EP 12
ノブリス・オブリージュの証明と、相棒からの挑戦状
「俺のシマ(Sクラス)に土足で踏み込んで、勝手に『解散』だの『掃き溜め』だの……随分と偉そうな口を叩くじゃねぇか」
リアン・シンフォニアが、極めて冷酷な瞳でルンベルスを見据えた。
タコ部屋の空気が、まるで真冬の冷凍庫のように急激に冷え込む。
キャルルがトンファーを握り直し、リーザがみかん箱の陰に身を隠す。ルナはオロオロと二人の間を視線で行き来していた。
だが、大貴族アルヴィン侯爵家の筆頭執事であるルンベルスは、リアンの放つ威圧感を前にしても、眉一つ動かさなかった。
「……野蛮なことだ。貴族の礼節も弁えぬその態度、やはりシンフォニア男爵家の出来損ないといったところか。坊ちゃまがこのような者と交友を持つなど、アルヴィン家の名折れにございます」
ルンベルスは、心の底からの哀れみと軽蔑を込めてリアンを鼻で笑った。
「ちょっと、あんた! さっきから聞いてれば、リアンを馬鹿にしすぎだよ!」
キャルルが、ウサ耳を逆立てて前に出ようとする。
「待て、キャルル。……君たちは下がらなくていい」
その緊迫した空気を切り裂いたのは、静かで、しかし絶対的な重圧を伴ったクラウス・アルヴィンの声だった。
「坊ちゃま……」
「ルンベルス。……僕は先程、口を慎めと言ったはずだ」
クラウスの全身から、バチバチと紫色の稲妻(闘気)が溢れ出し始めた。
それは単なる怒りではない。アルヴィン侯爵家の次期当主として、己の誇りと仲間を侮辱されたことに対する、絶対的な『威厳』の解放であった。
その圧倒的な魔力の密度の前に、歴戦の執事であるルンベルスでさえ、僅かに息を呑み、一歩後ずさった。
「ルンベルス。君は、大きな勘違いをしている」
クラウスは、ルンベルスの目を真っ直ぐに見据えて言った。
「ノブリス・オブリージュ(高貴なる者の義務)とは……身分の違いで、相手を選ぶことなのか? 称号や家柄という『安全な壁』に引きこもり、下位の者を見下すことが、真の貴族の姿だとでも言うのか?」
「……っ。坊ちゃま、私は決してそのようなことを申し上げているのではありませぬ! 坊ちゃまの将来を思えばこそ!」
ルンベルスが必死に反論する。
「剣も、魔法も、そして精神も! 己よりも劣っている者と居ても、貴方様のレベルが下がるだけです! 切磋琢磨できる高潔な環境に身を置くことこそが、次期侯爵としての坊ちゃまの為になるのです!」
ルンベルスの言葉は、貴族社会におけるある種の『正論』であった。
格下と交われば、自分も格下に染まる。だからこそ、優れた血統の者同士で固まるべきだという保守的な考え方。
「……なるほど。リアンが、僕よりも『劣っている』と。君はそう判断したのだな」
クラウスは、静かに目を伏せた。
そして、次の瞬間。
彼はフッと口角を上げ、不敵な笑みを浮かべたのだ。
「分かった。……では、こうしよう」
クラウスは振り返り、デスクの前に立つリアンに向かって、挑戦的な視線を送った。
「僕とリアンで、剣術の『決闘』をする」
「「「えっ!?」」」
キャルル、ルナ、リーザの三人が同時に驚きの声を上げる。
リアンは眉をひそめ、無言のままクラウスの意図を探るように目を細めた。
「坊ちゃま!? 何を仰いますか! シンフォニア男爵の子息如きと剣を交えるなど——」
「黙れ、ルンベルス」
クラウスはピシャリと執事の言葉を遮った。
「君は、環境が僕のレベルを下げると言ったな。ならば、証明すればいい。……僕がリアンに勝てば、君の言う通り、彼は僕を鈍らせる存在だったということになる。その時はSクラスを抜け、実家にでも何でも帰ってやろう」
クラウスは、愛用の魔剣の柄に手を当てた。
「だが……もし、リアンが僕に勝てば。あるいは、僕と互角以上に渡り合ったならば。……『リアンのレベルが高い(彼といることが最高の切磋琢磨である)』という、何よりの証明になる。……そうだろう?」
ルンベルスは、完全に言葉に詰まった。
アルヴィン侯爵家の至宝であり、学園最強の剣士と名高いクラウス。彼が「自分よりも格下」と断じた男爵風情に敗北するなど、ルンベルスの常識では万に一つもあり得ないことだったからだ。
「……坊ちゃま。まさかとは存じますが」
ルンベルスが、疑り深い目をクラウスに向ける。
「彼をかばうために、決闘でわざと手を抜いて『負ける』などという卑怯な真似は、なさいませぬな?」
その言葉を聞いた瞬間。
クラウスの纏っていた紫電が、爆発的な輝きを放ち、タコ部屋の窓ガラスがビリビリと悲鳴を上げた。
「……僕を侮るなよ、ルンベルス」
クラウスの眼光が、剣の刃のように鋭く光る。
「このクラウス・アルヴィン……相手が誰であろうと、剣を握れば常に【全力】で事を運ぶ。手加減など、僕の誇りが絶対に許さない」
「……分かりました、坊ちゃま。貴方様のその誇り高きお言葉、信じましょう」
ルンベルスは深く一礼し、そしてリアンを冷ややかに睨みつけた。
「……せいぜい、無様に這いつくばって、坊ちゃまの剣の錆となることですね。リアン子息」
ルンベルスが言い捨てて、タコ部屋の扉の外へと下がっていく。
残されたタコ部屋には、重い静寂が降りていた。
「ちょ、ちょっとクラウス君! 何考えてるの!? リアンと本気で戦うなんて!」
キャルルが慌ててクラウスに詰め寄る。
「そうですわ! もし怪我でもしたらどうしますの!?」
ルナも心配そうにクラウスの袖を掴む。
だが、当のクラウスは、困ったように笑いながらも、その瞳の奥には隠しきれない『熱狂』の炎を燃やしていた。
(……すまない、ルンベルス。僕は君の挑発に乗ったふりをして、少しだけ『職権乱用』をさせてもらうよ)
クラウスは、静かにリアンを見つめた。
数々の修羅場を共に潜り抜け、炎上神の理不尽なやらせすらも粉砕してきた、Sクラスの冷徹なるプロデューサー。
彼がどれほど規格外の実力を隠し持っているか、誰よりも一番近くで見てきたのはクラウスである。
(リアン……。君なら、本気の僕と真っ向から戦っても、決して負けないはずだ。……いや、負けるようなら、その程度の手合いだったということさ)
クラウスの唇に、戦闘狂特有の、抑えきれない笑みが浮かぶ。
名門の嫡男としての義務や、執事への反発。それらすべてを建前として利用し、クラウスはただ純粋に、最高の親友であり、最大の好敵手であるリアンと【本気で剣を交えてみたかった】のだ。
(ああ……。ふふっ、面白くなってきたじゃないか!)
「……というわけだ。リアン。君には悪いが、僕の『証明』に付き合ってもらうぞ」
クラウスは、まるで悪戯を企む少年のように、リアンに向けて挑戦的な笑みを向けた。
「……はぁ」
一方、挑戦状を叩きつけられたリアン・シンフォニアは、深々と、それはもう深々とため息をついた。
「なんで俺が、お前んちの『身内の揉め事(お家騒動)』に巻き込まれて、殺し合いの真似事をしなきゃならねぇんだ。……面倒くせぇ」
リアンは首の後ろをガシガシと掻きながら、呆れたようにクラウスを睨み返す。
親友からの熱い期待と、堅物執事の理不尽な条件。
Sクラスの拠点を守るための、避けては通れない『不良債権(決闘)』が、今、リアンの前に提示されたのである。
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