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第一二章 11歳児の勇者

拉致と宣戦布告、解読不能の言語プロテクトと簿記一級の計算

「……っ、痛ぇ……」

後頭部に走る鈍い痛みと共に、リアン・シンフォニアはゆっくりと重い瞼を開いた。

視界に飛び込んできたのは、無機質でどこまでも真っ白な天井だった。鼻を突くのは、厨房の漂白剤よりも冷たく鋭い、薬品のような匂い。

(……ここは、何処だ?)

リアンは身体を起こそうとしたが、手足が鉛のように重い。魔力封じの枷でも嵌められているのか、体に力が入らなかった。

記憶を必死に遡る。

そうだ。昨夜はタコ部屋で、ルナやキャルル、クラウス、そしてリーザたちと一緒に、自分の『十一歳の誕生日』を祝う賑やかなパーティーを開いていた。

美味い飯を食い、騒ぎ、そして寮のベッドに入って眠りに落ちたところまでは覚えている。

つまり、睡眠中に何者かに襲撃され、拉致されたということだ。

しかも、Sクラスのバケモノたちや、帝都の厳重な警備網を完全にすり抜けて。

「お目覚めかな?」

唐突に、静かで、しかし背筋が凍るような冷たい声が部屋に響いた。

リアンが声のした方向へ視線を向けると、そこには『三人の人物』が立っていた。

彼らの顔は、不気味な仮面で覆い隠されている。

中央に立つ、仕立ての良い貴族服を着た長身の男の仮面には『0(ゼロ)』。

その右側に立つ、筋骨隆々で殺気を隠そうともしない大男の仮面には『Ⅰ(ワン)』。

そして左側で退屈そうに欠伸をしている、小柄な少女の仮面には『Ⅱ(ツー)』のローマ数字が刻まれていた。

「ようこそ、僕たちの『盤上アジト』へ。リアン・シンフォニア……いや」

中央の男——ゼロが、仮面の奥で三日月のように目を細め、信じられない言葉を口にした。

「『青田優也あおた ゆうや』くん、と呼んだ方がしっくりくるかな?」

「——なっ!?」

リアンの心臓が、早鐘のように激しく跳ねた。

全身の毛穴が開き、冷や汗が一気に噴き出す。

「何故……俺の、その名前を……知っているんだ!?」

前世の、日本の名前。

この異世界に転生してから、ただの一度も口にしたことのない絶対の秘密。それを、目の前の得体の知れない仮面の男が知っている。

「お前らは……一体何者だ!?」

リアンが警戒を最大まで引き上げて叫ぶと、左側にいた小柄な少女——ツーが、ケラケラと嘲るように笑った。

「アハハッ! そんなに驚くことないじゃん。私があんたの脳みそを『スキャン』して、記憶の底から拾い上げただけよ」

ツーは仮面を指で弾きながら、心底不満そうな声を出した。

「でもさー、あんたの記憶、変な料理の手順とか数字の羅列(仕訳帳)ばっかりで気持ち悪かったわ。……で、本題なんだけどさ。ねえ、あんたのその『ネット通販』っていうユニークスキル、どうやって使うの?」

「……!」

前世の名前だけでなく、己の最大の武器である『ネット通販』スキルまで完全に筒抜けになっている。

「せっかく私が『コピー』してあげたのにさぁ。発動しても、空中に変な四角いウインドウが浮かぶだけで、そこに並んでるミミズが這いずったような『変な文字』が全然読めないのよ! ワード検索? とやらをしようとしても、文字の入力方法も分かんないし。……ねぇ、これどうなってんの?」

ツーの愚痴を聞いた瞬間。

リアンの脳内で鳴り響いていた最上級の警報アラートが、ピタリと鳴り止んだ。

(なるほど……こいつの能力は『相手のスキルのコピー』か。俺の脳をスキャンして記憶を読み取り、スキルまで奪い取った)

リアンは冷や汗を拭いながら、内心で短く息を吐いた。

(だが、致命的な欠陥がある。こいつらは異世界の住人だ。俺の『ネット通販』のインターフェースはすべて【日本語】で構築されている。アルファベットやひらがな、漢字という『概念』すらないこいつらに、検索窓ウインドウで商品を検索することなど絶対に不可能だ!)

物理的なプロテクトではない。

『言語の壁』という、異世界人には絶対に突破不可能な最強の暗号化セキュリティが、リアンのスキルを守っていたのだ。

「……さあな。俺のスキルは、選ばれた人間にしか使えない『不良品』なんだよ」

リアンが鼻で笑って挑発すると。

「何とか答えろよ、クソガキ!!」

ドンッ!!

凄まじい衝撃が、リアンの腹部を貫いた。

大男——ワンの巨大な拳だ。ただの殴打ではない、触れたものを粉砕するような異常な重さを持った一撃。

「ぐっ、がはぁっ……!!」

リアンはベッドの上でくの字に折れ曲がり、胃液を吐き出した。

あまりの激痛に視界が明滅し、呼吸すらまともにできない。

「やめたまえ、ワン。彼は大切なお客様だ。僕たちは『交渉』をするために彼をここに呼び寄せたんだからね」

ゼロが、優雅な仕草でワンを制止する。

「……交渉、だと? ゲホッ……」

リアンが口元の血を拭いながら、ゼロを睨みつける。

「そうだ」

ゼロは両手を広げ、狂気と陶酔に満ちた声で語り始めた。

「僕たちは『ナンバーズ』。……君のように、ユニークスキルという規格外の力を持った者だけで構成された組織だ。

君も薄々気づいているだろう? この世界が、いかに理不尽で、無能な者たちによって支配されているか。何も持たない血筋だけの貴族や王族がふんぞり返り、我々のような真の力を持つ者が搾取される。

だが、それは間違っている。ユニークスキルを持つ我々こそが、神に選ばれし『新人類』なのだ。愚者どもに成り代わって、この腐った世界を支配し、統べる。

どうだい、リアン? Sクラスなどという学園の檻を抜け出し、僕たちと共に新世界を創らないか?」

ゼロの差し出した手を、リアンは冷ややかに見つめた。

そして、フッと鼻で笑った。

「……ふざけた事を抜かすなよ」

「なに?」

「いきなり寝込みを襲って拉致して、こんな辛気臭い部屋に連れ込んでおいて、自分のイタい思想を語った挙句に協力しろだと? 頭湧いてんのか?」

リアンは、前世で培った実務家の目——商業高校で叩き込まれた『簿記一級』の原価計算と、三ツ星レストランの厨房を仕切っていた『副料理長スーシェフ』としての冷徹な視点で、ゼロを切り捨てた。

「お前らのやってることは、ただのテロリストだ。仕入れ(リスク)が高すぎる上に、利益リターンのビジョンが狂ってる。そもそも、暴力で現場を従わせようとする時点で、組織のマネジメントとして下の下だ。……そんな原価割れしてる『ブラック厨房』に、俺が転職するわけないだろうが」

リアンの徹底的な拒絶に、ツーが「あーあ、言っちゃった」と肩をすくめる。

そして、ワンが再び仮面の奥で凶悪な殺意を膨れ上がらせた。

「……殺すぞ、クソガキ」

ボコォォォォンッ!!

今度は顔面に、容赦のない拳が叩き込まれた。

リアンの身体がベッドから吹き飛び、真っ白な壁に激突して崩れ落ちる。

「ぐぅうっ……はぁ、はぁっ……」

口の中が切れ、鉄の味が広がる。しかし、リアンは倒れたまま、不敵な笑みを浮かべてワンを見上げた。

「へ、へへっ……。言いなりにならないとなれば、すぐさま腕力に物を言わせるか? ピークタイムのオーダーも捌けない三流のチンピラが。……お前らみたいなのには、死んでも協力しないね」

リアンのその折れない瞳を見て、ゼロは小さく溜め息を吐いた。

「……そうか。交渉決裂だ。実に残念だよ」

ゼロは懐から一枚のチョコレートを取り出し、優雅に齧りながらリアンを見下ろした。

「君の賢さなら、我々の大義を理解してくれると思ったのだが。……いいだろう。協力しないというなら、君には僕の『ゲームの駒』になってもらう」

「……ゲームの駒?」

リアンが顔を顰める。

「君が絶望し、這いつくばり、僕たちに泣き叫んで『どうか仲間にして下さい』と乞い願う……そういうゲームさ。

僕の『未来予知(チェス盤)』の上で、君がどこまで足掻けるか、見せてもらおう」

(未来予知……それがこいつの能力か)

リアンは背筋に冷たいものを感じながらも、ゼロを睨み返した。

「また会おう! リアン・シンフォニア」

パチンッ!

ゼロが指を鳴らした瞬間。リアンの足元に魔法陣が浮かび上がる。

「あっ、スリーの能力使って送り返すの? じゃあね、生意気な元コックくん!」

ツーがケラケラと笑いながら手を振る。

次の瞬間、リアンの視界は強烈な光に包まれ、真っ白な部屋の光景は完全に掻き消えた。

* * *

「……っ!!」

リアンが次に目を開けた時、彼は自分の見慣れた寮の部屋のベッドの上にいた。

窓からは、朝の光が差し込んでいる。

だが、腹部と顔面に残る激痛と、口の中の血の味が、先ほどの出来事が紛れもない現実であることを証明していた。

「……最悪の誕生日プレゼントだな、クソが」

リアンはベッドに横たわったまま、天井を睨みつけた。

敵は、特級ユニークスキル保持者のみで構成された凶悪犯罪シンジケート『ナンバーズ』。

相手は自分の素性も、前世の記憶も把握し、『未来予知』『テレポート』『コピー』まで使ってくる理不尽の極みだ。

(だが……)

リアンは、ズキズキと痛む腹を押さえながら、ニヤリと笑った。

(だがよぉ、お前らは一つだけ致命的な履き違えをしてるぜ。言語のプロテクトで俺のスキルが使えないと分かった時点で……俺を無害な子供だと舐め腐ったことだ)

リアンの手元には、寝込みを襲われた瞬間に、彼が【ネット通販】のスキルで咄嗟に購入し、アジトの真っ白な部屋の床に「ある物」を転がしておいたという、確かな『仕込み』の記憶があった。

それは異世界人には絶対に構造を理解できない、現代日本の【超小型GPS発信機】。

「売上帳(帳簿)の借方と貸方は、一円のズレもなくキッチリ合わせるのが商業高校オレの流儀でね。……売られた喧嘩は、きっちり利子をつけて取り立ててやる」

十歳の元・三ツ星副料理長と、絶望の異能犯罪組織。

互いのすべてを懸けた、極限の頭脳戦(仕込み)が、今ここに幕を開けた。

読んでいただきありがとうございます。

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