが、死線を超え、誰かを守る覚悟を知った彼は、再び土に触れることで、真の意味で自分の足で立ち上がったのだ。
彼の中に眠る【ブレイブ】は、もう民衆の薄っぺらい支持率になど左右されない。
仲間を守り、日常を愛し、泥臭く手を伸ばす。その揺るぎない『芯』こそが、彼を最強の勇者たらしめているのだから。
「頑張れよ、勇者」
俺は小さく呟き、彼に背を向けた。
さて、あいつが収穫する太陽芋、俺ならどう料理してやるか。
前世の副料理長の血が騒ぎ始め、俺は次なる『レシピ』の構想を練りながら、騒がしいシェアハウスへと戻っていくのだった。
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