EP 24
紅蓮の戦乙女と海老天丼(野営)
天魔窟・第十五層。
紫色の瘴気がわずかに薄れ、冷たい地下水が湧き出すこの空間は、ダンジョン内における数少ない『セーフゾーン(安全地帯)』として知られていた。
「よし、今日はここで野営とする。ユートの傷もポーションで塞がったとはいえ、無理は禁物だからな」
リアンの号令で、Sクラスの一行は重い足取りを止めた。
「ふぅ……助かった。鉄の鎧着たまま何十キロも歩くのは、畑仕事よりキツいぜ……」
ユートが地面に大の字になって倒れ込む。彼のステータスは相変わらず【ブレイブ】の仕様(配信での不人気)により最低値のままだが、先ほどキュララを庇った泥臭い勇姿を見たクラウスたちは、彼を見る目を少しだけ改めていた。
「さて、食事の準備をするか」
リアンが魔法ポーチから調理器具を取り出そうとした、その時である。
『……うっ……うぅ……硬い……不味い……でも、カロリーは摂取しなければ……戦えない……』
岩陰の向こうから、女の悲痛な声が聞こえてきた。
リアンたちが警戒しながらそちらを覗き込むと、そこには場違いなほど質素な一人用テントと、小さな焚き火があった。
そして、炎の横で膝を抱え、涙目になりながら『黄色いスポンジのような四角い塊』を無理やり咀嚼している女性の姿があった。
「ああっ! ダイヤ先生ですわ!」
リーザが声を上げる。
焚き火の前にいたのは、紅蓮色に輝くクリムゾンアーマーを身に纏った見目麗しい女性――ダイヤ・マーキス(20歳)だった。
彼女はルナミス帝国・カギタ公爵家の出奔令嬢であり、ユニークスキル【ウェポンズマスター】を持つSランクの賞金稼ぎ。そして何より、リアンたち『ルナミス学園Sクラス』の担任教師 兼 用務員である。
「む? お前たちは……うちのクラスの問題児どもではないか。なぜこんなS級ダンジョンに?」
ダイヤは驚いた顔で立ち上がろうとしたが、胃が受け付けなかったのか「ウプッ」と口元を押さえてしゃがみ込んだ。
「先生こそ、どうしてこんなところで野営してるの? しかも、先生が食べてるそれ……まさか……」
キャルルが、ダイヤの手にある黄色いスポンジを見て顔を引き攣らせた。
ルナミス帝国軍が誇る(そして全軍から忌み嫌われている)最悪の廃棄レーション・第3型。通称『ゲロオムレツ』である。腐った靴下の風味と胃酸の匂いがする、タイヤ並みに硬い合成食料だ。
「……給料日が、まだ遠くてな」
ダイヤは遠い目をして、哀愁漂う声で語り始めた。
「賞金稼ぎの仕事はしているのだが、武器や弾薬のメンテナンス費用で常に財政が火の車なのだ。宿代を浮かせるためにダンジョンでテント生活をし、ルナミス軍のバザーで1個5円で叩き売りされていたこの第3型レーションを主食にして命を繋いでいる……」
「先生……」
ユートが、心底同情するような目でダイヤを見た。
うら若き公爵令嬢が、武器の整備代のために家もメシも削り、ダンジョンの冷たい床でゲロオムレツをかじっているのだ。貧乏農家出身のユートにとって、彼女のその悲惨な生活力は他人事とは思えなかった。
「もういい。見ていられねぇ」
リアンが深くため息をつき、魔法ポーチから本格的な調理器具――中華鍋、菜箸、そして大量の油を取り出した。
「お前ら、今からまともなメシを作ってやる」
「おお! リアン様の料理ですの! 待ってましたわ!」
「やったー! リアン君のご飯、すっごく美味しいんだよね!」
リーザとルナが歓声を上げる中、リアンは先ほどの戦闘で倒し、インベントリに収納していた『死蟷螂機』の巨大な鎌と、『死甲虫機』の胴体パーツを取り出した。
「……り、リアン? 料理を作ると言って、なぜ死蟲の残骸を出したのだ?」
クラウスが嫌な予感を感じて後ずさる。
「まさか、この機械の虫を食う気か!? やめろ! いくら腹が減っているとはいえ、魔獣を、しかも虫を食うなど騎士のやることではない!」
「無知とは罪だな、クラウス。お前は、この死蟲機の構造を知らないのか」
リアンは前世の三ツ星レストラン副料理長の顔になり、死蟷螂機の装甲の隙間に見事な手際で包丁を差し込んだ。
パキパキッ! と装甲を剥がすと、機械部品の奥から、白く透き通った『プルプルの巨大な身』が姿を現した。
「なっ……機械の中に、肉が……!?」
「あぁ。死蟲王サルバロスの生み出す死蟲機は、無機物と有機物のハイブリッドだ。特にこいつらの筋肉繊維の主成分は、甲殻類――エビやカニと完全に一致している。鮮度さえ良ければ、これほど極上の食材はねぇんだよ」
リアンは鮮やかな包丁捌きで死蟲の肉を切り出し、背ワタ(オイル管)を丁寧に取り除いていく。その様は、高級料亭の板前そのものだ。
「よし、油の温度は180度。衣には米麦草の粉と、魔法でキンキンに冷やした天界の湧き水を使うぞ。温度差がサクサクの衣を生むんだ」
リアンは切り出した巨大な死蟲の肉に衣をまとわせ、たっぷりの熱した油が張られた中華鍋へと投入した。
ジュワァァァァァァァッ!!
洞窟内に、食欲を暴走させる香ばしい油の匂いが立ち込める。
「ごくり……」
ユートの喉が鳴った。
「や、ヤバい。腹減ってきた……!」
ダイヤに至っては、ゲロオムレツを放り捨てて中華鍋に釘付けになっている。
「仕上げだ。太陽芋を素揚げにして甘辛いタレを絡めた特製ソース(天つゆ)を、炊きたての米麦草のご飯にかける」
リアンは丼に盛ったご飯の上に、きつね色に揚がった長さ30センチはあろうかという『特大エビ天(死蟲天)』を三本も乗せ、その上から濃厚な天つゆを回しかけた。
「完成だ。特製・死蟲の特大エビ天丼だ。食え」
「い、いただきますッ!!」
誰よりも早く丼に飛びついたのは、ダイヤだった。
彼女は行儀も忘れ、両手で特大の死蟲天を掴むと、ガブリと豪快に噛み付いた。
サクッ……。
小気味よい衣の音に続き、プリップリのエビ(死蟲)の濃厚な旨味が、甘辛いタレと共にダイヤの口の中に爆発的に広がる。
それは、連日ゲロオムレツで味覚を破壊されかけていた彼女の脳髄に、天国のような衝撃を与えた。
「う……うぉぉぉぉぉぉぉぉんッ!!」
ダイヤの美しい目から、大粒の涙が滝のようにあふれ出した。
「美味い……! 美味すぎる……っ! サクサクの衣の中に、閉じ込められた暴力的なまでの海の幸の旨味! 天つゆの甘さとご飯の熱気が、私の荒んだ細胞の一つ一つに染み渡っていく……! 生きてて……生きててよかったぁぁぁっ!!」
ダイヤは泣き咽びながら、ものの数十秒で巨大なエビ天丼を完食してしまった。
「し、師匠!!」
ダイヤは突然、リアンの前に土下座した。
「私を、私をあなたの弟子にしてください! いや、専属の用心棒として雇ってくれ! 報酬はこの天丼一日三杯で構わない!!」
「……二十歳の担任教師が、12歳の教え子にメシ目当てで土下座すんなよ。みっともねぇ」
リアンは呆れながらも、ダイヤにもう一杯天丼を作ってやった。
「すげぇ……マジで美味い! これがエビの味なのか! 太陽芋の甘みもタレにすげぇ合ってる!」
ユートも天丼を頬張りながら感動の声を上げている。
騎士の矜持で拒否していたクラウスも、一口食べて「なんという美味だ……!」と無言でガツガツと平らげ始めていた。
食後。
温かい陽薬茶を飲みながら、焚き火のそばでダイヤとユートが話し込んでいた。
「なるほど、ユート君は太陽芋農家の出身か」
「はい。貧乏な三男坊でして……土いじりばかりやってたんですけど、魔王を倒せば一億もらえるって聞いて、借金までして勇者になっちまったんです」
ユートが恥ずかしそうに頭を掻く。
「借金か……分かるぞ、その辛さ。私も武器の維持費で常に首が回らんからな。だが、農家という出自を恥じることはない。土を耕し、命を育む営みは、剣を振るうこと以上に尊いことだ」
ダイヤは優しく微笑み、マシュマロを串に刺して焚き火で炙り始めた。
「私は野営の時、こうしてマシュマロを焼いてコーンスープを飲むのが唯一の癒しなのだ。貧しくとも、この小さな幸せがあれば戦える」
「先生……」
高貴な公爵令嬢でありながら、極貧生活の中で小さな幸せを噛み締めるダイヤ。
そんな彼女の等身大の姿に、ユートはどこか親近感――あるいは淡い憧れのようなものを抱き始めていた。
「ダイヤ先生って、綺麗で強くて、その上苦労人で優しいんだな……」
ユートがポツリと呟く。
「あぁ、そうだな」
リアンが横で頷きながら、冷徹な一言を付け加えた。
「でもあいつ、男運ゼロで彼氏いない歴=年齢の拗らせ処女だぞ」
「えっ!?」
「おいリアン! 今聞こえたぞ! 乙女のデリケートなプライドを無慈悲に抉るな!」
ダイヤが真っ赤になって怒り出し、クリムゾンアーマーをガチャガチャと鳴らしながら立ち上がった。
暗く冷たいダンジョンの中に、温かな料理の匂いと、他愛のない笑い声が響き渡る。
だが、この平穏な時間が長く続かないことを、リアンだけは薄々感じ取っていた。
(……静かすぎる。第十五層にしては、死蟲たちの気配が完全に消えてる。まるで、何者かが意図的に魔物を引かせ、俺たちを奥へと誘い込んでいるような……)
リアンが密かに自作ANFO爆薬の起爆スイッチに指をかけたその時。
焚き火の炎が、不自然に緑色へと変色し――天魔窟の奥底から、道化師の不気味な笑い声が響いてきたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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