EP 16
激突! 哀しき魔獣の最期と、不良債権の完全償却
アバロン魔皇国との国境に位置する、鬱蒼とした原生林。
密輸の元締めであった大商人・スリーを制圧し、大量のDS錠を押収したリアンとクラウスは、洞窟を出て帝都への帰還ルートを構築しようとしていた。
「さて、密輸の証拠は確保した。あとはこの動画データを、アバロンの『一番ヤバい上司』に直接叩きつけるだけだが……」
リアンがスマートフォンを操作しようとした、その時である。
ズズズンッ……!!
突如として、木々をなぎ倒し、大地を揺るがすような重い足音が響き渡った。
「なんだ!?」
クラウスが即座に魔剣を抜き放ち、前方に構える。
「グルルルルルルルルッ……!!」
暗闇の森の奥から姿を現したのは、体長五メートルを優に超える巨大な『魔獣』であった。
全身をどす黒い体毛で覆われ、丸太のように膨れ上がった四肢。その口からは腐臭を放つ涎が垂れ流され、理性を完全に失った濁った瞳がリアンたちをギョロリと睨みつけている。
「DS錠で強化された魔獣か!? いや……違う!」
クラウスが戦慄の声を上げる。
「先ほど洞窟で戦った密売人の成れの果てとは、魔力の質が根本から異なっている! まるで、もっと強大で純粋な『魔族の血』そのものを無理やり注ぎ込まれたような……おぞましい気配だ!」
「グオオオオオオオンッ!!」
咆哮と共に、巨大な魔獣が跳躍した。
ただの突進ではない。その巨体からは想像もつかないほどの滑らかな踏み込みで、クラウスの死角を正確に突いてくる。
「速いッ! だが!!」
クラウスは雷鳴と共に迎撃に出た。
「我がノブリス・オブリージュの雷撃、躱せるものなら躱してみせよ! 『紫電・迅雷』!!」
クラウスの放った、視認不可能な神速の刺突。
並の魔獣であれば、反応すらできずに脳天を貫かれているはずの必殺の一撃。
しかし。
シュォォォォォンッ!!
魔獣は、クラウスの剣が放たれる『コンマ数秒前』に、まるでそこを雷撃が通過することを最初から知っていたかのように、首をわずかに傾けて半歩だけ後ろに下がったのだ。
「なっ……!?」
空を切る魔剣。クラウスが驚愕で目を見開く。
その隙を突き、魔獣の巨大な爪がクラウスの胸板を抉ろうと迫る。
「くっ……!」
クラウスは間一髪で剣の柄を盾にして防御したが、その凄まじい物理的衝撃に弾き飛ばされ、木々の幹に激突した。
「クラウス!!」
リアンが叫ぶ。
「無事だ……! だが、リアン。こいつはおかしい!」
クラウスは口元の血を拭いながら立ち上がり、油断なく魔獣を睨みつけた。
「獣の動きではない。僕の筋肉の収縮、魔力の流れ……そのすべてを『演算』し、最も合理的な回避行動を『先読み』している! まるで……!!」
クラウスの言葉に、リアンはハッとして魔獣の顔を凝視した。
醜く歪んだ骨格、知性の欠片もない白濁した瞳。
だが、その動きの癖。回避のタイミング。そして何より、先読みによる絶対的な『未来予知』の能力。
「……まさか」
リアンは、スマートフォンの画面から目を離し、ゆっくりと魔獣の前に歩み出た。
「おい、リアン! 危険だ、下がるんだ!」
クラウスの制止を手で遮り、リアンは冷ややかな、しかしどこか憐れむような視線を巨大な獣へと向けた。
「……理屈に溺れた経営者の末路が、これか。情けねぇな」
「グルゥ……?」
リアンの声に反応し、魔獣が首を傾げる。
「プライドを捨てて敵国の魔族に尻尾を振り、その血(劇薬)を飲み込んでまで生き延びようとした結果が……知性を失い、新しい上司に使い捨ての番犬として飼い慣らされることだったとはな。……笑えない冗談だぜ、ゼロ」
『ゼロ』。
その名前を口にした瞬間。
「……ピ、ギィッ……!?」
巨大な魔獣の身体が、ビクンッ!と大きく痙攣した。
白濁していた瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、かつての若き侯爵——リアス・アルバードとしての『知性』と『絶望』の光が明滅した。
(あ、あぁ……。ぼ、僕は……僕は、一体……っ)
魔獣の脳髄の奥底で、完全に焼き切れたはずのゼロの自我が、微弱な悲鳴を上げていた。
自分は王だったはずだ。愚か者たちを見下し、世界をチェス盤の上で支配する新人類だったはずだ。
それがどうだ。今は泥に塗れ、自我を失い、かつて見下していたリアンの前で、醜い涎を垂らすだけの怪物に成り果てている。
「ガ、アァァァァァァァァァァッ!!」
自己の存在の矛盾と、魔族の血の暴走による激痛。
魔獣は狂ったように頭を抱え、天を仰いで血を吐くような悲鳴を上げた。
「……可哀想だが、お前は完全に『破産』したんだ。不良債権がこれ以上市場を荒らす前に、俺が全額償却してやる」
リアンは、懐から黒緑色の円筒——【M84スタングレネード(閃光音響手榴弾)】を取り出した。
かつてアジトで、ゼロの『未来予知』を完全に粉砕した現代の対テロ兵器。
「未来が見えるからなんだってんだ。身体が獣のままじゃ、見えた未来を回避する術もねぇだろうが」
リアンは安全ピンを引き抜き、魔獣の足元へと放り投げた。
「クラウス! 目と耳を塞げ!!」
カァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!
原生林の闇を吹き飛ばす、数百万カンデラの閃光と170デシベルの爆音。
「ギィィィィィィィィィィヤアアアアアアアアアアアッ!!??」
魔獣の巨大な身体が、平衡感覚を完全に破壊されて宙を舞う。
知性が焼け焦げた獣の脳にとって、現代兵器の純粋な「光と音の暴力」は、過去のトラウマ(フラッシュバック)を強制的に引き起こす最悪の劇薬だった。
未来が見えたとしても、平衡感覚が狂った肉体では回避行動をとることすらできない。
「今だ、クラウス!!」
リアンの号令が飛ぶ。
「我が剣に宿るは、慈悲と断罪の光!!」
スタングレネードの閃光が収まるより早く、クラウスが天高く跳躍した。
彼の魔剣に、限界まで圧縮された紫色の雷光が収束していく。それは、ただの獣を狩るための一撃ではない。かつての強敵であり、今は道を踏み外した哀れな魂を浄化するための、騎士としての全力の一撃。
「安らかに眠れ! 『ノブリス・オブリージュ・グランドクロス(紫電・十字封殺)』!!」
ドッゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
巨大な十字の雷撃が、空中に浮かんだ魔獣の巨体を正確に十字に切り裂いた。
「……あ……」
雷光の中で、魔獣の口から小さな、本当に小さな声が漏れた。
それは獣の唸り声ではない。かつてチェス盤を見つめていた、一人の人間の安堵の吐息。
(……これで、ようやく……終わる……。計算しなくて、いいんだ……)
ズズゥゥン……ッ!
雷撃に焼かれ、炭化した巨大な魔獣の身体が、森の土の上へと崩れ落ちた。
その顔は、獣の醜悪さが抜け落ち、ほんのわずかだけ、元の若き侯爵の面影を取り戻しているようにも見えた。
「……終わったな」
リアンは、静かに魔獣の亡骸を見下ろした。
「ああ。……敵ながら、哀れな最期だった」
クラウスが魔剣を鞘に納め、黙祷を捧げるように目を伏せる。
「他人の資本(血)に頼って分不相応な力を手に入れようとするから、こんな末路を辿るんだ。……だが、これで俺たちの『仕事』が終わったわけじゃない」
リアンは顔を上げ、アバロン魔皇国の方角——薄暗い紫色の雲が渦巻く空を鋭く睨みつけた。
「こんな胸糞悪い取引(ブラック契約)を裏で糸引いてる、アバロンのミラース将軍。……ゼロの残した『借金』ごと、あいつの会社を完全に倒産(炎上)させてやる」
かつて帝都を震撼させた異能のリーダーは、皮肉にも己の宿敵の刃によってその悲劇的な連鎖を断ち切られた。
残るは、このすべての元凶である絶対切断の剣客、ミラース将軍のみ。
冷徹なるプロデューサーの『盤外戦術』が、いよいよ魔皇国の武闘派将軍へとその牙を剥こうとしていた。
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