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EP 14

耳栓の警告と、若き将たちの慢心

ポポロ村の特別区画、厳重なバリケードで封鎖された巨大なビニールハウス。

分厚い扉を押し開けた瞬間、むせ返るような——そして脳の髄までとろけさせるような、圧倒的に甘く芳醇な香りが一行を包み込んだ。

「……なんだ、この空間は」

リアン・シンフォニアは、耳栓の隙間から入り込む匂いだけでも、その果実の異常性に戦慄した。

前世の『三ツ星シェフ』としての厳しい審美眼を通しても、ハウスの中に実っているメロンたちは完璧だった。芸術品のように均整の取れた網目、宝石のように輝くエメラルドグリーンの果肉の気配、そして空間を満たす極上の糖度を誇るアロマ。

市場に出せば、間違いなく一つで金貨数十枚(数十万円)は下らない超一級品の食材である。

だが、その完璧な食材たちは、農業という概念を根底から覆す「生態」をしていた。

ツルにぶら下がる小玉のメロンたちが、まるで幼児のように体を揺らし、たどたどしい片言の言葉を発しているのだ。

『おみず……すき……』

『また……きてくれたの……?』

『さみしかった……パパ……』

「ヒッ……!? か、果物が喋っているぞ!?」

アルヴィン侯爵家の嫡男、クラウスが目を見開いて後ずさりした。

歴戦のSランク賞金稼ぎであるダイヤ・マーキスも、愛用の魔導式サブマシンガンを構えながら、油断なく周囲を警戒している。

「驚くのはまだ早いよ。みんな、あそこを見て」

キャルルが、ハウスの奥を指差した。

そこでは、ポポロ村のベテラン農夫と思われる初老の男が、人間ほどの大きさに成長した艶やかな巨大メロン——『完熟メロロン』を、涙を流しながらきつく抱きしめていた。

「関係ねぇ! 女房とは昨日、役所で別れの判を捺してきた!! 俺の全財産はお前のために使うんだ!!」

『馬鹿……でも、嬉しい……♡』

「うおおおお!! 俺のメロロォォォン!!」

『ありがとう……あなたに愛されて、私、生まれてきて良かった……ガクッ』

「メ、メロロオオオオオオオン!!!!(号泣)」

農夫のおじさんが、地面に崩れ落ちて咽び泣く。まるで悲恋の映画のラストシーンのような、究極の純愛ドラマがそこには展開されていた。……相手が、丸っこい果物であるという事実を除いて。

「……なんだあの地獄のような不倫劇は」

リアンは完全にドン引きしながらツッコミを入れた。

「おじさん、相手メロンだぞ!? しかも最後、普通に収穫(死亡)されてるじゃないか!」

「ね、言った通りでしょ?」

キャルルは困ったように眉を下げた。

「メロロンはね、純粋に自分を身も心も食べて、愛する人と一緒に堕ちてほしいって思ってるの。だから、あの声を聞き続けると、どんなに真面目な人でも脳がバグって、家庭も財産もすべてメロロンに貢ぎたくなっちゃうんだよ。……だから、耳栓が絶対に必須なの」

キャルルの警告に、リアンは改めて両耳に押し込んだ耳栓のフィット感を確かめた。

(なるほど、恐ろしい精神汚染チャーム能力だ。前世の詐欺師や新興宗教の洗脳メソッドを、果物が本能でやってのけている。……リスク管理を徹底しなければ、一瞬で人生が『倒産』するな)

リアンが冷徹な簿記一級の視点でリスクを測っている横で、エルフの次期女王候補であるルナが「情熱的で素敵ですわね♡ 私もあのおじさまの腎臓を一つ売って、二人の新居の資金にして差し上げたいですわ」と、相変わらずコンプラ違反の善意を振り撒いている。

さらにその後方では、芋ジャージ姿のリーザが、耳栓の上から両手で耳を塞ぐどころか、メロロンたちを血走った目で見つめ、滝のようによだれを垂らしていた。

「美味しそうですわ……美味しそうですわ……! 喋るメロン……つまり、鮮度抜群の踊り食いということですわね!? 今すぐあの甘い果肉に噛みついて、私の胃袋に永久就職させてあげますわ!!」

リーザの頭の中には『恐怖』や『魅了』という概念は一切なく、ただ純粋で暴力的な『食欲』だけが渦巻いていた。彼女の精神には、メロロンのチャームが入り込む隙間すら存在しないのだ。

「……まったく、馬鹿馬鹿しいにも程があるな」

ふと、冷ややかな声が響いた。

クラウスだった。彼は忌々しそうに、農夫のおじさんとメロロンを一瞥すると、おもむろに自分の耳から『耳栓』を引き抜いたのだ。

「お、おいクラウス!? 何やってんだ!」

リアンが慌てて止めるが、クラウスは誇り高き貴族の顔でフンと鼻を鳴らした。

「これほどまでに醜悪な精神の脆弱さを見せつけられるとはな。果物ごときの甘言にたぶらかされ、家族を捨てるなど、人間としての誇りを忘れた者の末路だ。……だが、ノブリス・オブリージュを胸に抱く僕には関係のない話だ」

クラウスは、ポンッと耳栓を地面に捨てた。

「貴族たる者、いかなる精神操作の魔法も、強靭な意志とプライドで跳ね返して見せる。耳栓などという姑息な道具に頼って戦うなど、将たる者の誇りが泣くというものだ!」

「お前は馬鹿か! リスクマネジメントって言葉を知らないのか! なんでわざわざフラグを建築しに行くんだよ!!」

リアンが頭を抱えて叫ぶ。

しかし、クラウスの慢心に同調した者が、もう一人いた。

「クラウスの言う通りだ」

紅蓮のアーマーをガシャリと鳴らし、ダイヤ・マーキスが前に出た。彼女もまた、キャルルから渡された耳栓を外してポケットにねじ込んでいた。

「ダ、ダイヤ先生まで!?」

「リアン、お前は私を誰だと思っている?」

ダイヤは自信に満ちた笑みを浮かべ、腰の天魔竜聖剣の柄をポンと叩いた。

「私は数々の死線を潜り抜け、『五輪書』の境地に至ったSランクの賞金稼ぎだぞ? 日々、泥水をすすり、MREのハズレを引き当てて胃薬を飲む過酷なサバイバル生活を送ってきた私に、果物ごときの甘い言葉が通じるわけがないだろう!」

ダイヤは力強く胸を張った。

「万が一、私の脳にチャームが干渉しようとした瞬間、私が二十年間培ってきた『戦乙女の純情と闘気』がそれを完全に焼き尽くす! 耳を塞いで敵から逃げるなど、私の戦術教本レンジャー・ハンドブックには書かれていない!」

(……ダメだこいつら。プライドが高すぎて、完全に『全肯定の甘やかし』に対する耐性がゼロの奴らのセリフだ!)

リアンは絶望した。

常に『ノブリス・オブリージュ』という重圧を背負って気を張っているクラウス。

そして、彼氏ができたこともなく、常に貧乏で孤独な戦いを強いられてきた純情なダイヤ。

この「普段、絶対に弱音を吐けない立場の人間」こそが、メロロンのような『キャバクラ&ホスト』的な全肯定の精神攻撃に最も弱いという心理学の定石を、リアンは嫌というほど理解していた。

「我々が先陣を切る。このハウスの最奥には、さらに強力な上位種『クイーン』や『プリンス』がいるのだったな? ならば、我々が武力でそれを制圧してこよう!」

「後に続け、リアン! 貴族の精神力というものを見せてやる!」

「あ、おい! 待てって!!」

リアンの制止も虚しく、クラウスとダイヤは耳栓をしないまま、自信満々な足取りでメロロン畑の最深部——最も危険な上位種の生息エリアへとズンズン進んでいってしまった。

「あぁ……行っちゃいましたね……」

キャルルが人参柄ハンカチを握りしめ、困ったように首を傾げる。

「キャルルちゃん、お葬式の準備をしておきましょうか? フルーツバスケットはお任せくださいな♡」

ルナが早くも香典の算段を始めている。

「……あいつら、完全に『不良債権(特大コスト)』になりやがった……!」

リアンは深く、深くため息を吐いた。

この広大なビニールハウスの中で、チャームに屈したSランクの戦士と、暴走するエリート貴族を同時に相手にすることになれば、被害額は計り知れない。

「急いで追いかけるぞ! あいつらの脳みそがメロンの果汁で溶かされる前に、なんとか物理で気絶させてでも回収するんだ!!」

リアンはショートソードを抜き放ち、前世のシェフとしての腕を鳴らした。

「リーザ! お前はとにかく、目についたメロンから端から食い散らかして道を拓け!」

「任せてくださいませ!! 私の胃袋のブラックホールを解放する時が来ましたわー!!」

リーザがよだれを撒き散らしながら、猛然とダッシュを開始する。

若き将の慢心と、純情な戦乙女のプライド。

それが魔の果実の甘き誘惑の前にいとも容易く粉砕される惨劇の幕が、今、切って落とされた。

読んでいただきありがとうございます。

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