EP 7
イレギュラー発生! 絶体絶命のSクラスと立ち上がる不良債権
「マナハーブ、群生ポイント発見。よし、根を傷つけないように慎重に採取しろ。これはギルドを通さずに直接ポーション工房に卸せば、中間マージンを省けて利益率が跳ね上がる優良商材だ」
帝都から馬車で一時間ほど離れた、東の岩山。
険しい岩肌にへばりつくように生える青白い草——『マナハーブ』を前に、リアンは前世の料理人としての繊細な手つきで採取作業を進めていた。
「わーい! いっぱい生えてるねぇ!」
「これで私のアイス棒が……ふふふっ、雑草がすべてお金に見えてきますわーッ!!」
キャルルとリーザも、泥だらけになりながらせっせと草を毟っている。
「……なんで俺が、こんなガキのおつかいみたいな真似を」
その背後で、全身からどんよりとしたオーラを放ちながら、大量の薬草が詰め込まれた背負いカゴを背負わされている男がいた。
A級冒険者、フェイト・ラックである。
彼のピカピカのフルミスリルアーマーは、岩山の土埃にまみれ、完全にただの『超高給な荷物持ち』へと成り下がっていた。
「文句を言うな、フェイト殿。これもまた、民の健康を守るためのノブリス・オブリージュの第一歩。僕たちと共に汗を流せることを誇りに思うべきだ」
クラウスが、岩山の上から爽やかな笑顔で言い放つ。
「てめぇは侯爵家の坊ちゃんだからいいよな! 俺はA級だぞ!? 昨日の夜もパチンコに行けなくて手が震えてるのに、なんでこんな地味な労働を……」
「黙って働け不良債権!」
リアンが振り返りもせずに怒鳴る。
「お前はもうただの案山子だ! A級の威圧感で周囲の雑魚モンスターを遠ざけるための『魔除け』として機能してくれれば、それで十分なんだよ!」
リアンの徹底したリスク管理により、今日のクエストは順調そのものだった。
マナハーブの採取は本来、FランクやEランクの初心者が受ける安全な仕事だ。フェイトの放つA級の闘気のおかげで、ゴブリンやスライムといった低級魔物すら寄り付かない。
(完璧な安全資産だ。このままカゴを一杯にして帰れば、ノーリスクで確実な現金が手に入る!)
リアンが帳簿の黒字額を思い浮かべてほくそ笑んでいた、まさにその時だった。
『————ギュオォォォォォォォォォォォォッ!!!』
突如として。
岩山の空気をビリビリと震わせる、鼓膜を劈くような凄まじい咆哮が上空から降り注いだ。
「なっ……!?」
リアンが空を見上げる。
それまで晴れ渡っていた秋の空を、巨大な『黒い影』が覆い隠していた。
バサァッ!! バサァッ!!
強烈な突風が吹き荒れ、採取したばかりのマナハーブが宙に舞い上がる。
「きゃあっ!?」
「な、なんですのこの風は!?」
体重の軽いキャルルとリーザが、風圧だけで岩肌を数メートルも転がされた。
「おい……嘘だろ。どうして『あんなもの』がこんな低ランクの採取場に……!」
リアンの顔から、サァッと血の気が引く。
上空からゆっくりと岩山の頂上に舞い降りたのは、全長十メートルはあろうかという巨大な飛竜——『クリムゾン・ワイバーン』だった。
全身を覆う真紅の鱗は鋼のように硬く、鋭い鉤爪は岩を豆腐のように砕いている。その口からは、チロチロと漏れ出た炎が周囲の空気を歪ませていた。
「ク、クリムゾン・ワイバーン……! 本来はもっと西の火山地帯に生息するはずの、危険度『Aランク』の凶悪な魔獣だぞ!」
クラウスが魔剣を抜き放ち、顔面を蒼白にしながら叫んだ。
「……縄張り争いにでも負けて、この岩山に流れてきたイレギュラーってわけか!」
リアンの脳内で、瞬時に現在の『資産(戦力)』と『負債(脅威)』のバランスシートが構築される。
そして弾き出された結果は——【完全なる債務超過(全滅)】。
相手は空を飛ぶ巨大な竜だ。十歳の子供の短い脚では、逃げ切る前に上空からブレスで焼かれてジ・エンド。
迎撃しようにも、装甲が硬すぎてリアンの『三ツ星シェフの包丁』やショートソードでは致命傷を与えられない。
(詰んだ……! 昨日のホブゴブリンとは次元が違う! 俺たちSクラスの戦力じゃ、絶対に勝てない相手だ!)
『グギャアアアアアアッ!!』
ワイバーンが、自分たちのテリトリー(岩山)を荒らす小さな人間たちを見下ろし、殺意に満ちた炎の息を吐き出す準備を始めた。
「ちくしょう、やるしかねぇ! 総員、迎撃陣形! 散開してタゲ(標的)を分散させろ!!」
リアンが叫ぶ。
「僕が時間を稼ぐ! 誇り高きアルヴィン侯爵家の剣技、とくと見よ! 『ライトニング・ブレイク』!!」
クラウスが雷光を纏った魔剣を振り下ろし、ワイバーンの足元へ斬り込む。
しかし——。
ガァンッ!! という鈍い金属音と共に、クラウスの魔剣は真紅の鱗に弾き返され、彼自身が凄まじい反動で後方へと吹き飛ばされた。
「がはぁッ!?」
「クラウス!!」
「ええいっ! お魚の恨み、受けなさいですわーッ!!」
リーザがみかん箱を踏み台にして跳躍し、ワイバーンの尻尾に食らいつこうとするが、巨大な尻尾のひと振り(テールバインド)で、ハエのように叩き落とされる。
「リーザちゃん! もう、許さないんだから! 『月影流・流星蹴り』!」
キャルルが安全靴でワイバーンの顎を蹴り上げる。だが、三万ジュールの蹴撃をもってしても、ワイバーンの巨体はわずかに仰け反っただけだ。
「あらあら、ならば私のお友達(猛毒)を……」
ルナがコンプラ違反の毒魔法を唱えようとするが、ワイバーンの羽ばたきによる強烈な暴風がそれを掻き消してしまう。
「くそっ、全然ダメだ! ステータスの桁が違いすぎる!」
リアンも極小マグナギア『ミニ丸』の爆撃を仕掛けるが、ワイバーンには蚊に刺された程度のダメージしか入らない。
子供たちが次々と地面に倒れ伏し、絶望的な状況に追い込まれる中。
リアンは、最後尾で岩陰に隠れ、ガタガタと震えている『もう一人の大人』を振り返った。
「フェイト!! てめぇ何してんだ!! A級のお前の出番だろ!!」
リアンが血を吐くような声で叫ぶ。
しかし、フェイトは顔を青ざめさせ、ミスリルアーマーをガシャガシャと震わせていた。
「む、無理だリアン! クリムゾン・ワイバーンなんて、俺でもソロ(単独)で狩ったことはねぇ! あんなの、上位パーティーで束になってやっと勝てるかどうかのバケモンだぞ!!」
「A級だろうが! プロの冒険者だろうが!!」
「プロだからこそ分かるんだよ! 今の俺の『運気』じゃ、あんなイレギュラーに勝てる確率はゼロだ! 逃げるしかねぇ!!」
フェイトは完全に及び腰だった。ギャンブル依存症の彼は、基本的に「勝てる確率が高い勝負」しかしない。圧倒的な死の気配を前に、彼の心は完全に折れていた。
『ゴルルルルルルッ……』
ワイバーンが、大きく息を吸い込んだ。
その喉の奥で、周囲の岩を溶かすほどの超高熱の炎が圧縮されていくのが分かる。
「……ッ!! しまった!」
リアンは咄嗟に、倒れたキャルルとリーザの前に立ち塞がり、両手を広げた。
(ダメだ、防ぎきれない……! ここで、俺たちの会社は倒産か……っ!)
リアンは歯を食いしばり、死の瞬間を覚悟した。
だが——。
その瞬間。
チャリン。
絶望の風が吹き荒れる岩山に、小さな、けれど不思議なほど澄んだ『金属音』が響き渡った。
それは、リアンにとって聞き覚えのある——そして、最も忌み嫌っていた『ギャンブルの音』だった。
リアンが目を開けると。
目の前に、白銀に輝く巨大な背中が立ち塞がっていた。
「……フェイト……?」
それは、つい先ほどまで岩陰でガタガタと震えていたはずの、あの情けない男の背中だった。
しかし、彼から立ち昇る気配は、ギルドでタコ糸に縛られていた時とも、パチンコで全財産を溶かした時とも全く異なっていた。
圧倒的なまでの『闘気』。
A級冒険者としての、研ぎ澄まされた刃のような殺気。
フェイトの右手には、彼が放り投げた一枚の『真鍮のコイン』が、秋の太陽の光を反射して、キラキラと空高く舞い上がっていた。
「……なぁ、リアン社長」
フェイトは、顔だけを少し後ろに向け、ニヒルな——本当に、どうしようもなく絵に描いたようなヒーローの笑みを浮かべた。
「俺は確かに、パチンコに全ツッパして、お前らに借金して、言い訳して仕事から逃げようとする、どうしようもない『クソ株(ダメ大人)』だ」
フェイトは、背中に背負っていた巨大な両手剣を、ゆっくりと、しかし確かな力強さで引き抜いた。
その切っ先が、ワイバーンを真っ直ぐに捉える。
「だけどな。十歳の子供が命懸けで仲間を庇ってんのに、その後ろで尻尾巻いて逃げるような……『クズ』にだけは成り下がりたくねぇんだよ」
フェイトの言葉に、クラウスが、キャルルが、そしてリアンが息を呑んだ。
「お前ら、よく頑張ったな。あとは……『引率者(大人)』の仕事だ」
空高く舞い上がったコインが、重力に従ってフェイトの手元へと落ちてくる。
彼のユニークスキル『コイントス』。
外れればすべての能力が半減し、ただの案山子以下になる最悪のギャンブル。
クリムゾン・ワイバーンの灼熱のブレスが放たれる、その直前。
フェイトの運命を懸けたコインが、ついに地面へと着地するのだった。
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