EP 19
海竜女王の降臨と、三ツ星シェフの極上テルミドール
『Love & Money!』の圧倒的なパフォーマンスが終わり、ステージに静寂が訪れてから数分が経過してもなお、ルナミス学園の特設グラウンドは異様な熱に包まれていた。
数万人の観衆は、放心したように涙を流し、ある者は握りしめた空の財布を見つめて幸せそうに微笑み、またある者は「リーザ! リーザ!」と神に祈るようにその名を呼び続けている。
まさに、一つの国を揺るがすほどの『完全な熱狂』であった。
その狂騒の中、ステージの最奥に設置されていた巨大な魔導水鏡が、突如として眩い光を放ち始めた。
周囲の空気が一瞬にして重くなり、深海の底のような荘厳な魔力がグラウンド全体を包み込む。
『——我が愛しき娘、リーザよ』
水鏡に映し出されたのは、シーラン国を統べる絶対的君主、女王リヴァイアサンであった。
だが、その顔に数日前の『海を割るような怒り』は微塵もない。彼女の美しい瞳からは、大粒の真珠のような涙がボロボロと溢れ落ちていた。
「お母様……!」
肩で息をしていたリーザが、ステージの上から水鏡を見上げる。
『許しておくれ、リーザ。……母は、貴女が異国で冷遇され、残飯を漁るような惨めな生活を送っているのだと、完全に勘違いしておりました』
リヴァイアサンは扇を捨て、画面越しに愛娘へと語りかける。
『あのような大勢の民に愛され、自らの輝きで世界を魅了する姿……。貴女は虐待されていたのではなく、ルナミス帝国の地で、紛れもない『トップアイドル』として君臨していたのですね。母は……母は、貴女を心の底から誇りに思います!』
「お母様ぁ……っ! ええ、そうですわ! 私は銀河一の歌姫ですのよーっ!」
リーザも感極まって涙を流し、水鏡に向かって大きく手を振った。
『ルナミス帝国の民よ! そして皇帝陛下よ! 我が早とちりにより、多大なるご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします!』
リヴァイアサンの声が、帝都全域に響き渡る。
『今この瞬間をもって、ルナミス帝国へのシーレーン封鎖を【全面解除】いたします! そして、我が愛娘をここまで輝かせてくれた帝国と、彼女を支えるプロデューサー(Sクラス)への感謝と和解の印として……シーラン国より、最高級の贈り物を届けさせていただきます!!』
カッ!!
グラウンドの中央に、巨大な転送魔法陣が展開された。
強烈な潮の香りと共に姿を現したのは、全長が二メートルはあろうかという、深紅の甲殻に包まれた規格外の巨大海老——『シーラン・エンペラー・ロブスター』であった。
市場に出回れば、一匹で家が建つと言われる伝説の最高級食材である。
「うおおおおおッ!! シーレーンが回復したぞ!!」
「戦争は回避されたんだ! アイドルが、リーザちゃんが国を救ったんだァァァッ!!」
観客席から、再び地鳴りのような歓声が爆発する。
国家存亡の危機は、一人の芋ジャージ(今は真紅のドレス)アイドルの強欲と、冷徹なプロデューサーの完璧な『言い訳』によって、見事に回避されたのである。
* * *
「……はぁ、はぁ……っ。や、やりましたわ……!」
数万人のアンコールに応え、ボロボロになって楽屋裏のテントに倒れ込んできたリーザを、リアン・シンフォニアが静かに迎え入れた。
「ああ。完璧なステージだったぞ、リーザ」
リアンは、タオルと冷えた魔法水をリーザに手渡した。
「お前は約束通り、観客のすべてを奪い、ルナミス帝国を救った。……お前は間違いなく、本物の『銀河一の歌姫』だ」
「えへへ……リアン様にそう言ってもらえると、百万人から褒められるより嬉しいですわ」
リーザはタオルで顔を拭きながら、へにゃりと相好を崩した。
そして、数秒後にはいつもの『強欲の瞳』を取り戻し、リアンに向かって両手を突き出した。
「さあ! 国家を救ったトップアイドルに、約束のご褒美(お肉)を! お腹が空きすぎて、背中とお腹がくっついてしまいそうですわーーッ!」
「ふっ、分かってるよ。今日は肉以上の、極上のディナーを食わせてやる」
リアンは腕を組み、テントの裏に運び込まれた巨大な『シーラン・エンペラー・ロブスター』を見据えた。
そして、空間収納魔法から、純白の『シェフコート』と前掛けを取り出し、素早い動作で身に纏った。
「さて……リーザの圧倒的な歌に、俺も『三ツ星シェフ』の腕で応えなきゃ嘘になるからな。極限のブラック労働を乗り切ったお前らに、最高の報酬をくれてやる」
リアンが愛用の極大包丁を構えた瞬間、彼の周囲の空気が、経営者から『料理人』のそれへと鋭く切り替わった。
「クラウス! ルナ! キャルル! お前らも手伝え! 最高の食材を、最高の調理法で昇華させるぞ!!」
「はっ! 火力調整なら、この雷剣にお任せを!」
「殻割りなら私に任せてね! 『月影流・正拳突き』!」
「あらあら、毒抜きの魔法なら得意ですわよ♡」
規格外のSクラスの連携により、巨大なロブスターの解体作業が秒速で進められていく。
リアンが今回選んだメニューは、フランス料理における最高峰の海鮮料理——『ロブスター・テルミドール』だ。
まず、キャルルが真っ二つに割った巨大なロブスターを、白ワインと香草でサッと蒸し上げ、プリプリの身を殻から丁寧に取り出す。
その身を一口大に切り分け、たっぷりの高級発酵バター、エシャロット、マッシュルームと共にフライパンでソテーする。加熱された海老の甲殻が放つ芳醇な香りが、楽屋裏のテントに充満していく。
「おおお……! すでに匂いだけで白米が三杯いけそうですわ……っ!」
リーザがよだれを滝のように流しながら、コンロの横に張り付いている。
「まだまだ、ここからが本番だ」
リアンは別の鍋で、バターと小麦粉を炒め、そこに温かい牛乳と生クリーム、そして特産の濃厚な卵黄を加えていく。
滑らかなベシャメルソースをベースに、そこに大量の『熟成グリュイエールチーズ』を削り入れ、とろけるような黄金色の『モルネーソース』を完成させた。
「ソテーしたロブスターの身を殻の中に戻し、この濃厚なチーズソースをたっぷりと上からかける。……仕上げだ、クラウス! 表面に焦げ目をつけろ!」
「承知した! 表面だけを焼き上げる、繊細なる雷撃! 『ライトニング・トースト』!!」
ジリリリリッ! という音と共に、ロブスターの表面を覆うチーズソースに熱が加わり、プクプクと泡立ちながら見事な黄金色のキツネ色に焼き上がっていく。
「完成だ。シーラン・エンペラー・ロブスターの特製テルミドールだ」
リアンが、巨大な銀の皿に盛り付けられたそれをリーザの前にドンッ!と置いた。
「い、いただきますわーーーーッ!!」
リーザはフォークを両手で握りしめ、溢れんばかりのチーズソースが絡んだ極厚のロブスターの身を、大きな口を開けて放り込んだ。
「…………〜〜〜〜〜ッ!!!」
リーザの瞳孔が限界まで開き、その背中に再び幻の天使の羽が生えた。
「お、美味しいいいいいいいいっ!!!」
リーザがテントの天井を突き破らんばかりの絶叫を上げる。
「弾力のあるロブスターの身から、噛むたびに溢れ出す強烈な海老の旨味と甘み! それを、バターと生クリームの暴力的なコク、そして焦げたチーズの香ばしさが幾重にも包み込んで……! 私の胃袋が、極上の幸せ(カロリー)に満たされていきますわーーッ!!」
バクバクバクッ! と、アイドルらしからぬ凄まじい勢いで、伝説の食材がリーザの胃袋へと吸い込まれていく。
その時だった。
「おい……なんだこの、世界中の美味を濃縮したような香りは……!!」
テントの入り口が乱暴に開けられ、ずかずかと入ってきたのは、なんと最前列のVIP席にいたアバロン魔皇国の魔王と、ガルーダ獣人王国の獣王であった。
彼らは、ステージの余韻に浸る間もなく、リアンの調理の匂いに完全に胃袋をハッキングされ、たまらず楽屋まで押し掛けてきたのだ。
「余にも! 余にもその『黄金に輝く海老の料理』を食わせろ!!」
「我輩の国にも、これほど美味そうな匂いを放つ料理はない! 頼む、一口だけでいい!!」
一国の元首たちが、よだれを垂らしながら十歳の子供たちに懇願するという異常事態。
「……ふっ」
その光景を見たリアンは、シェフのエプロンを外し、再び『冷徹な経営者』の顔へと戻った。
彼の頭の中で、猛烈な勢いでレジスターのチーン!という音が鳴り響いている。
「ええ、もちろん構いませんよ。VIPの皆様」
リアンはニヤリと、悪魔のような……いや、世界で最も有能な商人の笑みを浮かべた。
「ただし、元・三ツ星シェフが全精力を傾けて作った、国家を救ったアイドルのための『限定プレミアム・ディナー』です。……お代は、少々高くつきますが、よろしいですね?」
「払う! 国家予算を削ってでも払う!! だから早く食わせろォォッ!!」
かくして。
銀河の歌姫の圧倒的なステージと、元三ツ星シェフの極上料理のコンボにより、ルナミス帝国を訪れた他国のVIPたちは、完全にSクラスの『虜(お得意様)』へと成り下がった。
マグローザ漁船行きの絶対絶命のピンチから一転。
彼らの『学園祭ライブ・プロジェクト』は、莫大な名声と、VIPたちからの天文学的な額のスーパーチャット(利益)を生み出す、完全無欠の大勝利へと突き進んでいくのであった。
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