EP 16
ネギ味噌豚バラ弁当と、歌姫の真なる覚悟
昼間の怒号と狂騒が嘘のように、夜のルナミス学園グラウンドは静寂に包まれていた。
秋の夜風が、秋虫たちの穏やかな音色を運んでくる。
月明かりに照らし出されているのは、Sクラスの面々が己の規格外の暴力を土木作業に全振りして組み上げた、巨大な特設ステージの骨組みだった。
「……はぁ……はぁ……」
その巨大なステージの片隅。
積み上げられた資材の陰で、一人の少女がボロ雑巾のようにへたり込んでいた。
シーラン国の次期女王候補であり、今回の『国家存亡を懸けた学園祭ライブ』の主役である、リーザだ。
昼間にロックバイソン(牛)の逆鱗に触れ、セメントの海にダイブさせられた彼女の姿は、まさに悲惨の一言であった。
顔は水道水で適当に洗ったものの、自慢の髪はセメントの粉でパサパサになり、エンジ色の芋ジャージは灰色の泥でカチカチに固まっている。完全なる『限界土方アイドル』の完成である。
「お腹……空きましたわ……」
リーザは虚ろな目で夜空の月を見上げ、キュルルルゥゥと情けない腹の虫を鳴らした。
「金貨と……お肉のために……。でも、もう一歩も動けませんの……。このままでは私、ステージに立つ前に餓死してしまいますわ……」
リーザが意識を手放しかけた、その時だった。
「——おう。休憩しろ、リーザ」
不意に、頭上から声が降ってきた。
リーザがゆっくりと顔を上げると、そこにはSクラスのプロデューサー兼、冷徹なるCFOであるリアン・シンフォニアが立っていた。
リアンの手には、まだ温かい湯気を立てる木箱——『お弁当』が握られていた。
「あ……リアン様……」
「ほら、差し入れだ。食え」
リアンが木箱のフタを開けた瞬間。
ふぁっ……と。
夜の冷たい空気を一刀両断するように、食欲を暴力的に刺激する凄まじい香りが爆発した。
「こ、これは……!!」
リーザの瞳孔が、極限まで見開かれた。
木箱の中に敷き詰められた、つやつやと輝く白米。
その上に乗っているのは、香ばしく焼き上げられた分厚い豚バラ肉だ。特製の『ネギ味噌ダレ』がたっぷりと絡みつき、豚の甘い脂と味噌の焦げた匂いが、脳の満腹中枢を直接殴りつけてくる。
元・三ツ星シェフであるリアンが、極限の肉体労働(ブラック現場)で疲労困憊したアイドルのために作った、カロリーの暴力——『特製・ネギ味噌豚バラ弁当』である。
「ああっ! リアン様! 差し入れ、ありがとうございます!! いただきますわーーッ!!」
リーザはさっきまでの疲労など完全に忘れ去り、獣のようなスピードで弁当箱をひったくった。
箸を使うことすらもどかしく、手づかみで豚バラ肉を口に放り込む。
「美味しい! 美味しいいいいっ!!」
リーザの目から、感動の涙が滝のように溢れ出した。
「豚肉の圧倒的な脂の旨み! それをピリッとしたネギの辛味と、濃厚な甘辛い味噌が完璧に包み込んでいますわ! ご飯が……ご飯が無限に吸い込まれていきますのーーッ!!」
バクバクバクバクッ!!
まるで掃除機のような勢いで、メガ盛りの弁当がリーザの胃袋へと消えていく。
その凄まじい食べっぷりを、リアンは呆れたような、しかしどこか満足げなシェフの顔で見下ろしていた。
「……で? どうだ、景気(進捗)のほうは」
リアンが、空の弁当箱をペロペロと舐め回しているリーザに問いかける。
「はい!」
リーザは口の周りを味噌だらけにしながら、誇らしげに胸を張った。
「ご覧の通り、ステージの基礎と骨組みは完璧に出来上がっておりますわ! あとは明日の仕上げと、音響機材の搬入だけですの!」
「そうか。お前も一日中現場監督(という名のサンドバッグ)をやって、よく頑張ったな」
リアンが労いの言葉をかけると、リーザは「えへへ」と照れ笑いを浮かべた後、少しだけ視線を逸らした。
「ま、まぁ……強いて問題点を挙げるとすれば、ですね」
「問題点?」
「昼間に私が牛を怒らせて逃げた後、クラウス様が気を利かせて、帝都から人間のドワーフの土方のおじさんたちを雇ってきてくれたんですが……」
リーザは人差し指同士をツンツンと合わせながら、気まずそうに続けた。
「さっき、その土方の親方のおじさんから、『おいコラ王女! 月給はどうすんだ!? 労基に訴えるぞ! オラァ!』って、組み上がったばかりの鉄骨に激しい壁ドンをされまして……」
「ドワーフの親方に壁ドン!? お前、完全に給料未払いの悪徳社長じゃねぇか!!」
リアンが頭を抱えてツッコミを入れる。
「お助けクランの資金(内部留保)からちゃんと日当を払うって、クラウスに伝えておいたはずだぞ! なんでお前が凄まれてるんだよ!」
「い、いやぁ。私がちょっと『ドワーフのヒゲをむしって売れば金になるのでは?』というビジネスチャンスを口走ってしまいまして。ですが、ご安心を! 私の俊足をもってすれば、彼らの追跡から逃げ切れる算段はついておりますわ!」
「そういう問題じゃない。……まぁいい。とにかく、本番前に刺されないようにだけ頑張れよ」
「はい! 命とギャラを懸けた逃走劇、見事乗り切ってみせますわ!」
能天気に笑うリーザを見て、リアンは小さく息を吐いた。
そして、そのまま彼女の隣——冷たい土の地面に腰を下ろし、夜空を見上げた。
秋の澄んだ空に、ぽっかりと丸い月が浮かんでいる。
「……なぁ、リーザ」
リアンが、普段の『冷徹なプロデューサー』のトーンから少しだけ温度を下げた、静かな声で問いかけた。
「お前は……『歌』は、好きなのか?」
その問いに。
弁当箱を舐めていたリーザの動きが、ピタリと止まった。
「お前はいつも『金貨が欲しい』とか『美味しいお肉が食べたい』とか、そんなことばっかり言って、地下アイドルの活動をしてるだろ。……今回のライブだって、マグローザ漁船(強制労働)の回避と、報酬目当てで引き受けた」
リアンは視線を月に向けたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「でも、ただ金が欲しいだけなら、お前のその『物理的な戦闘力』を活かして、冒険者ギルドで上位クエストをこなした方がよっぽど効率がいい(ハイリターンだ)。……なんでお前は、アイドルなんていう不確実な(リスクの高い)水商売にこだわってるんだ?」
リアンの問いは、経営者としての純粋な疑問だった。
損益分岐点から考えれば、リーザのやっていることはあまりにも非効率だからだ。
沈黙が、降りた。
秋虫の声だけが、二人の間に響いている。
やがて。
「……はい」
リーザが、コトンと弁当箱を横に置き、リアンの方へ向き直った。
いつもの『$』マークの浮かんだ強欲な目ではない。深海の底のように静かで、しかし、星のようにギラギラと燃えるような、熱を帯びた瞳だった。
「大好き、です。……私は、歌うことが、何よりも好きなんですわ」
リーザの口から、初めて語られる『本音』。
「リアン様。私がなぜ、アイドルとしてステージに立ちたいのか……分かりますか?」
「……お金と、お肉のためじゃないのか?」
「もちろん、それも大きな理由ですわ!」
リーザは力強く頷いたが、すぐに真剣な表情へと戻った。
「でも、それ以上に……。私が歌うと、ファン達はみんな、足を止めて、私だけを見てくれるんです。……私が歌うと、ファン達の『時間』を、すべて奪うことができるんですわ」
「時間を、奪う……?」
リアンが眉をひそめる。
「ええ」
リーザは、セメントで汚れた両手を、夜空の月に向かってそっと伸ばした。
「私は人魚族の血を引く者。私たちの歌声は、古来より船乗りの心を奪い、海へと引きずり込んできた『魔性の歌』ですわ」
リーザの指先が、空を掴むようにゆっくりと握り込まれる。
「私の歌を聴いている間、観客は日々の辛い労働や、貧しい現実、嫌な上司の顔……そんなものをすべて忘れて、ただ私だけを見つめるの。
……私がファン達の『世界』になって、彼らの現実を何もかも奪い去るんです。
そして、その対価として……私が、彼らに『宇宙一の幸せな時(夢)』を味あわせるんですわ」
リーザの言葉には、確かな『覇気』があった。
それは、ただの強欲な少女の言葉ではない。
観客の人生(時間)と金(対価)を容赦なく奪い取り、その代わりに圧倒的な輝きで彼らの魂を救済する。
まさに、すべてを喰らい尽くす絶対的な捕食者であり……真の『トップアイドル』の傲慢にして高潔なエゴイズムであった。
「私は、私の歌で、世界中のすべてを奪い尽くしたい。……だから私は、アイドルなんですのよ」
泥だらけの芋ジャージ姿。
しかし、月明かりの下で語るその横顔は、紛れもなく、一つの国を統べる王女としての『気高さ』に満ちていた。
(……ああ。なるほど)
リアンの胸の奥で、何かが静かに腑に落ちる音がした。
(こいつはただのバカじゃない。自分の価値と、観客が求めているもの(需要)を完全に理解している。……こいつは、間違いなく『本物』だ)
リアンは、ズキズキと痛んでいた胃の痛みが、不思議と消え去っていることに気がついた。
代わりに込み上げてきたのは、プロデューサーとしての、純粋な『高揚感』だった。
「……そうか」
リアンはフッと口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「そこまで言うなら、お前のその『すべてを奪う歌』……今度のライブで、この俺にも聴かせてみろよ」
リアンが挑発するように言うと、リーザはパァッと顔を輝かせた。
「ふふっ! もちろんですわ! リアン様は、私のお腹を満たしてくれた大切な『パトロン(出資者)』ですからね! 当日は、一番よく見える特等席を用意して差し上げますわ!」
リーザは立ち上がり、泥だらけのジャージの裾を両手でつまんで、お姫様のように優雅にお辞儀をした。
「お代は、金貨ではなく……リアン様の『ハート』で良いですよ♡ 覚悟しておいてくださいませ!」
アイドルの、宣戦布告。
その圧倒的な自信に満ちた笑顔を前に、リアンは立ち上がり、前世の敏腕経営者としての顔で堂々と応えを返した。
「——上等だ」
国家存亡の危機、シーレーン封鎖、マグローザ漁船行きの恐怖、ドワーフからの労働争議。
数々の絶望的な負債を抱えながらも、リアンとリーザの間に、確かな『絆(契約)』が結ばれた。
舞台は整った。
あとは、この泥だらけの歌姫が、世界を奪うための極彩色のステージ(戦場)へと駆け上がるだけである。
読んでいただきありがとうございます。
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