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EP 13

母なる海竜の怒りと、シーレーン完全封鎖

ルナミス帝国から南へ遥か数千キロ。

どこまでも深く、透き通るような紺碧の海に沈む『シーラン国』の海底宮殿は、地上のどんな王城よりも壮麗で美しかった。

珊瑚と真珠で彩られた巨大な柱が立ち並び、天井からは神秘的な発光クラゲがシャンデリアのように柔らかな光を落としている。

その玉座の間で、シーラン国を統べる絶対的な君主——海竜の化身たる女王リヴァイアサンは、優雅に魔導通信機(海底ケーブル経由の衛星放送)を眺めていた。

「まあまあ……♡」

リヴァイアサンは、真珠の装飾が施された扇で口元を隠し、ウフフと上品に微笑んだ。

彼女の視線の先にある巨大な水鏡モニターには、ルナミス帝国の『独占生中継番組』が映し出されていた。

「見てごらんなさい、宰相。私の可愛いリーザが、テレビという魔導具の画面に大きく映っておりますわ。ルナミス帝国の学園に留学させて一年……異国の地でも、あの子の輝きは隠しきれないのですね」

「ハッ。女王陛下の仰る通りにございます」

傍らに控える魚人の宰相が、恭しく頭を下げる。

「リーザ様は我がシーラン国の誇り。ルナミス帝国においても、その気高さと美貌で、すでに国中の注目を集める『トップアイドル』として君臨されているのでしょう」

「ええ、本当に。……ん?」

リヴァイアサンが目を細めた。

水鏡に映し出されたリーザの姿が、少しだけ……いや、決定的に、彼女の記憶にある『気高き王女』の姿と異なっていたからだ。

「……あの、リーザが着ている服はなんですの? 色あせたエンジ色の……ジャージ? しかも、足元は健康サンダル……?」

女王の眉間に、微かなシワが寄った。

王族たる者、常に最高級のシルクと宝石で身を包んでいるのが常識である。あのような、場末の酔っ払いが着るような粗末な服を、なぜ愛娘が着ているのか。

「お、おそらく……あれはルナミス帝国の最先端のファッション、『ストリート系』というものでは……?」

宰相が冷や汗を流しながらフォローを入れる。

だが、女王の疑問はそれだけでは終わらなかった。

水鏡の中のリーザが、暗い裏路地で、薄汚れた野良犬と本気の睨み合いを始めたからだ。

『ふん! 笑わせないでくださいませ、しがない野良犬ごときが!』

画面の中で、リーザが健康サンダルを鳴らして叫ぶ。

『その半額弁当は、私が三時間前からタローソンの総菜コーナーの前で息を潜め……』

「……は、半額、弁当……? 総菜……? 野良犬……?」

リヴァイアサンの声のトーンが、急速に温度を失っていく。

そして、事態は決定的な破局クライマックスを迎えた。

『ええいっ! 必殺・黄金の弾丸コイン・スナイパーですわーーッ!!』

シュパァァァァンッ!!

水鏡の中で、愛娘の右の鼻の穴から真鍮の五円玉が発射され、野良犬の鼻を撃ち抜いた。

犬が悲鳴を上げて逃げ出し、リーザが『メガ盛り・極厚デミグラスハンバーグ弁当(半額)』を天高く掲げて『とったどおおお!!』と野生の雄叫びを上げる。

「…………」

海底宮殿の玉座の間が、深海の底のような絶対零度の静寂に包まれた。

『お母様〜〜っ!! もう干しワカメとか貝殻の仕送りは要りません事よ〜! 送るなら、現金キャッシュで!! 銀行振込か、魔導送金でダイレクトにお願いしますわーーッ!!』

ブツッ。

放送が途切れた水鏡を前に、リヴァイアサンはゆっくりと扇を下ろした。

ゴゴゴゴゴゴォォォォォォッ……!!

突如として。

海底宮殿全体が、まるで巨大な地震に見舞われたかのように激しく揺れ始めた。

シャンデリアのクラゲたちが恐怖に怯えて光を明滅させ、珊瑚の柱にピキピキと亀裂が走る。

「ひ、ひぃッ!? じょ、女王陛下! お怒りをお鎮めください!」

宰相や近衛兵たちが、その場に平伏して震え上がった。

リヴァイアサンの全身から、海そのものの怒りを具現化したような、底知れぬ凄まじい魔力オーラが噴出していたのだ。

彼女の美しい人魚の瞳は、完全に『激怒する海竜』のそれへと変貌していた。

「……私の、可愛いリーザが……」

リヴァイアサンの低い声が、水圧のように重く響き渡る。

「ルナミス帝国は……あの忌々しい地上の野蛮人どもは……我が愛娘を、我がシーラン国の次期女王を……野良犬と『残飯(半額弁当)』を奪い合うほどの、極貧生活に追いやっていたとォォォォォォォッ!!?」

「へ、陛下! 誤解かもしれません! リーザ様は『アイドル』として活動されていると……!」

「黙りなさいッ!!」

リヴァイアサンの怒声が、海水を震わせて衝撃波を生み出した。

宰相がその風圧だけで吹き飛ばされ、壁に激突する。

「あのような薄汚れた布切れ(芋ジャージ)を着せられ、鼻の穴に硬貨を詰め込み、あろうことか『現金を送ってくれ』とカメラの前で涙ながらに訴える……! あれのどこがアイドル活動だというのです! 完全に虐待! 奴隷以下の扱いではありませんか!!」

リヴァイアサンの怒りは、完全なる『勘違い』であった。

リーザが極貧なのは、本人の圧倒的な食費と、学園のサバイバルな教育方針(タコ部屋)、そして何より「強欲すぎる性格」が原因である。

しかし、娘を愛する母親の目には、あの放送事故映像は「ルナミス帝国による国家ぐるみの陰惨な虐待」にしか映らなかったのだ。

「許しません……! 我がシーラン国の誇りを、そして私のかけがえのない宝物を、あのように辱めたルナミス帝国……絶対に許してはおきませんわ!!」

リヴァイアサンは玉座から立ち上がり、手にした三叉のトライデントを海底の床に力強く突き立てた。

「全海域の守護神たちに命じます!! 今この瞬間をもって、ルナミス帝国へ通じるすべての海上交通路シーレーンを【完全封鎖】しなさい!!」

「なっ……!? し、しかし陛下! それはルナミス帝国への事実上の宣戦布告……! 帝国の物流網が完全に麻痺してしまいます!」

「構いません! ルナミス帝国の経済を干上がらせ、兵糧攻めにしてさしあげます! あいつらがリーザを厚遇し、国賓として遇さなかったことを、地獄の底で後悔させるのです!! 海の怒りを思い知りなさいィィィッ!!」

リヴァイアサンの絶叫と共に、海底から放たれた無数の魔力の波が、世界中の海へと広がっていった。

* * *

翌朝。

ルナミス帝国・南部の巨大な貿易港。

「な、なんだあれは……!?」

港の監視塔にいた兵士が、望遠鏡を落として絶句した。

それまで穏やかだった帝国の海。

その沖合に、突如として信じられない光景が広がっていた。

高さ数十メートルに達する巨大な『水の壁』が、帝国の海岸線をぐるりと取り囲むように屹立していたのだ。

そして、その水の壁の向こう側には、無数の巨大なクラーケン、海竜、そして完全武装したシーラン国の魚人艦隊が、殺意を剥き出しにして陣取っていた。

『——警告する! これより、ルナミス帝国に対する一切の海上輸送、漁業、および艦船の通行を禁ずる! 一隻でもこの防衛線を越えようとする者には、海の底への永遠の眠りを与える!』

海流に乗って、シーラン国の宣戦布告ともとれる警告が港に響き渡った。

「ば、馬鹿な! シーラン国が突然、シーレーンを封鎖しただと!?」

「昨日まで、なんの外交的トラブルもなかったはずだぞ! 一体、何が原因だ!?」

港の司令官たちがパニックに陥り、怒号を飛び交わせる。

原因が『一人の芋ジャージアイドルが、野良犬と半額弁当を奪い合ったこと』などと、一体誰が想像できようか。

シーレーン封鎖の影響は、帝国の経済に対して、文字通り『一瞬』で牙を剥いた。

「お、おい! 帝都の市場から、魚介類と塩が完全に消えたぞ!」

「海外からの輸入小麦も入ってこない! パンの値段が昨日の五倍に跳ね上がってる!!」

「クソッ、魔石の輸入船も海上で止められてるって!? これじゃあ魔導具が動かせない、工場がストップするぞ!!」

帝都アヴァロンの市場は、朝から大パニックに陥っていた。

物資の枯渇への恐怖から、市民たちが店に殺到し、あらゆる商品の価格が分刻みで異常な高騰を見せていく。完全な『ハイパーインフレーション』の始まりであった。

「……あ、あははは……」

その頃。

ルナミス学園のタコ部屋で。

リアン・シンフォニアは、窓から見える帝都の混乱の煙と、魔導テレビが伝える『シーレーン封鎖! 帝国経済に致命的打撃!』という絶望的なニュースのテロップを見比べながら、乾いた笑いを漏らしていた。

「……言ったよな。マグローザ漁船どころの騒ぎじゃない……『戦争』が起きるって」

リアンの胃薬を噛み砕く音が、虚しく響き渡る。

「お、お母様、ずいぶんと怒りっぽくなりましたのねぇ……。更年期かしら?」

事件の元凶であるリーザが、暢気にタローソンで買った『定価』のアイス棒を舐めながら首を傾げている。

「お前のせいだバカアイドルぅぅ!!!」

リアンの血を吐くような叫び声が、帝都のパニックの喧騒の中に消えていく。

たった一個の半額ハンバーグ弁当が引き起こした、国家存亡の危機。

リアンたちSクラス(不良債権処理班)は、否応なしにこの『特大の国際問題』の中心へと巻き込まれていくのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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