EP 20
現実帰還と女神の借金地獄(ノーコンティニューで破産してくれ)
『FATAL ERROR: Memory Overflow』
暗黒の虚空に浮かび上がったその無機質な文字列を最後に、リアンたちの意識は急速に仮想空間から引き剥がされた。
まるで深い水底から水面へと一気に引っ張り上げられるような浮遊感。そして、鼓膜を打つ「キーン」という不快な耳鳴り。
「……ッ、はぁっ!」
リアンが大きく息を吸い込み、目を見開くと、そこは斜陽が差し込む見慣れたルナミス学園Sクラスの特別教室――通称『タコ部屋』だった。
鼻をくすぐるチョークの匂い。遠くのグラウンドから聞こえる運動部の声。
フルダイブの強制切断による軽い眩暈を感じながらも、リアンは自身の首筋をさすり、五体が現実世界に無事帰還したことを確認した。
「……生きて、いる……? 私は、四角いポリゴンの塊にならずに……済んだのか……?」
教室の床に這いつくばり、ガタガタと震えながら己の手のひらを見つめているのは、クラウスだった。
彼の誇り高き騎士道精神は、魔物をけしかけ、老人から年金を巻き上げ、ダンジョンを爆破し、パジャマ姿の魔王を掃除機で吸い込み、バグの化け物に村人を投げつけられたことで、もはや塵一つ残らないほどに完全粉砕されていた。
「あはは、終わっちゃったねー。あの四角いおじさんたち(村人)が飛んでくるの、シュールで面白かったのに」
キャルルは特注の安全靴を脱いで足の指をほぐしながら、日常と全く変わらないテンションで笑っている。
「世界樹の純金、もっと出したかったなぁ。もったいないことしちゃった」
ルナが世界樹の杖を撫でながら、ふんわりとした笑顔で首を傾げる。彼女が投下した10トンの純金オブジェクトこそが、あの世界にトドメを刺した最大の要因であることを本人は全く理解していない。
「あーっ! スマホの配信アーカイブ、最後の方がバグって録画できてないよー! 最高の撮れ高だったのにぃ! でもでも、スパチャの決済は無事に通ってるみたい! リスナーのみんな、命懸けのクソゲー実況にお布施ありがとねー☆」
キュララはエンジェルすまーとふぉんの画面をスクロールさせ、投げ銭の総額を見てホクホク顔になっている。
「……おい、ルチアナ。生きてるか」
リアンが冷ややかな視線を向けた先。
教卓の裏では、ピンク色の芋ジャージを着た女神ルチアナが、真っ白に燃え尽きた明日のジョーのような姿勢で膝を抱えていた。
彼女の手の中にある黒いキューブ(サタンクエストの起動デバイス)は、プシューッと情けない音を立てて白煙を上げている。物理的に焼き切れたのだ。
「あ……あああ……私の、私の最高傑作が……。ゴッドチューブで大バズりして、月人君のライブのVIP席を買って、余ったお金で焼き肉を食べるはずだった、私の完璧な一攫千金計画が……」
ルチアナはボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「あんたたちのせいよぉぉぉっ!! なんであんなデバッグみたいな真似ばっかりするのよ! まともにフラグを立てなさいよ! バグ増殖した金貨を一億枚も捨てるバカがどこにいるのよぉぉっ! サーバーのクラウド利用料が、秒速で跳ね上がって、私の心臓が止まるかと思ったわよ!!」
「お前の組んだコードが素人以下だったのが原因だろ。次からデスゲームを主催する時は、もう少しマシなサーバーをレンタルしてからにしろ。……まぁ、被害者が俺たちだけで済んでよかったな。一般のプレイヤーがやってたら、今頃お前の神格剥奪問題に発展してたぞ」
リアンは鼻で笑い、教卓に寄りかかった。
「うぅぅ……これでまた、リリスに借金してルナキン(ファミレス)のドリンクバーで粘る生活に逆戻りだわ……」
ルチアナがめそめそと泣き崩れる中、教室の隅から、ひときわ異様なオーラが放たれ始めた。
「……フフフ。……アハハハハハハッ!!」
突如として、高らかな、そして極めて邪悪な高笑いが響き渡った。
声の主は、元シーラン国の親善大使にして、極貧地下アイドルのリーザである。
彼女は自分の手元の端末を握りしめ、顔を紅潮させてワナワナと震えていた。
「り、リーザちゃん? どうしたの? ゲームの中の金貨が消えちゃって、ショックでおかしくなっちゃった?」
キャルルが心配そうに覗き込む。
「いいえ! いいえ違いますわキャルルさん! むしろ逆! わたくしは今、圧倒的な『勝利』を確信しているのですの!」
リーザはバァン! と机を叩き、ルチアナに向けてビシッと指を突きつけた。
「ルチアナさん。貴女、あの『サタンクエスト』の決済システムやAPI(外部連携機能)を、手抜きして自分の『エンジェルすまーとふぉん』の管理者アカウントと直結させていましたわね?」
「えっ? ……う、うん。だって、ゲーム内課金のシステムをイチから組むの面倒だったし。私のクレカの口座を経由させて、売上を直接引き落とせるようにしてたけど……それが何よ?」
「やっぱりですわ! わたくし、第2話ではじまりの街のNPCの家から、パソコンをハッキングして『株と定期預金』を解約しましたわよね?」
「ええ、リアンが壺を割ってる横で、あんたサイバー犯罪やってたわね。あれはドン引きだったわ」
「その時、わたくしのお賽銭箱型掃除機のデータ干渉能力を使って、あのNPCの資産データを、ゲーム内の架空通貨ではなく、貴女の『管理者決済ルート』に強引に流し込んでおきましたの!」
「…………は?」
ルチアナの動きが、ピタリと止まった。
「つまり! わたくしがゲーム内で奪い取った『NPCの老後資金』は、ルチアナさんのクレジットカードのキャッシング枠を経由して、現実世界のわたくしの仮想通貨口座へと、見事にロンダリング(資金洗浄)されて送金されていたということですわーーっ!!」
「なっ……!?」
リアンも思わず目を見開いた。ゲーム内の架空の電子データを、運営のガバガバな決済システムを突いて現実の現金として引き出したというのか。
「やりましたわ! やりましたわよキャルルさん! ルナさん! これで今月はパンの耳や雑草サラダを食べなくて済みますの! タローマートで一番高いお肉を買って、すき焼きパーティーですわ! あわよくばルナミス帝国のタワーマンションの頭金に……!!」
リーザが歓喜の舞を踊りながら、涙を流して天を仰ぐ。
その直後だった。
ルチアナのジャージのポケットに入っていた『エンジェルすまーとふぉん』が、けたたましい警告音を鳴らし始めた。
『ピピッ! ピピッ! 警告! 警告!』
ルチアナが震える手でスマホを取り出し、画面を見る。
そこに表示されていたのは、カード会社(天界銀行)からの無慈悲な通知の嵐だった。
【ご利用のお知らせ】
『キャッシング利用:999,980円(送金先:不明な口座)』
『エラー:クレジットカードの利用限度額(100万円)に到達しました。』
『セキュリティ警告:不正利用の疑いがあるため、カードを緊急停止しました。』
『ご案内:お支払いは自動的に年率15%の36回払い(月々約68,000円)に設定されました。』
「あ…………ぁ…………」
ルチアナの口から、魂が抜けるような声が漏れた。
「ちょ、ちょっと待って……これ、私がリーザに100万円振り込んだことになってるの!? 私の、私の残り少ないカードの枠が!! 全部、全部持っていかれたぁぁぁっ!?」
「ごちそうさまですの! ルチアナさんの血肉(クレカの枠)は、わたくしのアイドル活動の尊い養分として、大切に使わせていただきますわ! Love & Money!!」
リーザがウインクを決め、胸の前でハートマークを作る。
「返して! 返しなさいよこの泥棒人魚! 100万なんてどうやって返すのよぉぉ! 私の月給じゃ利子しか払えないわよぉぉ!」
ルチアナがリーザに飛びかかろうとするが、リアンがその首根っこを掴んで引き止めた。
「諦めろルチアナ。サイバーセキュリティを怠った運営の自己責任だ。お前が手抜きして決済APIを開けっぱなしにしてたのが悪い。高い勉強代だったな」
「リアンの鬼! 悪魔! 勇者の皮を被ったサタン! あんたたち全員出禁よぉぉっ!!」
ルチアナがギャン泣きして床を転げ回っていると、ふと、教室の窓の外が異様に暗くなった。
見上げれば、天界から降りてきたと思われる『サングラスをかけたレスラー体型の黒服たち』が、無言で窓ガラスの向こう側に並んで立っていた。手にはご丁寧に、人間が一人入りそうな巨大なスーツケースを持っている。
「ひぃっ!? や、闇金……天界の取り立て屋!?」
ルチアナが顔面を土気色にして後ずさる。
限界額の100万を飛ばし、不正利用でカードを止められた不良債権者(女神)を回収しにきたのだ。
「あーあ。ルチアナ、お前、マグローザ漁船(遠洋漁業)にドナドナされるのか。船内通貨の『K(ケツフキのK)』でチンチロでもして、せいぜい頑張って借金返してこいよ」
リアンが同情の欠片もない声で見送る。
「いやぁぁぁっ! 漁船は嫌ぁぁっ! 魚臭くなるぅぅ! 誰か、誰か立て替えてぇぇっ! クラウスぅ! あんた侯爵家の嫡男でしょ! ノブリス・オブリージュの精神で助けなさいよぉぉっ!」
窓を割って侵入してきた黒服たちに両脇を抱えられ、スーツケースに詰め込まれそうになりながら、ルチアナが必死に手を伸ばす。
だが、クラウスは床に倒れ伏したまま、虚ろな目で宙を見つめていた。
「……フフフ。魔王は……パジャマ……お爺ちゃんに睡眠薬……ダンジョンは爆破……ハハハ……騎士道とは……一体……」
完全に心が壊れ、再起動に数日はかかりそうな状態だった。
「だめだこりゃ! リ、リアンきゅん! 今までちょっと態度が悪かったのは謝るから! そのANFO爆薬でこの黒服たちを……!」
「じゃあな、ルチアナ。帰ってきたら、今度はバグのないまともなゲームを作れよ」
リアンは薄情に手を振り、ルチアナを乗せたスーツケースのジッパーが、無慈悲に「ジーーーッ」と閉じられた。
「あーっ! リスナーのみんなー! 借金を踏み倒した女神様が、ついにマグローザ漁船に出荷されるよー! #女神のドナドナ #借金は計画的に で拡散よろしくねー!」
キュララがスーツケースを抱えて飛び去っていく黒服たちにカメラを向け、満面の笑みで実況を締めくくった。
「うふふ、ルチアナちゃん、お船の旅行楽しんできてね〜」
ルナが呑気に手を振る。
「さて、リーザちゃん! お肉買いに行こっか! 今日はタローマンの特売日だよ!」
「はいですの! 豪遊しますわよー!」
かくして、ルチアナの借金完済という野望は、リアンたちの手によって見事に粉砕(むしろ限界突破で破産)され、サタンクエストの事件は幕を閉じた。
リアンは夕日に染まる空を見上げながら、深くため息をついた。
(……結局、今回も周りの頭がおかしすぎて、俺が一番の常識人だったな。全く、疲れる連中だぜ)
一歩間違えれば国家反逆罪レベルの兵器を量産し、躊躇なく老人に睡眠薬を盛る男が、一体どの口で「常識人」を名乗るのか。
しかし、彼らがルナミス帝国における『規格外のSクラス』であることだけは、誰の目にも疑いようのない事実であった。
読んでいただきありがとうございます。
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