EP 11
野良犬との死闘と、全国放送の放送事故
ルナミス帝国の首都、帝都アヴァロン。
その裏通りにひっそりと佇む魔導コンビニエンスストア『タローソン』の店舗前で、今まさに、種族の壁を超えた血で血を洗う生存競争が幕を開けようとしていた。
秋の冷たい夜風が吹き抜けるアスファルトの上。
対峙するのは、二つの『獣』である。
一方は、帝都の裏路地を長年取り仕切ってきた歴戦の猛者。全身に無数の傷跡を刻み、鋭い牙から凶悪な涎を垂らす大型の野良犬。
そしてもう一方は——色あせたエンジ色の『芋ジャージ』に身を包み、足元には健康サンダル、頭にはボサボサの髪を揺らす十歳の少女。
シーラン国の王女にして、自称・銀河を貫く極貧地下アイドル、リーザである。
二つの獣の視線の先、その中央のアスファルトに転がっているのは、一つのプラスチック容器だった。
タローソン特製『メガ盛り・極厚デミグラスハンバーグ弁当』。
そして、その透明なフタの上には、神々しい輝きを放つ黄金のシールが貼られている。
——『半額』。
この二文字が意味するもの。それは、限界極貧生活を送るリーザにとって、己の命の炎を燃やすための絶対的なガソリン(カロリー)であり、絶対に譲ることのできない至宝であった。
「……ガルルルルルッ!」
野良犬が、ハンバーグ弁当を守るように前傾姿勢をとり、リーザに向かって低く恐ろしい唸り声を上げた。その瞳には「これに近づけば喉笛を噛み千切る」という明確な殺意が宿っている。
しかし、リーザの瞳に宿る『強欲』と『飢餓』の光は、野良犬の殺意すらも凌駕していた。
「ふん! 笑わせないでくださいませ、しがない野良犬ごときが!」
リーザは健康サンダルをアスファルトに擦りつけ、クラウチングスタートの構えをとった。
「その半額弁当は、私が三時間前からタローソンの総菜コーナーの前で息を潜め、店員が値引きシールを貼る瞬間を狙って確保した私の獲物! それを店を出た瞬間にひったくるなど、万死に値する強盗行為ですわ!!」
「ガウッ!!」
野良犬が、リーザの言葉を理解したかのように激しく吠え、鋭い牙を剥き出しにして一直線に飛びかかってきた。
大型犬の全体重を乗せた、恐るべき飛びかかり攻撃。十歳の少女なら、押し倒されて重傷を負うのは免れない。
だが、リーザは常人ではない。彼女は人魚族の王族であり、何より『食への執着』においてルナミス帝国で右に出る者はいない絶対捕食者である。
「甘いですわーッ!!」
リーザは野良犬の牙を紙一重で躱すと、ジャージのポケットに素早く手を入れた。
彼女の指先が掴んだのは、数日前、タコ部屋での十歳の誕生日パーティーの際に彼女が三日三晩かけてピカピカに磨き上げ、リアンに「ただの五円玉だバカ魚!」と突っ込まれた、あの『真鍮の五円玉』であった。
(リアン様はこれを価値のない偽金だと言いましたが……私の労働力(研磨)が詰まったこの硬貨の恐ろしさ、その身で味わうがいいですわ!)
リーザは、あろうことかそのピカピカの五円玉を、自らの『右の鼻の穴』にスポッと装填した。
「ええいっ! 必殺・黄金の弾丸ですわーーッ!!」
大きく息を吸い込んだリーザが、凄まじい肺活量(人魚族特有の水圧に耐える強靭な肺)をもって、鼻から一気に空気を噴出させた。
フンッッ!!
シュパァァァァンッ!!
空気を切り裂く鋭い風切り音と共に、鼻の穴から射出されたピカピカの五円玉が、文字通りライフルの弾丸のような速度と威力で撃ち出された。
「キャンッ!?」
見事な弾道を描いた五円玉は、空中にいた野良犬の急所である『鼻の頭』にクリーンヒットした。
「キャイン! キャインキャイイイーン!!」
あまりの痛撃と、謎の鼻息コイン攻撃という予測不能の事態に完全に心を折られた野良犬は、情けない悲鳴を上げながら、尻尾を巻いて夜の裏路地へと逃げ去っていった。
圧倒的勝利。
アスファルトの上に残されたのは、無傷の半額ハンバーグ弁当と、鼻の穴をヒクヒクさせている芋ジャージの少女だけだった。
「しゃっあああ! とったどおおお!!」
リーザは弁当を両手で高く掲げ、勝利の雄叫びを夜空に轟かせた。
「見ましたかリアン様! 磨き上げた五円玉には、確かな実用性(武器としての価値)がありましたわ! これで今夜も、私の胃袋は歓喜の歌を歌いますのよーッ!!」
リーザが弁当のフタを開け、冷めたハンバーグに直接手づかみで齧り付こうとした、まさにその瞬間だった。
パァァァァァァンッ!!
突如として、夜の裏路地が白昼のように明るく照らされた。
強烈な魔導照明の光が、半額弁当を握りしめたリーザの姿を容赦なく照らし出している。
「な、なんですの!?」
リーザが目を細めて光の方向を睨みつけると、そこには黒いスーツを着た数人の大人たちと、肩に巨大な『魔導中継カメラ』を担いだ男、そしてマイクを握りしめた興奮気味の女性リポーターの姿があった。
カメラの側面には『ルナミスTV・独占生中継!』という派手なロゴが光っている。
リポーターの女性が、カメラに向かって甲高い声でまくし立てた。
「全国の皆様! ご覧になりましたでしょうか!? アレが……信じられないことに、アレがシーラン国の次期女王候補にして、気高き人魚姫……歌姫リーザ様の現在のお姿です! 異国の地で野良犬と弁当を争う、あまりにも衝撃的なスクープ映像! 早速、我々取材班が突撃インタビューを試みたいと思います!」
「えっ? 全国……生放送……?」
リーザの思考が、一瞬停止した。
自分が今、ルナミス帝国全土——何百、何千万という視聴者の目に晒されている。
芋ジャージ姿で、鼻から五円玉を飛ばし、野良犬から奪い取った半額弁当を握りしめている、この極限まで底辺な姿が。
普通の貴族や王族であれば、羞恥のあまりその場に泣き崩れるか、顔を隠して逃げ出す場面である。
しかし、彼女はリーザ。
プロのアイドルとしての(間違った方向の)矜持と、底なしの強欲を持つ女である。
(全国放送……つまり、これはノーコストで数千万人に私をアピールできる、特大のプロモーション(宣伝)チャンスということですわね!?)
リーザの脳内で、瞬時に現金の計算が弾き出された。
タタタタッ!
リポーターがマイクを片手に、リーザのもとへ駆け寄ってくる。
「リーザさんですよね!? シーラン国の王女、リーザ様ですよね!?」
リポーターがマイクを突き出した瞬間。
リーザの姿勢が、アスファルトを這う獣から、ステージの中央に立つ『トップアイドル』のそれへと、0・1秒で完全変形した。
「はい! カメラですわね!」
リーザは、ジャージの襟をピシッと正し、ハンバーグのデミグラスソースが微かについた口元で、完璧な(と本人は思っている)ウインクとアイドルスマイルを放った。
「急な取材には対応しかねますわ! 撮影をご希望なら、まずは私のアクア・エージェンシー(事務所)を通してスケジュールの確認をして下さいませ! あと、カメラの角度は下から煽らず、斜め45度から美しく撮るのが業界の基本ですわよ! もしサインをご希望なら、そこの電柱の後ろから一列に並んで順番をお待ちになってね!」
息継ぎすら感じさせない、流れるようなアイドルトーク。
あまりにも堂々とした、そして現在の悲惨な状況(野良犬との決闘直後)と乖離しすぎた態度に、百戦錬磨のTVリポーターも思わず言葉を失った。
「えっと……あの……事務所、ですか?」
リポーターは困惑しながらも、プロとして必死に番組を進行させようと問いを重ねる。
「そ、それよりもリーザ様! 先ほど我々のカメラは捉えておりました! 貴女が……その、野良犬の鼻先に五円玉をぶつけて、タローソンの見切り品弁当を奪い取っていたお姿を! 一体、今のルナミス帝国でどのような生活を送られているのですか!? ご感想は!?」
全国民が息を呑んで見守る、核心を突く質問。
極貧生活の悲惨さを語るのか。それとも、王族としての怒りを露わにするのか。
だが、リーザの口から飛び出したのは、リポーターの予想を遥かに超える、次元の違う回答だった。
「ご感想、ですわね?」
リーザはマイクを自分の方へグイッと引き寄せ、カメラを真っ直ぐに見つめた。
「はい! 私の歌は天下一品! アスファルトの上だろうが、みかん箱の上だろうが、私が立てばそこがステージ! 銀河を貫く宇宙一の歌姫とは、他ならぬ私の事でしてよ! 皆様、私の新曲のリリースを楽しみにお待ちくださいませ♡」
「……う〜ん……?」
リポーターの顔に、明確な『困惑』と『恐怖』の線が浮かんだ。
(や、やばい。この王女、話が全く噛み合っていない! 貧困のストレスで、完全に現実と妄想の区別がついていない『想像を絶する境地(狂気)』に達している……!)
リポーターは、これ以上インタビューを続けるのは放送事故の傷口を広げるだけだと判断し、強引にコーナーを締めくくることにした。
「あ、あはは……素晴らしい自己アピール、ありがとうございます! いやぁ、天才と狂気は紙一重と申しますが、まさに想像を絶するお姿でした! では最後に、遠く離れた祖国シーラン国で、きっと今の貴女を心配してこの放送をご覧になっているであろう『お母様』に向けて、一言メッセージをお願いします!」
カメラが、リーザの顔を画面いっぱいにズームアップする。
リーザは両手を胸の前で組み、目を潤ませて、故郷の母——威厳ある海竜の化身たる女王リヴァイアサンへ向けて、心からのメッセージを叫んだ。
「お母様〜〜っ!!」
全ルナミス国民が、その感動的な親子の絆の言葉を待った。
「リーザはここルナミス帝国で、銀河一の歌姫としてトップを走っております〜! だから、もう干しワカメとか貝殻の仕送りは要りません事よ〜! 送るなら、現金で!! 銀行振込か、魔導送金でダイレクトにお願いしますわーーッ!!」
「…………」
裏路地に、秋の冷たい風が吹き抜けた。
「……あ、ありがとうございましたーッ!! 現場からは以上です! スタジオにお返ししまーすッ!!」
リポーターが半ば悲鳴のような声を上げてカメラを手で塞ぎ、生中継は強制終了(ブツ切り)された。
全国ネットの電波に乗って、シーラン国の王女が「野良犬と弁当を争う極貧生活」と「狂気に満ちたアイドルの妄想」、そして「母親への生々しい現金の要求」を晒し上げた瞬間であった。
この、たった数分間の放送事故が。
ルナミス帝国とシーラン国の間に、国家の存亡を揺るがす『最悪の国際問題』を引き起こす引き金になろうとは。
弁当のハンバーグをむしゃむしゃと頬張るリーザも、タコ部屋で呑気にテレビを見ていたリアンたちも、この時はまだ知る由もなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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