EP 4
極貧地下アイドル修業と、肉まんに堕ちたエリート悪役
帝都アヴァロンの第3区画。
真新しい商業施設の建設が急ピッチで進められている、砂埃と騒音にまみれたドワーフ族の建築現場。
「おもっ……重いぃぃぃっ!! なんで、なんで私がこんな泥水みたいな真似を……っ!」
怒号と重機の音が飛び交う中、一人の少女が半泣きになりながら、二十キロ以上あるセメント袋を両手で抱えてよろよろと歩いていた。
『ナンバーズ』の戦術の要であり、キャリデリン伯爵令嬢でもあるルルシア(ツー)である。
彼女の頭には、不気味なローマ数字の『Ⅱ』の仮面の上から、さらに黄色い『安全ヘルメット』が斜めに被せられているという、極めてシュールな状態になっていた。
高級なドレスはすっかり泥とセメントの粉に塗れ、手はマメだらけ。エリート悪役の面影など、もはや微塵もない。
「甘いですわーッ! 後輩ちゃん!!」
その後ろから、現場監督のように紅白の誘導棒を振り回しながら、エンジ色の芋ジャージを着たリーザが発破をかける。
「足腰の鍛錬は、ステージで歌って踊るトップアイドルの基本! そのセメント袋は、貴女を輝かせるための『ファンからの愛の重み』だと思って、気合で運ぶのですわ!!」
「意味が! 意味が分かんないわよぉぉぉっ!!」
ツーはセメント袋を所定の場所にドサリと落とすと、その場に膝をついてゼェゼェと荒い息を吐いた。
(どうして……どうしてこうなったのよ! 私はただ、あいつの強力なオーラをコピーして、最強になろうとしただけなのに!)
ツーの腹の底から、再び『ギュルルルルルッ』という、飢えた魔獣のような腹の虫が鳴り響く。
そう、すべては彼女がリーザの能力をスキャンしたことが原因だった。
コピーした能力の正体は、リーザが日常的に抱えている『貧乏神(極度な飢餓感と強欲体質)』という名の、呪いにも等しいパッシブスキル。
温室育ちの伯爵令嬢の胃袋と脳髄に、「三日三晩タダの水で飢えを凌いだレベルの飢餓感」が強制的にフィードバックされ続けているのだ。
(くそっ……こんな異常な食欲と疲労感、正気じゃないわ! 早く……早くアジトに帰らないと!)
ツーは、リーザが別のドワーフの親方に話しかけられている隙を突き、資材置き場の陰へと転がり込んだ。
そして、安全ヘルメットを脱ぎ捨て、目を閉じて意識を集中させる。
(スリーの『テレポート』で、一気にゼロのいる真っ白な部屋へ飛ぶ! 座標指定……アジトの地下室! 飛べッ!!)
ツーの身体が、一瞬だけ淡い魔力の光に包まれた。
しかし。
——グギュルルルルルルルルルッ!!
「あがっ!?」
猛烈な胃の痛みと空腹感が、ツーの集中力を根底から粉砕した。
展開されかけたテレポートの魔法陣が、パリンッ!と音を立てて霧散する。
「う、嘘でしょ……魔力が、練れない……!?」
ツーは青ざめた顔で自分の両手を見つめた。
魔法の発動には、高度な集中力と、何よりそれを支える肉体のエネルギー(カロリー)が不可欠である。
『貧乏神』のスキルによって極限の飢餓状態に陥らされた現在のツーには、空間跳躍という高度な魔術を行使するための基礎体力が、完全に欠落してしまっていたのだ。
「あら、後輩ちゃん? サボってはいけませんわよ!」
背後から、無慈悲なリーザの声が響く。
「さあ、休憩はおしまいですわ! 次はあっちの鉄骨を運んで、汗水流して『日当』を稼ぎますわよ!!」
「い、いやぁぁぁっ! 私は伯爵令嬢なのよぉぉぉっ!!」
ツーの悲鳴は、ドワーフたちの打つ杭打ち機の轟音にかき消されていった。
* * *
そして、夕暮れ時。
一日中の過酷なブラック労働を終えた二人は、現場の親方から茶封筒に入った『日雇いの賃金(日当)』を受け取った。
「……はぁ、はぁ……死ぬ……」
ツーは路地裏の壁にもたれかかり、泥だらけの顔で魂の抜けたような表情を浮かべていた。
「ふふふっ、見なさい後輩ちゃん! これが私たちの血と汗の結晶……銅貨三十枚ですわ!!」
リーザは茶封筒の中身を見て、うっとりとした顔で頬ずりをした。
しかし、ツーにとっては信じられないほどの端金だった。伯爵家であれば、お茶菓子のマカロン一つすら買えない金額だ。
「たったの……それだけ? あんなに死ぬ思いをして、セメントを運んで……?」
「甘いですわ! この銅貨三十枚があれば、タローソンで一番安いカップ麺が六個も買えますのよ!? まさに錬金術ですわ!」
リーザはツーの腕を強引に引き、歩き出した。
「さあ、次は裏路地を回って『空き缶拾い(リサイクル錬金術)』ですわ! 一つ拾えば、0.5銅貨! 塵も積もればマウンテンですわーーッ!!」
「もう……嫌……。お家に、帰りたい……っ」
ツーは完全に心を折られ、涙をボロボロとこぼしながら、リーザの後ろをトボトボとついていくしかなかった。
エリート悪役としての矜持は、肉体労働と空腹の前に、文字通り木端微塵に打ち砕かれていた。
* * *
すっかり日の落ちた、帝都の夜。
魔導コンビニ『タローソン』の看板が、暗い裏通りにポツンと温かい光を放っていた。
その店の前のベンチで、ツーは灰色の灰のように燃え尽き、座り込んでいた。
空き缶拾いまでフルコースで付き合わされ、彼女のHP(体力)とMP(魔力)は完全にゼロを割り込んでいた。
「……はい、後輩ちゃん。今日一日、よく頑張りましたわね」
ふわり、と。
ツーの鼻先に、信じられないほど甘く、そして暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂ってきた。
ツーがゆっくりと顔を上げると、そこには、タローソンのレジ袋を持ったリーザが立っていた。
リーザの手には、湯気をホカホカと立てる、真っ白でふっくらとした丸い物体が二つ握られている。
「……肉まん、ですわ」
リーザは、そのうちの一番大きくて形の良い肉まんを、ツーの両手にそっと握らせた。
今日二人で稼いだ、血と汗の結晶(銅貨)をはたいて買った、最高の晩餐。
「食べてごらんなさい。労働の後のご飯は、白金貨百枚にも勝る極上の味ですわよ」
ツーは、震える両手でその温かい肉まんを見つめた。
伯爵家の食卓には、フランス料理のような豪勢なフルコースが毎日並んでいた。こんな、コンビニの安っぽいジャンクフードなど、口にしたことすら一度もなかった。
だが、極限の飢餓状態にある今の彼女にとって、その肉まんは、どんな高級料理よりも神々しく輝いて見えた。
「……い、いただきます……っ」
ツーは、肉まんに大きくかぶりついた。
フワッ……。
ジュワァァァァァァッ!!
「……っ!!!」
ツーの瞳孔が、限界まで見開かれた。
ふかふかの甘い生地を突破した瞬間、中から溢れ出したのは、豚肉の強烈な旨味と、玉ねぎの甘みが複雑に絡み合った熱々の肉汁だった。
それが、一日中酷使されてカラカラに乾ききったツーの胃袋と脳髄に、まるで稲妻のような衝撃を与えた。
「あ……あぁ……っ」
ツーの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「あったかい……。お肉の汁が、胃袋に染み渡る……っ! 美味しい……こんなに美味しい食べ物、私、生まれて初めて食べたわ……っ!!」
「えへへ、でしょう? 私が奢るタローソンの肉まんは、銀河一美味しいんですのよ!」
リーザも隣に座り、自分の肉まんを幸せそうに頬張っている。
ツーは泣きじゃくりながら、肉まんを無我夢中で貪り食った。
手や口の周りが肉汁でベタベタになることなど、気にも留めなかった。
ただひたすらに、己の命を満たすための『食』の喜びを噛み締めていた。
(……ああ。もう、ゼロの計画とか、新人類の支配とか、どうでもよくなってきたわ……。明日も、この先輩と一緒に土方をして、この『肉まん』を食べたい……)
この瞬間。
犯罪組織『ナンバーズ』における機動力と情報伝達の要である『ツー』は、完全な意味で組織から陥落した。
冷徹な悪の幹部は死に、ここに一人の『極貧地下アイドルの優秀な付き人(後輩)』が誕生したのである。
* * *
同じ頃。
帝都の地下深くにある、真っ白な部屋にて。
「……遅いな、ツー」
ゼロ(リアス・アルバード)は、最高級のチョコレートを口に運びながら、美しく整えられたチェス盤を見つめていた。
彼の『未来予知』の盤面上において、ツーが帰還しないという事象は、一つの小さな、しかし決定的な『ノイズ(空白)』を生み出していた。
「リアンの拉致と解放は完了した。計画は次の段階へと移行する。……ツーがいなければ、空間跳躍の連携に支障が出るが……まぁいい」
ゼロは、チェスの駒を指で弾き倒した。
「まずは、あの生意気な元コックの少年が、飢えと貧困でどう絶望するか……見せてもらおうか」
冷徹な支配者は、自らの手足が、すでに『タローソンの肉まん一つ』で敵陣営に完全洗脳されているという盤外のバグ(真実)に、まだ気づいていなかったのである。
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