EP 6
ルナミス帝国が誇る最高教育機関、ルナミス学園。
三歳のスキル検査と五歳の魔力検査を突破した選ばれしエリートたちが集うこの学園において、最も優秀な生徒が集められる「中等部Sクラス」の教室は、新学期早々、奇妙な熱気とカオスに包まれていた。
「……リーザ。お前、さっきから授業の準備もせずに何を齧ってるんだ。ボロボロとパンの耳のカスをこぼすな」
「失礼ですわね! これはただのパンの耳ではありませんわ。今朝、タローソンの裏口で野良犬の群れと熾烈な縄張り争いを繰り広げ、私の『愛と強欲』の力でもぎ取った、貴重な朝食ですのよ!」
窓際の席で、海中国家シーランの王女でありながら極貧地下アイドルとして逞しく生きるリーザが、芋ジャージ姿のまま固いパンの耳を必死に咀嚼していた。
その隣の席では、エルフの次期女王候補であるルナが、「まあまあ、リーザちゃん。お腹が空いているなら、私の『お友達』を分けてあげますわ♡」と、机の上でウネウネと蠢く、明らかにコンプライアンス違反の猛毒植物(触手付き)を笑顔で差し出している。
「ルナ、それを真っ当な食事だと思って勧めるのはやめろ。リーザが死ぬ」
「リアンくんは心配性ですわね。ちょっと内臓が溶けるくらい、私の月光魔法……じゃなかった、自然魔法で一瞬で再生できますのに」
呆れ果てて突っ込みを入れるのは、先の大戦での功績により叙爵された「シンフォニア男爵家」の嫡男、リアン・シンフォニア(九歳)である。
前世は日本人の三ツ星シェフにして簿記一級の資格保持者。平穏な学生生活と、神々に目をつけられて『自動販売機』に改造される未来を回避するため、常に冷徹な損益計算を裏で回している男だ。
さらに前の席では、アルヴィン侯爵家の嫡男クラウスが「……騒がしい。貴族たる者、常に静謐を保ち、来たるべき試練に備えるべきだ」と目を閉じてノブリス・オブリージュの精神を練り上げ、その後方では月兎族のポポロ村村長キャルルが『五輪書』を読みながら、安全靴のつま先で静かに床を叩いてリズムを取っている。
(相変わらず、うちのクラスは不良債権の集まりだな……)
リアンが密かに頭を抱え、そろそろホームルームのチャイムが鳴るかと思ったその時だった。
——ガシャン、ジャキッ。
重厚な金属音と、微かな火薬の匂いを漂わせながら、教室の扉が勢いよく開け放たれた。
そこに立っていたのは、全身を紅蓮色に染め上げた『クリムゾンアーマー』を纏う、見目麗しい二十歳の女性だった。
美しい顔立ちとは裏腹に、アーマーの裏地や腰のベルトには、魔導式拳銃、コンバットナイフ、そして鈍い光を放つ手榴弾サイズの魔導プラスチック爆弾がギチギチに仕込まれている。
「起立。気をつけ」
凛とした、しかし戦場を生き抜いてきた者特有の凄みがこもった声が響く。
ルナミス帝国の名門出身でありながら、家出をして賞金稼ぎとなった『紅蓮の戦乙女』。
そして何より、学園の用務員と中等部教師を兼任する、Sクラスの担任——ダイヤ・マーキスその人であった。
「着席。……さて、新学期だな。またお前たちの担任になることになった。よろしく頼むな」
「「「はーい!」」」
生徒たちが元気よく返事をする中、リアンは内心で静かに分析していた。
(ダイヤ・マーキス先生……実力は間違いなく国家最高峰のSランク。伝説の勇者の血を引き、『ウェポンズマスター』のユニークスキルでどんな武器でも極める戦闘の天才。……だが、弾薬代や武器のメンテナンス費用という『固定費』が莫大すぎて、常に貧乏な自転車操業状態。宿代をケチって公園でテント生活をし、学園の給食目当てで用務員まで兼任している……ある意味、最もコスト管理が破綻している大人だ)
リアンがそんな冷徹な簿記的評価を下していることなど露知らず、教壇に立ったダイヤは、チョークを手に取って黒板をコンッと叩いた。
その瞬間、彼女の纏う空気が、『レンジャー・ハンドブック』を体現する鬼軍曹のものへと一変した。
「さて。お前たちはこのルナミス学園でもトップのSクラスだ。ただ剣を振り回し、魔法を撃ち放つだけの『兵卒』で終わる器ではない。……お前たちはいずれ『将』となり、相手を動かす立場になる」
ダイヤの鋭い視線が、教室の生徒一人一人を射抜いていく。
その言葉の意図を即座に読み取ったリアンは、軽く手を挙げて口を開いた。
「つまり……野外授業が始まるってことですか、ダイヤ先生?」
「その通りだ、リアン」
ダイヤはニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「教室で兵法書を読んでいるだけでは、本当の戦場は指揮できない。泥をすすり、罠に怯え、極限状態の中で決断を下す……それを、お前たちに肌で学んでもらう」
数時間後。
Sクラスの生徒二十名は、ルナミス学園の敷地の裏手に広がる、広大な『第七演習場』へと移動していた。
演習場と名付けられてはいるものの、そこは鬱蒼とした巨木が生い茂り、昼間でも薄暗い原始の森である。起伏の激しい地形と視界の悪さは、まさに天然の要塞だった。
「ルールは単純だ」
森の入り口で、ダイヤは軍用バックパックを下ろしながら説明を始めた。
「制限時間は本日から一週間。この森の最奥、私が構築した陣地の中に『旗』が一本立ててある。貴様らSクラスの目的は、その旗を奪取すること。以上だ」
クラスメイトたちがざわつく。
「それだけですか? なら、足の速い数人で一気に突っ走れば——」
「甘いな」
ダイヤは冷酷な声で生徒の言葉を遮った。そして、腰から鈍く光る『魔導式サブマシンガン』をガチャリと引き抜き、銃口を天に向けた。
「そして今回の敵は、私だ。私を倒すか、私を出し抜いて旗を取るかだ。……だが、勘違いするなよ?」
ダイヤの目が、本物の戦場を生き抜いてきた『賞金稼ぎ』の鋭い光を帯びる。
「仲良しこよしで全員揃って陣地に辿り着けるなどと思うな。私は本気でお前たちを狩る。演習用の『行動不能判定(死亡判定)』を容赦なくお前たちに叩き込む」
「なっ……! じゃあ、もし途中でクラスメイトがやられたら……」
「置いていけ」
ダイヤは一刀両断に切り捨てた。
「全員を生かして旗を取る……そんなおとぎ話のような勝利条件は存在しない。これは『将たる者』の演習だ。戦場において、手駒は有限。状況は常に最悪だ。その中で、将であるお前たちは決断しなければならない」
風が木々を揺らし、ダイヤの紅蓮のアーマーが微かに鳴った。
「『何を生かし、何を減らすか』。誰を囮にし、誰を切り捨て、どの手駒を温存すれば、最終目標である『旗』に辿り着けるのか。……それを決断し、目的を達成すること。それが今回の演習の真のルールだ」
その言葉に、クラス中が凍りついた。
誰も見捨てない、全員で勝つ。そんな学園生らしい甘い理想を、ダイヤは真っ向から否定したのだ。
クラウスがギリッと奥歯を噛み締めるのが見えた。彼の信条である「強き者が弱き者を守る」ノブリス・オブリージュの精神に、真っ向から反するルールだからだ。
しかし、リアンの受け取り方は全く違った。
(……なるほど。そういうことか)
リアンの脳内で、前世の『簿記一級』の思考回路が超高速で回転を始める。
(これはただのサバイバルじゃない。『経営判断』のテストだ。手持ちの資産(クラスメイトの戦力)をどう分配し、どこにコスト(犠牲)を支払い、最終的な利益(旗)をもぎ取るか。……損失を恐れてすべてを守ろうとすれば、会社ごと倒産(全滅)する。目的達成のために『不良債権を損切りする冷酷さ』を持てるかどうかを試しているんだ)
「さて……言っておくが、私は強いぞ? ガキ共。泣いて逃げ帰るなら今のうちだ」
ダイヤが挑発するように、ニィッと口角を上げた。
その絶対的な強者のオーラを前に、クラスメイトたちがゴクリと唾を飲み、後ずさりする。
だが。
「——上等ですよ、センコー」
静寂を破り、一番に前に出たのはリアンだった。
九歳の子供らしい、少し生意気で無邪気な笑みを浮かべながらも、その目には前世で数多の修羅場を潜り抜けてきた勝負師としての光が宿っていた。
「僕たちを甘く見ないでよね。Sクラスの意地、見せてやるから」
「ふっ。その威勢、いつまで持つか見物だな、リアン」
ダイヤは満足そうに頷くと、身を翻した。
「演習開始は一時間後。せいぜい、冷酷な作戦を練っておくことだな!」
紅蓮の戦乙女は、重い装甲の音を響かせながら、瞬く間に鬱蒼とした森の奥へと姿を消していった。
残されたSクラスの二十名。
クラウスが腰の剣に手を当て、リアンを鋭く睨む。
「リアン。僕は誰一人見捨てる気はないぞ。全員で勝つ」
「バカ言え。そんな甘い考えじゃ、ダイヤ先生のトラップに掛かって一瞬で全滅(倒産)だ。……損切りできないトップは無能だぞ、クラウス」
リアンは冷徹に言い放ち、森の奥を見据えた。
ルナミス学園中等部、Sクラス。
彼らの『将たる者の条件』を問う、過酷にして非情な一週間のサバイバル演習が、今まさに幕を開けようとしていた。
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