EP 5
屈辱のアビス怪人と、強欲アイドルの虫かごビジネス
ルナミス学園、第一校舎1階・男子トイレ前。
シトラスの爽やかな香りが漂う冷たいタイルの上で、宇宙の理を越えてやってきた『アビス怪人』は、仰向けのままピクピクと痙攣していた。
『ピキュ……ピ、ピキュゥゥゥゥ……』
先ほどまで2メートルを超える巨体と、世界を絶望に陥れるほどの瘴気を放っていた彼は今。
タローマン製『対魔獣用・超強力殺虫剤』の理不尽な化学反応により、わずか【5センチ(カブトムシ程度)】の手のひらサイズにまで縮小させられてしまっていた。
『お、おのれ……。おのれぇぇぇぇっ……!!』
アビス怪人は、短い手足をバタバタと動かし、なんとかうつ伏せの状態へと体勢を立て直した。
見上げる男子トイレのドアは、今の彼にとってはそびえ立つ巨大な城壁のようだった。
そして、その城壁の奥に鎮座する、この世界の真のボス(※絶賛下痢と戦闘中)であるリアン・シンフォニアの恐ろしさに、怪人は身を震わせた。
『バケモノめ……! まさか、この宇宙の覇者たる俺様の魔圧を、あんな黄色と黒の筒から放たれた謎の霧だけで相殺するとは……ッ! だが、俺様はアビスの使者! この程度の屈辱で終わると思ったら大間違いだぞ!』
怪人は、自身の体内に残された魔力を練り直し、再び巨大化してリアンに復讐を果たすための計算を始めた。
数時間、いや数十分もあれば、元の力を取り戻せるはずだ。
『フハハハッ! 待っていろリアン! 次に貴様の前に姿を現す時は、貴様が便座から立ち上がる暇すら与えずに——』
「……あら? なんですの、この黒くてキモい虫は」
突如として。
アビス怪人の頭上に、巨大な『影』が落ちた。
『む?』
怪人が見上げると、そこにはエンジ色の芋ジャージを着た人間の女——先ほどタコ部屋で自分に「受付はあっちですわ」と塩対応をした、強欲アイドル・リーザが立っていた。
魔界二郎系ラーメンの暴力的なカロリーを完全に消化し、食い倒れ状態から復活したリーザは、腹ごなしの散歩がてら廊下を歩いていたのだ。
「ピクピク動いてますわね。ゴキブリの親戚かしら? ……ええい、気持ち悪いですわ! 踏み潰して差し上げますの!」
リーザは、履き古した健康サンダルの裏を、容赦なくアビス怪人に向けた。
『なっ!? ま、待て貴様! 下等生物の分際で、この宇宙の覇者たる俺様を踏むなど——!!』
「……へ?」
サンダルを振り下ろそうとしたリーザの動きが、ピタリと止まった。
「い、今……この虫、喋りましたの……?」
『ふん! 驚いたか人間! いかにも、俺様は深淵より来たりしアビスの——』
「喋る虫……。珍獣……。……ハッ!!」
リーザの瞳が、突如として【黄金色(カネの猛者の目)】にギラリと輝いた。
「これを見世物にすれば、とんでもなく儲かるかもしれませんわぁぁぁぁっ!!♡」
『……は?』
アビス怪人が事態を飲み込むよりも早く。
リーザは光の速さでタローマン製の【安いプラスチックの虫かご】をどこからか取り出すと、アビス怪人を素手で鷲掴みにし、そのままポイッと虫かごの中へと放り込んだ。
『な、なにをする貴様ァァァッ!! 離せ! 俺様をこんなチープな緑色のカゴに閉じ込める気か!?』
「フハハハハッ! さすがリアンさんのシマ(学園)ですわ! まさか廊下にこんな特大の『現金のなる木』が落ちているなんて! 早速、キュララ様の所に持ち込んで一稼ぎですわよーっ!!」
『や、やめろォォォォッ!!』
宇宙の覇者の悲痛な叫びは、リーザの高笑いにかき消され、そのままタコ部屋へと連行されていったのである。
* * *
数分後。
タコ部屋の机の中央には、プラスチックの虫かごが鎮座していた。
「はーい、ゴッドチューブのみんなーっ! 今日はキュララとリーザ先輩から、超特別なお知らせがあるよっ♡」
天使族の転入生・キュララが、空中に浮かべたスマホカメラに向かって、満面の営業スマイルとウインクを振りまいていた。
「なんとなんと! 学園の廊下で、『人間の言葉を喋る超レアな闇属性の珍獣』を捕獲しちゃいましたーっ!! イェーイっ☆」
「さぁ皆様、画面の向こうからドシドシとスーパーチャット(見物料)を投げてくださいませぇぇっ!!」
画面の向こうの数百万人のリスナーに向けて、虫かごの中のアビス怪人が大写しにされる。
『ふ、ふざけるなァァァッ!!』
虫かごの中で、アビス怪人は屈辱に打ち震えながら、透明なプラスチックの壁をガンガンと叩いた。
『俺様は珍獣ではない! 宇宙を統べるアビス怪人だ! 貴様らのような下等生物、この場で八つ裂きにして——』
怪人は威嚇のために、手のひらから自慢の『暗黒の破壊光線』を放とうとした。
しかし、殺虫剤によって極小サイズにされているため、放たれたのはバチッという静電気のような【小さな黒い火花】だけであった。
「きゃーっ! 見て見てみんな! 今、一生懸命パチパチって火花出して威嚇してきたよ! ちっちゃくてキモカワ〜♡」
「ふふっ、まるで怒ったハムスターみたいですわね! ほら、エサ(その辺の雑草)をお食べなさい!」
リーザが虫かごの隙間から、その辺で引っこ抜いてきた雑草をねじ込む。
『グヌヌヌヌッ……! 俺様を舐めるなァァァッ!!』
その必死な姿が、画面の向こうのリスナーたちのツボに完全にハマってしまった。
『うおおお! この虫、中二病みたいなセリフ喋っててめっちゃ可愛いww』
『キモカワ路線最高! 飼いたい!』
『キュララたん、その虫に「おすわり」って命令してみて!』
『赤スパ(超高額投げ銭)投げるから、もっとつつき回してー!』
ピロリンッ! ピロリンッ! ピロリンッ!!
キュララのスマホから、次々と高額なスーパーチャットが投げ込まれる通知音が鳴り響く。
「キャーッ! みんなありがとーっ! ほら、珍獣ちゃん! リスナーのみんなに向かって、もっと面白いこと言ってごらんっ♡」
キュララが、割り箸を使って虫かごの中の怪人をツンツンと突っつく。
『や、やめろ! その木片(割り箸)で俺様を突くな! ギャアアアアッ、くすぐったい! いや、屈辱だァァァッ!!』
「フハハハハハッ!! 儲かりますわ! 儲かりますわキュララ様! これで今月はモヤシじゃなくて、本物のお肉が買えますのよぉぉぉっ!!」
リーザが、空中に浮かぶスパチャの金額を計算しながら、狂ったように歓喜の舞を踊っている。
宇宙の理を越えた恐怖の存在が、ただの『配信のネタ(金ヅル)』として徹底的に消費されていく。
これが、Sクラスが誇る【インフルエンサーと強欲アイドルのえげつない資本主義コンボ】であった。
『お……おのれ……。おのれぇぇぇぇぇっ……!!』
虫かごの隅っこに追いやられ、割り箸でつつかれながら、アビス怪人はギリギリと歯を食いしばり、血の涙を流していた。
『俺様は……俺様は、宇宙の覇者だぞ……! なぜこんな、プラスチックの牢獄で……下等な小娘どもに見世物にされなければならないのだ……ッ!!』
怪人の胸の奥底で。
ルナミス学園に降り立ってから味わい続けている、信じられないほどの【屈辱】と【ストレス(ヘイト)】が、ドス黒い魔力となって急速に圧縮され始めていた。
『許さん……絶対に許さんぞ、Sクラス! そして、俺様をこんな姿にした元凶……リアン・シンフォニアァァァッ!! 次こそは、次こそは必ず、貴様らを絶望のどん底に叩き落としてやるぅぅぅぅぅッ!!』
虫かごの中で、アビス怪人の怨念が限界突破に向けて静かにチャージされていく。
一方、そのすべての元凶であるCFOは、未だに男子トイレの個室から一歩も出られず、「……あぁ、少し落ち着いてきたか……? いや、やっぱりダメだ、大地が……っ!」と、己の胃腸との果てしない戦いを続けていたのである。
Sクラスの騒がしくも理不尽な日常の裏で。
巨大なる破滅へのカウントダウンは、着実に、そして極めて滑稽な形で進みつつあった。
読んでいただきありがとうございます。
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