EP 4
玉座の攻防戦と、大地の祈りを邪魔する者(超魔導殺虫剤)
ルナミス学園、第一校舎1階・男子トイレ。
静寂に包まれたその空間は今、二つの全く異なる【極限の死闘】の交差点となろうとしていた。
『フハハハハ……!! 恐るべき魔力だ。まさか、この便所の最奥に、これほどの防衛陣地(結界)を築いているとはな……!』
ズシン、ズシンと、タイル張りの床を踏み鳴らしながら、宇宙の理を越えてやってきた『アビス怪人』が歩を進める。
Sクラスの面々から「あっちにボス(リアン)がいる」と教えられた怪人は、男子トイレ特有のひんやりとした空気と芳香剤の匂いを、強者のみが放つ『死のオーラ』だと完全に勘違いしていた。
『出てこい、この世界の王・リアンとやら! 貴様がどれほどのバケモノであろうと、この深淵の使者である俺様が——』
怪人は、男子トイレの一番奥の個室。
そこから漏れ出る、ただならぬ緊迫感と殺気(※本人は必死に耐えているだけ)を感じ取り、そのドアの前に仁王立ちした。
一方、その薄いドア一枚を隔てた個室の内側では。
「(……っ! くそっ、キャッシュフロー(血流)が完全にショートしやがった……! 胃腸の防衛ラインが、魔界ニンニクの暴威によって無惨に突破されていく……っ!)」
Sクラスの最強のCFO(最高財務責任者)リアン・シンフォニアは、便座の上で脂汗をダラダラと流しながら、人生最大の【特大の不良債権(下痢)】と孤独な戦いを繰り広げていた。
「(……ダメだ。ここで少しでも気を抜けば、俺の社会的信用は一瞬にして自己破産(大惨事)を迎える。……鎮まれ……! 俺の括約筋(内部留保)よ、耐え抜いてくれ……っ!)」
リアンは両手で顔を覆い、ただひたすらに下腹部に力を込め、「大地」へと祈りを捧げていた。
経営者として、いかなる理不尽な敵(暗殺者や古代兵器)を前にしても決して乱れなかった彼の呼吸が、今ばかりは荒く、そして絶望に満ちている。
その、リアンの精神が極限状態に達していた、まさにその時である。
ドンドンッ!! ドドォォォォンッ!!!!
突如として、個室のドアが、外から暴力的な力で叩き鳴らされたのだ。
『開けろォォォッ!! この中にいるのは分かっているぞ、リアン!!』
アビス怪人の、エコーがかった禍々しい咆哮がトイレに響き渡る。
『貴様を倒して、この世界を俺様のものにしてやる! さあ、正々堂々と表に出て、俺様と死闘を繰り広げるがいい!!』
「……っ!?」
絶体絶命の集中状態にあったリアンは、突如として鳴り響いたノックの音に、心臓が跳ね上がり、あわや『決壊』しそうになるのを間一髪で食い止めた。
「な、なんだテメェは!? 今は取り込み中だ!!」
リアンは、脂汗を流しながら、絞り出すような声で叫んだ。
『問答無用! 貴様がビビって出てこないというのなら、この防壁ごと叩き斬ってやるまでだァ!!』
ドシンッ! ドシンッ!!
怪人が、個室のドアを力任せに蹴り始める。
「や、やめろバカ野郎っ!!」
リアンは、悲痛な叫びを上げた。
もし今、このドアを壊され、用を足している最中(究極の無防備状態)の姿を晒されでもしたら。最強のCFOとしての尊厳は完全に崩壊し、学園生活は終わる。それこそ、死よりも恐ろしい社会的抹殺である。
「入ってますよォォォォォッ!?」
リアンは、日本の公衆トイレにおける絶対的なルール(マナー)を叫んだ。
『知るかァ! 俺様は宇宙の覇者だ! トイレのマナーなど宇宙の塵と同じ! ええい、開けろォォォッ!!』
バキィィィィンッ!!!!
アビス怪人の強靭な触手が、ついに個室のドアの『鍵』を力任せに破壊した。
ガチャッ……!
ゆっくりと開いていく個室のドア。
そこには、漆黒の怪人と、便座に座り、絶望と怒りで顔を真っ青(真っ赤)にしたエンジ色のジャージの少年が、至近距離で見つめ合うという、なんともシュールな光景が広がっていた。
『フハハハハッ! ついに追い詰めたぞ、リアン! 貴様はここで——』
「……てめぇ」
アビス怪人の勝利の宣言は、リアンの口から漏れた、絶対零度の声によって遮られた。
「てめぇ……。人が……人が、必死に『大地に祈りを捧げている(排泄している)』最中に……。ドアをぶち破るという、人間の最低限の尊厳すら守れねぇのか……ッ!!」
リアンの瞳に、かつてないほどの【本気の殺意】が宿っていた。
暗殺ギルドに命を狙われた時でさえ、彼はここまでの怒りを見せなかった。
だが、今のリアンは違う。彼の「絶対に邪魔されてはいけないオフの領域」を、土足で踏み躙られたのだ。
『な、なんだその目は……!? 祈りだと? 貴様、命乞いでもしているつも——』
「うるさいッ!! 今すぐ消えろォォォォッ!!」
リアンは、ズボンを下ろしたままの状態で、片手を自身のジャージのポケットへと突っ込んだ。
そして、前世のネット通販『タローマン』の裏ツールから、一つのアイテムを光の速さで取り出した。
それは、剣でもなく、魔法の杖でもない。
黄色と黒の警戒色が施された、細長いスプレー缶。
【タローマン製・対魔獣用・超強力殺虫剤(シトラスの香り)】である。
「食らいやがれ、この非常識な害虫がァァァァッ!!」
プシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!
リアンは、ためらうことなく、スプレーの噴射ノズルをアビス怪人の顔面に向け、フルパワーで押し込んだ。
『な、なんだこれは!? 目が、目がァァァァッ!? ギャアアアアアアアアアアッ!!!!』
タローマン製の殺虫剤は、ただの虫除けではない。
魔獣や宇宙生物の『細胞組織』を強制的に分解・縮小させ、無害化するという、極めてえげつない化学反応を引き起こすオーバースペックな代物である。
シトラスの爽やかな香りがトイレ内に充満する中、アビス怪人の漆黒の巨体から、シュウゥゥゥゥッと白い煙が上がり始めた。
『バ、バカな……! 俺様の深淵の肉体が……溶ける……いや、縮んでいく!? やめろ、やめろォォォォッ! 俺様は宇宙の覇者……こんな、こんな殺虫剤ごときでぇぇぇっ……!!』
「さっさと縮んで、どっか行きやがれ!!」
プシュゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!
リアンがさらにダメ押しのスプレーを浴びせると、アビス怪人の断末魔は、徐々に「キュッ、キュゥゥ……」という高い声へと変わっていった。
そして数秒後。
先ほどまで2メートル近い巨体を誇っていたアビス怪人は、シュポンッ! という音と共に、【手のひらサイズ(カブトムシ程度)】にまで縮小してしまったのである。
「ピィ……ピキュゥ……」
小さくなったアビス怪人は、トイレのタイルの上で、仰向けのままピクピクと痙攣し、完全に無力化されていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
スプレー缶を握りしめたまま、リアンは荒い息を吐いた。
宇宙レベルの脅威を、トイレの個室から一歩も出ず、ズボンも上げずに、ただの「殺虫剤」で撃退してしまったのである。
だが、リアンにとって、そんな『世界を救った功績』など、今はどうでもよかった。
「……あ、ヤバいヤバいヤバい……! 怒って腹筋に力入れたせいで、また大地が……っ!! 大地が俺を呼んでいるぅぅぅっ!!」
ギュルルルルルルルルッ!!!
リアンの腹の底で、第二波となる破滅のサイレンが鳴り響く。
「……っ!!」
リアンは、足元でピクピクしている小さな怪人に目もくれず、破壊されたドアの鍵穴にスプレー缶を突っ込んで強引につっかえ棒にすると、再び便座の上で「大地の祈り」の姿勢へと戻った。
最強のCFOは、宇宙の平和よりも、己の胃腸の平和(黒字化)を最優先したのである。
かくして、壮大なる世界征服の野望は、ルナミス学園の男子トイレにて、シトラスの爽やかな香りとともに、極めて理不尽かつ呆気ない形で一時休戦(?)を迎えたのであった。
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