EP 6
酸の暴君(蟲歯男爵)の逆襲と、雷神兎の流星脚(リミッター解除)
「……バカナ! ドリルヲドレダケ押シ当テテモ、コノ小娘(神経)、痛ガルドコロカ青ク輝イテイルダトォ!?」
ルナの右下奥歯、象牙質の最深部。
リーザがみかん箱の上で披露する『ハゲたぬきのポンポコ節』によって、ルナの神経(痛覚)は完全にアイドルへの多幸感(スパチャ状態)に支配されていた。
どれだけ蟲歯男爵が凶悪な酸のドリルを突き立てようとも、ルナの脳に「痛み」というエラー信号は届かない。つまり、世界滅亡(植物の暴走)という最大の『人質』が、たった一つの宴会芸によって完全に無力化されてしまったのだ。
「お前の『不渡り(脅し)』はもう通用しねぇぞ、蟲歯男爵」
リアンが魔導削岩機を肩に担ぎ、冷酷な目で宣告する。
「人質が取れないブラック企業に残された道は一つ。……債権者(俺たち)による、物理的な強制執行(解体作業)だけだ」
「オ、オノレェェェッ! 調子ニ乗ルナァァッ、ガキ共メ!!」
蟲歯男爵は、シルクハットをかなぐり捨て、そのドロドロに腐敗した巨体を激しく波打たせた。
「人質ガ使エナイノナラバ、貴様ラ全員ヲ酸ノ海ニ沈メテヤルワァァッ!!」
男爵の身体から、先ほどまでの防護壁(乳酸バリア)の比ではない、極めて濃密でドス黒い『酸のオーラ』が噴き出した。
周囲の象牙質の岩肌が、そのオーラに触れただけでジュワジュワと音を立てて溶け、有毒なガスとなって立ち昇る。
「来ルガ良イ! 侵入者ドモ! コレゾ、我ガ蟲歯帝国ノ最高戦力……【超濃縮・乳酸ハルバード】ダァァッ!!」
男爵の手の中で、圧縮された強酸が一本の巨大な『槍斧』の形をとった。
それはただの武器ではない。刃に触れたあらゆる物質を分子レベルで分解し、ドロドロのヘドロに変えてしまう、最悪の『腐食兵器』であった。
同時に、男爵の周囲には、極限まで濃度を高めた乳酸のバリアが再び展開され、彼の巨体を絶対的な要塞として守り固めた。
「……腐臭を放つ泥人形が、武器を持ったところで結果は同じだ! 私の雷で消し炭にしてくれる!」
クラウスが紫電の闘気を纏い、地を蹴った。
『ノブリス・オブリージュ』の誇りを胸に、アルヴィン侯爵家が代々受け継ぐ最高級の『魔剣』を上段に構え、雷速の踏み込みで男爵の懐へと飛び込む。
「喰らえ! 『紫電・迅雷刃』!!」
クラウスの放った極太の雷光が、男爵の乳酸バリアを切り裂き、その奥に構えられた乳酸ハルバードと激突した。
ガキィィィィィンッ……ジュワァァァァァァァッ!!!!
「……なっ!?」
クラウスが驚愕に見開いた目の前で、信じられない現象が起きた。
激突した瞬間、名工のドワーフが鍛え上げたはずのクラウスの魔剣の刃が、黄色い酸の飛沫を浴びて『シュゥゥゥゥ』と音を立てて溶け始めたのだ。
それだけではない。鍔迫り合いの余波で飛び散った酸の雫が、クラウスの纏うミスリル製の防具に触れた途端、まるで熱したフライパンに落ちたバターのように、装甲をドロドロに侵食していく。
「クッ……!?」
クラウスは咄嗟に剣を引き、後方へと大きく跳躍して距離を取った。
「ハァ……ハァ……。なんという腐食作用だ。私の魔剣の刃こぼれを、一瞬で引き起こすとは……」
「ゲハハハハハッ! 見タカ、コノ威力ヲ!!」
蟲歯男爵が、強酸のハルバードを振り回しながら高笑いする。
「貴様ラノ頼ミノ綱デアル『武器』ヤ『防具』ハ、私ノ酸ノ前ニハ無力! 触レレバ溶ケル、防ゲバ腐ル! 遠距離カラ魔法ヲ撃トーガ、私ノ乳酸バリアガ全テ中和シテヤルワ! 貴様ラニ、私ヲ倒ス術ナド存在シナイノダァァッ!!」
絶望的な宣告。
物理攻撃を仕掛ければ武器が溶け、魔法攻撃はバリアに阻まれる。
完全なる攻防一体の『酸の要塞』を前に、クラウスでさえも次の一手を躊躇せざるを得なかった。
「……チッ。面倒なコーティング(防護)だ。厨房の換気扇にこびりついた、十年モノの油汚れみてぇだな」
リアンが魔導削岩機を構え直しながら、舌打ちをする。
「アレを削り取るには、まず外側の『乳酸バリア』をブチ破って、酸の発生源を中和しねぇと——」
「なら、私がやるよ」
リアンの言葉を遮るように、一人の少女が一歩、前に出た。
Sクラスが誇る特攻隊長。月兎族の村長、キャルル・ムーンハートである。
「おい、キャルル。素手(格闘)でアレに触れるのは危険だ。お前の装備まで溶かされるぞ」
クラウスが制止の声を上げるが、キャルルは振り返らずに、足元の特注安全靴の踵を『カンッ』と鳴らした。
「武器が溶けるなら、溶ける前に壊せばいい」
キャルルの声は、普段の無邪気なトーンとは全く違う、冷たく、そして静かな怒りに満ちていた。
「あいつの酸が、触れてから物質を溶かすまでに『コンマ一秒』の時間がかかるなら……。溶ける暇も与えないくらいの『音速』でブチ抜けば、バリアもハルバードも関係ないでしょ」
「……無茶だ。キャルルの身体能力でも、あの分厚いバリアを音速で突破するのは——」
クラウスの言葉が止まった。
キャルルの身体から、先ほどまでとは比較にならないほどの『凄まじい闘気』が噴き出し始めていたのだ。
月兎族の上位種である彼女たちは、本来『満月の夜』にしかその真の力(リミッター解除)を発揮できない。
現在の口腔内に、月明かりなど存在しない。
だが、彼女の胸の奥底で燃え盛る感情が、月の満ち欠けという種族の制限を、強引に突破しようとしていた。
(ルナちゃんが、あんなに痛がって泣いていた。……私のもらった大事なクッキーも、ゆっくり味わえなかった)
キャルルの脳裏に、タコ部屋で涙を流して倒れた親友の姿がよぎる。
(友達を傷つける奴は、絶対に許さない。……私の『足』は、そのためにあるんだから!!)
ゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!
キャルルの細い脚に、限界を超えた闘気が圧縮され、バチバチと火花を散らす。
彼女の装備している靴は、タローマン(ホームセンター)でリアンが買い与えた【超硬質・耐酸性ゴム底のガテン系安全靴】である。
「アハハハハハッ! 素手デ突ッ込ンデクルツモリヤ! 馬鹿メ、ソノ自慢ノ足ゴト、ドロドロニ溶カシテヤルワァァァッ!!」
蟲歯男爵が、乳酸ハルバードを振りかぶり、全力でキャルルを迎え撃つ態勢をとる。
「……いくよ」
ダンッ!!!!
キャルルが地を蹴った瞬間、象牙質の地面が爆発したかのようにクレーター状に陥没した。
音速。
いや、それを超える速度で、キャルルは男爵の眼前へと肉薄した。
「ナッ……!?」
男爵がハルバードを振り下ろすよりも早く。
キャルルは空中で身体を捻り、全身の遠心力と闘気を右足の踵に一点集中させた。
「ウサギのキック(怒り)を、舐めるなァァァァッ!!」
月兎族の奥義にして、最大火力の破壊技。
「『月影流・流星脚』ッッ!!!!」
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
タローマン製の特注安全靴が、男爵の展開する『超高濃度・乳酸バリア』に激突した。
ジュワァァァァッ! と、安全靴の耐酸性ゴムが凄まじい勢いで溶け始める。
だが、それよりも僅かに早く——キャルルの『音速の蹴り』の圧倒的な運動エネルギーが、バリアの耐久限界を完全に突破した。
ピキッ……!! パキィィィィィィィィンッ!!!!
ガラスが砕け散るような甲高い音と共に、蟲歯男爵が絶対の自信を持っていた乳酸バリアに、巨大な『ヒビ』が入り、粉々に砕け散ったのだ。
「ギャ、ギャアアアアアアアアアッ!? 私ノ、私ノ無敵ノ要塞ガァァァッ!?」
バリアを破られた衝撃で、男爵が巨体を大きく仰け反らせ、その手から乳酸ハルバードが弾き飛ばされた。
「……やった!!」
蹴りを放ったキャルルが着地する。彼女の右足の安全靴は、酸でボロボロに溶け落ちていたが、その一撃は確かに敵の絶対防壁をこじ開けたのだ。
「上出来だ、キャルル! 特上のボーナスを弾んでやる!」
リアンが、ニヤリと極悪な笑みを浮かべて前に出た。
「外殻が剥がれた汚れなら、あとは『中和剤』をぶち込むだけだ。……行くぞ、クラウス! 仕上げの調理だ!!」
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