EP 26
撃たなきゃいけない瞬間(泥だらけの覚悟)
天魔窟・特設コロシアム。
無機質な金属音と、酸の焦げる嫌な臭いが空間を満たしていた。
『ギヂヂヂヂヂヂッ!!』
押し寄せる死蟻機の群れに対し、ユートはただ一人、ボロボロになった鉄の剣を振り回して抗っていた。
「だぁぁぁっ! 寄るな、このガラクタ虫どもッ!!」
渾身の力で叩きつけた剣が、死蟻機の硬質な甲殻に弾かれ、火花を散らす。
まともな斬撃など通らない。ユートは剣が弾かれた反動をそのまま利用し、体勢を低くして死蟻機の関節部分に肩からタックルをぶちかました。
ガシャァン! とバランスを崩した一匹を、力任せに蹴り飛ばして後続の群れにぶつける。農作業で培った泥臭い体術と、生き残るための本能だけが、彼をギリギリのところで生かしていた。
『キヒヒヒヒ! 素晴らしい! なんと滑稽で無様なダンスダイ!』
空中に浮かぶホログラムモニターの中で、魔人ギアンがコーラをストローで啜りながら腹を抱えて笑っている。
『魔法も使えず、ロクな武器も持たないただの農民が、強固な鋼鉄の軍団に素手同然で挑む! これぞ究極の悲喜劇! さぁ、いつまでその足が保つかなァ!?』
「うるせぇよ、引きこもりピザ野郎……!」
ユートは荒い息を吐きながら、じりじりと後退し、背後にいるルナを庇うように立ち塞がり続けた。
すでに限界は近かった。
タローマン製の鉄の鎧は、死蟻機が吐き出す強酸を浴びて至る所が溶け落ち、ユートの肌を直接焼いている。盾はとうの昔に原形を留めないほどにひしゃげ、使い物にならなくなって投げ捨てた。
「ユ、ユートお兄ちゃん……血が、血がいっぱい出てるよぉ……」
背中越しに、ルナの震える声が聞こえる。
魔法を封じられた彼女は、ただ祈るように両手を胸の前で組むことしかできなかった。
「平気だ、ルナちゃん……。これくらい、畑で猪魔獣に追いかけられた時に比べりゃ……大したこと、ねぇって……」
ユートは強がりを見せるが、その視界はすでに失血と激痛でかすみ始めていた。
* * *
一方その頃。
分断された上層の通路では、リアンたちが分厚い鋼鉄のシャッターをこじ開けようと奮闘していた。
「ぬぉぉぉぉっ! 開け、開けぇっ! このような小細工で、私のノブリス・オブリージュを阻めると思うなァァッ!」
クラウスが顔を真っ赤にして大盾をシャッターに叩きつけ、ダイヤが愛剣の天魔竜聖剣で切り裂こうとするが、ギアンが用意した分厚い隔壁は傷一つ付かない。
「どいてくださいな! わたくしのお賽銭箱型掃除機で、このシャッターごと吸い込んでやりますわ!」
リーザがダイ〇ン顔負けの吸引力でシャッターに挑むが、完全に固定された巨大建築物はビクともしなかった。
「落ち着け、お前ら」
その中で一人、リアンだけが異常なほど冷静だった。
彼はシャッターの隙間に自作の『ANFO爆薬』を緻密な計算に基づいてセットしながら、片手に持ったストップウォッチ(魔法通信石のアプリ)を確認している。
「指向性爆破でピンポイントに蝶番を吹き飛ばす。計算にあと六十秒かかる。……キュララ、中の様子はどうなってる?」
「んー、ちょっと待ってね! 換気口の隙間から、小型ドローンカメラを落とし込んで……あ、映った!」
キュララがスマホの画面をタップすると、そこにはコロシアムで孤軍奮闘するユートの姿が映し出された。
「ああっ……ユート君が!」
キャルルが思わず声を上げる。
画面の中のユートは、文字通り血みどろだった。死蟻機の酸をまともに浴び、鉄の剣はノコギリのように刃こぼれしている。それでも彼は、一歩もルナの前から退こうとしなかった。
「リアン! 早くしてくれ! あのままでは彼が死んでしまうぞ!」
クラウスが悲痛な顔で叫ぶ。
「あのような俗物的な理由で勇者を名乗った男とはいえ、今、彼はたった一人でエルフの少女を守るために命を懸けているのだ! 私には、彼を見殺しにすることなどできん!」
「慌てるなと言ってるだろ」
リアンは爆薬の導火線を繋ぎながら、モニターの中のユートを冷徹に、しかしどこか信頼のこもった目で見つめた。
「あいつは確かに気が小さいし、金と女に釣られるただのバカだ。……だがな、あいつは『理不尽』には絶対に屈しない。目の前で泣いてる弱者を見捨てられるほど、器用に生きられる奴じゃないんだよ」
リアンは前世の記憶を思い出すように、フッと笑みをこぼした。
「覚悟が決まれば、アイツは化ける。俺みたいに計算尽くで動く人間には絶対にマネできない、『泥臭い主人公』の意地を見せてくれるさ」
リアンの言葉と同時に、キュララの配信画面――全世界へ向けたゴッドチューブの放送枠が、少しずつざわめき始めていた。
『……おい、あの鉄装備の農民、まだ立ってんぞ』
『防具ドロドロじゃん……痛覚設定切ってないなら、気絶するレベルの痛みだろ』
『魔法使えないエルフの女の子を守ってるのか?』
『さっきまで金が欲しいとか言ってた奴と同じ人間かよ』
『逃げればいいのに。自分だけなら助かるだろ』
リスナーたちのコメントが、「嘲笑」から「困惑」、そして「驚嘆」へとグラデーションのように変わり始めていた。
* * *
「ガハァッ……!!」
コロシアムの中央で、ついにユートの限界が訪れた。
死蟻機の一体が吐き出した酸が、ユートの右太ももを直撃した。肉の焦げる音と共に、激痛がユートの脳髄を突き抜ける。
ガクンッ、とユートは片膝を突いた。
それを待っていたかのように、三匹の死蟻機が飛びかかり、その重い鋼鉄の脚でユートの背中を踏みつけ、地面へと押し倒した。
「ぐ、がぁぁぁっ……!」
血を吐きながら、ユートは地面の石畳を掻き毟る。
『キヒャハハハハハッ! 終わりだ終わりだァ! お疲れ様、底辺勇者クン! さぁ、そのまま内臓まで溶かされて、エルフの小娘と一緒に私の可愛いペットたちのゲロ(酸)の中で溶け落ちるがいい!』
ギアンがピザの耳を齧りながら、勝利の哄笑を上げる。
「やめてぇぇっ!!」
ルナが悲鳴を上げ、ユートの元へと駆け寄ろうとした。
だが、ユートは血まみれの腕を必死に伸ばし、彼女を制止した。
「く、来るな……ルナちゃん……。酸を、浴びるぞ……」
「でも、ユートお兄ちゃんが死んじゃう! もういいよ、私のために死なないで! 逃げてよぉ……!」
ルナの大粒の涙が、ユートの頬にポツリと落ちた。
「……バカ、言え……」
ユートは、霞む視界の中で、ルナの泣き顔を見た。
その瞬間、彼の脳裏に、リアンに言われた言葉が蘇った。
『助けるには力だけでなく段取りが要る。無謀に突っ込んでも犬死にするだけだ』
そうだ。リアンの言う通りだ。
俺みたいに何の才能もなくて、タローマンの安物装備しか持ってなくて、借金に追われてる農家の三男坊が、段取りもなしに飛び込んでも、ヒロインを救えるわけがない。
でも。
でも、だからって。
「……段取りなんて、考えてる間に……この子が、死んじゃうだろ……」
ユートは、己の背中を踏みつける鋼鉄の重量に逆らい、ギリギリと歯を食いしばって上半身を起こした。
「だったら……俺は、撃たなきゃいけねぇ瞬間に、思いっきり手を伸ばす……! 泥だらけでも、笑われても……リアンと、みんなと、俺とで手を繋げば……絶対に、どうにかなるって……信じてるからな!!」
ユートは、死蟻機の脚を素手で掴み、咆哮と共に強引に撥ね退けた。
ボロボロに折れ曲がった鉄の剣を、杖代わりに突き立てて、再びその両足で立ち上がる。
血と泥と酸にまみれたその顔には、絶望ではなく――不敵な、太郎型特有の『泥臭い笑み』が浮かんでいた。
『な……なんだと!? 貴様、まだ立ち上がるというのか!? そのゴミみたいなステータスで!』
モニター越しのギアンが、コーラを吹き出して驚愕する。
「ああ、立ち上がるぜ。……女の子が泣いてるのに、ここで見捨てて逃げ出したら……俺は一生、ルナミスのキャバクラで美味い酒が飲めねぇからな!」
ユートは剣を正眼に構え直した。
その姿は、キュララのドローンを通じて、全世界へと中継されていた。
打算を捨て、見返りを求めず、ただ己の背中の少女を守るためだけに、圧倒的な死の軍団に一人で立ち向かう、一人の人間の姿。
『……おい、マジかよアイツ』
『逃げないのかよ……!』
『すげぇ……』
『立て! 負けんな、農民!』
『いけぇぇぇっ! ユートォォォッ!!』
ゴッドチューブのコメント欄が、爆発的な勢いで書き換わっていく。
嘲笑は消え失せ、画面は彼を応援する声と、凄まじい額のスーパーチャットで埋め尽くされていた。
そして。
ユートの心の中に眠っていた、ルチアナですらその発動条件を忘れていた隠しコード――【打算なき勇気(真・ブレイブ)】が、民衆の熱狂的な支持とリンクし、ついに絶対的な『覚醒』の臨界点に達しようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




