EP 3
大地の呼び声(特大の便意)と、アビス怪人への塩対応
「……っ! くそっ、俺としたことが……! 完璧な経営計画だったはずなのに……っ!」
ルナミス学園男子寮、1階の個室トイレ。
Sクラスのリーダーにして最強のCFO(最高財務責任者)であるリアン・シンフォニアは、便座の上で脂汗を流し、両手で腹を抱えながら地獄の苦しみと戦っていた。
「(試作の過程で、味の調整のために『魔界二郎系ラーメン』を5杯も平らげた。……その圧倒的なカロリーと魔界ニンニクの暴威が、俺の胃腸の『防衛予算』を完全に食いつぶし、防衛線を突破しやがった……!)」
ギュルルルルルルルルッ……!!
腹の奥底から鳴り響く、破滅へのカウントダウン(大地の呼び声)。
最強の暗殺ギルドを相手にしても、古代魔像を前にしても一歩も引かなかったリアンの強靭な精神力が、たった一杯(いや5杯)のジャンクフードによって完全にへし折られようとしていた。
「(……だめだ。キャッシュフロー(血流)が乱れ、特大の不良債権(便意)が押し寄せてきている。……今、この個室から一歩でも外に出れば、俺は……人としての尊厳を完全に【自己破産】する……っ!)」
リアンは、額をドアに押し当て、ひたすら「大地」に祈りを捧げ続けるしかなかった。
* * *
一方その頃。
リアンが一人で尊厳を懸けた死闘を繰り広げているとは露知らず、グラウンドに面したタコ部屋は、極めて怠惰な空気に包まれていた。
「あー……暑い。暑いですわぁ……」
リーザが、エンジ色の芋ジャージの腹をめくり上げ、床にペターッと張り付いて溶けていた。
季節は真夏。それに加えて、先ほどリアンが作ってくれた『魔界二郎系ラーメン』の暴力的なカロリーとニンニクの熱作用により、Sクラスの面々は完全にノックダウン(食い倒れ)状態に陥っていたのだ。
「ふぇぇ……お腹がいっぱいで、一歩も動けないよぉ……」
キャルルがウサ耳を力なく垂らし、ソファの上で仰向けに転がっている。
「わたしも……なんだか身体の芯から燃えるように熱いですわ……。エルフの体質に、あの強烈な油とニンニクは刺激が強すぎました……」
ルナは保冷剤を額に乗せ、ぐったりと机に突っ伏していた。
「みんな、だらしないなぁ。……って言いたいけど、私も無理〜♡ スパチャのお礼を言う元気もないや……」
キュララもスマホを放り出し、扇風機の前を独占して「あー」と声を震わせている。
ただ一人、クラウスだけは姿勢良く座っていたが、彼もまた滝のような汗を流し、虚空を見つめながら熱いお茶をすすっていた。
そんな、Sクラスが完全に【営業休止状態】に陥っていた、その時である。
バリィィィィィィィィンッ!!!!
突如として、ルナミス学園のグラウンド上空の空間が、まるでガラスが割れるように無惨に引き裂かれた。
どす黒い次元の亀裂から、おぞましい瘴気と、空を覆い尽くすほどの暗雲が吐き出される。
『グハハハハハハッ!!』
次元の裂け目から降り立ったのは、禍々しい漆黒の装甲に身を包み、背中から無数の触手を生やした、いかにも「特撮の悪の幹部」といった風貌の【アビス怪人】であった。
『我は深淵より来たりし者! 脆弱なる人間どもよ、絶望に打ち震えるがいい! 今日この日、この瞬間をもって、この世界は俺様のものだァ!!』
アビス怪人が両腕を天に掲げると、グラウンドの木々が枯れ、周囲の気温が一気に下が……ることはなく、真夏の茹だるような暑さとセミの鳴き声だけが「ミンミンミン……」と虚しく響いていた。
アビス怪人は、一番近くにあった建物——Sクラスの『タコ部屋』の窓から、中にいる人間たちをギロリと睨みつけた。
『おい、そこの小娘ども! なぜ逃げ惑わない! なぜ恐怖に顔を引きつらせて悲鳴を上げないのだ!!』
怪人が窓の外から大声で威嚇する。
しかし、タコ部屋の面々は、チラリと怪人の方を見ただけで、極めて面倒くさそうな顔をした。
「……ん? なんだ、あの黒くて暑苦しいヤツ。……クラウス君、何か変なの出たけど」
キャルルが、ソファで仰向けのまま、耳だけを動かして言った。
「ああ、気にすることはない。……夏だからな」
クラウスが、汗を拭いながら真顔で頷く。
「関係あるの!?」
キュララが、扇風機の前からすかさずツッコミを入れた。
「夏だからって次元の裂け目から怪人が出てくるわけないでしょ! クラウスのその天然ボケ、時々マジで怖いんだけど!」
『えっ?』
アビス怪人は、完全に自分を無視して展開される日常の会話に、思わず触手をピタッと止めた。
『お、おい! お前ら、俺様が怖くないのか!? 俺様は深淵の使者! 触れる者すべてを塵に還す、恐るべきアビスの——』
「あ〜、暑いわ〜」
キャルルが、怪人の渾身の自己紹介を途中で遮り、ウサ耳でパタパタと顔を扇いだ。
「あのさぁ、悪いけど今、私達お腹いっぱいで動けないの。……クレーム系とか、そういう『世界征服の営業案件』なら、リーダーのリアン君に言ってくれる? うちの受付は彼だから」
『え? あ、うん。受付?』
「リアン様なら、第一校舎の1階……『男子トイレの一番奥の個室』に引きこもってますわよ。入場料なら後で私が回収しますから、勝手に行ってくださいませ……」
床で溶けているリーザも、面倒くさそうに手をヒラヒラと振って怪人を追い払おうとする。
『……』
アビス怪人は、信じられないものを見る目でSクラスの面々を見つめた。
自分がこれほどの瘴気と威圧感を放っているにも関わらず、この者たちは微塵も動揺していない。それどころか、ただ「暑い」とか「お腹いっぱい」という理由で、自分を適当にあしらっているのだ。
(こ、この人間ども……底が知れねぇ。俺様の魔圧を前にして、この余裕。……ひょっとして、とんでもない強者の集まりなのか!?)
アビス怪人は勝手に戦慄し、ゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、彼らが全幅の信頼を置き、「すべての受付(判断)」を委ねているという『リアン』という男の名を反芻する。
(なるほど……! このバケモノどもを従え、さらには『男子トイレの一番奥の個室』という、いかにも防衛機能が高そうな玉座(結界)に身を潜めている男!)
アビス怪人の単細胞な脳髄が、一つの極端な結論(勘違い)を導き出した。
『そうか……!! そいつ(リアン)が、この世界の真のボスだな!!』
アビス怪人は、己の触手をウネウネと興奮気味に蠢かせた。
『フハハハッ、上等だ! そのリアンとやらを倒し、俺様の力をこの世界に知らしめてやる!! 待っていろ、この世界の王よ!!』
アビス怪人は、Sクラスの面々には目もくれず、威風堂々とした足取りで、ルナミス学園の第一校舎——男子トイレへと向かってズンズンと歩み去っていった。
「……行っちゃったね」
「まぁ、リアン君ならなんとかしてくれますわ。……それより、誰かお水を……」
「はい、ルナちゃん……。あぁ、ニンニクのゲップが出そう……」
かくして。
宇宙の理を越えてやってきた恐るべき侵略者は、満腹でダレきったSクラスの【極限の塩対応】により、何の因果か、現在進行形で下痢(不良債権)と戦っているCFOの元へ、一直線に送り込まれてしまったのである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




