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EP 11

堕ちた絶対的頭脳キングと、大商人の冷酷なる損切り(トリアージ)

ルナミス帝国の帝都の地下深く。

かつて彼自身が『ナンバーズ』の絶対的支配者として君臨していた白亜のアジトとは似ても似つかない、陰惨で冷たく、腐臭とカビの匂いが充満する場所。

帝国軍の最深部・特級犯罪者用地下牢獄の冷たい石の床の上で、男はボロ雑巾のように丸まっていた。

「……ぁ……あぁ……っ」

かつて『ゼロ』と名乗り、優雅にチェスを打ちながら最高級のチョコレートを齧っていた若き侯爵、リアス・アルバード。

その端正な顔立ちは見る影もなく汚れ、落ち窪んだ眼窩の奥には、正気を失いかけた濁った瞳が蠢いている。美しく整えられていた金糸の髪は脂と泥に塗れ、ストレスと恐怖によりごっそりと抜け落ちていた。

彼の両手足には、魔力を完全に封じ込める『海楼石』に似た特殊な重い枷が嵌められている。

「嫌だ……。嫌だ……っ!」

ゼロは、枷の鎖をガシャン、ガシャンと鳴らしながら、何もない空間に向かって震える手を伸ばした。

彼の脳裏にフラッシュバックするのは、あの理不尽なSクラスの面々——特に、リアン・シンフォニアが放った【M84スタングレネード】の、絶対的な光と音の暴力だ。

視神経を焼き切り、鼓膜を破壊し、平衡感覚を完全に奪い去った未知の兵器。

いまだに彼の脳内では、ピーッという激しい耳鳴りが鳴り止まず、目を閉じれば純白の爆炎が網膜を焼くような錯覚ファントムペインに襲われる。

だが、彼を狂気へと追い立てている最大の理由は、Sクラスへの敗北そのものではなかった。

敗北した結果、彼が再び『ルナミス帝国の手に落ちた』という絶望的事実である。

「また……。また、僕はあの冷たい実験台の上に縛り付けられるのか……? 『未来予知』のモルモットとして、頭蓋骨に管を刺され、胃袋に直接栄養剤を流し込まれながら、帝国のための未来データを吐き出し続けるだけの『生きた魔導具パーツ』に……ッ!」

幼少期、ユニークスキルを発現したばかりの彼が受けた、地獄のような人体実験の日々。

そのトラウマが、ゼロの自我を内側から食い破っていた。

彼が『ユニークスキルを持つ新人類による支配』を掲げたのも、すべてはこの実験動物としての運命から逃れ、自分を虐げた愚者(帝国)の上に立つための、悲痛なまでの防衛本能だったのだ。

「誰か……! 誰か、助けてくれ……! 僕は王だ! チェス盤を支配する、絶対の……ッ!」

泥を舐め、這いつくばりながらゼロが虚空に叫んだ、その時だった。

『——ゼロ様。ずいぶんと、みすぼらしいお姿になられましたね』

鉄格子の外、松明の薄暗い炎に照らされた通路の闇から、静かな声が響いた。

「……っ!!」

ゼロが弾かれたように顔を上げると、そこには見慣れた恰幅の良い男のシルエットがあった。

高級なシルクの外套に身を包んだ、ナンバーズの幹部にして帝都の物流を牛耳る大商人——『スリー(ギリルク)』である。

「ス、スリー……! おお、スリー!!」

ゼロは這うようにして鉄格子にすがりつき、血の滲んだ指で冷たい鉄の棒を握りしめた。

「来てくれたのか! お前なら、その大商人の財力(賄賂)と『テレポート』のスキルで、この牢獄の結界をすり抜けられると信じていた! さあ、早く僕をこの檻から出してくれ!!」

涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら命乞いをする、かつての絶対的リーダー。

その姿を、鉄格子の外から見下ろすスリーの瞳は、どこまでも冷ややかな『商人ビジネスマン』のそれであった。

「出すのは構いませんが……。ここから出たとして、ゼロ様、貴方はこれからどうするおつもりで? アジトはあのSクラスのガキ共に破壊され、資金もすべて差し押さえられ、組織は完全に崩壊しました。ルナミス帝国中に貴方の手配書が回り、もはや帝都に隠れ家は一つも残っていませんぞ」

スリーの冷酷な事実の羅列レポートに、ゼロはギリッと血が出るほど唇を噛み締めた。

「わ、分かっている……っ。僕の盤面は、一時的に崩された。だが、まだ再起の手段はある……!」

ゼロは血走った目をギラギラと輝かせ、狂気に満ちた声で叫んだ。

「僕を、アバロン魔皇国に飛ばしてくれ!!」

「……アバロン魔皇国に? 何故です?」

スリーが片眉を上げる。

「ミラースだ……! アバロン魔皇国の武闘派将軍、ミラースに会うんだ!」

ゼロは鉄格子に額をこすりつけるようにして、早口で捲し立てた。

「以前、彼とは帝国の情報を横流しする裏取引でパイプを作ってある! 僕の『未来予知』の能力があれば、ミラースは必ず僕を抱え込むはずだ! 彼を後ろ盾にしてアバロンの力を借りれば、僕はもう一度ナンバーズを再建し、あのリアン・シンフォニアに復讐できる……ッ!!」

ゼロの瞳に宿っているのは、もはや大義でも何でもない。ただの妄執と、過去のトラウマから逃げ出したいという醜い生存本能だけだった。

「新人類による支配」を掲げながら、敵国であるアバロンの『魔族』に尻尾を振ってでも生き延びようというのだ。

「……どうか! どうか僕をアバロンへ……ミラース様の元へ!!」

プライドを完全に捨て去り、かつての部下に懇願するゼロ

その姿を数秒間無言で見つめた後、スリーは恭しく頭を下げ、商人の作り笑いを浮かべた。

「……分かりました、ゼロ様。そういうことでしたら、私が最後のお手伝いをいたしましょう」

「おぉ……! さすがは僕の忠実なるスリーだ……っ!」

ゼロが歓喜の涙を流す。

スリーは鉄格子の隙間から手を伸ばし、ゼロの額にそっと触れた。

彼の手から発せられた『テレポート』の魔法陣が、ゼロの身体を淡い光で包み込んでいく。

「すぐにお送りします。……アバロン魔皇国、ミラース将軍の居城の地下へ」

シュンッ!!

空間が歪み、ゼロの姿が地下牢から完全に掻き消えた。

重い静寂が戻った地下牢。

空っぽになった檻の前で、スリーは伸ばしていた手をゆっくりと下ろし、そして——心底馬鹿にしたような、冷酷な嘲笑を漏らした。

「……魔族に頼るとはな。もう完全に終わりだな、コイツ(不良債権)は」

スリーは、懐から最高級のポポロシガー(葉巻)を取り出し、火を点けた。

紫色の煙を細く吐き出しながら、彼はゼロが消えた空間に向かって吐き捨てるように呟く。

「ユニークスキルを持つ自分たちが新人類だと? 笑わせる。結局、追い詰められれば他人の力にすがるだけの、頭のいい坊ちゃんだったってことだ。……『未来予知』なんて立派なスキルを持っていても、てめぇ自身の『破産(倒産)』の未来すら見えなかったんだからな」

スリーにとって、ナンバーズはもはや利用価値のない泥舟だった。

しかし、彼がこれまで築き上げてきた『裏社会の物流ルート』と『顧客リスト』は無傷で残っている。

「悪いが、俺はこれで抜けさせてもらうぜ。ゼロの残した裏の麻薬ルート(ビジネス)は、この俺が独占して、もっと賢く儲けさせてもらう。……あばよ、ゼロ。魔族の国で、せいぜい惨めに泣き喚くんだな」

大商人は、踵を返して暗い地下道へと消えていく。

己のプライドを捨て、魔族という劇薬に手を伸ばした堕ちた絶対的頭脳。

そして、元上司を見限り、自らの強欲なビジネスを拡大しようと暗躍を始める大商人。

かつて帝都を震撼させた異能集団の残党たちが引き起こす、新たな『悪意の火種』。

それが、やがてルナミス帝国とアバロン魔皇国、二つの超大国を巻き込む規格外の『決算トラブル』へと繋がっていくことを、彼らはまだ知る由もなかった。

読んでいただきありがとうございます。

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