EP 9
英雄の帰還と、神速のガチャ爆死(クソ株の大暴落)
帝都の冒険者ギルド・メインロビー。
普段は荒くれ者たちの怒号と酒の匂いが充満しているその場所が、今は水を打ったような静寂に包まれていた。
「……お、おい。嘘だろ……?」
「クリムゾン・ワイバーンだぞ……Aランクの、それも突然変異の巨体を、たった一太刀で……?」
ギルドの中央。大理石の床の上にドスンと置かれたのは、巨大な真紅の飛竜の首と、極上の素材となる鱗や牙、そして巨大な魔石の山だった。
そして、その信じられない獲物を持ち帰ってきたのは、白銀のフルミスリルアーマーに身を包んだ一人の男と、その後ろを歩く十歳の子供たち——『Sクラスお助けクラン』の面々である。
「いやぁ、流石はA級冒険者のフェイト様だ! 突発的なイレギュラーを見事に討伐し、未来ある子供たちを無傷で連れ帰ってくるとは!」
ギルドマスターが顔を紅潮させ、揉み手でフェイトにすり寄ってくる。
「素晴らしい! 冒険者の鑑! これぞ英雄の鑑ですぞ!」
「へっ……よしてくれ。俺はただ、引率者として当然の仕事をしただけさ」
フェイトはポポロ・シガレットを咥え、ニヒルな笑みを浮かべて肩をすくめた。
その洗練された仕草と、強者だけが持つ圧倒的な余裕。ギルド中の若い冒険者や受付嬢たちが、羨望と熱狂の眼差しを彼に向けている。
「おお……! なんという謙虚さ、なんという高潔さ! これぞまさしく『ノブリス・オブリージュ』の体現!」
クラウスが、目をキラキラと輝かせながら両手で固く拳を握りしめていた。
「フェイト殿は、己の武力をひけらかすことなく、ただ静かに民の平穏を守る……! 僕も将来、必ずや彼のような偉大な将になってみせる!」
(……まぁ、結果だけ見れば『英雄』そのものだな)
リアンも腕を組みながら、内心でフェイトの評価を上方修正していた。
途中まではパチンコで全財産を溶かし、戦闘中に寝袋で爆睡し、イレギュラーを前に逃げ出そうとした完全な『クソ株』だったが、最後の最後、ここ一番での爆発力だけは本物だった。
「さあ、フェイト様! こちらが今回のクリムゾン・ワイバーン討伐および素材買取の特別報酬……『白金貨百枚』の入った魔導カードでございます!」
ギルドマスターが、仰々しい態度のまま一枚の黒光りするカードを差し出した。
白金貨百枚。日本円にして、ざっと一億円にも上る莫大な金額である。
(キタキタキタァァァーッ!!)
リアンの脳内で、歓喜のファンファーレとレジスターの『チーン!』という音が鳴り響いた。
(事前の専属契約(奴隷契約)により、フェイトの報酬の九割はクランの共通資金として天引きされる! つまり白金貨九十枚が俺たちの懐に入る! これでSクラスは実質上場! 資金難の恐怖とは永遠におさらばだ!!)
リアンが『$』マークの浮かんだ目で魔導カードを受け取ろうと手を伸ばした、その時だった。
スッ……。
リアンの手よりも早く、横から伸びてきたミスリルのガントレットが、その魔導カードを鮮やかに横取りした。
「えっ」
リアンが間抜けな声を上げる。
カードを奪い取ったのは、他でもないフェイト・ラックだった。
彼の顔は、先ほどまでの『クールな英雄』のものから、前世でリアンが腐るほど見てきた『給料日直後のギャンブル依存症』のそれに、完全に切り替わっていた。
「……なぁ、リアン社長」
フェイトの息が、不自然なほど荒くなっている。
その瞳孔は限界まで開き、魔導カードを見つめる視線は異常な熱を帯びていた。
「フェ、フェイトさん? 何してるんですか、それはクランの資金……」
「今日の俺の『運気』……まだ終わってないよな?」
「は?」
フェイトは、もう片方の手で懐から『魔導通信石』を抜き出した。
画面には、朝彼が狂ったように回していた【魔導聖女ピックアップガチャ・期間限定】の極彩色バナーが光り輝いている。
「俺は今日、コインが『縁で立った』んだ。能力も運気も100倍なんだ。……ってことはだよ? 今この瞬間に、この白金貨百枚(一億円)を魔導通信石にチャージして全ツッパすれば……SSRの魔導聖女が完凸(限界突破)するどころか、さらに凄まじいリターン(神引き)が来るんじゃねぇか!?」
「——ッ!!?」
リアンの全身の血液が、一瞬にして沸騰し、そして凍りついた。
「や、やめろォォォォォォッ!! てめぇ何考えてんだ!! それは俺たちの会社の資本金だぞ!! 命を懸けて稼いだ金を、電子の海に溶かす気か!!」
リアンが絶叫し、フェイトから魔導カードを奪い返そうと飛びかかる。
しかし、フェイトの基礎ステータスはA級。しかも『運気100倍』のバフの余韻がまだ彼の肉体に残っている。十歳の子供のスピードで止められるはずがなかった。
「案ずるなリアン! 俺がこの一億を、十億……いや、百億に増やしてやる! 英雄の強運を見せてやるぜェェェェッ!!」
ピッ! ピッ! ピロリロリーン!!
フェイトの手元で、魔導カードから通信石への『全額チャージ完了』の無慈悲な電子音が鳴り響いた。
そして、フェイトの親指が、画面の【虹色魔法石10000連ガチャを回す】という、正気の沙汰とは思えないボタンをノータイムで連打した。
「ああああああああああああああああッ!!!」
リアンが、血の涙を流しながら絶叫する。
クラウスも、何が起きているのかは完全に理解できていないものの、リアンの絶望的な悲鳴を聞いて顔面を蒼白にしている。
「リ、リアン!? どうしたのだ!? 英雄殿は何の儀式をしているんだ!?」
「儀式じゃねぇ! 英雄が今、ただの『重度のパチンカス』にクラスチェンジして俺たちの資産を燃やしてるんだよ!!」
ギルドのロビーに、魔導通信石から放たれる派手な演出音が鳴り響く。
『——キュピィィィィン!!』
『——ババババーーーン!!』
「いっけええええええええ!! こい! SSR! SSRの魔導聖女ちゃん!!」
フェイトが、フルミスリルアーマーをガシャガシャと揺らしながら、画面に向かって祈りを捧げる。
その姿は、先ほどまでの「高潔な英雄」とは真逆の、欲望と狂気に塗れた醜悪なモンスターであった。
しかし。
ギャンブルの神、いや、リアンの言う『確率の収束』は、絶対に不正を許さなかった。
『——テローン』
画面に表示されたのは、虹色でも金色でもなく、ただの『茶色い木箱』の山。
そして、延々とスクロールされていく無慈悲なテキスト。
【N:村人の鍬】
【N:ゴブリンの腰巻き】
【N:折れた木の枝】
【N:泥だらけの長靴】……
「……えっ?」
フェイトの指が、ピタリと止まった。
「……あ、あれ? おかしいな。俺の運気は100倍のハズ……。どうして、一万連も回して、SSRが一つも……?」
シュウゥゥゥゥ……。
その瞬間、フェイトの全身から立ち昇っていた最後の「闘気」が、完全に霧散して消滅した。
ワイバーン戦で極限まで運気を前借りした『エッジスタンド(縁立ち)』の反動。すなわち——【極大デバフ(全能力・運気・生命力の完全枯渇)】が、彼を襲ったのである。
「う……あ……ぅっ……」
フェイトは、空っぽになった魔導カードと通信石を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
「白金貨、百枚が……一億が……全部、村人の鍬に……」
白目を剥き、口から一筋の泡を吹いて倒れ伏すA級冒険者。
さっきまで彼を称賛していたギルドの荒くれ者たちも、「あ、あいつ、やべぇ病気なんじゃねぇか……?」とドン引きして遠巻きに見つめている。
「…………」
リアンは、音を立てて崩れ落ちた己の『莫大な黒字計画』の残骸を前に、ゆっくりとショートソードの柄に手をかけた。
「う〜ん……」
倒れ伏したフェイトが、虚ろな目のまま、震える手で魔法ポーチから『最高級の羽毛寝袋』を取り出し、モゾモゾと潜り込み始めた。
「なんか……急に体調、悪くなってきた……。胃が……心臓が痛い……。俺、明日から一週間、有休もらうわ……ぐすぴー」
現実逃避の自己防衛本能(睡眠)。
一億円を溶かした男の、これ以上ないほど最低最悪の逃げ口上であった。
ブチィッ!!
リアンの脳内で、理性という名の分厚いロープが完全に断ち切られた。
「て・め・ぇ・ぇ・ぇ・ぇ・ぇ・ぇ・ぇ・ぇッ!!!!」
リアンはショートソードを鞘ごと引き抜き、寝袋に入ったフェイトに向かって、前世の料理人の怒りを乗せた『連続タタキ(ミンチ)』を叩き込み始めた。
「根本的にダメな大人じゃねぇか! 何が英雄だ! 何がノブリス・オブリージュだ! 結局やってることはタローソン裏の野良犬以下の知能じゃねぇか!! 俺の! 俺の一億円を返せェェェェッ!!」
「ぎゃあああああ!! 痛い! 寝袋の上からでも痛いィィッ!!」
「あ、あぁ……フェイト殿……? 僕の、僕の憧れた英雄が……ただの、ただの……ッ!」
クラウスが両手で頭を抱え、再び見せつけられた『大人の醜い現実』に、ノイローゼのように蹲っている。
「私の……私のお肉代がァァァァッ!!」
状況を理解したリーザが、血走った目でみかん箱から跳躍し、寝袋ごとフェイトに噛みつき始めた。
「吐き出せ! 今すぐ胃袋から白金貨を吐き出せこの不良債権!! 貴方の内臓をすべて闇市場に流して回収してやりますわーーッ!!」
「ルナ! やれ!! コンプラ違反を許可する!! こいつのミスリル装備全部引っ剥がして臓器ごと売り飛ばせ!!」
「まあ♡ 喜んで、社長♪」
「やめろぉぉぉ! 俺は英雄だぞ! お前らの命を救ったヒーローだろうがァァッ!!」
帝都の冒険者ギルドに、A級冒険者の情けない悲鳴と、十歳の子供たちの怒号が響き渡る。
クリムゾン・ワイバーンを討伐し、一億円の富と最高の名声を手に入れたはずの『Sクラスお助けクラン』。
しかし、彼らの「上場」の夢は、ギャンブル中毒のクソ株の神速の爆死によって、わずか数十秒で【完全なる上場廃止(大赤字)】へと叩き落とされたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




