EP 25
CFOの裏工作(リスク管理)と、強がり天使の完全なる陥落
『キュララちゃん、どうして昨日の配信で僕の名前を呼んでくれなかったの?』
『あんなにたくさん赤スパを投げたのに。ひどいよ』
『ねえ、今から君の部屋に行ってもいい?』
『ドアの前にいるよ』
「……っ、気持ち悪い……っ」
ルナミス学園女子寮、キュララの自室。
最新の魔導スマートフォンの画面に次々と表示される、特定のアカウントからの異常な長文ダイレクトメッセージの連投。
それを見たキュララは、血の気が引くのを感じ、思わずスマホをベッドに放り投げた。
トップ・ゴッドチューバーとして、数百万の登録者を抱える彼女。
その人気と莫大な投げ銭の裏には、当然のごとく『熱狂的すぎるリスナー(狂信者)』という強烈なリスクが潜んでいた。
ここ数日、キュララはこの『名無し』というアカウントからの常軌を逸したストーカー被害に悩まされていたのだ。
(学園の結界があるから、寮の中までは入ってこれないはず……。でも、一歩外に出たら……)
キュララは背中の純白の羽を震わせ、膝を抱え込んだ。
いつもなら、持ち前の飛行能力とカメラを使って「ストーカー被害を生配信」し、特定班に犯人を社会的に抹殺させるという【デジタル・タトゥー戦法】が使える。
しかし、今回の相手は違った。
相手は高度な『魔力ジャミング(通信妨害)』の術式を使っており、スマホのカメラや配信機能が特定の場所で完全にシャットダウンされてしまうのだ。
通信が繋がらなければ、ただの非力な下級天使である彼女に、ストーカーに対抗する術はない。
(……Sクラスの奴らに、助けを求める? ……ううん、ダメよ)
キュララはギリッと唇を噛んだ。
つい先日まで、リーザを小馬鹿にし、彼らを「底辺の掃き溜め」と見下していたのだ。そんな自分が、今さら泣きついて助けてもらえるわけがない。
それに、インフルエンサーたるもの、自分のトラブルは自分で解決(コンテンツ化)しなければならないという、歪んだプロ意識もあった。
「……やってやるわ。私を誰だと思ってるのよ。トップ・ゴッドチューバーのキュララ様よ!」
キュララは強がって立ち上がり、護身用のスタンガン(魔導具)を懐に忍ばせると、犯人を誘き寄せるために、あえて学園の裏手にある人気の少ない旧校舎へと向かった。
* * *
「……キュララ、たん……っ」
旧校舎の裏庭。
夕闇が迫る中、キュララの前に現れたのは、深々とフードを被った、薄汚れたローブ姿の男だった。
その手には、強力な通信妨害の魔導具と、禍々しい光を放つ『拘束用の魔石』が握られている。
「よく来てくれたね……。さあ、僕の特別になってよ……!」
「こ、来ないでっ!」
キュララがスマホを掲げるが、やはり画面は『圏外』のまま、配信アプリはエラーを吐き出している。
頼みの綱であるファン(数字)との繋がりを絶たれ、キュララは完全に孤立してしまった。
「ひっ……!」
男がにじり寄り、拘束の魔石を掲げた、その絶体絶命の瞬間。
「——おっと。そこまでだ、熱狂的ファン(ストーカー)さん」
暗がりから、極めて冷静で、どこか面倒くさそうな『底冷えする声』が響いた。
「なっ……!? 誰だお前は!」
男が振り返る。
そこに立っていたのは、エンジ色の芋ジャージのポケットに両手を突っ込んだ黒髪の少年——リアン・シンフォニアであった。
さらに、リアンの背後の影から、金髪のイケメン騎士と、トンファーを構えた獣人の少女が、音もなく姿を現す。
「やれやれ。うちの新しいクラスメイトが、随分と厄介な『不良債権』に絡まれていると聞いてな。……クラウス、キャルル。退路を塞げ」
「ああ、任せてくれリアン。この手の卑劣漢は、僕の剣が許さない」
「キュララちゃんに指一本でも触れてみな! ウサギのキックで月まで吹っ飛ばすよ!」
クラウスが紫電の魔剣を抜き放ち、キャルルがタローマン製の安全靴を鳴らして退路を完全に封鎖する。
絶対に逃げられない完璧な布陣。
「り、リアン……!? なんで……」
キュララが、信じられないものを見るように目を見開く。
「……勘違いすんな」
リアンは、懐から自身の魔導スマートフォン——キュララのものとは次元の違う、暗号化された『裏ツール端末』——を取り出しながら、冷ややかに告げた。
「お前が最近、タコ部屋でずっとスマホの画面を見て青ざめてたことくらい、見りゃ分かる。……社員のメンタルヘルス不調は、チームの生産性低下に直結するからな。CFOとして、放置するわけにはいかねぇんだよ」
「……っ」
「く、くそっ! 邪魔立てする気か! 僕は……僕は某魔法省の高級官僚の息子だぞ! 権力で貴様らなど……!」
ストーカーの男が、自身の身分を盾にして吠える。
だが、リアンは全く動じず、手元の端末を指で弾いた。
「高級官僚の息子? ……ああ、なるほど。父親の権力と、横領した公金を使って、キュララに高額スパチャを投げていたわけだ。……だが、それも『5分前』までの話だぞ」
「な、なに……?」
「俺の端末(ネット通販の裏ツール)の機能を舐めるなよ。お前が通信妨害を使おうが、魔力の波長とスパチャの送金履歴から、お前の身元(IPアドレス)と個人情報なんて、とっくに【特定】済みだ」
リアンは、悪魔のような、冷酷極まりない経営者の笑みを浮かべた。
「お前の父親の不正蓄財の証拠、そしてお前が未成年誘拐を企てていたという事実。……これらすべてを、さっき学園の警備隊と、帝国の監査局に【一斉送信】しておいた。今頃、お前の実家には強制捜査が入ってるはずだぜ」
「な……ななななっ!?」
男の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「さらに、お前の個人口座と、お前の一族が持っている資産は、俺が裏の金融ネットワークを通じて完全に【凍結】させた。……お前はもう、権力者の息子でも何でもない。ただの『自己破産した犯罪者』だ」
リアンがそう言い放った直後。
男の懐で、連絡用の魔導具が狂ったように鳴り響いた。
『貴様ぁぁぁっ! 一体何をやらかした! 監査局が踏み込んできて、我が家の財産がすべて凍結されたぞ! 貴様などもう息子ではない! 勘当だぁぁぁっ!!』
父親からの、絶縁の絶叫。
それが途切れると同時に、旧校舎の周囲を、重武装の学園警備隊が完全に包囲した。
「確保ぉーっ!!」
「ひ、ひぃぃぃぃぃっ! や、やめてくれぇぇぇっ!!」
クラウスとキャルルが牽制するまでもなく、ストーカーの男は完全に心をへし折られ、泡を吹きながら警備隊に引きずられていった。
物理的な暴力は一切振るわない。
だが、相手の逃げ道、資金、権力、そのすべてを盤上の駒のように完璧に支配し、一瞬にして【社会的に抹殺】してみせたのだ。
「……ふぅ。これで今月の『炎上リスク対策』は完了だな」
リアンは端末をポケットにしまい、何事もなかったかのように小さく息を吐いた。
「……」
キュララは、その場にへたり込んだまま、呆然とリアンの背中を見上げていた。
自分が手も足も出なかった相手。
自分の最大の武器である『数字』すら通用しなかった恐怖。
それを、このジャージ姿の少年は、たった一人で、いや、仲間たちを完璧に指揮しながら、魔法すら使わずにあっさりと粉砕してしまった。
「おら。立てるか、天使」
リアンが、へたり込むキュララに向かって、無造作に右手を差し出した。
「な……なんで……」
キュララの瞳から、ポロポロと、インフルエンサーとしての嘘の涙ではない、本物の大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なんで……助けてくれたのよ……。私、あんたのことモブ扱いして……リーザ先輩のことも馬鹿にしてたのに……っ」
泣きじゃくるキュララを見て、リアンは首の後ろをガシガシと掻きながら、呆れたように、しかしどこまでも優しく、こう告げた。
「だから、勘違いすんなって言ってるだろ。お前はもう、俺のシマ(Sクラス)の奴だ」
リアンは、差し出した手で、キュララの頭をポンと撫でた。
「表でどんだけヘイトを買おうが、炎上しようが構わねぇよ。……だが、理不尽な悪意に押し潰されそうになったら、いつでも俺たち(裏方)に頼れ。……社員を全力で守るのは、経営者の当たり前の義務だからな」
「————っ!!」
その瞬間。
キュララの心の中で、何かが決定的に、そして甘く弾ける音がした。
カメラ越しの数百万人のファンからの「可愛い」という言葉よりも。
何百万ルナという高額なスーパーチャットよりも。
目の前にいる、この無愛想で、守銭奴で、だけど誰よりも頼りになる、最強の【裏方プロデューサー(スパダリ)】の不器用な優しさが、彼女の心を完全に、そして不可逆的に射抜いてしまったのだ。
「り、リアン……っ! リアンぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うおっ!? ちょっ、鼻水つけんな! このジャージは予備がねぇんだぞ!」
キュララは、インフルエンサーとしての体裁も、計算高いあざとさもすべて投げ捨てて。
一人のただの女の子として、リアンの胸に飛び込み、そのジャージをギュッと握りしめて子供のように泣きじゃくった。
クラウスが「やれやれ、またリアンの『被害者(惚れる女)』が増えたな」と肩をすくめ、キャルルが「もう、リアン君は無自覚タラシなんだから!」と頬を膨らませる。
堕天使ゴッドチューバーの、完全なる陥落。
それは、計算高い彼女が、打算の一切ない本物の『安心できる居場所』を見つけた、最高の瞬間であった。
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