EP 12
激安のワイロと課外授業、いざ豊穣のポポロ村へ!
ルナミス学園の敷地の片隅にある旧用具室——通称『タコ部屋』の窓から、心地よい秋の風が吹き込んできた。
空は高く澄み渡り、学園の木々も鮮やかな紅葉に染まり始めている。いわゆる、実りの秋というやつだ。
「……ぐきゅるるるるるぅぅぅ……」
しかし、このタコ部屋に響き渡っているのは、秋の風情をぶち壊すような、死にかけの大型魔獣の咆哮にも似た絶望的な腹の虫の音だった。
音の発生源は、窓際で膝を抱えて丸まっている芋ジャージ姿の少女、リーザである。
「限界ですわ……。食欲の秋だというのに、昨日の夕食はタローソンの裏で野良犬の『マダラ』と奪い合った賞味期限切れのちくわ一本……。今朝に至っては、公園で摘んだ名もなき雑草の朝露添えのみ……。アイドルの燃費の悪さを舐めないでほしいですわ……」
「舐めてるのはお前の経済観念だろ。そのちくわを奪い合うカロリーで日雇いのバイトでもしろ」
冷たく突っ込みを入れたのは、シンフォニア男爵家の嫡男、リアン・シンフォニア(九歳)だ。
彼は前世の『三ツ星シェフ』としての手際で、魔法ポーチのメンテナンス(という名の自作爆薬の湿気取り)を行いながら、深い溜め息を吐いた。
「秋だねぇ〜」
そんな殺伐とした空気を意に介さず、お茶をすすりながらほっこりとしているのは、月兎族のキャルルである。彼女は『星の王子様』のような純真無垢な笑顔を浮かべ、お手製の人参柄ハンカチで口元を拭った。
「ねえ、みんな。実は今日、みんなに頼みがあってタコ部屋に集まってもらったんだ」
「頼み? キャルルがわざわざ改まって、珍しいな」
リアンが手を止めると、キャルルは特注の安全靴(タローマン製)のつま先をトントンと鳴らした。
「うん。私が村長をやってる『ポポロ村』が、いよいよ秋の大収穫期を迎えたの。でも、今年は作物が豊作すぎて、村の若者やおじいちゃんたちだけじゃ手が回らなくて……。だから、リアンくんたちに収穫の手伝いに来てほしいんだ!」
「ポポロ村の収穫の手伝い、か」
リアンの脳内で、瞬時に『簿記一級』の損益計算が弾き出された。
(ポポロ村といえば、ルナミス、アバロン、レオンハートの三大国の緩衝地帯。独自の生態系を持つ『魔の農作物』の宝庫だ。収穫という労働コスト(労力)はかかるが、報酬として現地の高級食材をタダで仕入れることができるなら、活動資金の節約になる。……悪くない投資だ)
リアンが前世のシェフとしての血を騒がせていると、部屋の隅で目を閉じていたアルヴィン侯爵家の嫡男、クラウスが静かに目を開けた。
「……待て、キャルル。貴君の村が困窮しているのなら、貴族として手を差し伸べるのは当然の義務だ。だが、我々はルナミス学園の学生の身。勝手に数日間の遠出をするわけにはいかないだろう」
クラウスの指摘は、極めて真っ当だった。
「それに、我々の担任はあのダイヤ・マーキス先生だぞ。先の野外演習で、我々に『将たる者の過酷さ』を骨の髄まで叩き込んだあの紅蓮の戦乙女が、学生の個人的な農作業の手伝いなど、許可するはずがない」
クラウスの脳裏には、森の中で爆炎とトラップを掻い潜りながら、Sランクの圧倒的な武で自分たちを蹂躙したダイヤの冷酷な教官としての姿が焼き付いていた。
「ええ、クラウスくんの言う通りだわ。あの先生は、絶対に甘い顔なんて見せない——」
「大丈夫ですわ☆」
その時、タコ部屋の空気を完全に読み違えた、いや、意図的に上書きするようなふわふわとした声が響いた。
エルフの次期女王候補、ルナである。
彼女は極上の笑顔を浮かべ、パラリと一枚の羊皮紙をテーブルの上に広げた。
「先生の許可なら、すでに取ってありますの。ほら、ここにダイヤ先生の『課外授業承認』のサインと印鑑がバッチリ押してありますわ♡」
「なっ!? 本当だ! 学園長の認可印まであるぞ!?」
クラウスが驚愕に目を見開く。
「おい、ルナ……。お前、ダイヤ先生に一体どんな交渉をしたんだ?」
リアンが嫌な予感を抱きながら尋ねると、ルナは悪びれもせず、花が咲くような笑みを浮かべた。
「交渉なんて難しいことはしていませんわ。ただ、キャルルちゃんから事前に預かっていた『ポポロ村特産・高級フルーツ詰め合わせセット』を、先生のテントの前にそっと置いただけですの♡」
「…………は?」
「そうしたら先生、アーマーをガシャガシャ鳴らしてテントから飛び出してきて、『こ、これは……高くて手が出なかった幻のメロロンの果肉! それに高級マスカットだと!?』って涙を流して喜んでくださいましたわ。だから、『これ、ポポロ村へ行けば食べ放題ですわよ?』と囁いたら、光の速さで書類にサインしてくれましたの!」
タコ部屋に、沈黙が落ちた。
「——あのバカセンコー!!」
リアンが思わず頭を抱えて叫んだ。
「ワイロだ! 完全に果物で買収されてやがる! 先の演習で見せた『冷酷な実戦教官』の威厳はどこに行ったんだよ! フルーツの詰め合わせ一つで課外授業の認可を下すSランクなんているか!?」
リアンの簿記一級のセンサーが、ダイヤの破綻した経済観念に悲鳴を上げる。
(ポポロ村のフルーツ詰め合わせ……市場価値にして銀貨五枚(約五千円)程度だぞ! 国家最高峰の戦力が、たった五千円の現物支給で教育理念を曲げたのか!? どんだけ固定費(弾薬代)で追い詰められてるんだあの貧乏戦乙女!!)
「信じられん……。あの鬼神の如き強さを誇るダイヤ先生が、果物の誘惑に屈したというのか……」
クラウスもまた、信じていた大人の威厳が崩れ去る音を聞き、ショックでワナワナと震えている。
だが、そのフルーツという単語に、最も劇的な反応を示した者がいた。
「……た、食べ放題……?」
ピクッ、と。
窓際で丸まっていた芋ジャージの少女が、ゾンビのようにゆっくりと立ち上がった。
「ポポロ村に行けば……甘くて美味しい果物が……無料で、食べ放題……ですの!?」
リーザの瞳孔が限界まで開き、その目にはチャチャチャッ!というスロットマシンのような欲望の光が点滅している。
「行きますわ!! むしろ私が行かずして誰が行くというんですの!! ポポロ村の果物は全部私の(スパチャの)ものですわーーー!!」
「おいバカ魚、落ち着け! ポポロ村の作物を舐めるな。あそこは引っこ抜くと鼓膜を破る悲鳴を上げる『人参マンドラ』とか、脳内に不採用通知を響かせる『折れたス』とか、メンタルを削ってくる魔の農作物の巣窟なんだぞ!」
リアンが警告するが、飢餓状態のリーザの耳には全く届いていなかった。
「関係ありませんわ! 歌えばお腹が空く、お腹が空けば歌う! 無料のステージと無料の食材があるなら、私は地獄の底まで出張ライブに行きますわよ!!」
みかん箱を蹴り飛ばし、リーザは完全に「食い放題」というキラーワードに支配されていた。
バンッ!
その時、再びタコ部屋の扉が勢いよく開いた。
「全員、揃っているな!」
立っていたのは、紅蓮の戦乙女・ダイヤ・マーキスだった。
その表情は、いつもの厳しい鬼軍曹のものであり、腕組みをして堂々たる威厳を放っている。……口元に、微かにフルーツの果汁の跡がキラキラと光っているのを除けば。
「ダイヤ先生……あなた、まさか本当にフルーツで……」
クラウスが悲壮な声で問いかけるが、ダイヤはゴホンとわざとらしく咳払いをし、それを遮った。
「お前たちはいずれ『将』となる身。戦場において、兵站と食料調達のノウハウを知ることは、勝利への絶対条件だ。……今回の『ポポロ村での収穫課外授業』は、その現地調達の極意を学ぶための重要なミッションである! 決して、私が美味しい果物を腹いっぱい食べたいから認可したわけではない! いいな!」
(言い訳が長すぎる。完全に図星じゃないか)
リアンはジト目でダイヤを睨んだが、ダイヤは目を逸らして天井の木目を見つめていた。
彼女の頭の中もまた、日々の味気ないMREレーション生活から抜け出し、ジューシーな果肉を貪ることで頭がいっぱいなのだ。
「えへへ、それじゃあ決まりだね!」
キャルルがパンッと手を合わせ、満面の笑みを浮かべた。
「ポポロ村の収穫祭は、とっても賑やかで楽しいよ! 村のみんなも、リアンくんたちが来てくれるのを待ってるからね!」
「……はぁ。仕方ねぇな」
リアンは諦めたように肩をすくめ、愛用のバックパック型魔法ポーチを背負い直した。
(どうせ行くなら、徹底的に黒字にしてやる。村の特産品を最高の状態で収穫し、前世のシェフの腕で極上の料理に仕立て上げてやるさ。……自動販売機化を避けるための、正当な資金稼ぎの一環だ)
リアンはポーチの奥で、マイ包丁と香辛料のセットがカチャリと鳴るのを確認した。
「よし、総員出発だ! 目指すは豊穣の地、ポポロ村!」
ダイヤの号令のもと、空腹でよだれを垂らす人魚姫、純真無垢なヤンデレエルフ、ノブリス・オブリージュの貴族、そして貧乏なSランク教師を率いて。
九歳の元三ツ星シェフは、魔の農作物が待つ緩衝地帯へと足を踏み出すのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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