EP 16
プリンスメロロンの囁きと、陥落する純情戦乙女
東の区画でアルヴィン侯爵家の嫡男が「限界キャバクラおじさん」と化していた頃。
メロロン畑の西区画へと単身乗り込んだダイヤ・マーキスは、順調にハウスの最奥部へと歩を進めていた。
「ふん、他愛もない。所詮は喋るだけのただの果物だ。こんなものに惑わされるなど、我がSクラスの生徒ながらクラウスはまだまだ青いな」
ダイヤは紅蓮のクリムゾンアーマーをガシャガシャと鳴らし、行く手を阻むように伸びてくるメロロンのツルを『天魔竜聖剣』の鞘で的確に弾き飛ばしていく。
彼女の足取りには、二十年間培ってきた『戦士としての絶対的な自信』が満ち溢れていた。
(精神干渉など、私には全くの無意味。私は幼き頃よりカギタ公爵家の温室育ちを良しとせず、『レンジャー・ハンドブック』と『五輪書』をバイブルとして戦場を駆け抜けてきたのだ! 毎日泥水をすすり、野良犬の鳴き声を聞きながらテントで眠り、ハズレのMRE(謎のベジタブルオムレツ)を涙目で咀嚼してきた私の強靭なメンタルが、甘い果汁ごときに屈するはずがない!)
ダイヤは己の不遇な——もとい、ストイックな貧乏サバイバル生活を誇りに思いながら、西区画の最深部を覆う分厚い葉のカーテンを乱暴に払いのけた。
「さあ、この区画の主である上位種とやら! 大人しく出てきて、私の胃袋と学園の給食に貢献しろ!」
ダイヤが魔導式サブマシンガンを構え、声高らかに宣言したその瞬間。
葉のカーテンの向こう側に広がっていた空間から、圧倒的な『雄』の気配が放たれた。
『——銃口を下ろしなよ、美しい人。そんな無骨な鉄の塊は、君の綺麗な手には似合わない』
「なっ……!?」
脳内に直接響いたその声は、深みのある低音でありながら、ベルベットのように滑らかで、甘く、そしてどこまでもセクシーな『超絶イケメンボイス』だった。
ダイヤは思わず肩をビクッと震わせ、声の主を探して視線を彷徨わせた。
空間の中央。
月光を思わせるような淡い光を放つ台座(切り株)の上に、それは静かに鎮座していた。
先ほどクラウスを陥落させたクイーンメロロンが丸みを帯びた豊満なフォルムだったのに対し、こちらはシャープで引き締まった縦長のフォルム。表面の網目はまるで鍛え抜かれた彫刻のような力強さを持ち、そこから漂う香りは、甘さの中に微かなスパイスを感じさせる、極上の『大人の男』のアロマだった。
「き、貴様が……西区画の主、『プリンスメロロン』か!」
ダイヤはサブマシンガンを構え直すが、その銃口は先ほどまでのブレない精密さを失い、微かに震えていた。
『いかにも。……だが、そんなに警戒しなくていい。僕はただ、君のように傷ついた戦乙女を癒やしたいだけさ』
プリンスメロロンの太く力強いツルが、まるでタキシードを着た紳士が手を差し伸べるように、優雅にダイヤの前へと伸びてきた。
「ふざけるな! お前のそのチャームなど、百戦錬磨の私には通じない! 私は戦士だ、癒やしなど求めていない!」
ダイヤは強がりを叫ぶが、プリンスメロロンはふっと優しく、どこか哀愁を帯びた声で笑った。
『嘘だ。君の瞳の奥は、泣いているじゃないか』
「——ッ!?」
『君は、ずっと一人で戦ってきたんだろう? 公爵令嬢という恵まれた地位を捨ててまで、自分の信じる正義のために。……宿代を切り詰め、冷たいテントで震え、味気ない野戦食を無理やり水で流し込む毎日。武器のメンテナンスで手は荒れ、女の子らしいオシャレを楽しむ余裕もない』
「ど、どうしてそれを……っ!」
プリンスの言葉は、ダイヤが長年「見ないふり」をしてきた急所を、いとも容易く、そして的確に撃ち抜いていった。
スルスルッと伸びたツルが、ダイヤの背後にある太い柱にドンッ!と叩きつけられる。
それはまさに、現代地球で言うところの『壁ドン』であった。
『……もう、無理をして強がらなくていいんだよ。君は十分すぎるほど頑張った』
「あ……うぅ……っ」
『君は美しい。その紅蓮のアーマーの下には、誰よりも純粋で、可愛らしい素顔が隠れていることを、僕だけは知っている』
プリンスメロロンのツルが、ダイヤのアーマーの隙間からそっと入り込み、彼女の強張った肩を優しく抱き寄せた。
その瞬間、ダイヤの脳内に、今まで一度も経験したことのない『甘いロマンスの熱』が爆発的に広がり始めた。
(な、なんだこれは……!? 敵の攻撃か!? いや、違う! この胸の高鳴りは、私がずっと、ずっと心の奥底で憧れていた……ッ!)
ダイヤ・マーキス、二十歳。
容姿端麗、実力は国家最高峰のSランク。
しかし、その人生のすべてを「正義」と「武器のメンテナンス」と「明日の弾薬代の計算」に捧げてきた彼女は、生まれてこの方、一度も彼氏ができたことがない『限界純情乙女』であった。
恋愛経験値ゼロの彼女にとって、プリンスメロロンが放つ「全肯定の甘やかし」と「少女漫画のような壁ドン」の破壊力は、S級魔獣のブレスよりも遥かに致命的だった。
「そ、そそそそんな事をいいいわれてもなっ……! 私は……その、男の人とお付き合いとか、したことないし……っ!」
ダイヤは顔を真っ赤にして、サブマシンガンを持つ手を震わせた。完全に動揺し、舌が回っていない。
『経験なんて関係ないさ。僕が全部、教えてあげるから』
プリンスメロロンから、キラキラとしたイケメンのオーラ(幻覚)が立ち昇る。
『さあ、その重たい銃を捨てて。君は何も持っては駄目だ。……僕が与える『幸せ』というもの以外は、何も』
「幸せ……私が、幸せに……なってもいいのか……?」
『もちろんだとも。もう、ハズレのレーションで胃もたれすることもない。弾薬の残りを気にして眠れない夜もない。僕の果肉と果汁で、君のお腹も心も、一生満たしてあげる』
チャリン……。
ダイヤの手から、彼女が自分の命よりも大切にしていたはずの魔導式サブマシンガンが滑り落ち、地面に転がった。
続いて、背中の天魔竜聖剣も、全身に仕込んでいた数十個の暗器も、次々とその場に投げ捨てられていく。
「あぁ……プリンス……♡ 私、ずっと……こんな風に、優しくされたかったの……っ」
ダイヤは涙目になりながら、自らアーマーの兜を脱ぎ捨て、巨大なメロンの果皮に抱きついた。
『いい子だ、ダイヤ。さあ、僕のジュースを飲んで、君のすべてを僕に委ねて……』
「はいっ……♡ プリンスに一生ついていきますぅ……♡」
顔を真っ赤に紅潮させ、完全に乙女の顔になったSランクの戦乙女は、プリンスメロロンが差し出した特製ジュースを、幸せそうにストローでちゅうちゅうと吸い始めた。
完全に、陥落であった。
『レンジャー・ハンドブック』の鬼軍曹は消え去り、そこには、初恋のときめきに脳を焼かれ、メロンのホストクラブに入り浸る『限界夢女子』が爆誕していた。
* * *
「……終わってやがる。このクラスのツートップ、完全に不良債権になりやがった」
西の区画へと駆けつけたリアン・シンフォニアは、防音結界の向こう側で展開されているその地獄のような光景を目の当たりにし、深々と絶望の溜め息を吐いた。
「ダイヤ先生まで……あんなにデレデレの乙女になっちゃうなんて……」
キャルルが信じられないというように目をパチクリとさせている。
「まあ♡ 先生、とっても嬉しそうですわね。あのメロンさんの果皮に、先生のお名前のタトゥーでも彫って差し上げましょうか?」
ルナが相変わらずのサイコパス発言で場を和ませようとするが、リアンの胃の痛みが加速するだけだ。
(クラウスはクイーンメロロンの『母性』に沈み、ダイヤ先生はプリンスメロロンの『雄み(ホスト)』に沈んだ。……あの二人の強力な戦力が、完全にマイナスへと振り切れている!)
リアンは即座に損益計算を回すが、現状、彼ら三人がチャーム空間に踏み込めば、同じように魅了されて全滅するリスクが高すぎる。
助け出そうにも、メロロンの言葉巧みな防御網と、それに守られ(守り)ながら恍惚の表情を浮かべる二強を、無傷で制圧するのは不可能に近い。
「どうするの、リアンくん? このままじゃ、ダイヤ先生もクラウスくんも、ポポロ村に永住してメロン農家になっちゃうよ!」
キャルルが焦ったようにリアンの袖を引く。
「……クソッ。まともにやったら、こっちの精神が先にショートする。だが、放置すれば学園の信用問題に関わる特大の赤字だ!」
リアンがショートソードと極小マグナギア『ミニ丸』を構え、決死の覚悟で突入を試みようとした、まさにその時だった。
『——どいてくださいませええええええええッ!!』
背後の葉のカーテンを、物理的に食い破るかのような凄まじい勢いで、一つの影が突っ込んできた。
芋ジャージに健康サンダルという、およそ戦場には似つかわしくない格好の少女。
シーランの王女にして極貧地下アイドル——リーザである。
彼女の瞳は血走り、その口からは滝のようなよだれが絶え間なく流れ落ちている。
彼女の視線の先にあるのは、クラウスでも、ダイヤ先生でも、魅了の魔法でもない。
「果物……! 甘い、甘い高級フルーツが……そこにありますわねぇぇ!!」
リーザの頭の中には『無料で食べられるご馳走』という計算式しか存在しなかった。
精神攻撃など一切通じない、純度百パーセントの『絶対捕食者』が、メロロン畑の最深部へと、いよいよその牙を剥いたのだった。
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