EP 5
ゼロの『絶望のゲーム』と、タコ部屋の兵糧攻め(サプライチェーン遮断)
帝都の地下深くに存在する、無機質で真っ白なアジト。
その中央に置かれた豪奢なアンティークテーブルで、ゼロ(リアス・アルバード)は、白黒のチェス盤を優雅に見つめていた。
「フォー。……あの生意気な元コックの少年と、その仲間たち(Sクラス)の様子はどうだ?」
ゼロが空に向かって問いかけると、部屋の隅の影から、修道服に身を包んだ妖艶な女性——『フォー』が静かに歩み出た。
彼女のユニークスキル『千里眼』は、物理的な壁や距離を完全に無視し、帝都中のあらゆる対象をリアルタイムで覗き見ることができる。
「ええ、ゼロ。彼らは今、見事に『干上がって』いるわ」
フォーは妖しく唇を舐めながら、千里眼で視た光景を報告する。
「今朝から、彼らがお金を稼ぐためのギルドの依頼はすべてキャンセルされた。彼らがいつも買い物をしている『タローソン』という店からは、食料がすべて消え失せた。……彼らの住む『タコ部屋』からは、見事なまでに物資とキャッシュが枯渇しているわ」
「ご苦労。……スリーの手回しも完璧だったようだな」
ゼロの言葉に、恰幅の良い豪商の男——『スリー』が、下品な笑い声を上げた。
「ガハハハッ! 当然ですぜ、ゼロ様! 私の『テレポート』と裏社会のネットワーク、そして大商人としての財力(資本)を使えば、あの程度のガキどもの物流を断つなど、赤子の手をひねるより簡単なこと!」
ゼロの仕掛けた『絶望のゲーム』。
それは、単純な暴力や暗殺ではない。スリー(財力と物流)とフォー(完全監視)、そしてゼロの『未来予知』を組み合わせた、完全無欠の【兵糧攻め(経済制裁)】であった。
ゼロは、チェスの盤上で、敵のキング(リアン)の周囲を無数のポーンで完全に包囲する形を作り上げた。
「人間という生き物は、どれほど気丈に振る舞おうとも、『飢え』と『貧困』の前には絶対に屈する。……元コックで、帳簿の計算が得意だというリアンなら、今の自分たちが『絶対に覆せない赤字(死)』に向かっていることを、誰よりも早く、正確に理解するはずだ」
ゼロは最高級のチョコレートを口に放り込み、嗜虐的な笑みを深めた。
「彼が自らの無力さと、資本(ルールの違い)に絶望し、這いつくばって僕の靴を舐めに来るのが楽しみだよ。……ところで、ツーの姿が見えないが?」
「ああ、あのお嬢ちゃんなら、昨日の夕方から帰ってきてませんぜ。どうせまた、どこかでサボって甘いお菓子でも食ってるんでしょう」
スリーが呆れたように肩をすくめる。
「ふむ。まぁいい、今回の作戦に彼女の『コピー』は不要だ。……さあ、リアン。君の冷徹な頭脳が、この絶対的な包囲網の前でどう壊れていくか、見せてもらおう」
* * *
一方、その頃。
ルナミス学園の旧用具室——通称『タコ部屋』は、かつてないほどの悲壮感と、文字通りの『飢餓』に包まれていた。
「……信じられない。こんな理不尽が許されていいはずがない……っ!」
クラウスが、空っぽになった胃袋を押さえながら、怒りでワナワナと震えていた。
「今朝、冒険者ギルドに行ったら、僕たちが受注していた討伐クエストがすべて『依頼主都合でキャンセル』されていた! それどころか、帝都中のどのギルド窓口に行っても、Sクラスには仕事を回せないと門前払いを食らったのだぞ!?」
「あうぅ……お腹すいたよぉ……」
キャルルが、力なく床に転がっている。
「タローソンに行ったら、お弁当もパンも、全部『何者かに買い占められて品切れ』だって……。道端の草でも食べようかと思ったけど、それはリーザちゃんに怒られちゃうし……」
「あらあら、困りましたわね。私が丹精込めて作った『特製・猛毒ポーション』も、帝都の闇医者たちが一斉に買い取りを拒否してきましたわ。……これでは、新しい毒草の仕入れもできませんの」
ルナが扇で口元を隠しながらも、その瞳には明確な苛立ちが浮かんでいた。
タコ部屋の収入源(クエスト報酬)の完全な断絶。
そして、食料供給源(タローソン等)の徹底的な買い占め。
昨日まで回っていたSクラスの極貧ながらも逞しい『資金繰り(キャッシュフロー)』が、一晩にして完全に息の根を止められていた。
「……やっぱりな」
部屋の隅で、一人静かに分厚い帳簿と睨み合っていたリアン・シンフォニアが、手元の万年筆をコトリと置いた。
「敵は、ただの武闘派テロリストじゃない。完全に計算され尽くした『経済制裁(サプライチェーンの遮断)』だ。これが、ゼロの言っていた『ゲーム』の正体ってわけか」
「経済制裁……? どういうことだ、リアン!」
クラウスがフラフラと歩み寄る。
「簡単な話だ。敵の組織には、帝都の物流とギルドに強大な影響力を持つ『大商人』がいる。そして、俺たちの行動を常に把握できる『監視者』がいる」
リアンは前世のCFO(最高財務責任者)としての冷徹な目で、見えない敵の陣容を的確に分析していた。
「そいつらが連携して、俺たちが金を稼ごうとする先回りをして仕事を潰し、飯を食おうとする先回りをして食材(仕入れ)を断っているんだ。……見事な手際だ。並の組織なら、この時点で完全に倒産(餓死)してるぜ」
「な、なんて卑劣な……! 真正面から戦わず、兵糧攻めで僕たちを屈服させようというのか! ノブリス・オブリージュの欠片もない外道どもめ!!」
クラウスが雷剣の柄を握りしめるが、極度の空腹のせいで魔力が全く発生しない。
「……そういえば、リーザちゃんの姿が見えないわね。昨日の夕方から帰ってきてないけど……」
ルナが部屋を見渡して呟いた。
「あいつのことだ。タローソンの前で半額シールでも待ってるうちに、野生に帰ってどこかの山で猪でも追い回してるんだろ。放っておけ」
リアンはリーザの不在を全く気にする様子もなく(実際、彼女は今頃ツーを連れ回して空き缶を拾っているのだが)、視線を自分の懐へと向けた。
「リアンくん……私たち、このままじゃ餓死しちゃうよ……」
キャルルが涙目でリアンのズボンの裾を引っ張る。
「敵が全部の食べ物を買い占めちゃったなら……もう、どうしようもないよぉ……」
絶望に包まれるタコ部屋。
通常の常識(この世界のルール)で考えれば、完全に詰み(チェックメイト)である。
大商人の財力と、千里眼による監視網。そこから逃れて食料を調達することなど、不可能だからだ。
だが。
「……ククッ。アハハハッ!!」
突如として、リアンが腹を抱えて笑い出した。
「リ、リアン? とうとう空腹で頭がおかしく……!」
クラウスが後ずさる。
「違う。あまりにも敵のやり口が、俺の土俵に乗りすぎていて、笑いが止まらねぇんだよ」
リアンは笑いを収め、立ち上がった。その瞳には、三ツ星レストランの厨房で数々の修羅場をくぐり抜けてきた、副料理長の獰猛な光が宿っていた。
「いいか、クラウス、キャルル、ルナ。奴らは確かに、このルナミス帝国の物流を完全に支配し、俺たちの仕入れルートを断った」
リアンは、懐から『スマートフォン(通信石)』を取り出し、画面をタップした。
「だが、あいつらは致命的な計算ミスをしている。……俺には、奴らの千里眼でも見えず、大商人の権力でも絶対に干渉できない『別の世界線の物流(別ルート)』があるってことをな」
ピロンッ♪
リアンのスマートフォンの画面に、『決済完了』の通知が輝く。
「……見せてやるよ、ゼロ。お前のその貧弱なチェス盤(未来予知)ごとひっくり返す、現代日本の圧倒的な『流通の暴力(ネット通販)』ってやつをな」
リアンの指先が、空間に現れた日本語のウインドウの【お急ぎ便(即日配達)】のボタンを、力強く押し込んだ。
Sクラスの規格外の反撃(大逆転劇)の仕込みが、完了した瞬間であった。
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